沈み鳥居の鬼—愛してはならない者を愛した罪—

小鷹りく

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第6話 鬼、再び

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 蓑も被らず傘も差さず、ずぶ濡れで帰ってきた二人にびっくりした春乃だったが、何やら兄が肩を落としているので「何かあったのですか」と尋ねた。だが兄は返事をしなかった。愛敬童子がごめんね、と春乃にぽつりと言うのでそれ以上聞く事をやめ、拭くものを箪笥から引っ張り出して二人に渡し、囲炉裏の前に座って針仕事を続けた。


 今日は御朔参りの日だった。以前ならどこか嬉しそうな顔で帰ってきて愛敬童子に揶揄われているのに、ここ数ヶ月は暗い顔で戻る。今日などは葬式にでも出てきたようだと春乃は心配した。弁財天神の悪評が広まっておりその神に仕える童子達は難しい状況にある。他の童子達も行方知れずだと話していたから尚更気掛かりだったが、二人が帰ってきてくれるだけ有難いとそのまま口を噤んだ。

 春次は既に寝床に入っていた。土間の壁に掛けた二人の服からはぼたぼたと水が落ちてその音さえも響く程室内は静かだった。囲炉裏で炭が弾ける音がして、屋根を叩く雨音が強まり風が出始めてガタガタと戸を鳴らすと、春乃はふと顔を上げた。どうにも外の気配が穏やかでない気がしてならない。嵐でも来るのだろうかと外を覗きに行く思案をしていると隣に座っていた生命童子が口を開いた。

「春乃、村の人とはうまくやっているのか」

 家を留守がちにしてはいるが事情を良く知っている筈の生命童子の顔は真剣だった。

「……兄上、今更何を仰っているのですか。村の人はいつも私たちに野菜や米を分けて下さって親切にしてくれます。兄上もご存じのはず」

「御供物の話をしているのではない。人はお前に優しいか」

 春乃は手元に持っていた針と帯をわきへ置いて兄に向って座り直した。帯は完成間近だ。

「ええ、村の方はいつも私達を敬ってくださいます。弁財天様の噂が流れて居ようとも変わりませぬ。この間など米屋の五平さんが兄上と同じように私が年ごろなのを気にして、いい人が居るのだ、会ってみないかと言うのですよ。私にはまだ早うございますとお断りしたのですが」

「そうなのか……」

 早く嫁がせてこの村から出て行って欲しいという裏返しの心だろうかと、生命童子は何を聴いても穏やかに思えず苛立った。手が小刻みに震えるので火箸で炭を弄ってそれを誤魔化す。

「縁者はどこの者だ」 

「橘先生の次男坊です」

「書人の橘先生か」

「ええ」

 村はずれの大きな屋敷に住む橘家は代々書家で、長男は絵も描ける事から都に上り、巷でも有名な絵仏師となったと聞き及んでいる。次男は引退間近の師である父親の家業を受け継ぐと聞いていた。村人が妹をどこか遠い所へ追いやろうと縁談を持ち掛けたわけでは無いと言う事が分かると少しほっとした様子の生命童子だったが、疲れているようで目を何度も瞬かせる。春乃はもう床に就いてはどうかと勧めた。愛敬童子もそれがいいと言って珍しく覇気の弱い生命童子の肩を支えようと立ち上がった。と同時に外で人の声がした。

「……っ……!」

 土砂降りのせいで上手く聞き取れないが明らかに外で人の声がする。そうして直ぐに屋敷の門扉をドンドンと叩く音がはっきり聞こえた。

「生命童子様、愛敬童子様!早う出て来てくださいませ!」

 門外の只ならぬ騒ぎに二人は外へ飛び出た。雨に打たれながら四、五人の男達が押し寄せている。

「なんだ、どうしたっ!」

 童子達は男達の様子を見た。誰も彼も青い顔をして半狂乱で震えている。腕に掻き傷を抱えている者もいた。雨が赤い血を流し、傷から下が真っ赤になっている。そして男達は口々に同じことを叫んだ。


「鬼がっ……鬼が出たのです!」
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