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しおりを挟む「……うっそだろ、おい。ほんとに戻ってやがる」
転がるようにして部屋に置いてある姿見に近寄り、そこに映る自らの顔にルキは絶句した。
鏡に映り青ざめているのは、男性と呼ぶにはまだ幼なげな顔立ちの色白の青年だった。アメジストのような色合いの瞳が動揺からゆらり、と湖面のように動く。
よく見ると体つきも完全に過去のそれであった。魔法師団に入ってからは寮での食事や日々の訓練・任務などで自然と筋肉がつくようになり、肌の血色も良かった。しかし、入団する前のルキは孤児院で年長者ということもあり、貴重な食べ物を自分が消費するわけにはいかないと年下の子供に分けるばかりでろくに筋肉も脂肪もついていない貧弱な体つきだった。そのせいか、はたまた遺伝なのかルキはあまり身長が伸びず他の人間に目をつけられることもしばしばあったのをよく覚えている。魔法師団に入ってもしばらくは先輩に末っ子扱いされて、早くもっと身長を伸ばしてやると燃えたものだった。
ルキが魔法師団に入団したのは、一般的な入団式が終わった後、つまり六月のこの時期だった。元々孤児院の子供達を守るために独学で扱い始めた魔法は、ルキの持つ純粋な魔力と先天的な才能により瞬く間に上達した。巷では天才だと囁かれたルキの噂を聞きつけ、魔法師団の団員が直々にルキを孤児院を訪問し、いつの間にかスカウトの話が出たのだった。
しかしルキは、孤児院を離れる気がなかったこともあり、初めはこのスカウトの提案を断った。孤児院には金がなく、院長である初老の女性、サンドラがここ数年の経営難によって隣町まで働きに行ってやっと経営できるかどうかという状態だった。その現状を知っていたルキはこの孤児院の年長者として孤児院で働き経営を支えていくと決めていたのだ。
ところが、魔法師団側も頑固なもので、入団して一ヶ月で訓練士から正規の職員になった場合は孤児院の支援申請を国に掛け合い、給料もなるべく早く支給すると約束した。提示された金額が一般の仕事の収入よりも多い額だったのと、孤児院の支援をしてもらえるということもあり、ルキはこの時ようやく、魔法師団の入団書にサインしたのだった。
魔法師団は寮制度である。出世すると個室を持ったり寮を出て家を借りたりすること、または国から報酬として土地や家をもらうことも可能だが、基本的には帝城の敷地内にある寮の部屋を2人でシェアする。特に、入団したばかりの新米団員の場合はなおさらだ。
寮制度であるにも拘らず、ルキは今孤児院にいる。ということは、考えられるケースは一つしか無い。
6月10日、今日、ルキは魔法師団に入団することになっている。
今日である。
(………ありえねぇ、回帰したっていうのか?)
9年前の、魔法師団に入団する日に。
そんなことあり得るのか?とルキは思考を走らせる。魔法を扱う者として、ルキは魔法に関して多少の心得はあった。
回帰となると、時を操る魔法が真っ先に思いつく。そして十中八九その魔法は上級魔法であることも。
世の中にある魔法は大きく分けて3種類だ。一つ目、生活を便利にする魔法である初級魔法。これは魔力を持つ者ならある程度誰でも扱える魔法で、家事や仕事など、庶民が普段の日常で扱うことが多い魔法だ。
二つ目は中級魔法、初級魔法よりもグレードの高い魔法である。中級魔法は冒険者や帝城の魔剣士、衛兵などが扱う攻撃が中心の魔法で、ルキが所属していた帝国魔法師団の魔術師も大半が中級魔法を扱っていた。
そして最後に、上級魔法。三つの中で最も高等とされる魔法で、上級になると扱うことができる人間が一気に減る。難易度、攻撃力ともに高いために、上級魔法を扱うことができる人間は通常出世も早いことで有名である。ルキが前世、2年で魔法師団の副団長になったのも最年少で高位魔法師になったからだ。
上級魔法を扱うことができる人間が少ない理由はいくつかあって、使用時の魔力の消費が激しいとか、複雑な魔力回路を組み立てる必要があるとか言われているが、一番は、一度失敗すれば代償に何かを失う場合がほとんである、ということだろう。時には命さえ対価として捧げて完成する魔法も存在する。多くの人間はそのリスクを避けて挑戦も中級止まりとなるのだ。
そして、その命さえ捧げて完成するような魔法を人間は禁忌魔法と呼ぶ。時を操る魔法も、この禁忌に入る。
(時空魔法となると、……俺でも発動できるか分から ねぇもんだぞ。
人間で使えるような奴には心当たりがない。
となると……
魔族、っつーことになるか?)
ルキの脳裏にふと、最期に相対した魔族リンゲドルアの姿がよぎる。奴はルキと同じように魔法に長けた魔族で、魔力量も多かった。魔法と魔法は基本、相性が悪いので、先にリンゲドルアと遭遇した弟子が苦戦していたのも頷けた。
奴が、死に際に回帰魔法を放っていたのだとしたら頷ける。状況的に自分に魔法を発動させようとしたようだが、時空魔法などという禁忌に手を出したが故に正常に発動させることができず暴発してしまったのだろう。ルキからしてみれば拍子抜けというか、ありがたいやら微妙やらで複雑な気分だった。死を受け入れた途端人生のやり直しをさせられるなんてまさか思わない。
随分面倒臭いことを、と溜め息を吐く。どうせ戻すなら死ぬ直前とか、魔法師団に入団した後とかにして欲しかったものだ。こんな初歩からやり直しとは。
溜め息を吐きながら、ルキは団服に袖を通した。新品の匂い。回帰前に着慣れたこともあって、当時のような緊張感はないが、自分の匂いのついていない制服というのはどこか違和感がある。鏡の前で調整をして、全体を見たルキは首を傾げた。何か忘れているような気がするのだ。
しばらくして、納得した。
「………前髪か」
入団してすぐの頃、ルキは前髪を下ろしたままのスタイルだった。しかし、身長もそう高くないルキは周りから見くびられることが多く、舐められないようにいつしか前髪を分けるようになったのだ。まぁそれも先輩たちには可愛く移ったらしく、初日にはぐっしゃぐっしゃに撫で回されたが。
長い間センター分けにしていたので、下ろして外に出るのは違和感があるが……この頃のルキは自分に使う金など持っていなかったので整髪料も持っていない。魔法師団から給料が出るまでは、このスタイルで行くしかないだろう。
何より、今のルキは二度、同じ人生を歩んでいることになるのだ。回帰前とは違い、舐められて黙ってばかりなわけではない。心の中で黒笑を浮かべながらルキは部屋を出た。軋む階段に懐かしさを感じながら、一歩一歩踏みしめるように下りる。食堂からふわりと朝食のスープとパンの匂いがした。
もしやと思い、足を向けると食堂の古いキッチンに立つ背中が見えた。近寄るとギィ、と床が軋み、その人がこちらを向く。ルキの顔を見ると、目を見開いて、それからゆっくりと笑った。
「……おはよう、ルキ。魔法師団の制服、良く似合っているじゃないか。かっこいいわ」
「…はよ。ん、さんきゅ」
その懐かしさと照れ臭さに、ルキは目を細めた。サンドラはこの孤児院の院長で、子供達はもちろん、最年長であるルキからしても母親のような、そんな存在だった。この孤児院が経営難になってしまってからは仕事があるにも拘らず子供達のために毎朝朝食を作ってくれる、ルキが密かに、人生において感謝を抱く人物の1人だ。
団服に身を包んだルキを見て、サンドラは瞳を僅かに潤ませた。どこか感慨深そうに、しかし寂しそうに微笑む。
「ついに、この孤児院に一番長くいたあんたもいなくなっちゃうね。本来ならとっても、嬉しいことなんだろうけど……寂しくなる」
別れを惜しむ彼女に、ルキは少しバツが悪いような、そんな顔をした。回帰前もサンドラはルキの魔法師団入団に涙を流した。肝っ玉の据わった彼女がだ。昔のルキは手負いの獣のように暴れ散らしていた時期があったので、まさかその問題児のために涙を流すとは思わなかった。随分ひどい態度を取った記憶も、素直になれなかった記憶もある。その時のルキは不器用で、どうしたらいいのか分からなくて、何も言えなかった。
しかし、今は違う。ルキは首をガシガシと掻きながら、口を開く。
「………別に、一生帰って来ないわけじゃねぇ。できるだけ、休みには帰る」
その言葉は決してその場しのぎの慰めではなかった。ルキは休暇をもらうと毎回孤児院に帰った。それはルキが第三次魔物戦争で活躍した褒章として爵位と土地をもらい貴族となった後も同じだった。
ルキの言葉に、サンドラは驚いた表情を浮かべた。けれどそれが、ルキなりの精一杯絞り出した言葉だと分かると、ゆっくりと顔を綻ばせる。
「……そう、そうだね。きっとまた会える。あんたは約束は守る子だ」
ぎゅう、とエプロンを身につけた彼女がルキを抱きしめる。ルキはぎこちなく体を固まらせながら、ぶっきらぼうに、スープが焦げるぞ、と呟いた。あんたはほんと、昔から可愛くないねぇ、とサンドラはルキを小突く。
「ほら、さっさとお食べ。私はチビちゃん達を起こしてくるから」
「あ?いい、それは俺の仕事だろ」
「あんた初日から遅刻するつもりかい!いいからつべこべ言わずにさっさとお食べ!」
一喝され、席に着かされる。口の悪いルキであっても、女性には口論では勝てない。渋々、スープを胃に流し込む。
昔はクソババァなどと言って頭に鉄拳をもらうこともしばしばあったが、最近はすっかりなくなった。それは、時が経ち、ルキが孤児院で年長になって年下の面倒見るうちに自然に消えていったからで。だからこそ回帰前は、彼女がなぜ自分のような問題児のために涙を流すのか分からなかったが、今ならわかる。彼女はルキのことも、平等に愛してくれていたのだ。他の子供達と同じように、深く。
──ルキが、弟子であるヴァンを愛したように。
そういえば、ルキとヴァンが出会った頃も似たようなものだった。クソ野郎と連呼するあの子供を、何度鉄拳制裁してやったことか。知らず知らずの内にルキはサンドラに似てきていたのかもしれない、とパンを咀嚼しながら思った。嬉しいようなこそばゆいような気持ちだ。
奥から、孤児院の子供達が騒ぐ声が聞こえた。起きてきたらしい。その懐かしさと愛おしさに、ルキはそっと静かに口元を緩めた。
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Muu様
感想ありがとうございます
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新たな生きる糧をありがとうございます。
もう序盤から面白い事が確定している展開で、本当作者様の語彙力と文才と小説のストーリー性が最高だと思います。
気まぐれでも続きを更新(供給)してくれると嬉しいです。
わわっ!!!!
緋影ナヅキ様からもうこんなに嬉しいお言葉が頂けるなんて…全私が歓喜しております、ありがとうございます
こちらではこの作品しか更新する予定が今のところありませんが、地道にポチポチ更新していく所存ですので良ければ暇つぶしにお読み頂ければと思います!
私こそいつも緋影ナヅキ様の作品を楽しみにしております🙇♀️