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第3章 学試闘争編
第4話・・・教師_口論と謝罪_残り2日・・・
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土曜日の朝。
中間テストのペア決めが行われた翌日の職員室。
蔵坂鳩菜は自分の席でPCを弄っていた。
例え休日であっても教師に休みはほとんどない。それが名門校で中間テスト直前となれば尚更だ。
『聖』の潜入任務で教職に就いたが好きでやっていることに変わりはない。しかし疲労は女性の敵なので勘弁してほしい。
タイピングする手を止め、腕を伸ばして伸びをしていると隣の席の先生から声を掛けられた。
「お疲れですか?」
「宗形先生…そうですね。やっぱりテスト前の忙しさには慣れません」
長い黒髪をポニーテールにした凛々しい女性、宗形紗々。
切れ長で刃物のような目や黒スーツ、スレンダーな体型などあらゆる面で厳しさと逞しさを現しているこの女性もまた蔵坂と同じく教師だ。
一見冷たそうに見えるが、今のように他人を気遣う心優しさも備えている。
宗形は蔵坂の言葉を聞いてふふっと肩で笑った。
「確かに忙しいですが、その分見応えのある試合を幾つも見れると考えればモチベーションも上がりますよ」
「それもそうですね」
蔵坂はふと気になったことを聞いてみた。
「来木田くんって宗形先生のA組ですよね。彼どんな感じですか? 失礼ですが…彼、真面目ではありますが他の人と組むことってできるのか少し心配なんですけど…」
来木田岳徒。
性格は真面目で決して人に冷たかったり侮辱しているわけではないのだが、彼自身のレベルが高く、また『九頭竜川』傘下の家系ということもあって周囲の生徒が遠巻きに見がちだともっぱらの噂だ。
蔵坂はカキツバタとして、『本当』の仕事として、この学園の生徒のことはかなり詳しい。その噂が9割方真実だということも知っている。
このテストは1人で乗り越えてもあまり評価は得られない。つい心配になってしまう。
「心配はいらないと思いますよ。来木田も協調性がないわけではありませんから。運が良いと言うべきか、来木田のペアも塾でそれなりの成績を記録していたので実力的にも申し分ないですしね。…間違いなく、優勝候補ですよ」
抑揚のない声だが、表情から少しだけ楽しさを感じる。宗形は基本冷静であるが勝負となると体育会系としての血が騒ぐのだ。
蔵坂が苦笑する。
「優勝って…別にこれは武闘祭ではありませんよ?」
「おっと、そうでした。すみません。……しかし、別の意味で心配ではありますね。武者小路家…学園長や学年主任の猪本先生と来木田の属する九頭竜川家が犬猿の仲なのは周知の事実です。もちろん学園長達が嫌がらせをするなどとは考えませんが、来木田の方から何か挑発的なことをしないか不安ですね…」
宗形が若干目を伏せる。
「学園長は武者小路家前頭首であって、今の学園長にちょっかい出しても焼け石に水だと思いますけどね」(まあ、そんな単純な話ではないでしょうけど)「…彼の担任としてはどうですか?」
宗形は彼女にしては自信無さげに息を吐いた。
「こんなこと言うのは担任としてどうかと思うのですが…よく分かりません。来木田は優秀過ぎて逆に何を考えているのか分からないんです。彼なりの目的があって敵地とも言えるこの学園に入学したのは何となく分かりますけど…」
「まだ2ヵ月です。そんなものですよ」
「ありがとうございます。蔵坂先生はC組の生徒と上手くやれてるようで羨ましいです」
「1人退学させてしまいましたけどね」
稲葉友梨は生徒達の間では停学ということになっているが、教師陣には『妖具』などのことも含め、全ての事実を通達している。
「蔵坂先生が気にすることではありませんよ」
「ありがとうございます」
宗形が気を取り直して、デスクの書類に集中する。
「少し話し過ぎましたね。仕事に集中しましょう」
「そうですね」
蔵坂は仕事を進めながら、思考した。
(来木田岳徒くんの目的…か。第六隊の報告書で九頭竜川が執拗に四月朔日へ婚約の申し込みをしてるらしいから……目的って言うなら四月朔日紫音さんの監視でしょうね。『聖』としては関係ないから無視でもいいんだけど、教師としては無視はできない。でもただの担任の先生が首を突っ込むのもおかしい。…難しいラインねー)
そもそも紫音に固執する理由もよく分からない。『あの』九頭竜川だ。何か理由がある気がする。
(ちょっと、探る必要あるかしら?)
◆ ◆ ◆
同時刻。学生寮305号室。
今日は休日だが、中間テスト前の大事な練習日だ。誰もがペアとの連携度を上げる為に練習する。
湊や勇士も例外ではない。
「おーい、早くしろー。勇士準備おせえぞ。お前が一緒に行こうって言うから待ってやってんのに」
練習着とジャージに着替えた相変わらず女っぽい湊が勇士を急かす。首にも相変わらず青と白のヘッドホン。湊にヘッドホンはどんな格好でも似合っている。
「悪い。今終わった」
勇士も半袖の練習着に着替えて刀ケースを肩に掛けて準備を整える。
廊下に出て鍵を閉める。
歩いていると、勇士が尋ねてきた。
「…湊、お前青狩くんとはちゃんとうまくやれてんのか?」
「大丈夫大丈夫。ノープロブレム」
ふざけた返答に溜息をつくを勇士。
「…そればっかりだな」
ちらっと横目で見ると、湊は楽しそうな笑みを浮かべている。明るさの中に少し悪戯っぽさが混じった笑みだ。
(……速水はこういう笑顔が好き……なのか?)
※ ※ ※
琉花と紫音は逸早く学生寮を出て勇士達のいる学生寮へ向かっていた。
見えるところにあるグラウンドを見ながら琉花が呟く。
「もう練習してる人いるわね。テスト前に体力使い過ぎるのもよくないのに」
「それだけ皆さん必死なんですよ」
「体調管理も必死にやりなさいよ」
2人は訓練などに関してはベテランと言える。まだ経験の浅い他の生徒を見ているとつい言葉が漏れてしまうのだ。
「まあ、連携を鍛えるだけなら通常の訓練より体力使わないから、悪いことではないけど」
「ふふ、そうですね。……琉花さんも、四門さんと上手くやれているようで良かったです」
言うと、琉花は朝っぱらからくたびれたように息をつく。
「最初は大変だったけどね。…でもまあ、四門は防御専門で私は遠距離主体だからね。なんだかんだ戦闘スタイルの相性は良かったみたい。ほんと運に助けられたわ」
「あはは…」
昨日散々どれだけ大変だったか愚痴られた紫音が渇いた笑いを上げる。
「それよりも心配は漣よ。ペアがあの青狩って……殺されたりしてないでしょうね?」
物騒なことを言う琉花に紫音が委縮する。
「あ、青狩くんもそこまで酷い人ではありませんよ…」
「そうよね。ただ戦功を上げてる私達に嫉妬してるだけだもんね~」
紫音が顔を引き攣らせたまま渇き笑いを浮かべる。中学時代の総駕《そうが》を知ってる紫音からすると複雑な気持ちになる。
その後もテストに関することや、時折どうでもいい世間話を交えて会話しながら学生寮へと着いた。
そして、驚愕した。
学生寮へと続く道中には幾つかの外灯がある。凝った造りのその外灯に背を預けて腕を組む人物がいる。
「青狩…総駕?」
顔に嫌悪感を丸出しにして琉花が呟く。
学生寮の扉から出ていく練習着姿の生徒達は青狩の姿を目視すると一様に驚きながら歩き過ぎていく。
紫音が首を傾げて、
「漣くんを…待ってるのでしょうか?」
「あいつがそんなお利巧なわけないでしょッ」
言うや否や、琉花が睨み付けながら青狩に元へ競歩で向かう。紫音が「ちょっとっ…」と慌てて追いかける。
※ ※ ※
総駕は湊を待っていた。
昨日は結局訓練などせず食事と雑談に時間を費やし、去り際に「それじゃ明日朝7時半くらいに俺の学生寮まで来てね。拒否権とかないから」と問答無用で命令という名の約束を取り付けられ、ここに至る。
周囲の生徒の目が気になるが、その程度で動じる精神はしていない。
(早く来いよ…)
などと思っていると。
「青狩!」
別のが来た。
見なくても分かる。紅井勇士の取り巻き女子。風宮琉花だ。
周囲の生徒の視線が集中するのを感じながら、青狩はそちらに目をやる。案の定、不快な形相の琉花と…、困惑した様子の紫音がいた。紫音がいることについても予想できたので動じはしない。2人はよく一緒にいる。
「……なんだ?」
「それはこっちの台詞っ。なんであんたがここにいるのよッ?」
「…漣湊を待ってるだけだが?」
……確かに総駕は湊のペアだが、どうも信じられない。
琉花の表情から怪訝さは消えない。
「どうだか。実は勇士に宣戦布告でもしにきたんじゃないの?」
総駕はあくまで冷静に思った。
(……昨日までの俺は、その名を出されただけで頭に血が上ってたんだよな)
総駕と勇士達の仲の悪さは噂だけの所為ではない。
噂を払拭しようと勇士が総駕に友好の意を込めて話し掛けてきたが、総駕はその手を払い、肩を突き飛ばしてしまった。勇士という誰もが一目置く男、そして当然のように紫音と一緒にいることが頭に来たのだ。
それ以降、すれ違うだけで睨み付けるようになってしまい、その度琉花と軽く口論になり、噂が悪化してしまったのだ。
総駕は至って冷静に、琉花に告げた。
「これまでの俺の悪態については謝る。だからもう俺のことは気にするな」
軽く、総駕が頭を下げた。
その光景は辺りに波紋を広げる。ギャラリーがざわめく中、最も驚いたのは当然琉花と紫音だ。
今まで何かと口論になってきた気に入らない相手が急に謝罪してきた。戸惑わない方がおかしい。
(な、なにっ? コイツに何が……)
そう思って、1人の人物が思い浮かんだ………その時。
「なにやってるんだよ、琉花」
飛び跳ねるようにその声の方を向く。
若干眉間に皺を寄せた勇士がギャラリー達を割って近付いてきていた。後ろには薄く笑う湊と口元を押さえる愛衣を同伴して。
勇士が改めて状況を把握し、琉花に視線をぶつける。
「琉花、あまり騒ぎ立てるなっていつも言ってるだろ」
「でも…こいつが…」
琉花の横目に流されるように勇士の視線が動く。総駕がいることにはもちろん気付いていた。
総駕が自分のことを嫌いなのは知っている。勇士は総駕が嫌いではないが、あそこまで敵視されると苦手意識は持ってしまう。
勇士は総駕と湊を交互に見ながら、
「えっと…湊と…待ち合わせ…してたんだよね?」
総駕が頷く。
「ああ。……でもいい機会だから言っておきたいことがある」
琉花がやっぱり、と喚こうとしたが、それよりも早く、総駕が動いた。
「これまでの失礼な態度を取ったこと、一応謝る。すまなかった」
また頭を下げる総駕に、飽きることなく驚く一同。
初見の勇士は尋常ではないほどに驚き、湊と愛衣も感心の驚きに駆られている。
「俺の身勝手でそっちを不快にさせたからな。そのことについては謝る」
言葉を失う勇士に代わって琉花が前へ出る。
「いきなり何なのッ? 気持ち悪い。目的は何?」
「別にこれを機に仲良くしてくれなんて言わない。ただ俺が反省しているということだけ伝えたかっただけだ」
「ッッ」
それでも納得できるはずがなく、かと言って誠意も感じられるため琉花が言葉に詰まる。今更なんだと言うのだ。
そんな琉花の肩に、勇士がそっと手を置いた。
「…もういいじゃないか、琉花」
「勇士…」
優しく微笑み、勇士は曇りなき眼を総駕へ向ける。
「嬉しいよ、そう言ってくれて。俺達も不快にさせてすまなかった。目立っていた分、ちゃんと身の振り方を考えるべきだったよ」
勇士も頭を下げる。この辺はしっかり芯を通すのは勇士の美徳だろう。そして頭を上げ、友好の意を込めて笑いかけた。
「せっかく湊とペアなんだし、よければ一緒に練習なんてどうかな?」
先程総駕は仲良くしなくていいと言ったが、勇士はぜひ仲良くなりたいと思っている。これをチャンスと捉え、勇士が踏み込む……が、
「悪い、それは無理だ」
「えっ、あの……」
湊に確認も取らずに総駕が即拒否する。
「それは……一緒に練習できないって……?」
勇士の僅かな希望を、総駕が崩す。
「はっきり言うが、俺はお前が嫌いだ。それに変わりはない」
勇士が、琉花が、紫音が、ギャラリーがポカンとする。湊と愛衣だけは苦笑していた。
「……でも…今…謝って…」
「それは態度が悪かったことだけ。もうお前が嫌いという気持ちを態度に出したりしないから安心しろ」
身も蓋も無く総駕が返す。
琉花が前髪をくしゃっと握りながら。
「あんたね……なんでそうやって私達のこと……」
態度が変わってもムカつく総駕に文句を言ってやろうとする琉花の横を、一つの人影が通り過ぎた。
「湊…」
呆然としいた勇士がその人影が誰なのか確認して呟く。そう、湊だ。
そこで湊が総駕のペアだったことを改めて思い、その動向に勇士達もギャラリーとなって注視している……と。
「言い過ぎだバカ」
ジュクシッ、と、総駕の両目に目潰しを喰らわせた。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
両目を押さえて蹲る総駕。
ギャラリーは唖然としながら中には「もう驚くのも疲れた…」という声も上がっている。
痛みに悶える総駕を無視して湊が勇士に片手を立てる。
「悪いな、勇士。まあ好き嫌いは簡単に変わらないってことで、大目に見てやってくれ」
「えっと…その…」
理解が追い付かず瞬きを繰り返していると、目潰しされた総駕がばさっと起き上がる。勇士達は即座に「やばい」と思った。ぶん殴られると。
だがそれは杞憂だった。
「てめ湊! 何しやがる!?」
怒鳴ってはいるが、殴ってもいないし胸倉を掴んでもいない。
それに「湊」と呼び捨てにしている。
「だってせっかくいい雰囲気だったのに台無しにするんだもん」
「そんなの知ったことか! 俺には関係ねえ!」
「はああ?」
湊の眼が据わり、がしっと総駕の額を掴む。周囲が驚く中。
「関係ない? 俺のペアでありながら関係ない? それはどうなのかなー? 俺への迷惑とか考えないのかなー? ねー? 考えられなーい?」
「痛…ちょ、爪……痛たたっ。悪かった。悪かったって!」
その光景は…異常を越えて有り得ないものだった。
勇士一行を敵視していた総駕が、勇士のルームメイトで頭は良いが力は並みレベルの湊にどう見ても組み敷かれている。というか……親しさを強く感じる。
悪戯染みた笑みで勇士や琉花をよくからかっているが、それが総駕にまで及んでいる。敵アジトで生き残ったという話もあり、未知数な人物ではあったので、ここまで形容し難い力を見せられると、恐ろしさを感じる。
勇士達からすれば驚愕と納得が同時に襲ってくる感じだ。愛衣だけは平然と微笑んでいる。勇士が驚きつつ、ちらっと愛衣の表情を認識して。
(……愛衣は、湊のこういうところが好きなのか…?)
湊が総駕から手を放し、勇士達を見やる。勇士の表情から何を考えているかを察し、心の中で溜息をつくがすぐに切り替えた。
「勇士、風宮。こんな感じでなんだかんだ面白い奴だからそう睨まないでくれ。じゃ、俺達はこれで。……ギャラリーの皆さんもっ、朝からお騒がせしました!」
総駕の頭を掴み、自身の頭と共に勢いよく下げる。総駕は成すがまま。固まる生徒達を放ってその場から去ろうとする。
「え、お、おい…」
勇士の言葉にも聞く耳持たず。
湊が「速く進め」と総駕の足を蹴る。「いたっ、蹴るな!」「悪い、カス」「カス!?」「間違えた。総駕」「どう間違えれるんだ!?」などと会話を弾ませながら、視界から消えていく。
他の生徒達は、混乱する頭で立ち竦していた。
◆ ◆ ◆
湊と総駕は、敷地内であまり人が通らない道を歩いていた。両脇が林ぐらいに生い茂った草木で囲まれた道だ。
湊は感心したように総駕へ。
「まさか勇士に頭下げるとはね。…本当に嫌いなの?」
「嫌いだよっ。気に食わない奴」
「まあ、好きな人の好きな人だもんね」
総駕の視線が下がり、哀愁を漂わせる。
「でも……今はそれほど酷くもないかもな」
湊が微笑む。
「と言うと?」
「……なあ、紅井は良い奴か?」
質問に質問で返されたが、湊は嫌な気分にもならず答えた。
「うん。鈍感でバカで……」勇士の『聖』への恨みを思い浮かべながら「目の前が見えなくなることがあるけど、根本的には良い奴だよ。俺は気に入ってる」
「…そっか。それならいい」
「何がだよ」
と言いつつ湊は理解しているが。
「俺は紅井のことよく知らねえからムカつくし気に食わねえけど……お前が認めてるなら、それでいいよ」
つまるところ、前の中学から好きだった女子がぽっと出のイケメンに横取りされたのだ。やつれても仕方ない。相手のことをよく知らない内は嫉妬や逆恨みが積もるばかりだっただろう。
それが湊と知り合えて少しは軽減できたというところか。
「はは、わたぬきのこと諦める?」
「……どうだろうな。今日会ってみて、考え方が変わったっていうか、自分でもよく分かんねえ」
湊が苦笑する。
(これ以上は野暮かな)
「自分の心と向き合うのもいいけど、そろそろテストに集中してね」
「おう」
「取り敢えず30個ほど策覚えてもらうから」
「……へ?」
テストまで、残り2日。
中間テストのペア決めが行われた翌日の職員室。
蔵坂鳩菜は自分の席でPCを弄っていた。
例え休日であっても教師に休みはほとんどない。それが名門校で中間テスト直前となれば尚更だ。
『聖』の潜入任務で教職に就いたが好きでやっていることに変わりはない。しかし疲労は女性の敵なので勘弁してほしい。
タイピングする手を止め、腕を伸ばして伸びをしていると隣の席の先生から声を掛けられた。
「お疲れですか?」
「宗形先生…そうですね。やっぱりテスト前の忙しさには慣れません」
長い黒髪をポニーテールにした凛々しい女性、宗形紗々。
切れ長で刃物のような目や黒スーツ、スレンダーな体型などあらゆる面で厳しさと逞しさを現しているこの女性もまた蔵坂と同じく教師だ。
一見冷たそうに見えるが、今のように他人を気遣う心優しさも備えている。
宗形は蔵坂の言葉を聞いてふふっと肩で笑った。
「確かに忙しいですが、その分見応えのある試合を幾つも見れると考えればモチベーションも上がりますよ」
「それもそうですね」
蔵坂はふと気になったことを聞いてみた。
「来木田くんって宗形先生のA組ですよね。彼どんな感じですか? 失礼ですが…彼、真面目ではありますが他の人と組むことってできるのか少し心配なんですけど…」
来木田岳徒。
性格は真面目で決して人に冷たかったり侮辱しているわけではないのだが、彼自身のレベルが高く、また『九頭竜川』傘下の家系ということもあって周囲の生徒が遠巻きに見がちだともっぱらの噂だ。
蔵坂はカキツバタとして、『本当』の仕事として、この学園の生徒のことはかなり詳しい。その噂が9割方真実だということも知っている。
このテストは1人で乗り越えてもあまり評価は得られない。つい心配になってしまう。
「心配はいらないと思いますよ。来木田も協調性がないわけではありませんから。運が良いと言うべきか、来木田のペアも塾でそれなりの成績を記録していたので実力的にも申し分ないですしね。…間違いなく、優勝候補ですよ」
抑揚のない声だが、表情から少しだけ楽しさを感じる。宗形は基本冷静であるが勝負となると体育会系としての血が騒ぐのだ。
蔵坂が苦笑する。
「優勝って…別にこれは武闘祭ではありませんよ?」
「おっと、そうでした。すみません。……しかし、別の意味で心配ではありますね。武者小路家…学園長や学年主任の猪本先生と来木田の属する九頭竜川家が犬猿の仲なのは周知の事実です。もちろん学園長達が嫌がらせをするなどとは考えませんが、来木田の方から何か挑発的なことをしないか不安ですね…」
宗形が若干目を伏せる。
「学園長は武者小路家前頭首であって、今の学園長にちょっかい出しても焼け石に水だと思いますけどね」(まあ、そんな単純な話ではないでしょうけど)「…彼の担任としてはどうですか?」
宗形は彼女にしては自信無さげに息を吐いた。
「こんなこと言うのは担任としてどうかと思うのですが…よく分かりません。来木田は優秀過ぎて逆に何を考えているのか分からないんです。彼なりの目的があって敵地とも言えるこの学園に入学したのは何となく分かりますけど…」
「まだ2ヵ月です。そんなものですよ」
「ありがとうございます。蔵坂先生はC組の生徒と上手くやれてるようで羨ましいです」
「1人退学させてしまいましたけどね」
稲葉友梨は生徒達の間では停学ということになっているが、教師陣には『妖具』などのことも含め、全ての事実を通達している。
「蔵坂先生が気にすることではありませんよ」
「ありがとうございます」
宗形が気を取り直して、デスクの書類に集中する。
「少し話し過ぎましたね。仕事に集中しましょう」
「そうですね」
蔵坂は仕事を進めながら、思考した。
(来木田岳徒くんの目的…か。第六隊の報告書で九頭竜川が執拗に四月朔日へ婚約の申し込みをしてるらしいから……目的って言うなら四月朔日紫音さんの監視でしょうね。『聖』としては関係ないから無視でもいいんだけど、教師としては無視はできない。でもただの担任の先生が首を突っ込むのもおかしい。…難しいラインねー)
そもそも紫音に固執する理由もよく分からない。『あの』九頭竜川だ。何か理由がある気がする。
(ちょっと、探る必要あるかしら?)
◆ ◆ ◆
同時刻。学生寮305号室。
今日は休日だが、中間テスト前の大事な練習日だ。誰もがペアとの連携度を上げる為に練習する。
湊や勇士も例外ではない。
「おーい、早くしろー。勇士準備おせえぞ。お前が一緒に行こうって言うから待ってやってんのに」
練習着とジャージに着替えた相変わらず女っぽい湊が勇士を急かす。首にも相変わらず青と白のヘッドホン。湊にヘッドホンはどんな格好でも似合っている。
「悪い。今終わった」
勇士も半袖の練習着に着替えて刀ケースを肩に掛けて準備を整える。
廊下に出て鍵を閉める。
歩いていると、勇士が尋ねてきた。
「…湊、お前青狩くんとはちゃんとうまくやれてんのか?」
「大丈夫大丈夫。ノープロブレム」
ふざけた返答に溜息をつくを勇士。
「…そればっかりだな」
ちらっと横目で見ると、湊は楽しそうな笑みを浮かべている。明るさの中に少し悪戯っぽさが混じった笑みだ。
(……速水はこういう笑顔が好き……なのか?)
※ ※ ※
琉花と紫音は逸早く学生寮を出て勇士達のいる学生寮へ向かっていた。
見えるところにあるグラウンドを見ながら琉花が呟く。
「もう練習してる人いるわね。テスト前に体力使い過ぎるのもよくないのに」
「それだけ皆さん必死なんですよ」
「体調管理も必死にやりなさいよ」
2人は訓練などに関してはベテランと言える。まだ経験の浅い他の生徒を見ているとつい言葉が漏れてしまうのだ。
「まあ、連携を鍛えるだけなら通常の訓練より体力使わないから、悪いことではないけど」
「ふふ、そうですね。……琉花さんも、四門さんと上手くやれているようで良かったです」
言うと、琉花は朝っぱらからくたびれたように息をつく。
「最初は大変だったけどね。…でもまあ、四門は防御専門で私は遠距離主体だからね。なんだかんだ戦闘スタイルの相性は良かったみたい。ほんと運に助けられたわ」
「あはは…」
昨日散々どれだけ大変だったか愚痴られた紫音が渇いた笑いを上げる。
「それよりも心配は漣よ。ペアがあの青狩って……殺されたりしてないでしょうね?」
物騒なことを言う琉花に紫音が委縮する。
「あ、青狩くんもそこまで酷い人ではありませんよ…」
「そうよね。ただ戦功を上げてる私達に嫉妬してるだけだもんね~」
紫音が顔を引き攣らせたまま渇き笑いを浮かべる。中学時代の総駕《そうが》を知ってる紫音からすると複雑な気持ちになる。
その後もテストに関することや、時折どうでもいい世間話を交えて会話しながら学生寮へと着いた。
そして、驚愕した。
学生寮へと続く道中には幾つかの外灯がある。凝った造りのその外灯に背を預けて腕を組む人物がいる。
「青狩…総駕?」
顔に嫌悪感を丸出しにして琉花が呟く。
学生寮の扉から出ていく練習着姿の生徒達は青狩の姿を目視すると一様に驚きながら歩き過ぎていく。
紫音が首を傾げて、
「漣くんを…待ってるのでしょうか?」
「あいつがそんなお利巧なわけないでしょッ」
言うや否や、琉花が睨み付けながら青狩に元へ競歩で向かう。紫音が「ちょっとっ…」と慌てて追いかける。
※ ※ ※
総駕は湊を待っていた。
昨日は結局訓練などせず食事と雑談に時間を費やし、去り際に「それじゃ明日朝7時半くらいに俺の学生寮まで来てね。拒否権とかないから」と問答無用で命令という名の約束を取り付けられ、ここに至る。
周囲の生徒の目が気になるが、その程度で動じる精神はしていない。
(早く来いよ…)
などと思っていると。
「青狩!」
別のが来た。
見なくても分かる。紅井勇士の取り巻き女子。風宮琉花だ。
周囲の生徒の視線が集中するのを感じながら、青狩はそちらに目をやる。案の定、不快な形相の琉花と…、困惑した様子の紫音がいた。紫音がいることについても予想できたので動じはしない。2人はよく一緒にいる。
「……なんだ?」
「それはこっちの台詞っ。なんであんたがここにいるのよッ?」
「…漣湊を待ってるだけだが?」
……確かに総駕は湊のペアだが、どうも信じられない。
琉花の表情から怪訝さは消えない。
「どうだか。実は勇士に宣戦布告でもしにきたんじゃないの?」
総駕はあくまで冷静に思った。
(……昨日までの俺は、その名を出されただけで頭に血が上ってたんだよな)
総駕と勇士達の仲の悪さは噂だけの所為ではない。
噂を払拭しようと勇士が総駕に友好の意を込めて話し掛けてきたが、総駕はその手を払い、肩を突き飛ばしてしまった。勇士という誰もが一目置く男、そして当然のように紫音と一緒にいることが頭に来たのだ。
それ以降、すれ違うだけで睨み付けるようになってしまい、その度琉花と軽く口論になり、噂が悪化してしまったのだ。
総駕は至って冷静に、琉花に告げた。
「これまでの俺の悪態については謝る。だからもう俺のことは気にするな」
軽く、総駕が頭を下げた。
その光景は辺りに波紋を広げる。ギャラリーがざわめく中、最も驚いたのは当然琉花と紫音だ。
今まで何かと口論になってきた気に入らない相手が急に謝罪してきた。戸惑わない方がおかしい。
(な、なにっ? コイツに何が……)
そう思って、1人の人物が思い浮かんだ………その時。
「なにやってるんだよ、琉花」
飛び跳ねるようにその声の方を向く。
若干眉間に皺を寄せた勇士がギャラリー達を割って近付いてきていた。後ろには薄く笑う湊と口元を押さえる愛衣を同伴して。
勇士が改めて状況を把握し、琉花に視線をぶつける。
「琉花、あまり騒ぎ立てるなっていつも言ってるだろ」
「でも…こいつが…」
琉花の横目に流されるように勇士の視線が動く。総駕がいることにはもちろん気付いていた。
総駕が自分のことを嫌いなのは知っている。勇士は総駕が嫌いではないが、あそこまで敵視されると苦手意識は持ってしまう。
勇士は総駕と湊を交互に見ながら、
「えっと…湊と…待ち合わせ…してたんだよね?」
総駕が頷く。
「ああ。……でもいい機会だから言っておきたいことがある」
琉花がやっぱり、と喚こうとしたが、それよりも早く、総駕が動いた。
「これまでの失礼な態度を取ったこと、一応謝る。すまなかった」
また頭を下げる総駕に、飽きることなく驚く一同。
初見の勇士は尋常ではないほどに驚き、湊と愛衣も感心の驚きに駆られている。
「俺の身勝手でそっちを不快にさせたからな。そのことについては謝る」
言葉を失う勇士に代わって琉花が前へ出る。
「いきなり何なのッ? 気持ち悪い。目的は何?」
「別にこれを機に仲良くしてくれなんて言わない。ただ俺が反省しているということだけ伝えたかっただけだ」
「ッッ」
それでも納得できるはずがなく、かと言って誠意も感じられるため琉花が言葉に詰まる。今更なんだと言うのだ。
そんな琉花の肩に、勇士がそっと手を置いた。
「…もういいじゃないか、琉花」
「勇士…」
優しく微笑み、勇士は曇りなき眼を総駕へ向ける。
「嬉しいよ、そう言ってくれて。俺達も不快にさせてすまなかった。目立っていた分、ちゃんと身の振り方を考えるべきだったよ」
勇士も頭を下げる。この辺はしっかり芯を通すのは勇士の美徳だろう。そして頭を上げ、友好の意を込めて笑いかけた。
「せっかく湊とペアなんだし、よければ一緒に練習なんてどうかな?」
先程総駕は仲良くしなくていいと言ったが、勇士はぜひ仲良くなりたいと思っている。これをチャンスと捉え、勇士が踏み込む……が、
「悪い、それは無理だ」
「えっ、あの……」
湊に確認も取らずに総駕が即拒否する。
「それは……一緒に練習できないって……?」
勇士の僅かな希望を、総駕が崩す。
「はっきり言うが、俺はお前が嫌いだ。それに変わりはない」
勇士が、琉花が、紫音が、ギャラリーがポカンとする。湊と愛衣だけは苦笑していた。
「……でも…今…謝って…」
「それは態度が悪かったことだけ。もうお前が嫌いという気持ちを態度に出したりしないから安心しろ」
身も蓋も無く総駕が返す。
琉花が前髪をくしゃっと握りながら。
「あんたね……なんでそうやって私達のこと……」
態度が変わってもムカつく総駕に文句を言ってやろうとする琉花の横を、一つの人影が通り過ぎた。
「湊…」
呆然としいた勇士がその人影が誰なのか確認して呟く。そう、湊だ。
そこで湊が総駕のペアだったことを改めて思い、その動向に勇士達もギャラリーとなって注視している……と。
「言い過ぎだバカ」
ジュクシッ、と、総駕の両目に目潰しを喰らわせた。
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
両目を押さえて蹲る総駕。
ギャラリーは唖然としながら中には「もう驚くのも疲れた…」という声も上がっている。
痛みに悶える総駕を無視して湊が勇士に片手を立てる。
「悪いな、勇士。まあ好き嫌いは簡単に変わらないってことで、大目に見てやってくれ」
「えっと…その…」
理解が追い付かず瞬きを繰り返していると、目潰しされた総駕がばさっと起き上がる。勇士達は即座に「やばい」と思った。ぶん殴られると。
だがそれは杞憂だった。
「てめ湊! 何しやがる!?」
怒鳴ってはいるが、殴ってもいないし胸倉を掴んでもいない。
それに「湊」と呼び捨てにしている。
「だってせっかくいい雰囲気だったのに台無しにするんだもん」
「そんなの知ったことか! 俺には関係ねえ!」
「はああ?」
湊の眼が据わり、がしっと総駕の額を掴む。周囲が驚く中。
「関係ない? 俺のペアでありながら関係ない? それはどうなのかなー? 俺への迷惑とか考えないのかなー? ねー? 考えられなーい?」
「痛…ちょ、爪……痛たたっ。悪かった。悪かったって!」
その光景は…異常を越えて有り得ないものだった。
勇士一行を敵視していた総駕が、勇士のルームメイトで頭は良いが力は並みレベルの湊にどう見ても組み敷かれている。というか……親しさを強く感じる。
悪戯染みた笑みで勇士や琉花をよくからかっているが、それが総駕にまで及んでいる。敵アジトで生き残ったという話もあり、未知数な人物ではあったので、ここまで形容し難い力を見せられると、恐ろしさを感じる。
勇士達からすれば驚愕と納得が同時に襲ってくる感じだ。愛衣だけは平然と微笑んでいる。勇士が驚きつつ、ちらっと愛衣の表情を認識して。
(……愛衣は、湊のこういうところが好きなのか…?)
湊が総駕から手を放し、勇士達を見やる。勇士の表情から何を考えているかを察し、心の中で溜息をつくがすぐに切り替えた。
「勇士、風宮。こんな感じでなんだかんだ面白い奴だからそう睨まないでくれ。じゃ、俺達はこれで。……ギャラリーの皆さんもっ、朝からお騒がせしました!」
総駕の頭を掴み、自身の頭と共に勢いよく下げる。総駕は成すがまま。固まる生徒達を放ってその場から去ろうとする。
「え、お、おい…」
勇士の言葉にも聞く耳持たず。
湊が「速く進め」と総駕の足を蹴る。「いたっ、蹴るな!」「悪い、カス」「カス!?」「間違えた。総駕」「どう間違えれるんだ!?」などと会話を弾ませながら、視界から消えていく。
他の生徒達は、混乱する頭で立ち竦していた。
◆ ◆ ◆
湊と総駕は、敷地内であまり人が通らない道を歩いていた。両脇が林ぐらいに生い茂った草木で囲まれた道だ。
湊は感心したように総駕へ。
「まさか勇士に頭下げるとはね。…本当に嫌いなの?」
「嫌いだよっ。気に食わない奴」
「まあ、好きな人の好きな人だもんね」
総駕の視線が下がり、哀愁を漂わせる。
「でも……今はそれほど酷くもないかもな」
湊が微笑む。
「と言うと?」
「……なあ、紅井は良い奴か?」
質問に質問で返されたが、湊は嫌な気分にもならず答えた。
「うん。鈍感でバカで……」勇士の『聖』への恨みを思い浮かべながら「目の前が見えなくなることがあるけど、根本的には良い奴だよ。俺は気に入ってる」
「…そっか。それならいい」
「何がだよ」
と言いつつ湊は理解しているが。
「俺は紅井のことよく知らねえからムカつくし気に食わねえけど……お前が認めてるなら、それでいいよ」
つまるところ、前の中学から好きだった女子がぽっと出のイケメンに横取りされたのだ。やつれても仕方ない。相手のことをよく知らない内は嫉妬や逆恨みが積もるばかりだっただろう。
それが湊と知り合えて少しは軽減できたというところか。
「はは、わたぬきのこと諦める?」
「……どうだろうな。今日会ってみて、考え方が変わったっていうか、自分でもよく分かんねえ」
湊が苦笑する。
(これ以上は野暮かな)
「自分の心と向き合うのもいいけど、そろそろテストに集中してね」
「おう」
「取り敢えず30個ほど策覚えてもらうから」
「……へ?」
テストまで、残り2日。
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