異世界でおまけの兄さん自立を目指す

松沢ナツオ

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72 / 191
5巻

5-3

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 素早く移動した二人が俺を寝椅子に下ろしてくれて、布に包んだまま湯をかけてくれた。なんという気遣い!

「ジュンヤ様、失礼ですが一度こちらをお取りしますね」
「うん」

 巻きつけていた布を外して上にかぶせるようにかけ直し、石鹸せっけんで洗い始める二人。

「あのさ、教えてほしいんだ。みんなと離れ離れになってからのエルビス、どうしてた? 俺が怪我したと思って、パニックを起こしたって聞いたよ」
「はい……現場の血がどちらのものかは分かりませんでしたが、大怪我なのは確かでしたから。もしもマテリオ殿なら、ジュンヤ様を守れる状態ではないだろうと仰ってました」
「私、もっ! しんぱ、い、しましたっ! うっ、ひぐっ、グスッ……」
「ノーマ。務めの最中に泣くな」
「でも、ひっ……うぅ……ごめ……っ、すみ、ません……」

 ノーマの頭を撫でる。ヴァインも歯を食いしばっていて、つらい思いをさせてしまったと胸が痛んだ。

「ごめん、二人にも心配かけた」
「ジュンヤ様は悪くありません! あの無礼な騎士が裏切るからですっ! 早く捕まって断罪されればいいのに」
「ザンド様は、全部まとめて釣るつもりみたいだ。上手くいくといいな」

 かなり泣かせてしまったらしいエルビスと侍従達。そして、ダリウス。団長としての威厳を保つためか、感情を抑えていたみたいだった。それに、ここは強さを求められる自分の領地。弱みなんか見せられないんだろう。
 入浴も済んで着替えをさせてもらい、部屋に一人。ベッドで休みながらストレッチをしてみる。いつもながらあそこは痛くはないけど、何かが挟まっている感は抜けない。俺のあそこ、緩くなってないだろうか。だって……あんな極太なブツを何度もれられて、不安にもなる。
 そもそも、全員巨根ってどうなの? どうなってんだよ、BLゲームさんよぉ!
 ……そういえば、エルビスが来ないな。ノーマとヴァインが下がったらすぐ会いに来ると思ったのに。ベッドサイドのベルを鳴らすと、再びヴァインが来てくれた。

「エルビスはどこにいる? やっぱり怒ってるのかな」
「違います! 聞き取り調査で呼ばれているんです。殿下とダリウス様、マテリオ神官もです。終わったら戻られますよ」
「そうか。俺の聞き取りは良かったのかなぁ」
「後でも大丈夫でしょう。服装や言語の特徴など、詳細な点も調べているようです」

 なるほど、方言みたいなものか。隠しきれない癖がどこかに垣間見えるんだろう。巡行に同行して食事の世話をしてくれているハンスさんも無事らしく、この屋敷の料理人と積極的に交流していると聞いて安心した。

我儘わがまま言って悪いけど、おなかが空いたんだ。何かもらえるかな。でさ、良かったらエルビスと食べたいって伝えてくれないか?」

 まだあまり話せていないエルビスとダリウスとは、なるべく早く会って話したい。
 コンコン……
 しばらくして、寝室の扉が控えめにノックされた。

「ジュンヤ様」
「エルビス、大丈夫だから入って」

 昨日、ここに到着してすぐは俺が一方的に話してしまったから、今度こそちゃんと話したい。

「食事は二人きりでしたいんだ。いい?」
「はい。嬉しいです」
「こっち来て」

 離れたところにいるから抱きしめられない。手を伸ばして呼ぶと、やっと来てくれた。

「エルビス、昨日はごめん。俺、エルビスの気持ちを考えてなかった。許してくれるか?」
「そんな……! 恐ろしい思いをしたんですから当然ですよ。私こそ、あの時置いていってしまい……お許しを……何度悔やんでも悔やみきれません!」
「あの時、エルビスがみんなを呼んでくれたからまた会えたんだと思うよ。あのさ、俺、エルビスとキスしたいな……」

 あざといと思ったけど、目を閉じてあごを上げる。ゆっくりとエルビスの唇が触れ、しっかりと抱き合った。
 嬉しい。今エルビスは侍従じゃない、俺の恋人だ。
 何度も繰り返し舌を絡める。悪戯心いたずらごころが湧いて、抱きついたまま背中からベッドに倒れると、逃げられないエルビスが俺に覆いかぶさる形になる。

「ジュンヤ様……」

 優しいキスが荒々しいものになって、やっと恋人モードになってくれた。お風呂に入って体はリセットされたけど、こうなるとまたエッチな気分になってしまう。無意識のうちに脚を開いて、エルビスの腰に回していた。

「っふ……はぁ……ジュンヤ、様……今は」
「だめ?」
「で、殿下との、後で、お体が」
「でも、エルビスとシたい」
「……そんなに可愛く言うなんて反則です。でも、お食事をしないとジュンヤ様のお体がちません!」
「えー? じゃあ、ちゃんと食べたら、イイ?」

 あざとく首を傾げると、エルビスがベッドに倒れ込んで頭を抱えた。

「ああ! 侍従の性質が恨めしい!」

 あ、このセリフは我慢する気だ。残念。
 がっかりしていたら、今度はガバッと体を起こし、俺を抱き上げて椅子に移動させる。

「ジュンヤ様、しっかり食べましょう。後で時間をくださいっ!」
「うん」

 我慢強すぎる侍従さんの限界はなかなか超えられない。それでも、食べさせ合って少しだけイチャイチャできた。いつもより何倍も甘い時間をエルビスと過ごして、もう一度キスをした。

『エルビス、早くエッチしような?』

 耳元でささやいた時のエルビスの顔が可愛くて、そっと頬にキスをする。
 エルビスとのイチャイチャを楽しんだ後で、最後の試練――ダリウスに会わねば。だいぶねていたし、帰省のストレスも溜まっていそうで、何をおねだりされるのかちょっと怖い。まぁ、甘やかすつもりだしドンと来やがれ!
 すぐに会いに行きたいが、この家はとても広いらしい。自分でまともに歩けない状態では、向こうから会いに来てくれないと難しい。

「俺さ、みんなに心配かけたからおびをしたいんだ。エルビスも考えておいて? なんでもいいよ? エッチなのでも、なんでも大丈夫」
「それは……正直に言うと嬉しいですが、ダリウスにもそう言うおつもりですか?」
「うん。ティアとはもうシちゃったし……考えておいて?」

 真っ赤になりつつ全力で頷くエルビス。正直でよろしい!

「それとさ、ダリウスはどこ? 話したいんだけど」
「敷地内にも騎士宿舎があるので、昨夜はそちらで寝たらしいです。今も鍛錬たんれん場にいると思います。要するに、逃げてるんです」
「え、ザンド団長と会ったところ以外にも騎士棟があるのか?」

 エルビスによると、宿舎は屋敷の当番騎士が宿泊できる施設で、鍛錬たんれん場も完備だとか。随行の騎士達もそこに泊まっているという。で、彼らと一緒に、本家の次男坊も宿舎に入り浸っている、と。

「根深いな……」

 昨日の様子で、兄弟の関係は想像以上にこじれているようだと知った。でも、ダリウスはやはり仲直りしたいと思っているみたいだった。頑張って話しかけていたし……

「確認だけど、俺は外出禁止?」
「敷地内は安全ですから特に指示されていません。不届き者が邸宅内に侵入するのは難しいですし、よしんば成功しても、生きては出られないでしょう。街を散策される場合は護衛を付けます」

 さらっと怖いことを……。まぁ、策も講じてあるんだろう。

「そうか。浄化も先送りなら街の様子を見たいな。ノルヴァンさんにお礼もしたい」
「礼は殿下からも改めてされるそうですが、連絡しておきますね。敷地内にはガゼボがいくつもありますので、気に入った場所でお茶など楽しまれては?」
「いいね! 今日は大人しくしとくから、明日天気が良ければやろう。準備を頼めるか?」

 エルビスが請け負ってくれたので、先に片付けるべき問題に思考を巡らす。
 ヒルダーヌ様ともっと話したい。夕食を一緒にと誘われたそうなので、食事しながら二人の関係を探ろうと思った。

「明日は鍛錬たんれん場にも行きたいな。俺も少しきたえたい。襲撃の時、体がなまって走れなかったのがショックでさ」

 エルビスは鍛錬たんれん場と聞いて眉をひそめた。

「あそこは脳筋の集まりですよ? それに、グラント達と出くわすかもしれません」
「彼はもう大丈夫だと思うよ。でも一応、ラドクルトとウォーベルトに護衛を頼もうかな」
「先触れをしてからにしましょう」
「分かった。あ、お茶会は神兵さんも、助けてもらったし誘いたい。マジックバッグのクッキーやあめは残ってるか?」
「はい。ご用意しておきます。でも、今日騎士宿舎に行くのはダメですよ」

 香り問題もあるので騎士宿舎は明日以降とお達しが出た。それと、自分で歩けるようになること。確かにその通りだ。まぁ、原因はエッチのしすぎなんですけどね。


 その後しばらくダリウスを待ってみたが、来なかった。やはり屋敷内を避けているみたいだ。まだ動き回るのは難しいので、明日の手配やらで部屋を出るエルビスにマテリオを呼んでもらう。聞きたいことがあるんだ。

「私に話とはなんだ?」
「ティアが最初に襲われて別行動になった時、マテリオもティアといただろう? 何があったんだ? その時のこと、ティアは詳しく教えてくれないんだ」

 過ぎたことだから、無駄に心配させないようにという配慮かもしれない。でも、隙のある行動をしないためにも知りたかった。

「あまりいい気分にはならないぞ」

 覚悟をしていると言うと、マテリオは躊躇ためらいがちに口を開いた。



   side マテリオ


 ジュンヤに呼び出され部屋に入ると、珍しく他の伴侶の方達はいなかった。正直なところ、誰かがいてくれたほうが助かるのだが。私は話が苦手だし、何より自制が利くか不安がある。
 だが、用件はエリアス殿下が襲われた時の状況を知りたいということで、安心したような、何か残念な気持ちにもなった。

「ジュンヤが目覚めた後、殿下は私とマナ神官に同行を命じられた」

 あまりにも予期せぬ出来事の連続で、正確に語れるか自信がない。だが、真剣な目でこちらを見るジュンヤの期待に応えるべく、私はゆっくりと記憶を呼び起こした。
 ――あの日、ジュンヤが浄化した患者達の経過を見るために、殿下はクードラの街や治療院の視察に出た。護衛はグラント殿が率いるユーフォーンの騎士だ。彼らはまだジュンヤへの不信感を抱いているようだったが、殿下への忠義は本物だった。
 殿下は民の訴えに耳を傾けられ、大変にご立派だった。私とマナは、足腰が弱り自力で治療院に行けない街の人々の治癒をしつつ、もう一つの治療院に向かっていた。

「もう一つの治療院って、俺が行けなかったところか」

 ジュンヤが言う。大きな街には人口に比例して治療院が設けられる。クードラは街の規模はさほど大きくないが、職人が集まり住人が多いので、治療院は二ヶ所設置されている。
 なるほどと頷くジュンヤ。ジュンヤと穏やかに会話をするのは久しぶりで、胸の奥に温かい気持ちが広がった。これはなんだろう……

「王都からの護衛も同道していたが、二つの勢力は敵対……は言いすぎだが、良好な関係とは言えなかったので、小競り合いが多かった」

 護衛のケーリー殿が両団をいさめていたが、刺々とげとげしい空気は民にも伝わり、常に緊張感があった。
 治療院に着くと、殿下は私とマナを呼び、ジュンヤから預かった浄化の魔石を皆に披露するよう命じられた。あくまでもジュンヤの善意で使わせてもらっていると、知らしめるためだろう。

「権威を守るため……か」
「その通り。お前が嫌がるのは分かっているが、必要だった」

 私とマナが患者を治療する間、殿下は会話の可能な患者に聞き取り調査をしておられた。治療院を出る際は、当然護衛が厳重に確認してから馬車に移動を開始した。だが……
 先行した騎士に続いて殿下が外に出た。治療院の前は狭かったため広い通りに馬車を停めていたのだが、辿り着く前に、見物していた民のうち数人が飛びかかってきた。
 他の見物人もパニックにおちいり、賊と民が入り混じって、ケーリー殿は……怪しい者は全員斬れと命じられた。殿下は止めようとしたが、そうしなければ殿下のお命は危うかった。

「そ、そんな……! グラントもさすがに反対しただろ⁉ 自領の民なんだから」
「いいや。彼は真っ先に同意し、殿下に近寄る者を容赦なく斬り捨てた。非情だが、それが彼らの正義なのだろう……戦いに巻き込まれ、民にも被害が出た」
「怪我をした人達はどうなった?」
「幸い死者は出なかった。殿下の指示に従って、皆近くの家へ逃げ込んだからな。敵が民を盾にするなど、混乱はあったが」

 ジュンヤのうれい顔に、これ以上続けていいものか迷った。しかし、ちゃんと聞かせろと先を促される。
 民が避難した後のグラント殿の働きは、悔しいが素晴らしいものだった。その場が騎士と敵だけになると、彼は魔法剣を発動した。風属性の彼の動きは、まるで蜂のようだった。
 空中で静止したかと思うと、すさまじいスピードで移動し、かまいたちで斬りつける。民がいれば確実に巻き込んだだろうから、最初は相当加減をして戦っていたのだろう。

「属性が同じラドクルト殿とはまた違う動きをしていた。同じ魔法でも、使い方であれほど変わるのだな」

 敵は多分、十人くらいだろうか。私も正確には覚えていない。私とマナは後方にいたので、騎士に誘導され治療院に戻ろうと試みていた。
 グラント殿が何人か倒した頃、敵が何か叫んで球体を投げた。すると毒霧が発生し、騎士が次々に倒れていった……

「ティアは怪我しなかった? あんたは? 見えないところに何かあっても、俺に黙っていただけかもって心配だったんだ」
「殿下はご無事で、そのお体は光っていた。ジュンヤの加護があったのだろう。王都の騎士にも被害が出たが、お前に近しい者は毒の影響が小さかった。魔石を持っていた私達も同様だ」

 ユーフォーンの騎士達は毒の影響を大いに受けたが、魔石を預かっていなければ、更に甚大な被害が出ていたに違いない。

「その後、すぐに街を出るべきだとケーリー殿が進言したのだが、殿下が拒否した。あんな風に感情を露わにするのを……私は初めて見た」

 ケーリー殿の進言は真っ当なものだったし、ジュンヤのことがなければ殿下も受け入れたはずだ。だが。

『こうしている間にもジュンヤが襲われていたらなんとする‼ すぐに宿に戻れ!』

 殿下が怒鳴りつけた瞬間、キリキリと甲高かんだかい音が鳴った。結晶の形をした氷塊が殿下を中心に広がって周囲の気温が急激に下がり、私達は、寒さと恐れで震えを止めることができなかった……
 殿下は自ら馬を駆ろうとまでなさった。ケーリー殿が止めたが、そんな彼を振り払い、今度はグラント殿が止めようして殴られた。それでも二人は引かず説得を続けた。

「ティアが人を殴るなんて」

 ジュンヤはショックを受けているが、その場に居合わせた私も同じ気持ちだった。だが、殿下の気持ちも痛いほど分かる。

『殿下に万が一のことがあれば、誰が神子みこを守るのですか! どうしても戻られるのなら、私を殺してからにしてください!』

 殿下はケーリー殿という腹心の決死の訴えにようやく手綱を離し、決断された。気を取り直し、すぐに毒の影響を確認せよと命じられた。建物の隙間から毒霧が入り込み、屋内にいた民にも多少の被害が出ていた。

「私とマナ、それと治療院の神官が応急処置をした。治療院の患者は、魔石の効果が残っていたのか無事だった」
「毒霧なんて……アズィトでも思ったけど、見境がなさすぎるよな」

 敵の焦りを生んだのは、ジュンヤが悪評に腐らず、誠意を示して民の信頼を勝ち得ようとする姿を見せつけられたからではないだろうか。

「……ここまでが、クードラで起きたことだ。殿下は苦渋の決断をされた」

 私は、その後の出来事も話すべきだと思い、話を続けた。
 事の次第を宿に残るダリウス様達に伝え、殿下は一足先にユーフォーンを目指すと決めて出立した。毒に侵されている騎士を置いていけば警備が薄くなる。そのため私とマナもそのまま同行し、移動しながら騎士の治癒をしていたが、道のりは険しかった。

「もう過ぎたことだから明かすが、我々には追っ手がかかっていた」

 ジュンヤが目を見開く。当然だ。私から話して良いものか悩んだが、殿下はご自身が苦労された話はしないだろう。
 また襲撃があるかもしれないとの考えで街を出たが、城門を出た際にも待ち伏せを受けた。想定内のことではあったが、弓兵に矢を射かけられ、また怪我人が出た。だが幸か不幸か、敵も態勢が整っていなかったらしく、どうにか切り抜けられた。
 殿下は馬車に怪我人を乗せると仰って馬に乗り換え、ほとんど休みなく移動し続けた。かなりのスピードだったので、さすがに馬車酔いして参ってしまった……
 移動中に怪我人の治癒を進めていたものの、クードラで魔力を消耗しょうもうしていた私達は、症状の重い騎士への対応に苦慮していた。

「でも、グラントは治癒しろと言った?」
「……そうだ。殿下はケーリー殿と軍議をしていたし、こちらのいさかいにお手間をかけさせたくなかった」

 ジュンヤの悲しげな顔を見て、深夜にも殿下を襲う敵がいたことは伏せておこうと思った。それに彼らは生け捕りを恐れて自害し、何も聞き出せなかったから、いないものとして構わないだろう。

「アズィトに到着した時には、全員が疲弊ひへいしていた」

 集会所に病人と怪我人を集め、私も治癒を続けていたが……あとはお察しの通りだ。グラントは私とマナに治癒を強要し続けた。
 私達も万能ではないため休養が必要だと説いても、『騎士の治癒が最優先だ』と言われた。患者を見捨てることもできず、二人で治癒を続けた。

「思考停止状態だった時、お前が来てくれた」
「思ってた以上に危険な状況だったんだな……」

 ジュンヤは私に手つかずだったお茶を勧めてくれ、ソファに体を預けて思案している。お茶をいただきながらその様子を盗み見た。
 騎士の治癒で魔力を使い果たし、合流したジュンヤに幼子になった気分であめを食べさせてもらった時。唇に指が触れた。近くにいるだけでジュンヤの香りが私を包み、疲弊ひへいし切った心身がいやされるのを感じた。
 王都のグスタフ大司教と対峙たいじした時と同じ笑みを浮かべ、グラント殿に立ち向かったジュンヤ。これまで見たどんな人間、いや、世界中の全てを凌駕りょうがする美しさだった。
 ついにユーフォーンの騎士を味方に付けて安堵したのに、その後のアズィトでまたしても襲われてしまった。あの時の標的はジュンヤだったようだが、私の浅はかな判断でジュンヤの足を引っ張ってしまった。
 自分の命は、ジュンヤのものよりずっと軽いと思っていた。先にった神兵達のように、私もジュンヤの心に永遠に残れると喜びさえ抱いた。それなのに……

『あんたの命を犠牲にして生き延びたくない!』

 あの言葉を聞いた時、心底後悔した。地を這ってでも生き延びなければ、心に傷を残してしまうと。ノルヴァン殿に助けられなければ、ジュンヤを泣かせることになっただろう。

「……あ、ほっといてごめん。でも、良ければこのまま一緒にいてくれないか? 一人はなんとなく寂しいし、あんたとは無理して話さなくても気が楽だから……」

 唐突に声をかけられ、はっとした。ジュンヤの考える顔を眺めていたはずが、少し時間が経っていたようだ。

「もちろん気にしない。では、本棚の本を読ませてもらおう。王都では読んだことがないものばかりだ」
「ん……」

 ジュンヤは安堵した様子で微笑んだ。恐ろしい体験をしたせいで、安全圏にいても心細いのかもしれない。私もまだ同じ空間にいたかったので、密かに心が躍る。
 ジュンヤは、私がいないと寂しいと言ってくれた。今も近くにいるだけでいいと言う。沈黙が苦にならない相手になれた。それは、私には愛していると言われるより嬉しいことだ。
 本を手に取ってソファに戻り、浮かれているのを気づかれないよう、ページを開く。だが、目は文字の上を滑るばかりで内容が入ってこない。読むフリをしながら、ジュンヤを抱いた情念に満ちた時間を思い出していた。
 ――ノルヴァン殿の別宅にある地下の部屋で、負傷した私は朦朧もうろうとして指一本動かせなかった。それでも、意識が浮上する度、ジュンヤが私をいやそうとする温かい力を感じていた。
 ディックの裏切りを知った時、怒りに駆られ、神官にあるまじき言葉を吐きそうになった。しかし、脱出を図った際に神兵のリューン殿とトマス殿の協力を得られたのは、メイリル神のご加護に違いない。
 本に向けた顔を動かさないようにジュンヤをうかがうと、うつむいて小さな手帳に何か熱心に書き込んでいる。うなじから肩のラインは、程良く筋肉がついて美しい。私は、あの蜜色の肌に口づけ、舌を這わせたのだ……
 エリアス殿下、ダリウス様、エルビス殿と肌を合わせたと知った時、我が神を奪われたような気がした。いや、元々私のものではないが、たとえようのない虚しさがあった。まだ、自分の本心にふたをしていたのだろう。きっと、既にかけがえのない存在になっていた。
 だから、口移しで水を飲ませてもらった時、衝動的に抱きしめてしまったのだろう。理性が手を離せと警告する。一線を越えたらもうジュンヤの傍にいられなくなると、警鐘が鳴り響いた。それなのに、手放したくないと獣じみた激情に駆られ、逃がしてやることができなかった。
 思いの外柔らかい唇と、甘くしびれるような濡れた舌から流れ込む力……
 愛した男と交わりたい。殿下達の怒りを買うのは分かっている。密かに殺されるか追放か。それでもいい。一度だけ。ただ一度だけでいい……
 たかぶるジュンヤに触れ、慈悲を乞うた。私はずるかった。軽蔑されても構わない。刹那の悦楽であっても、この男を隅々まで味わうため哀れに懇願した。

『俺達……共犯者になろうか』

 そう言ったジュンヤは、私をまっすぐに見ていた。劣情におぼれた愚かな男への哀れみかと思ったが、淫欲にとろけながらも確かな覚悟が垣間見えた。
 許可を得て触れてしまえば、抑えは利かなかった。性行為は神官にとっては単なる儀式だと思っていたが、あれはただの肉欲のぶつけ合いだ。
 薄い皮膚から、無意識に絶えず互いの力が流れ込んだ。神官同士の行為――交歓こうかんと呼ばれる儀式でも、かなり相性が良くないと起きない現象だと聞く。それなのに、私達は……元々二人で一人だったように思えた。
 ああ。汗と先走りがにじんだ陰茎からしたたしずくは、まるで天上から与えられた甘露かんろだった。飲み下すと、失血し弱りきった体に熱く力強い治癒の力が流れ込んだ。それがまた循環するようにジュンヤに戻ると、快楽に直結しているのか、ジュンヤの口から甘い吐息が漏れる。
 隘路あいろを拓いて繋がると、生まれて初めての快楽を知った。愛する人を抱くとは、なんと幸福なことだろう……
 ジュンヤのそこは伴侶に愛された形跡があり、私を離すまいと絡みついてきた。優しくしたいと思っていたのに、お三方のうち誰かが直前までこの体を拓いていたのだと思うと、激しく――嫉妬した。
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 こうして理性を取り戻してから振り返ると、自分の感情を分析できた。嫉妬のせいで、絶頂したジュンヤに休む間も与えず、自分の存在を刻もうとしたのかもしれない。
 ジュンヤは、まだ熱心にペンを走らせている。こんなに近くでなんでもない顔をしながら、頭の中ではお前を抱いた日のことを反芻はんすうしているなどとは、気づきもしない。
 昨日の晩餐ばんさんかいで私もジュンヤの庇護者ひごしゃであると発表されたが、ジュンヤの中で私との時間は過去のことになっているだろうか。いや、あの馬車にいる時間だけ欲しいと言ったのは私だ。過去になっていて当然……
 ふわりとジュンヤの香りが鼻腔びこうをくすぐる。

『マテリオ……あついの、いい……』

 精を注がれ愉悦に震える声は甘かった。二度注いだ後のジュンヤは理性が飛んで、自分が何をしたか覚えていないかもしれない。
 ジュンヤは余韻にふけりながら私の名を呼び、腰を揺らして私をあおり続けた。本来なら、一度吐精して気持ちが収まるはずだ。だが、治癒の循環のせいか、獣じみた淫情は尽きることがなかった。

『もっと、ナカこすって』

 顔を見ながら抱きたいと思い自身を抜こうとすると、可愛らしく嫌だとごねる。そんなみだらな姿も愛おしくてたまらなかった。なだめすかして体位を変えると、ようやく劣情にまみれた顔がよく見えるようになった。
 私の腰に脚を絡みつけ、早く突けというような嫣然えんぜんたるジュンヤの美しさよ。
 首筋に、胸に、口づけて赤い花で肌を飾った。誰かにあとを残すなど初めてのことだ。私は神を抱いている。あがめ続けた人に所有印を刻んだのだ。
 これは、メイリル神への背信行為なのではないか……?

『マテリオ……そんな顔するな』

 私はどんな顔をしていたのだろう。ジュンヤは両手を伸ばし抱きしめてくれた。

『気持ちいいから、存分に抱けよ』

 こんな時、人間の本性が出るのだと思う。ジュンヤは淫猥に乱れながらも、どこまでも他者を思いやれる男なのだ。

『私は、永遠に、お前だけを愛すると誓う』
『んん、あ、マテリオ、マテリオぉ』

 媚肉に自身を沈め抽送ちゅうそうすると、みだらに身をくねらせながら名前を呼んでくれた。全ての感覚をジュンヤと共有しようと、体を密着させる。触れている場所もお互いの呼気も、全てが交わっていた。

『これ、だめ、イッてる、イッてる、からぁ』
『綺麗だ、綺麗だ……もっと見せてくれ』

 愛していると何度ささやいただろう。庇護者ひごしゃと認められたが、「気持ちは封印する」と己への誓いを立ててしまった。
 それなのに、胸を飾るとがりの感触も肌の味も、まだ忘れられずにいる……

「――マテリオ、ありがとう。ほったらかしにして悪かったけど、助かった」

 ジュンヤの気が済むまで沈黙に寄り添い、最後には笑顔で礼を言われた。みだらな妄想にふけっていたなどと気づかれないよう、またいつでも付き合うと告げて退室する。
 私は、二度と触れないと言ったことを、もう後悔している愚か者だ……


   ◇


 午後になってもダリウスは現れなかった。自力でも動けるようになったので屋敷の中を捜してみたが、まだ騎士棟か宿舎にいるようだ。今日の夕食はヒルダーヌ様とティアの三人の会らしいし、ザンド団長は俺が顔を出した頃には既に騎士棟へ戻ってしまっていて頼れない。

「ヒルダーヌ様、真面目だし堅物そうだよな。少し怖いよ」

 今はエルビスに手伝ってもらって夕食用に着替えている。招待されたので、身だしなみを整える必要があった。

「ダリウスは来ないんだよな?」
「はい。あのヘタレ団長は尻尾を巻いて逃げました」

 さらっとひどいな、エルビス。まぁ、昨夜の様子じゃ逃げたくなるのも理解できるんだよな。でもティアはいるから、フォローしてくれるはずだ。
 準備万端整った。ゲームっぽい言い方をするなら、「ヒルダーヌ様攻略開始!」ってところか。
 一階の食堂に案内され待っていると、ティアとヒルダーヌ様が揃って現れた。

「ジュンヤ、待たせて悪かったな」
「そんなに待ってないから大丈夫」
神子みこ様、本日は我々だけですから、どうぞお寛ぎください」
「お招きありがとうございます」

 今夜のヒルダーヌ様は髪を後ろで一つにまとめている。貴族としてはシンプルな髪型だな。

「少しは落ち着かれましたか?」
「はい、もうすっかり元気です。滞在させていただきありがとうございます」
「いいえ。神子みこ様の事情は殿下にお聞きしました。当家の不始末のおびも兼ねて、全面的に支援いたしますのでご安心ください」
「そうですか。よろしくお願いします」

 全員が着席すると、ヒルダーヌ様がワインの注がれたグラスを掲げた。

「エリアス殿下のご活躍と、巡行の成功をお祈りして、乾杯」

 二人にならいグラスを掲げて乾杯する。一口呑んで、吞み口の良さに驚いた。実はあまりワインは得意じゃないんだが、ユーフォーン産は美味いらしい。
 ティアと話しているヒルダーヌ様をこっそり観察する。ダリウスと同じ遺伝子とは思えない、落ち着いた所作と気品。この知的な兄上と武人のダリウスが協力して家門を守っていたら、取って代わりたい人間にとっては邪魔だよな。
 ヒルダーヌ様は母親のチェリフ様似のようだが、昨夜の様子だとそれも含めてコンプレックスが強そうだ。いかにもバルバロイの男らしいザンド団長とダリウスがそっくりなのも原因だろうか。
 それと、昨夜の晩餐ばんさんかいは婚約者のメフリー様を紹介しても良さそうな場だったのに、彼は参加していなかった。元婚約者のダリウスに会わせたくないのか、はたまた別の理由がある?

神子みこ様、どうなさいました?」

 つい見すぎてしまったようで、気づかれた。

「すみません。見つめるなんて失礼でした」
「いいえ、お気になさらず。ただ、何かお聞きになりたいのかと思いまして」

 聞きたいことなら山ほどありますよ。でも……

「ユーフォーンは街中に水源があると聞きました。だから病人が少ないんですか?」

 まだ込み入った話をするには早い。無難な話題で切り抜けよう。

「はい。チョスーチを有効使用しております。ご覧になりたければ、弟にお申し付けください。ただ、近隣からの避難民を大勢受け入れていますので、お時間があれば民に慈悲をお願いしたいのですが」
「もちろん、奉仕はさせていただきます」

『弟』ね……名前を呼ばないんだ?

「チェリフ様は普段はどちらでお過ごしなんですか? 聡明で、素晴らしい方ですね」

 チェリフ様は優秀で、バルバロイ家での地位も高いと聞く。なのに、ヒルダーヌ様は母親に似ていることをあまり喜んでいないみたいだ。エルビスに確認するのを忘れたから、真意は自分で探るしかない。

「ええ、今は賊の対処で離れていますが、普段はこの本邸で暮らしています」

 家族仲は特に問題なさそう……かな。


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感想 953

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