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第4章 激闘クロッカス直属小隊編
第6話・・・奇妙な来訪者_スターチス達_任務開始・・・
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翌朝。
湊は自室の二段ベッドの上で目を覚ます。一時間半前に勇士が起きて部屋を出て行ったことは確認している。
ベッドから下り、洗面所で手洗いうがいを済ませ、寝起きで結われていない夜色の髪を櫛で解かす。
それから着替えていると、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
この部屋へ向かって誰が近付いて来ているか分かっていた湊は、心中で首を傾げながら、ドア越しに返事をする。まだ着替えの最中のまま。
「はーい。誰ですかー」
「私でーす」
「だから誰ですかー」
「声で分かるでしょー」
「挨拶はしっかりしましょー」
「久浪夢亜でーす」
久浪夢亜。
かつて湊を女男と言ってからかった少女だ。
平坦なからかい口調で応じている。
「何の用で?」
「ちょっと中に入れてもらってもいい?」
「よくない。俺着替え中」
「私気にしないよ?」
「俺は気にする」
「男なのに?」
「もちろん」
「ふーん……というかもう着替え終わったでしょ?」
湊が溜息混じりに肩を下げ。
「今、周り人いない?」
「うん。いない」
ガチャ、とドアを開ける。
そこにいる夢亜が湊の姿を見て、「あら」と平坦な声を発しながら目を丸くする。
「髪下ろした女男も綺麗だね」
「とっとと入ってー」
中に入れて、湊は椅子に座った。
夢亜はきょろきょろと部屋を見回してる。口元に笑みこそ浮かべているが、全体的に感情は薄い。そんな夢亜を湊はジッと見ている。
「ベッド、女男はどっちなの?」
「上だけど」
聞くや否や、夢亜は梯子に足を掛けて少し上り、手だけを布団に当てた。
「あったかい」
「さっきまで寝てたからね」
「ふーん」
「…ところで、用件は?」
「ん? 別に。少し入ってみたかっただけ」
「…あっそう」
なんとも奇妙な光景だ。湊は冷静にそう思う。
(表社会で実力を隠しながら過ごしてきたからか、所々『完偽生動』が使えてる。虫に食われて穴になったように、部分的にしか読み取れない。……俺が『聖』であることに気付いてはいないが、学園長達と何かことを進めてることぐらいは知ってる様子。勇士の正体も掴んでるね。
何者かな? そしてこの部屋に入った目的は? うーん…悪よりは善、て感じかな。俺の猜疑心を強めてまでここに来た理由……久浪さんのほんの少し不自然な体の動きからどこかにビデオカメラを仕込んで撮影してることは分かる。情報収集……下見? ん? あれ…もしかして…)
「じゃ、私帰るね」
表面上は本当に室内を見て回り、幾つか他愛もない質問しただけで帰ろうとする。
「ねえ、久浪さん」
夢亜の背中に声を掛ける。
「なに?」
「…今の生活は充実してる?」
夢亜は湊と目を合わせてから、彼女らしからぬ屈託のない笑みを浮かべる。
「もちろんっ。悔いはない」
夢亜は出て行った。
(久浪の正体や目的はなんとなーーーーく分かったけど、…また面倒事が増えたなー。取り敢えず愛衣に相談しとくか)
◆ ◆ ◆
『聖』本部内にあるフリールームで、アスター、ヒヤシンス、そしてスターチスは同じテーブル席に着いていた。
ヒヤシンスとスターチスが将棋を差し、アスターは本を読んでいる。
普通おじさんヒヤシンスは銀の駒を動かしながら、対戦相手でないアスターに話し掛ける。
「ところでアスター、お前いいのかよ、大学は。今までは任務あっても講義休まなかっただろ?」
アスターは視線を本から動かさず眼鏡をくいっと上げて、淡々と応えた。
「問題ない。元々僕は休みがちがったから怪しくともなんともないよ。隊長からも許可はもらってる」
「ああそうなの。まあ、お前の司力は燃費悪いし…『憐山』相手となればできるだけ休ませようとするのも当然と言えば当然か」
スターチスが湯呑みの茶を啜り、歩の駒を動かしながら。
「三日前に突然決まったんじゃ。準備のできなかった隊員のことをクロッカスなりに考えておるのだろうよ」
各隊長直属小隊の隊員は日頃からしっかり万全の状態を保ってる。それが直属小隊に選ばれた『聖』の中でも選りすぐりの精鋭の務めだ。
しかしクロッカスは心の準備というのは非常に大切だと述べている。心はパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。前以てどれだけ精神的な前準備の必要性を、クロッカスは類稀な洞察力で知っている。
なので、普段は湊と同じように大学生として潜入活動しているアスターの心身を労わったのだ。
「そういうヒヤシンスは、奥さんと過ごさなくていいの?」
アスターが視線を動かさず、ヒヤシンスに尋ねる。
ヒヤシンスは飛車を動かしながら、困ったように顔を引き攣らせる。
「追い出された」
「?」
思わずアスターが本から視線を動かす。
「一応結婚してから初めての重大任務だから、何があるか分からないし、家族と過ごそうと思ったんだけど…「辛気臭い顔してないでいつもみたいにスターさんと将棋でもしてきな」って追い出された」
「……サンパらしいと言えばらしいけど…」
「尻に敷かれとるのう」
スターチスが面白そうに笑う。
アスターも面白そうに少し微笑んで。
「でも確かに、俗にいう死亡フラグみたいなの立つところだったかもね」
「結婚して三ヵ月で死にたくはないな」
「これ、ヒヤシンス。子供の予定とかはないのかいのう?」
目を細めて微笑みながら、スターチスが訊く。
「スターさんまでなんですか…。ないですよ。まだ」
少し恥ずかしそうに言うヒヤシンスに、細めた目を少し開け、慈愛と真剣に満ちた瞳でヒヤシンスを見据える。
「ヒヤシンスや。愛する者との間にできた自分の子というのはのう、想像以上に力をもらえるんじゃ…。赤子の顔を見てだらしなく頬が緩んでしまう、そういった小さな記憶が大きな思い出となり、力をもらう。……ヒヤシンス、『聖』なら外のようにお金なんかの心配は全くいらんのじゃ。どんどん作ったらいいかいや」
歳を重ねたスターチスの言葉にヒヤシンスが参ったような笑みを浮かべる。
「お、なんだ? 子作りの相談か?」
そこへ無粋な声が入り込んでくる。
ガクっと色々な考えや思いを挫かれたヒヤシンスが薄目をその人物に向ける。
「…フリーさん…」
そこにはたっぷり汗の浸みこんだタオルを首に掛けるフリージアがいた。
このフリールームには他にも隊員はちらほらといるが、ヒヤシンスたち三人は夜に大きな任務があるので、呑気に話し掛けにくい。
しかしフリージアは呑気というか雑な態度で接触してきた。大きな任務云々は気にしないが、丁度今話している内容に配慮してほしい。
「まあいいですけど…。何か用ですか? フリーさん」
ヒヤシンスが肩の力を抜きながら訊く。
「いや……特に用はない。…じゃあな」
呆気なくフリージアが去っていく。
ヒヤシンスがまた首をガクっと倒し、アスターも少し顔を引き攣らせている。
スターチスは歩き去るフリージアの背中を静かに見詰めていた。
(…一応言っとくべきだったかもしれないが…クロッカスがいるなら平気だよな)
◆ ◆ ◆
淡里深恋。
『聖』でのコードネームは「ラベンダー」。
『憐山』でのコードネームは「イル」。
そして、淡里深恋という名自体が言わずもがな、偽名だ。
深恋はベッドに寝転がりながら、考えた。
深恋は父であるジストに対して、恨みしかない。今回出撃部隊に参列することになり、父達『憐山』を潰すことに、殺すことに躊躇は微塵もない。
嫌な思い出を潰すと考えれば爽快感や解放感も感じる。
しかし、一つだけ気掛かりなことがある。
(…結局、私の母は一体……)
深恋は母を知らない。『憐山』の構成員かもしれないし、どこぞの娼婦かもしれない。
深恋が母について知っている情報は、ジストのたった一言だけ。とても小さいことだが、一つ。
ジストが獅童学園に入学させるにあたって偽の戸籍を用意した時だ。
ジストは言った。
『これがお前の戸籍だ。名前は死んだお前の母が考えていたものだ。だからありがたく、早く、自分の名だと受け入れろ』
深い、恋。深恋。
愛情を感じる名前だと、今は思う。
思考が完全に武者小路源得の殺害を念頭に置いていたその時の深恋は、「考えるのも面倒なんだ」「名前から相手を油断させる気なのか」「母を持ち出さなくても自分の偽名ぐらいちゃんと覚えるよ」などと完全に後ろ向きに考えていた。
既に死んでる母。
気になって湊に言っても「調べておくよ」と言っていたが進展はない様子。
少し、気になる。母がどういう人なのか。
『聖』という居場所を見付けた深恋は心がとても満たされている。しかし、それでも、少し気になってしまう。
昨日『聖』で歓迎会を開いてもらい、そこで家族の絆、愛を見せられたからこそ、逆に気になってしまったところもある。
どういう意図で「深恋」という名を付けたのか。
少なくとも母からは愛されていたのか。
知りたい。
少しだが、興味があった。
◆ ◆ ◆
コスモスは、暗い自室のベッドの上に座り込んでいた。
特に何をするでもなく、必死に『憐山』アジトに潜入した時のイメージトレーニングを重ねていた。
それともう一つ、あることを考えている。湊が昨日言ったこと。
『ラベンダーはコスモスに同行してもらう。コスモスの無遁法の隠密性は俺の鎮静より上だから、安心してな』
コスモスと深恋は今回の任務でツーマンセルを組むことになる。
(湊の策は完璧。だけど、何事にもイレギュラーはある。相手は理性ではなく本能を重視する殺人組織『憐山』。湊が比較的苦手とする人種。……もしもの時は、私が……)
◆ ◆ ◆
深夜2時過ぎ。
湊、深恋、コスモス、スターチス、アスター、ブローディア、ヒヤシンスの7人は黒装束に紫の仮面、各自フードを被った姿で高度500メートル以上の上空に佇んでいた。
眼下には地方でも更に郊外の外れにある森。
『憐山』の幹部ジストが居座るアジトは、その広大な森の上空にあるのだ。高度100メートルの地点に、浮くようにして巨大な建物が存在している。当然結界や多数の法技システムを利用して衛星カメラや探知機などによっての発見を防いでいる。
今も、湊達の目には見えないが、意識を集中すれば少しだが気配を感じる。
湊が一歩前に出て、仮面に取り付けられた通信機越しに言う。
『第六隊の報告では特に異常、変化はなし。メインプラン通りに作戦を開始する。……アスター』
『了解』
アスターが前に出た。
深恋は横目でアスターに注目している。
正直、この直属小隊の中で一番興味がある司力だ。
アスターは仮面を外し、フードを取り、素顔を晒す。眼鏡も掛けていない。
それから黒い服の中心にあるチャックを摘まむ。普通ならチャックは首元の位置にあるはずだが、アスターのジャケットは胴体の中心部にあった。そこから上にはチャックの線がない。奇形の特殊戦闘服。
アスターがチャックを下ろす。
下に達すると同時に胴体の中心から上半身下部に掛けて、服が開く。
そこには大きく穴の開いたもう一枚の黒い服がある。しかし、その下にはもう服を着ていないのに、その穴から素肌は見えない。
それはなぜか。
『霊魂晶』。
体に埋め込まれた玉が、ちょうどその穴から剥き出しになっているからだ。
「『迷わせ、江戸川乱歩』」
湊は自室の二段ベッドの上で目を覚ます。一時間半前に勇士が起きて部屋を出て行ったことは確認している。
ベッドから下り、洗面所で手洗いうがいを済ませ、寝起きで結われていない夜色の髪を櫛で解かす。
それから着替えていると、ピンポーン、とインターホンが鳴った。
この部屋へ向かって誰が近付いて来ているか分かっていた湊は、心中で首を傾げながら、ドア越しに返事をする。まだ着替えの最中のまま。
「はーい。誰ですかー」
「私でーす」
「だから誰ですかー」
「声で分かるでしょー」
「挨拶はしっかりしましょー」
「久浪夢亜でーす」
久浪夢亜。
かつて湊を女男と言ってからかった少女だ。
平坦なからかい口調で応じている。
「何の用で?」
「ちょっと中に入れてもらってもいい?」
「よくない。俺着替え中」
「私気にしないよ?」
「俺は気にする」
「男なのに?」
「もちろん」
「ふーん……というかもう着替え終わったでしょ?」
湊が溜息混じりに肩を下げ。
「今、周り人いない?」
「うん。いない」
ガチャ、とドアを開ける。
そこにいる夢亜が湊の姿を見て、「あら」と平坦な声を発しながら目を丸くする。
「髪下ろした女男も綺麗だね」
「とっとと入ってー」
中に入れて、湊は椅子に座った。
夢亜はきょろきょろと部屋を見回してる。口元に笑みこそ浮かべているが、全体的に感情は薄い。そんな夢亜を湊はジッと見ている。
「ベッド、女男はどっちなの?」
「上だけど」
聞くや否や、夢亜は梯子に足を掛けて少し上り、手だけを布団に当てた。
「あったかい」
「さっきまで寝てたからね」
「ふーん」
「…ところで、用件は?」
「ん? 別に。少し入ってみたかっただけ」
「…あっそう」
なんとも奇妙な光景だ。湊は冷静にそう思う。
(表社会で実力を隠しながら過ごしてきたからか、所々『完偽生動』が使えてる。虫に食われて穴になったように、部分的にしか読み取れない。……俺が『聖』であることに気付いてはいないが、学園長達と何かことを進めてることぐらいは知ってる様子。勇士の正体も掴んでるね。
何者かな? そしてこの部屋に入った目的は? うーん…悪よりは善、て感じかな。俺の猜疑心を強めてまでここに来た理由……久浪さんのほんの少し不自然な体の動きからどこかにビデオカメラを仕込んで撮影してることは分かる。情報収集……下見? ん? あれ…もしかして…)
「じゃ、私帰るね」
表面上は本当に室内を見て回り、幾つか他愛もない質問しただけで帰ろうとする。
「ねえ、久浪さん」
夢亜の背中に声を掛ける。
「なに?」
「…今の生活は充実してる?」
夢亜は湊と目を合わせてから、彼女らしからぬ屈託のない笑みを浮かべる。
「もちろんっ。悔いはない」
夢亜は出て行った。
(久浪の正体や目的はなんとなーーーーく分かったけど、…また面倒事が増えたなー。取り敢えず愛衣に相談しとくか)
◆ ◆ ◆
『聖』本部内にあるフリールームで、アスター、ヒヤシンス、そしてスターチスは同じテーブル席に着いていた。
ヒヤシンスとスターチスが将棋を差し、アスターは本を読んでいる。
普通おじさんヒヤシンスは銀の駒を動かしながら、対戦相手でないアスターに話し掛ける。
「ところでアスター、お前いいのかよ、大学は。今までは任務あっても講義休まなかっただろ?」
アスターは視線を本から動かさず眼鏡をくいっと上げて、淡々と応えた。
「問題ない。元々僕は休みがちがったから怪しくともなんともないよ。隊長からも許可はもらってる」
「ああそうなの。まあ、お前の司力は燃費悪いし…『憐山』相手となればできるだけ休ませようとするのも当然と言えば当然か」
スターチスが湯呑みの茶を啜り、歩の駒を動かしながら。
「三日前に突然決まったんじゃ。準備のできなかった隊員のことをクロッカスなりに考えておるのだろうよ」
各隊長直属小隊の隊員は日頃からしっかり万全の状態を保ってる。それが直属小隊に選ばれた『聖』の中でも選りすぐりの精鋭の務めだ。
しかしクロッカスは心の準備というのは非常に大切だと述べている。心はパフォーマンスに大きな影響を及ぼす。前以てどれだけ精神的な前準備の必要性を、クロッカスは類稀な洞察力で知っている。
なので、普段は湊と同じように大学生として潜入活動しているアスターの心身を労わったのだ。
「そういうヒヤシンスは、奥さんと過ごさなくていいの?」
アスターが視線を動かさず、ヒヤシンスに尋ねる。
ヒヤシンスは飛車を動かしながら、困ったように顔を引き攣らせる。
「追い出された」
「?」
思わずアスターが本から視線を動かす。
「一応結婚してから初めての重大任務だから、何があるか分からないし、家族と過ごそうと思ったんだけど…「辛気臭い顔してないでいつもみたいにスターさんと将棋でもしてきな」って追い出された」
「……サンパらしいと言えばらしいけど…」
「尻に敷かれとるのう」
スターチスが面白そうに笑う。
アスターも面白そうに少し微笑んで。
「でも確かに、俗にいう死亡フラグみたいなの立つところだったかもね」
「結婚して三ヵ月で死にたくはないな」
「これ、ヒヤシンス。子供の予定とかはないのかいのう?」
目を細めて微笑みながら、スターチスが訊く。
「スターさんまでなんですか…。ないですよ。まだ」
少し恥ずかしそうに言うヒヤシンスに、細めた目を少し開け、慈愛と真剣に満ちた瞳でヒヤシンスを見据える。
「ヒヤシンスや。愛する者との間にできた自分の子というのはのう、想像以上に力をもらえるんじゃ…。赤子の顔を見てだらしなく頬が緩んでしまう、そういった小さな記憶が大きな思い出となり、力をもらう。……ヒヤシンス、『聖』なら外のようにお金なんかの心配は全くいらんのじゃ。どんどん作ったらいいかいや」
歳を重ねたスターチスの言葉にヒヤシンスが参ったような笑みを浮かべる。
「お、なんだ? 子作りの相談か?」
そこへ無粋な声が入り込んでくる。
ガクっと色々な考えや思いを挫かれたヒヤシンスが薄目をその人物に向ける。
「…フリーさん…」
そこにはたっぷり汗の浸みこんだタオルを首に掛けるフリージアがいた。
このフリールームには他にも隊員はちらほらといるが、ヒヤシンスたち三人は夜に大きな任務があるので、呑気に話し掛けにくい。
しかしフリージアは呑気というか雑な態度で接触してきた。大きな任務云々は気にしないが、丁度今話している内容に配慮してほしい。
「まあいいですけど…。何か用ですか? フリーさん」
ヒヤシンスが肩の力を抜きながら訊く。
「いや……特に用はない。…じゃあな」
呆気なくフリージアが去っていく。
ヒヤシンスがまた首をガクっと倒し、アスターも少し顔を引き攣らせている。
スターチスは歩き去るフリージアの背中を静かに見詰めていた。
(…一応言っとくべきだったかもしれないが…クロッカスがいるなら平気だよな)
◆ ◆ ◆
淡里深恋。
『聖』でのコードネームは「ラベンダー」。
『憐山』でのコードネームは「イル」。
そして、淡里深恋という名自体が言わずもがな、偽名だ。
深恋はベッドに寝転がりながら、考えた。
深恋は父であるジストに対して、恨みしかない。今回出撃部隊に参列することになり、父達『憐山』を潰すことに、殺すことに躊躇は微塵もない。
嫌な思い出を潰すと考えれば爽快感や解放感も感じる。
しかし、一つだけ気掛かりなことがある。
(…結局、私の母は一体……)
深恋は母を知らない。『憐山』の構成員かもしれないし、どこぞの娼婦かもしれない。
深恋が母について知っている情報は、ジストのたった一言だけ。とても小さいことだが、一つ。
ジストが獅童学園に入学させるにあたって偽の戸籍を用意した時だ。
ジストは言った。
『これがお前の戸籍だ。名前は死んだお前の母が考えていたものだ。だからありがたく、早く、自分の名だと受け入れろ』
深い、恋。深恋。
愛情を感じる名前だと、今は思う。
思考が完全に武者小路源得の殺害を念頭に置いていたその時の深恋は、「考えるのも面倒なんだ」「名前から相手を油断させる気なのか」「母を持ち出さなくても自分の偽名ぐらいちゃんと覚えるよ」などと完全に後ろ向きに考えていた。
既に死んでる母。
気になって湊に言っても「調べておくよ」と言っていたが進展はない様子。
少し、気になる。母がどういう人なのか。
『聖』という居場所を見付けた深恋は心がとても満たされている。しかし、それでも、少し気になってしまう。
昨日『聖』で歓迎会を開いてもらい、そこで家族の絆、愛を見せられたからこそ、逆に気になってしまったところもある。
どういう意図で「深恋」という名を付けたのか。
少なくとも母からは愛されていたのか。
知りたい。
少しだが、興味があった。
◆ ◆ ◆
コスモスは、暗い自室のベッドの上に座り込んでいた。
特に何をするでもなく、必死に『憐山』アジトに潜入した時のイメージトレーニングを重ねていた。
それともう一つ、あることを考えている。湊が昨日言ったこと。
『ラベンダーはコスモスに同行してもらう。コスモスの無遁法の隠密性は俺の鎮静より上だから、安心してな』
コスモスと深恋は今回の任務でツーマンセルを組むことになる。
(湊の策は完璧。だけど、何事にもイレギュラーはある。相手は理性ではなく本能を重視する殺人組織『憐山』。湊が比較的苦手とする人種。……もしもの時は、私が……)
◆ ◆ ◆
深夜2時過ぎ。
湊、深恋、コスモス、スターチス、アスター、ブローディア、ヒヤシンスの7人は黒装束に紫の仮面、各自フードを被った姿で高度500メートル以上の上空に佇んでいた。
眼下には地方でも更に郊外の外れにある森。
『憐山』の幹部ジストが居座るアジトは、その広大な森の上空にあるのだ。高度100メートルの地点に、浮くようにして巨大な建物が存在している。当然結界や多数の法技システムを利用して衛星カメラや探知機などによっての発見を防いでいる。
今も、湊達の目には見えないが、意識を集中すれば少しだが気配を感じる。
湊が一歩前に出て、仮面に取り付けられた通信機越しに言う。
『第六隊の報告では特に異常、変化はなし。メインプラン通りに作戦を開始する。……アスター』
『了解』
アスターが前に出た。
深恋は横目でアスターに注目している。
正直、この直属小隊の中で一番興味がある司力だ。
アスターは仮面を外し、フードを取り、素顔を晒す。眼鏡も掛けていない。
それから黒い服の中心にあるチャックを摘まむ。普通ならチャックは首元の位置にあるはずだが、アスターのジャケットは胴体の中心部にあった。そこから上にはチャックの線がない。奇形の特殊戦闘服。
アスターがチャックを下ろす。
下に達すると同時に胴体の中心から上半身下部に掛けて、服が開く。
そこには大きく穴の開いたもう一枚の黒い服がある。しかし、その下にはもう服を着ていないのに、その穴から素肌は見えない。
それはなぜか。
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体に埋め込まれた玉が、ちょうどその穴から剥き出しになっているからだ。
「『迷わせ、江戸川乱歩』」
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