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あの夏の君
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龍神side
この家に売られた俺は、きっと跡継ぎの為の人材だ。それ以外に価値はない。
実家にいるとどうしても父上と母上に気を遣われているように感じてしまう為、俺は友人と出掛けてくると言って家を出た。
本当は、一緒に出かけに行くような友人なんて居ない。
あの優しい2人に嘘をついたことが苦しくて、虚しくなった。
夕方ということもあって、街には買い物に行く人が多く出歩いていた。部活帰りなのか、俺と同じ高校生もよく見られる。
「お母さん、今日のご飯なにー?」
「んー?今日はね、カレーよ」
「ほんとに?!やったー!!」
ふとすれ違った親子の会話が耳に入ってきて、俺は思わずじっと見てしまう。5歳くらいの子供がぴょんぴょんと飛び跳ねるように喜んでいて、母親である女性も微笑ましそうに笑っていた。足が、自然と止まる。
もし。
もし、俺があの子供くらい無邪気で可愛かったら、母は俺を嫌わなかったのだろうか。
もし、俺がもっと母の役に立っていたら。
もし、あの時の俺が母を守れるほど大きかったら。
もし、もし、もし。
そんな仮定の言葉が浮かんでは、霧のように消えて、また現れて。ぎゅう、とあの人同じように、俺はまた手を握りしめる。
俺が。
俺が、妙に大人しくて、可愛げが無い子供だったから。だから、母は俺に飽きてしまったのかもしれない。『普通』の子供が欲しかったのかもしれない。
道で立ち尽くす俺を、周りの人が怪訝そうに見ては去っていく。さっきの親子はもう、とっくに姿を消してしまった。
母は。
母は、俺がいなくなって、幸せだろうか。
「…………終わったことなのにな」
どこかで、俺を忘れた母が幸せなら、それでいいだろうと、言い聞かせる。母の幸せが、俺の幸せだったはずだろうと。
そう、思いたい、のに。
夢を、見る。
暗闇の中で、何かが悲鳴を上げる。耳を劈くような声。でも見回しても誰もいない。どこまでも続く黒の中の、そのどこかで、誰かが泣いている。やがて進むと誰かの、うずくまった背中が見える。小さな背中で、俺は決まって声を掛ける。すると、人影は振り返って、俺に「いたい」と言う。
その、顔は。いつも、幼少期の俺のもので。
そこでいつも、目が覚める。嫌な汗が背を伝って、荒い息が耳に届いて。そして、決まって、胸が痛くて、痛くて。
本当に笑わないような、そんな機械みたいな心を俺は持つべきだった。
どんなことがあっても揺らがない平坦な心なら、こんなに何度も思い出して苦しくなる事も無いのに。いたく、ないのに。
シャツを握りしめる。息をうまく吸えなくて、代わりに手に力を込めた。もう、いっそこのまま、どこかに行きたい。そう思った、その時だった。
「………瑚珀?どした」
ふと、少し掠れた低い声が俺の名前を呼び、地面に影が差す。
その声を俺は知っていた。
弾かれたように顔を上げると、吸い込まれそうなほど真っ黒い切れ長の目が心配そうにこちらを覗き込んでいた。俺は、驚きで息を呑む。
「…………桐生、さん……なぜ、ここに?」
目を見開く俺に彼はふっ、と形のいい唇に微笑を浮かべた。黒い艶やかな髪が風に揺れて、夕日に照らされる。程よく着崩したワイシャツから言いようも無い大人の色気が漂っていて、思わずすっと目を逸らした。包み込むような黒が弧を描く。
「瑚珀に会える気がしたから………と言いたいところだが、単純に仕事帰りだ」
そう言って、俺の頭に手を乗せた。俺より十センチ近く違う身長と大きな手。その手に撫でられると、兄がいたらこんな気分になるのだろうかと、勝手に思ってしまう。
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