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今も目に焼き付いている光景。
暗く冷たい水の中、一人溺れる私を貴方は自分の身も省みず必死になって助けにきてくれた。
無我夢中で正直なにがなんだが分からなかったけれど、にじむ視界の中で見えたその表情は確かに「死ぬんじゃない、僕がついてる!」と言っていて。
だからあの時から貴方のことを――。
◆
私はベルサリー伯爵家の長女、アンティーラ。
我が家には嫡子となる男子がおらず、いずれは婿を取って爵位を継がなければならない身(未来の夫に爵位を譲って伯爵夫人になるという選択肢もあるが、父はできれば私に家督を継いでほしいという考えだった)。
だからこそ立派な領主となるべく日々の勉強を重ね、こうして今は父から与えられた郊外の別邸で使用人と、それから婚約者のマッディと将来に向けた領主代行の真似事をしていた。
(なるほど、ここはこうすればよかったのね)
連日事務作業に追われ、書類とにらめっこするのが当たり前となっているが、これが不思議と苦にならない。
私にはこういった細々とした仕事が案外あっているのかもしれなかった。
ただ、一つだけ懸念があるとすれば――。
「ねえロアンナ、このリンゴを剥いてほしいな。お腹空いちゃってさ、お願いだよー」
「ふふマディ様ったら、いつまで経っても本当に甘えん坊さんですね。でしたらお剥きしたついでにわたしがあーんもして差し上げます」
「やったぁ! ロアンナからあーんで食べさせてもらわないとなんだか美味しくないんだよね」
「体は大きいのにまるで子供みたいにはしゃいで可愛い。ちゃんとマディ様の大好きなウサギさんの形にしますから、少し待っていてくださいね」
「うんっ、いい子にして大人しく待ってる!」
まるで私の存在が見えていないのか、目の前で公然と繰り広げられるイチャイチャっぷりに辟易する。
これは私の婚約者であるマッディと、その彼が連れてきたロアンナによるものだ。
「……マッディ、メイドと浮気をするのだったらこの部屋じゃなくて別の場所でやってくれる? 気が散るし、ハッキリ言って仕事の邪魔なの」
「なに馬鹿な事を言ってるんだいアンティーラ、浮気だって? 違うよこれは主人と侍従の単なる触れ合いじゃないか」
たまらず苦言を呈すると、さぞ心外とばかりに反論するマッディ。
「そうですよアンティーラさん。浮気だなんて、人聞きの悪い。マディ様とわたしはそんな不純な関係じゃありません」
とはいうものの、どう見てもそうは思えないのだけれども。
そもそも侍従というものは、我が家もそうだが普通は主人との浮気を警戒して同性にするもの。
にもかかわらずこのロアンナという使用人は、マッディたっての希望で一緒に住むことになったばかりか彼の身の回りの世話をすべて担っているのだから、浮気を疑うのは無理もないだろう。
「だったら二人とも、勘違いされるような行動は慎んで適切な距離を保って――」
「ああもうアンティーラはいちいちうるさいな。別にいいじゃないかこれくらいのスキンシップ、僕は君の命の恩人なんだよ⁉ だからこれぐらいの行為は許してくれてもいいだろ!」
(はぁ……これぐらいの行為、ね。なら貴方は、どれぐらい私がその行為を不快に感じているのかまるで理解できていないのでしょうね)
吐き捨てるようなマッディの言葉に、内心嘆息する。
なにかと言えばすぐにこれだ。
確かに私は子供の頃に家族と訪れた湖畔で足を滑らせて溺れてしまい、危ういところをマッディに助けられたことがある。
その命がけの行動に感動した私の父が、男爵家の子息である彼をぜひ将来ウチの娘の婚約者にと申し出て今日に繋がる。
そういった意味ではマッディはこちらにとって政略結婚の相手とも違い、命の恩人以上の意味はないのだが、あの時私を助けに来てくれた彼の姿はまさしく物語のヒーローそのものだった。
……だけど、それだってもう過去の話。
こうやってマッディと実際に暮らして行く中で少しずつ彼の嫌な部分が目につき始め、日に日に冷めていく自分がいた。
暗く冷たい水の中、一人溺れる私を貴方は自分の身も省みず必死になって助けにきてくれた。
無我夢中で正直なにがなんだが分からなかったけれど、にじむ視界の中で見えたその表情は確かに「死ぬんじゃない、僕がついてる!」と言っていて。
だからあの時から貴方のことを――。
◆
私はベルサリー伯爵家の長女、アンティーラ。
我が家には嫡子となる男子がおらず、いずれは婿を取って爵位を継がなければならない身(未来の夫に爵位を譲って伯爵夫人になるという選択肢もあるが、父はできれば私に家督を継いでほしいという考えだった)。
だからこそ立派な領主となるべく日々の勉強を重ね、こうして今は父から与えられた郊外の別邸で使用人と、それから婚約者のマッディと将来に向けた領主代行の真似事をしていた。
(なるほど、ここはこうすればよかったのね)
連日事務作業に追われ、書類とにらめっこするのが当たり前となっているが、これが不思議と苦にならない。
私にはこういった細々とした仕事が案外あっているのかもしれなかった。
ただ、一つだけ懸念があるとすれば――。
「ねえロアンナ、このリンゴを剥いてほしいな。お腹空いちゃってさ、お願いだよー」
「ふふマディ様ったら、いつまで経っても本当に甘えん坊さんですね。でしたらお剥きしたついでにわたしがあーんもして差し上げます」
「やったぁ! ロアンナからあーんで食べさせてもらわないとなんだか美味しくないんだよね」
「体は大きいのにまるで子供みたいにはしゃいで可愛い。ちゃんとマディ様の大好きなウサギさんの形にしますから、少し待っていてくださいね」
「うんっ、いい子にして大人しく待ってる!」
まるで私の存在が見えていないのか、目の前で公然と繰り広げられるイチャイチャっぷりに辟易する。
これは私の婚約者であるマッディと、その彼が連れてきたロアンナによるものだ。
「……マッディ、メイドと浮気をするのだったらこの部屋じゃなくて別の場所でやってくれる? 気が散るし、ハッキリ言って仕事の邪魔なの」
「なに馬鹿な事を言ってるんだいアンティーラ、浮気だって? 違うよこれは主人と侍従の単なる触れ合いじゃないか」
たまらず苦言を呈すると、さぞ心外とばかりに反論するマッディ。
「そうですよアンティーラさん。浮気だなんて、人聞きの悪い。マディ様とわたしはそんな不純な関係じゃありません」
とはいうものの、どう見てもそうは思えないのだけれども。
そもそも侍従というものは、我が家もそうだが普通は主人との浮気を警戒して同性にするもの。
にもかかわらずこのロアンナという使用人は、マッディたっての希望で一緒に住むことになったばかりか彼の身の回りの世話をすべて担っているのだから、浮気を疑うのは無理もないだろう。
「だったら二人とも、勘違いされるような行動は慎んで適切な距離を保って――」
「ああもうアンティーラはいちいちうるさいな。別にいいじゃないかこれくらいのスキンシップ、僕は君の命の恩人なんだよ⁉ だからこれぐらいの行為は許してくれてもいいだろ!」
(はぁ……これぐらいの行為、ね。なら貴方は、どれぐらい私がその行為を不快に感じているのかまるで理解できていないのでしょうね)
吐き捨てるようなマッディの言葉に、内心嘆息する。
なにかと言えばすぐにこれだ。
確かに私は子供の頃に家族と訪れた湖畔で足を滑らせて溺れてしまい、危ういところをマッディに助けられたことがある。
その命がけの行動に感動した私の父が、男爵家の子息である彼をぜひ将来ウチの娘の婚約者にと申し出て今日に繋がる。
そういった意味ではマッディはこちらにとって政略結婚の相手とも違い、命の恩人以上の意味はないのだが、あの時私を助けに来てくれた彼の姿はまさしく物語のヒーローそのものだった。
……だけど、それだってもう過去の話。
こうやってマッディと実際に暮らして行く中で少しずつ彼の嫌な部分が目につき始め、日に日に冷めていく自分がいた。
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