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裏切り者達

逃げ出した先で

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「お、おい!本当に大丈夫なのか!?」

 ガタンと揺れた車の振動に、後部座席から運転席へとかぶりついた滝原は、不安そうにそう声を荒げている。
 彼のその言葉は、車内全員の気持ちの代弁でもあるだろう。
 そう、今まさにそれを運転している匂坂の気持ちも含めて。

「そんなの、分かる訳ないだろ!!?この車、運転するの初めてなんだ!それをこんな天候でなんて・・・!」

 大丈夫かと問い掛けてくる滝原に、それを聞きたいのはこちらの方だと匂坂は言い返す。
 不慣れな車に、まるで先を見通せない猛吹雪では、まともな運転など出来よう筈もない。
 それらを考えれば、寧ろここまで進んでこれたのが奇跡なのだろう。

「あぁ!?あんた、運転に自信があったんじゃないのかよ!?」
「別に、そういう訳では・・・」
「だったら何で、あんたが運転してんだよ!」
「それは滝原が・・・」
「いや元はと言えば、巡が・・・!」
「匂坂君、前!!」

 そして、そんな奇跡は長続きしない。
 危なっかしい状態が続く運転に、言い争いを始めてしまった匂坂達は、前方への注意を怠ってしまう。
 それはこの、ほんの数メートル先すらも見通せない天候では、致命的となる振る舞いだ。
 突然、目の前に現れた倒木の姿に、注意を叫んだ飯野の声は鋭い。
 しかしそれは、余りにギリギリのタイミングであった。

「っ!!?間に合えぇぇぇ!!!」

 踏み込んだブレーキと共に、回したハンドルは彼の精一杯だろう。
 降り続いた雪は、タイヤの重みに圧力を受けて氷解と凍結を繰り返す。
 それは押し固められた氷面を形成して、タイヤのグリップ力を落としてしまっている。
 そんな状況で、匂坂は衝突を回避することが出来るだろうか。

「うわっ!!?」

 答えは簡単だ、不可能である。
 車体全体が跳ね上がるような衝撃に、思わずハンドルを取り落としてしまった匂坂は、その痛みに悲鳴を上げることしか出来ない。
 それは車に同乗していた、他の者達も同様だろう。
 彼らは皆、一様にその痛みに息を詰まらせ、言葉を失ってしまっていた。

「・・・み、皆、無事ですか?」
「な、何とか・・・」

 言葉を失うような衝撃も、命をなくしてしまうほどの痛みではない。
 匂坂が試みた精一杯の回避行動は、どうやら致命的な事故を回避し、それを何とか軽度のダメージへと落とし込むことに成功したようだった。

「ふー・・・何とかなったな!何だよ、やれば出来るじゃねぇか!!」
「やったね、匂坂君!やっぱり滝原なんかとは違うね!」
「幸也兄ちゃん、格好いい!!」

 切り抜けた危機に、車の乗員達が口々に匂坂の事を褒め称える。
 その言葉に、匂坂も満更ではなさそうに頭を掻いていた。

「・・・ねー?何か、聞こえなーい?」

 しかしそれに一人、混ざらない者がいた。
 その人物である九条百合子は、クッション代わりに抱きしめていた翔の身体を手放すと、何やら外の様子を気にするように頭を巡らせていた。

「何かって、そんな音・・・っ!?」

 百合子の言葉に耳を澄ました匂坂は、すぐにはその言葉の意味を理解することは出来なかった。
 しかし僅かな時間静寂を保ち、耳を澄ませば分かる。
 その地響きのように轟いてくる、重低音の存在が。

「な、何!?何なの、この音!!?」
「おいおいおい!やばいんじゃないか、これ!?」
「こ、怖いよ・・・幸也兄ちゃん」

 匂坂が耳を澄ましたことでそれを真似した同乗者達は、それぞれにその重低音の存在に気づき、パニックへと陥ってしまう。
 その中で一人、滝原だけが窓の外を見据えては、口を閉ざしてしまっていた。

「お、おい・・・あ、あれ」

 そうしてようやく口を開いた彼は、窓の外のある一点を指し示している。
 その先には、吹雪で見通しの利かない視界でもはっきりと分かる、舞い散る雪煙の姿があった。
 それは何か。
 雪崩、である。

「な、雪崩だぁぁぁ!!!」
「急げ急げ急げぇぇぇ!!!」
「分かってる!!」

 ぶつかった状態からハンドルを切って、踏み込んだアクセルにタイヤは空転を始めるばかり。
 やがて土を掴んだタイヤに、車は急発進の加速を得て進んでいく。
 元来た道へと猛スピードで戻っていく車に、雪崩が迫る。
 その必死な避難が間に合うかどうかは、まだ分からなかった。
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