上 下
102 / 210
第二章 王国動乱

その時、人が恋に落ちる音がした

しおりを挟む
 王都クイーンズガーデン、そこには当然各地に領地を持つ貴族達がこの街で滞在するための別邸が存在していた。
 そしてその規模や立地は、その貴族の地位によって如実に変わってくるものであった。
 それを鑑みれば、王城の近くに広大な敷地を持つその建物は、よほどの地位にある貴族の邸宅なのであろう。
 そしてそれが違わない事は、その邸宅から今出てきた青年の姿を目にすれば一目で分かった。

「きゃー!!マーカス様よー!!マーカス様ー、こっち向いてー!!」

 邸宅を出てきた青年の姿に、その敷地のギリギリの所に集まっていた貴族の子女と思しき少女達が一斉に黄色い声を上げる。
 その声に一瞬ぎょっとした表情で立ち止まり、今は困ったように手を振っている青年はマーカス・オブライエン、あの四大貴族筆頭のオブライエン家の御曹司であった。

「その皆、こういう事は止めてって前に言ったよね?」
「えー、この前は敷地には勝手に入ってはいけないって言われたのでー、それはーちゃんと守ってまーす」

 邸宅を囲う塀、その門の辺りに固まっている少女達に、マーカスは困ったように話しかける。
 そんな彼に対して、少女達はそっぽを向いて惚けると、自分達はちゃんと言いつけは守っているとアピールしていた。

「あ、そうなんだ・・・困ったな、もっと厳しく言うべきだったかな?」

 見れば確かに、彼女達はオブライエン家の敷地内には足を踏み入れてはいない。
 しかしマーカスとしては、こうした騒ぎを起こして欲しくないというつもりでそれを言ったのであった。
 それがうまく伝わっていないのかとマーカスは困り果てては、その日差しを浴びて輝く金色の髪を掻き混ぜる。

「マーカス様ぁ、お出かけですかぁ?」
「え?あぁ、うん。実はそうなんだ、だから―――」

 普通の男であればデレデレと喜んでしまいそうな美しい、しかも貴族の少女達に囲まれても、マーカスは動じることはない。
 何故ならば彼にとってそうした存在は、妹であるエスメラルダで慣れ切っていたからであった。
 かつてこの国一番の美女と謳われたマーカスとエスメラルダの母親、その美貌を受け継いでいるエスメラルダは、その美貌を飾ることなく天真爛漫に振舞う。
 そんな彼女の存在に慣れてしまっているマーカスにとって今周りに集まっている少女達など、厚化粧に香水の匂いをぷんぷん漂わせているだけの、けばけばしい女達にしか見えなかったのであった。

「えー?そんなの放っておいて、私達と遊びに行きましょうよー?」
「い、いや、そんな訳には・・・ちょっと!?」
「ほらほらー、早く早くー!」

 用事があるから彼女達には付き合えないと告げようとしたマーカスを無視して、少女達は彼の腕を取って無理やり連れ去ろうとしている。
 マーカスの身体能力からすれば彼女達を振り払う事など造作もなかっただろうが、紳士なマーカスは女性を傷つけることを嫌い、彼女達を無理やり振りほどけない。
 彼女達もそれを知ってか、わざとらしく身体を密着させては彼から抵抗の余地を奪おうとしていた。

「だから駄目なんだって、これは父上からの頼まれごとで!」

 少女達の波に攫われて、為す術なくズルズルと引きずられていってしまっているマーカスは、思わずそう口にする。

「あ、あれ?」

 その瞬間、彼の周りから潮が引くように少女達が一斉に遠ざかっていく。
 その余りの素早さに、それを望んでいたマーカスまでもが思わず戸惑ってしまっていた。

「あのぉ、マーカス様ぁ。その父上というのはぁ?」
「え?うん勿論、僕の父上ジーク・オブライエンの事だけど・・・」
「あー・・・そうですよねぇ。あら私、急に用事を思い出しましたわ。ここで失礼させていただきます。またお会いいたしましょう、マーカス様」

 マーカスから距離を取った少女達の一人が、おずおずと彼に尋ねる。
 そうして彼の口からジーク・オブライエンの名が出た瞬間、彼女達は真っ青に顔を染めると、慌ててその場を後にしていた。

「何だったんだ、一体?」

 蜘蛛の子を散らすようにあっという間にこの場からいなくなった少女達に、マーカスは不思議そうに首を傾げている。
 威厳のある父親としてジークを恐れているマーカス、しかし彼は知らなかったのだ、ジーク・オブライエンという名が他の貴族達にとってどれ程の存在であるかを。

「っと、それより急がないと。父上からはある場所にいる人に会いに行けとしか聞いてないけど・・・えーっと何々、姫百合の間?あそこは確か王族とかが使う場所じゃなかったっけ?まぁ、行けば分かるかな?」

 急に一人になったマーカスは、ジークから渡されたメモを取り出して行き先を確認する。
 そうしてそれを再び仕舞い込んだ彼は、遅れを取り戻そうと小走りで駆けていく。
 その先には王城に続く、緩やかな坂が続いていた。



「えーっと、ここだよな?ここに入ればいいのかな?」

 名門貴族の子息であるマーカスにとって、王城の中を進むのは慣れたものであった。
 しかしこの姫百合の間と呼ばれる場所は彼にとっても初めて立ち入る場所で、その表情には若干の緊張の色があった。

「すみません、マーカス・オブライエンです。入ってもよろしいでしょうか?」

 緊張のためか、僅かに硬い声色で部屋の中へと呼び掛けたマーカスは、目の前の扉を丁寧にノックする。

「・・・」

 しかし返事は返ってこない。

「やだぁ、あれ見てよ」
「ねぇー、クスクス」

 返ってこない返事に、手持ち無沙汰で立ち尽くすマーカス。
 そんな彼の事を、この場所に足を踏み入れる事を許された高貴な身分の女性達が見つけては、その口元を扇で隠しながらクスクスと笑い声を漏らす。

「な、何かおかしかったかな?あっ、もしかしたら!少し走ってきたから、汗臭いのかも・・・」

 貴族としての礼儀や作法に精通していても、こうした場所での正しい振る舞いまでは分からない。
 高貴な女性達の笑い声にそわそわと落ち着かない様子で身体を動かしているマーカスは、自分の格好を見下ろすと掲げた腕に鼻を近づけて、くんくんと汗臭くないかを確認していた。

「あのー、すみませーん。マーカス・オブライエンです!入ってもよろしいですか!?」

 彼のそうした様子が可笑しかったのか、高貴な女性達の笑い声は先ほどよりも大きなものとなっていた。
 それにさらに居辛くなったマーカスは、再び扉をノックすると部屋の中に声を掛ける。
 しかし、やはり返事がない。

「ふふふっ、待ちぼうけかな、坊や?それともぉ、相手にすっぽかされちゃった?」
「駄目よそんなこと言っちゃ、可哀そうでしょ」
「えー、だってー・・・んー、何ならお姉さんと遊んでくー?」

 待ちぼうけの時間に少しずつ取り乱しつつあるマーカスに、彼をからかう高貴な女性達の声が飛ぶ。
 その圧力に、マーカスは段々と追い詰められてきていた。

「っ!?す、すみません!入らせてもらいます!!」

 ついに耐え切れなくなったマーカスは、中から返事もないままドアノブを捻り、部屋の中へと踏み込んでしまう。
 そこには―――。

「『うむ。では、オリビア。お客様に入ってもらいなさい』」
「っ!だ、駄目ですお嬢様!それ以上は・・・ぷぷぷっ、あははははははっ!!!」

 今まで彼に寄ってきた女達とはまるで似ても似つかない、天真爛漫に笑う金色の髪をした美しい女性の姿があった。

「・・・あら?」

 笑い過ぎて浮かんできてしまった涙を拭いながらその金色の髪の女性、リリーナは部屋の中に入ってきたマーカスへと視線を向ける。
 その頬は僅かに上気しほんのりと赤く染まり、涙が浮かんで潤んだ瞳は彼女の碧眼を更に美しく飾っていた。

「・・・天使だ」

 その時、マーカス・オブライエンは初めて恋というものを知り、思わずそう呟いてしまっていたのだった。

「無礼な!!女性の部屋に、しかも王族たるこの私の部屋に勝手に足を踏み入れるとは・・・恥を知りなさい!!」

 マーカスはここに来るようにジークに命令され、訪れたのである。
 そのためこの部屋に立ち入る資格はあったが、この部屋の主であるリリーナの許可なくそこへと足を踏み入れたのは間違いない。
 それに怒るリリーナは、彼の顔をキッと睨み付けるとその手を振り上げる。

「ご、誤解です!!僕は―――」

 そんなリリーナの姿に、彼女に見惚れボーっと突っ立ってしまっていたマーカスが正気を取り戻し、慌てて誤解だと口にする。

「問答無用!!」

 その返事は、彼の頬から鳴り響いた軽快なビンタの音であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

誰一人帰らない『奈落』に落とされたおっさん、うっかり暗号を解読したら、未知の遺物の使い手になりました!

ミポリオン
ファンタジー
旧題:巻き込まれ召喚されたおっさん、無能で誰一人帰らない場所に追放されるも、超古代文明の暗号を解いて力を手にいれ、楽しく生きていく  高校生達が勇者として召喚される中、1人のただのサラリーマンのおっさんである福菅健吾が巻き込まれて異世界に召喚された。  高校生達は強力なステータスとスキルを獲得したが、おっさんは一般人未満のステータスしかない上に、異世界人の誰もが持っている言語理解しかなかったため、転移装置で誰一人帰ってこない『奈落』に追放されてしまう。  しかし、そこに刻まれた見たこともない文字を、健吾には全て理解する事ができ、強大な超古代文明のアイテムを手に入れる。  召喚者達は気づかなかった。健吾以外の高校生達の通常スキル欄に言語スキルがあり、健吾だけは固有スキルの欄に言語スキルがあった事を。そしてそのスキルが恐るべき力を秘めていることを。 ※カクヨムでも連載しています

外れスキル『レベル分配』が覚醒したら無限にレベルが上がるようになったんだが。〜俺を追放してからレベルが上がらなくなったって?知らん〜

純真
ファンタジー
「普通にレベル上げした方が早いじゃない。なんの意味があるのよ」 E級冒険者ヒスイのスキルは、パーティ間でレベルを移動させる『レベル分配』だ。 毎日必死に最弱モンスター【スライム】を倒し続け、自分のレベルをパーティメンバーに分け与えていた。 そんなある日、ヒスイはパーティメンバーに「役立たず」「足でまとい」と罵られ、パーティを追放されてしまう。 しかし、その晩にスキルが覚醒。新たに手に入れたそのスキルは、『元パーティメンバーのレベルが一生上がらなくなる』かわりに『ヒスイは息をするだけでレベルが上がり続ける』というものだった。 そのレベルを新しいパーティメンバーに分け与え、最強のパーティを作ることにしたヒスイ。 『剣聖』や『白夜』と呼ばれるS級冒険者と共に、ヒスイの名は世界中に轟いていく――。 「戯言を。貴様らがいくら成長したところで、私に! ましてや! 魔王様に届くはずがない! 生まれながらの劣等種! それが貴様ら人間だ!」 「――本当にそうか、確かめてやるよ。この俺出来たてホヤホヤの成長をもってな」 これは、『弱き者』が『強き者』になる――ついでに、可愛い女の子と旅をする物語。 ※この作品は『小説家になろう』様、『カクヨム』様にも掲載しております。

爺さんの異世界建国記 〜荒廃した異世界を農業で立て直していきます。いきなりの土作りはうまくいかない。

秋田ノ介
ファンタジー
  88歳の爺さんが、異世界に転生して農業の知識を駆使して建国をする話。  異世界では、戦乱が絶えず、土地が荒廃し、人心は乱れ、国家が崩壊している。そんな世界を司る女神から、世界を救うように懇願される。爺は、耳が遠いせいで、村長になって村人が飢えないようにしてほしいと頼まれたと勘違いする。  その願いを叶えるために、農業で村人の飢えをなくすことを目標にして、生活していく。それが、次第に輪が広がり世界の人々に希望を与え始める。戦争で成人男性が極端に少ない世界で、13歳のロッシュという若者に転生した爺の周りには、ハーレムが出来上がっていく。徐々にその地に、流浪をしている者たちや様々な種族の者たちが様々な思惑で集まり、国家が出来上がっていく。  飢えを乗り越えた『村』は、王国から狙われることとなる。強大な軍事力を誇る王国に対して、ロッシュは知恵と知識、そして魔法や仲間たちと協力して、その脅威を乗り越えていくオリジナル戦記。  完結済み。全400話、150万字程度程度になります。元は他のサイトで掲載していたものを加筆修正して、掲載します。一日、少なくとも二話は更新します。  

ユニークスキルで異世界マイホーム ~俺と共に育つ家~

楠富 つかさ
ファンタジー
 地震で倒壊した我が家にて絶命した俺、家入竜也は自分の死因だとしても家が好きで……。  そんな俺に転生を司る女神が提案してくれたのは、俺の成長に応じて育つ異空間を創造する力。この力で俺は生まれ育った家を再び取り戻す。  できれば引きこもりたい俺と異世界の冒険者たちが織りなすソード&ソーサリー、開幕!! 第17回ファンタジー小説大賞にエントリーしました!

【完結】魔王を倒してスキルを失ったら「用済み」と国を追放された勇者、数年後に里帰りしてみると既に祖国が滅んでいた

きなこもちこ
ファンタジー
🌟某小説投稿サイトにて月間3位(異ファン)獲得しました! 「勇者カナタよ、お前はもう用済みだ。この国から追放する」 魔王討伐後一年振りに目を覚ますと、突然王にそう告げられた。 魔王を倒したことで、俺は「勇者」のスキルを失っていた。 信頼していたパーティメンバーには蔑まれ、二度と国の土を踏まないように察知魔法までかけられた。 悔しさをバネに隣国で再起すること十数年……俺は結婚して妻子を持ち、大臣にまで昇り詰めた。 かつてのパーティメンバー達に「スキルが無くても幸せになった姿」を見せるため、里帰りした俺は……祖国の惨状を目にすることになる。 ※ハピエン・善人しか書いたことのない作者が、「追放」をテーマにして実験的に書いてみた作品です。普段の作風とは異なります。 ※小説家になろう、カクヨムさんで同一名義にて掲載予定です

勇者召喚に巻き込まれ、異世界転移・貰えたスキルも鑑定だけ・・・・だけど、何かあるはず!

よっしぃ
ファンタジー
9月11日、12日、ファンタジー部門2位達成中です! 僕はもうすぐ25歳になる常山 順平 24歳。 つねやま  じゅんぺいと読む。 何処にでもいる普通のサラリーマン。 仕事帰りの電車で、吊革に捕まりうつらうつらしていると・・・・ 突然気分が悪くなり、倒れそうになる。 周りを見ると、周りの人々もどんどん倒れている。明らかな異常事態。 何が起こったか分からないまま、気を失う。 気が付けば電車ではなく、どこかの建物。 周りにも人が倒れている。 僕と同じようなリーマンから、数人の女子高生や男子学生、仕事帰りの若い女性や、定年近いおっさんとか。 気が付けば誰かがしゃべってる。 どうやらよくある勇者召喚とやらが行われ、たまたま僕は異世界転移に巻き込まれたようだ。 そして・・・・帰るには、魔王を倒してもらう必要がある・・・・と。 想定外の人数がやって来たらしく、渡すギフト・・・・スキルらしいけど、それも数が限られていて、勇者として召喚した人以外、つまり巻き込まれて転移したその他大勢は、1人1つのギフト?スキルを。あとは支度金と装備一式を渡されるらしい。 どうしても無理な人は、戻ってきたら面倒を見ると。 一方的だが、日本に戻るには、勇者が魔王を倒すしかなく、それを待つのもよし、自ら勇者に協力するもよし・・・・ ですが、ここで問題が。 スキルやギフトにはそれぞれランク、格、強さがバラバラで・・・・ より良いスキルは早い者勝ち。 我も我もと群がる人々。 そんな中突き飛ばされて倒れる1人の女性が。 僕はその女性を助け・・・同じように突き飛ばされ、またもや気を失う。 気が付けば2人だけになっていて・・・・ スキルも2つしか残っていない。 一つは鑑定。 もう一つは家事全般。 両方とも微妙だ・・・・ 彼女の名は才村 友郁 さいむら ゆか。 23歳。 今年社会人になりたて。 取り残された2人が、すったもんだで生き残り、最終的には成り上がるお話。

異世界転移「スキル無!」~授かったユニークスキルは「なし」ではなく触れたモノを「無」に帰す最強スキルだったようです~

夢・風魔
ファンタジー
林間学校の最中に召喚(誘拐?)された鈴村翔は「スキルが無い役立たずはいらない」と金髪縦ロール女に言われ、その場に取り残された。 しかしそのスキル鑑定は間違っていた。スキルが無いのではなく、転移特典で授かったのは『無』というスキルだったのだ。 とにかく生き残るために行動を起こした翔は、モンスターに襲われていた双子のエルフ姉妹を助ける。 エルフの里へと案内された翔は、林間学校で用意したキャンプ用品一式を使って彼らの食生活を改革することに。 スキル『無』で時々無双。双子の美少女エルフや木に宿る幼女精霊に囲まれ、翔の異世界生活冒険譚は始まった。 *小説家になろう・カクヨムでも投稿しております(完結済み

スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活

昼寝部
ファンタジー
 この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。  しかし、俺のスキルは【@&¥#%】と正しく表記されず、役に立たないスキルということが判明した。  そんな中、両親を亡くした俺は妹に不自由のない生活を送ってもらうため、冒険者として活動を始める。  しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。  そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。  これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。

処理中です...