俺を殺す君に!

馬酔木ビシア

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 これは『破滅の一途』に限ったことではないが、当て馬という役はどの物語においてもそこまで深く掘り下げられることはない。その役目は主人公達をくっつけるというだけで、そこに観客からの感情移入や人気は必要ないから。俺が多くを語られずに消える脇役であるように、当て馬という役割もまた、ただの物語を進ませるための駒に過ぎないのだと、知っている。



 
 だけど、その点で言えば彗先輩は例外だった。なんと、先輩は作中で過去が明かされているのだ。



 

 先輩はよくあるところの、恋愛感情が暴走してヒロインに嫌がらせをするクズ当て馬なんかじゃない。主人公と同等の権力を持つキャラでもないし、昔からヒロインと仲の良い近所の高校生でもない。








 
『氷室彗が持つ一番古い記憶は、父親である男から受けた拳の痛みだった』




 



 それが、先輩の過去に触れる一文の、最初の始まりだった。それを読んで俺達読者は初めて、彗先輩が虐待されていたことを知る。

 

 それはもしかしたら、ありきたりな話なのかもしれない。殊に、小説という世界では、尚更。


 酒に溺れ息子に暴力を振るう父親と、部屋の隅で啜り泣く母親。部屋で咽び泣く赤ん坊。



 彗先輩は当て馬という役割の駒でありながら闇の中で幼少期を過ごした、異色の存在だった。やがて母親が自分と三人の弟妹を残して蒸発し、借金に追われた父親まで消え、彗先輩は父親の借金返済と小さな弟妹達の世話をして生きていくことになる。


 
 もし先輩がヒロインや主人公でなおかつこの境遇なら、きっと俺は彗先輩を推してはいなかったんじゃないかと思う。


 そりゃあまぁ、断言はできないけど。だって、先輩はすごく格好良くて優しいから、もしかしたら推してたかもしれないし。


 だけど、紛れもなく、俺が先輩を推し始めたのは、こんなに辛い過去を持っているのに作中でヒロインと結ばれることなく、最期を迎えてしまうから。颯斗はクラスメイトと生徒会だけではなく、真澄と少しでも関わりのある人間は全員殺してしまう。彗先輩は一度は真澄に好意を持った人間なので、颯斗の処刑リストに入ってしまったんだと思う。




 今の先輩が出来上がるまでに、先輩は数え切れないほど傷ついてきたんだと思う。だからこそ先輩はぶっきらぼうで、人より態度も物言いも冷たい。他人も嫌いだ。




 だけれど、それは先輩の本質ではない、と読者たる俺は分かっている。だって、彗先輩はずっとずっと、ヒロインである真澄の幸せを願っていた。自分の想いが届かないと分かっても、それでも、自分じゃなくて好きな人の幸せを願ったんだ。それがどれほど難しいことか、彼女を持ったことがある俺はよく知っている。いかにその想いが貴くて、男らしくて、思いやりに満ちているかということも。



 
 自分が過去にどんなに辛い目にあっていても、他の人を愛して、ずっとずっとその人の幸せだけを願える人なんて、きっとほとんどいない。
 


 
 前世の俺は……あの時は、ただの『破滅』のいち読者だった。彗先輩の境遇が何もかも不憫すぎて、どうしようもない理不尽だと思って、でも、ただ推すだけの、そんな壁外の人間。俺は読者で、先輩は紙の中の偶像だった。






 だけど、今はもう、この人の後輩で。




 


 俺だけが知っている、彗先輩の人嫌いの理由。






 俺がその事情に首突っ込んで、周りの好き勝手言ってる野次馬にどうこう言い返すのは、違うのだということを分かっている。分かっていた。頭では、ちゃんと。





 でも、実際に聞くと、どうしても。




 どうしても、やっぱり文句が言いたくなってくるもので、




 推しへ────この人への侮辱なんか今すぐ焼き払ってやりたいという思いが強くなってしまう。



 


 先輩は冷血漢なんかじゃない。ただの人嫌いなんかでもない。よく知りもしないくせに、なんなんだよ、みんな。






 先輩は、先輩は。





 本当はみんなよりずっとずっと優しい人なんだ。ほんとなんだからな。今は俺だけが知ってるけど、それも特別感があっていいけど、優越感感じるけど、だけどいつか絶対みんなにも分からせてやるんだからな。証明してやる、彗先輩は人一倍、いや人数億倍、他人のことを思いやれるやさしい人だって、この俺が!!!






 


「…っ、おい、この馬鹿」




「っう゛」






 と、ここで俺の額にどむっという衝撃と痛みが。毎度お馴染み、彗先輩のデコピンである。推しからの供給ありがてぇ……と思いながら先輩の方を見ると、口元を片手で覆いながらこっちを睨む彗先輩がいて当惑する。え、え、お、俺、なんかしたっけ今!?




 

「……………全部声に出てんだよ、くそ」




 



 えっあっ、と陰キャみたいな母音が俺の口から出る。先輩の手の間から見え隠れしている耳と首は真っ赤になっていて、今にも湯気が出そうなほど。


 それを見てようやく、俺は一連の推し発言を口にしていたということを理解して羞恥から火が出そうになった。



 

「あっ、これは違っ………いやっ、あのっ、違くはないんですけど……えっと、その、すみません……」


 

「いや………」





 


 俺達は二人して赤面する羽目になり、お互い何となく気まずい空気が流れる。死ぬほど顔が熱いし、めちゃくちゃ恥ずかしい。推しへの賛美って、面と向かって言う準備してない素面の状態で聞かれるとだいぶ恥ずかしいってことを俺は初めて知ったよ。




 俺ほんとダメじゃん、思ってること全部口にしちゃう……颯斗にも何回も言われたのに、もしかして癖みたいなもんで直んないんかな…。
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