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それは吹雪の中で始まる

九条要とその家族たち

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「いや~、思っていたよりいい部屋じゃないか。ちょっと狭いが、こういう部屋も嫌いではないな僕は」

 自らが取った部屋へと入りそれを見渡した要は、そう満足げに感想を述べている。
 抱えた荷物を適当に放り出し、早速とばかりにベッドに腰を下ろした彼の事を、椿子はその荷物を横にやりながら不満げな表情で見詰めていた。

「さっきのは、一体どういうつもりですか?要さん?」
「ん?何の話だい?あぁ!確かに一華の言い分は酷かったね!椿子さんも立派な家族なのに・・・後で言って聞かせておくよ」

 先ほどの彼の言動について冷たく問い詰める椿子の言葉に、要は何のことか分からないと首を捻っている。
 そんな彼でも、先ほどの一華の態度は許せなかったらしく、それに対して憤慨した様子を見せていた。
 しかしそんな彼の言葉は、椿子の表情をさらに厳しく歪めるばかり。

「そうではありません!私が言いたかったのは、どうして相談もなくお父様の遺産を力也さんや一華さんに譲ろうとしているのか、という事です!!」

 要のずれた考えに憤慨した椿子は、声を荒げると自分が怒っている理由について叫んでいた。
 彼女は彼が自分に相談もなく、彼の父の遺産をその妹弟へと譲ろうとしていた事について怒っていたようだ。

「そ、それは・・・確かに相談しなかったのは悪かったけど・・・今、グループの指揮取っているのは実質あの二人だし。それに譲ろうとするのは当たり前の事だろう?親父も何で、僕なんかに遺産を寄越したんだか・・・」

 勝手な行動を椿子に咎められた要はしかし、自分にも言い分はあるのだと額に汗を浮かべながら訴えている。
 彼からすれば、一族を実質的に率いている妹弟に多く遺産が渡るのが当然であり、今の遺産の配分は自分には過分すぎると感じているようだ。

「それとこれとは、別の問題です!!遺産の配分がグループの経営に支障をきたすというのならば、その分を彼らに売り渡せばいいじゃないですか!!貴方はどうせ、無償で彼らに譲ろうと考えていたんでしょう?」
「それは・・・兄弟でお金で揉めたくないし」
「そんな理由でっ!これは、私達家族の将来に関わる―――」

 要の言い分は、自らの利益を考えないものであった。
 それが許せないと激昂する椿子は、グループの事を考えるのなら有償で遺産を譲り渡せばいいと主張する。
 しかしそんな彼女の主張にも、要は兄弟でお金で揉めたくないという素朴な理由で難色を示していた。
 そんな要の言葉は完全に椿子の逆鱗に触れたようで、彼女はさらに声を昂ぶらせると、全身を振り回すようにして怒りを顕にしていた。

「ねぇ、それはもう良くない?それよりさぁ・・・あたし、温泉に行きたいんだよねー」

 そんな椿子の怒りに水を差したのは、どこかこの状況に無関心な、そんな素っ気ない一言であった。
 その言葉の主は、今も手にしたスマホから目を放すことのない、ギャルっぽい格好した少女であった。
 彼女の自らの言葉に呆気に取られ、虚を突かれた表情を見せている椿子にも感心がなさそうに、エクステが織り込まれた髪の毛を弄っている。

「あ、貴女ねぇ・・・これは貴女の将来にも関わる―――」
「お、温泉か!いいねぇ!!しかしこの天気じゃ、ちょっと難しいかなぁ」

 その少女の空気の読まない発言に、思わず呆気に取られ言葉を失った椿子も正気を取り戻せば、経った時間に比例して怒りもまた湧き立たしてしまう。
 再び湧き立った怒りに言葉を荒げようとしていた椿子に、要は慌てて少女の言葉に同意しては、何とか話題を逸らそうと大声を上げていた。

「いや何か、さっき聞いたんだけどさぁ・・・ここにあるんだって、温泉。ちっちゃいけど」
「そうかそうか!でもそうだな・・・父さんは疲れちゃったから、百合子一人で行ってきなさい」

 そんな要の気持ちを知ってか知らずか、百合子(ゆりこ)と呼ばれたその少女はのんびりと彼の疑問について答えていた。
 彼女が言うには、このロッジには備え付けの温泉があるらしい。 
 それを聞いた要は嬉しそうに声を跳ねさせるが、それは彼の身体までもを動かすことはない。
 遺産の相続で散々揉め、妻からも詰られた要は気疲れからかその場を動こうとせず、百合子に一人でそこへと向かうように促していた。

「あいあーい」
「ちょっと、百合子!!貴女っ・・・ああ、もぅ!!私も行きますから、ちょっと待ってなさい!」

 そんな要のぐったりとした様子を気にも留めず、百合子は軽い調子で了承に手を振ると、早速とばかりに温泉へと向かおうと踵を返す。
 彼女のそんな行動を、椿子は許せない。
 怒鳴り声を上げて静止しようとした彼女はしかし、自らの娘がそんなことでは止まらないと考え言葉を飲み込んでいる。
 そうして何かを諦めるように唸り声を上げた椿子は、自分もそこに行くと素早く準備を始めていた。

「え~、別にママは来なくてもいいんですけどー?」
「私と違って、貴方には九条の血が流れてるのよ!!そんな貴方が一人で温泉なんて・・・誰かに狙われたらどうするの!!」

 ついてこようとする母親に難色を示している百合子は、今にもさっさと先に進みたいとドアノブに手を伸ばしている。
 そんな彼女に椿子は、その身が危ないかもしれないのだと必死に訴えかけていた。
 確かに九条とは関係のない家の出身である椿子と違い、百合子にはしっかりとその血が流れているのだ。
 遺産の配分で揉めている現状では、その血は危険をも招きかねないだろう。

「狙われるって、マジ?心配しすぎっしょ~」
「いいから、待ってなさい!私もついてくから」
「はいはい」

 そんな母親の必死の訴えも、百合子は鼻で笑うばかり。
 椿子もそんな娘の態度の予想出来ていたようで、彼女の返答も関係ないとさっさと準備を整えていく。

「・・・要さん、話はまだ終わってませんからね」

 温泉へと向かう準備を整えた椿子が、娘共々この部屋のドアを潜ろうとする間際、彼女は要へと振り返りそんな言葉を残していた。

「はぁ~・・・うまく誤魔化せたと思ったのになぁ。どうやって話せばいいんだか・・・」

 椿子が残した言葉に、自らの思惑の失敗を知った要を長々と溜め息を吐いては落ち込んだ様子を見せると、今も僅かに開いたままのドアをしっかりと閉めるために、その重い腰を上げる。
 この古いロッジにオートロックなどという気の利いた設備は存在せず、各々できっちりと施錠するしかない。
 部屋に残る父親の存在に、出て行った二人はどうやら鍵を持って出かけなかったようだ。
 この先に待っている気苦労に溜め息を吐きながら、要をドアを施錠しようとそれに手を掛ける。

「椿子?何か忘れ物でも・・・」

 しかしそのドアは彼が触れる前に、独りでに開いてしまっていた。
 それがオカルトの仕業でないと考えるならば、先ほど出て行った二人のどちらかが戻ってきたと考えるのが自然だろう。
 事実、要もそう考え声を掛ける。

「・・・九条、要さんですね?」

 しかしそこにいたのは、椿子でも娘の百合子でもなく、ましてや女性ですらなかった。
 そこには一人の、若い男性が立っていた。
 それは幽鬼のような暗い表情で佇む、匂坂幸也という名の青年であった。
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