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二章

2-12 統合

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 記憶喪失から一ヶ月経った。
 普段の生活は、家計簿とレシピ帳を見たらだいたい分かった。
 家の中も、俺が考えて使いやすいようにしてあったから、ここにあったら使いやすいと思うものが、ちゃんとそこにしまってある。
 家族のアルバムもこまめに整理されていて、子供達の成長や毎年の家族旅行が大事に記録されていた。


 今困っているのは、祐志との関係だ。
 祐志はたまに気が抜けるみたいでスキンシップを取ってくるけれど、明らかに記憶のない俺に遠慮している。
 でも寝ている間に抱きしめられていることも多く、そういう時に体が反応してしまう。

 祐志は真っ直ぐに俺に愛を囁いてくる。
 俺のことを綺麗だとか可愛いとか、言葉を惜しまない。
 好きな人間にそんなに言われて平静でいられるはずがない。
 でも、記憶のない俺はどうしたら良いかわからない……。
 記憶もないのに祐志を好きだと言うのは、無くした記憶の中の俺を裏切っている気がしてしまう。


 子供達は中学の二泊三日のキャンプに行ってしまった。
 それに合わせたかのように祐志は休みを取った。

「健吾、デートしないか?」
「あ、うん……」

 相変わらずキラキラ効果を背負いながら、祐志が俺に嬉しそうに提案してきた。
 断れるはずがない。



 祐志が車を出して、海へ行った。
 人気のない小さな砂浜と岩場のある穴場っぽい場所で、祐志が小さなスコップとバケツを出した。夢中で小さな蟹や貝を採った。
 祐志が蟹に足の後ろ側を挟まれて、「健吾助けて!」と叫んで、慌てて助けた後に大笑いした。

 潮風でベタベタになってしまったので、どうしようかと思っていたら、祐志が近くの旅館を予約していたと悪戯っぽく告白した。
 車で十五分ぐらいの所にあった旅館にチェックインして、まずは温泉に入った。

 潮の不快感で忘れていたけれど、祐志と二人で風呂に入るのは初めてだ。
 気付いてしまうと恥ずかしくて堪らなくなる。
 三十すぎのおじさんが恥じらってどうするんだと思うけど、十五年分がなくなってしまったのだから許してほしい。

「健吾? ……恥ずかしい?」
「えっ、そ、そんなことないよ! べつに男同士だし」
「そう? ふーん」

 上機嫌な様子の祐志を直視できない。 
 見られないでいるうちに、いつの間にか祐志がすぐ隣に来ていた。
 何気なく下ろした手が、祐志の股間にヒットする。

「あっ、ごめんっ」
「健吾……」

 祐志が何か言おうとするのから逃げ出して、急いで脱衣所に行った。
 タオルが見つからなくて困っていると、祐志がタオルを差し出してくれた。

「健吾、大丈夫だよ。襲ったりしないから」
「あ、うん……ごめん」

 言えない。
 襲って欲しくなってしまったなんて。
 そういえば俺、発情期はどうなっているんだろう。
 荷物に抑制剤はなかった。祐志と番だから抑制剤を持っていないのかな。

 浴衣を着て、部屋に戻って夕飯を食べても、体がざわついて落ち着かなかった。

「美味しかったね。俺は健吾とちゃんとしたお付き合いをしなくて結婚したから、こういうの嬉しいよ。今日は付き合ってくれてありがとう」
「そう?俺も楽しかった。……ちょっと祐志に聞きたいことがあって」
「何?」
「俺、前の発情期ってどれぐらいの時期、だったのかな。なんかちょっと体が落ち着かなくて……」

 恥ずかしいけど、大事なことだ。
 抑制剤がどこにあるのかも聞いておきたいし。

「健吾、発情期……?」
「あ、なんか、よくわからないけど、ちょっとおかしくて」
「そう……そろそろかもね。ずっと抑制剤は使ってなかったから、今はないんだ」
「えっ。ど、どうしたら」

 慌てる俺を安心させるように祐志が笑う。

「俺たちはつがいだよ。……発情期なら仕方ない。健吾、俺がいるから、大丈夫」
「でも、俺、覚えてないし」
「健吾、記憶がなくても健吾は健吾だ。愛してる」

 もう駄目だった。
 祐志が欲しくて堪らない。
 これが発情期ヒートなのか。

 祐志が俺の上に覆い被さってきて、ふっと笑った。

「え?」
「ごめん、健吾。健吾は発情ヒートは来ないよ」
「え、でも……」

 じゃあ俺はどうして、こんなに祐志が欲しいんだ?

「健吾は子供達の出産の時に子宮を失った。そのせいで発情期ヒートも来なくなった。だから、今は俺を求めてくれているだけ、かな?」
「っ!?」

 恥ずかしくて死にそうだ。
 オメガ特有の発情ではなくて、ただ祐志が好きだというだけだなんて。

「健吾、ありがとう。……俺は健吾の初めての発情期の時、酷いことをしたんだ。そのせいで、健吾の心は壊れてしまった。でも、無理やり番にしてしまったから、健吾は俺から逃げられない」

 発情期?無理矢理?
 何か違う。
 俺は祐志が欲しい。
 祐志しか、欲しくない。




「ーーっぁ……」

 思い出した。
 祐志は婚約していた。
 だから俺は悲しくて、それで。
 あれが祐志だった?
 そのせいで祐志が俺のものになった?

「ち、違う、祐志。俺は祐志が婚約してるって聞いて、悲しくて、どうなってもいいって、それで、わざと」
「俺は健吾としか婚約してない。でも、健吾は婚約してるなんて知らなかった。まさか、そんな」

 祐志が俺の両手を掴んで、布団に押し付ける。
 逃げだしたいのに逃げられない。

「俺が祐志の人生めちゃくちゃに」
「なってない!俺は健吾しか欲しくない!」
「違う、違う。そんなはず」

 思い出したのはひたすら悲しかったことだ。
 壊したかったのに壊れなかった自分。
 己に宿った愛しいはずの存在を危険な目に遭わせて、それでも自分を呪う気持ちを捨てられなくて。

 普通のオメガなら抑制剤と一緒にアフターピルだって持っている。俺は自分が完璧に発情期を抑えるからと持っていなかった。
 あの後だって、自分を哀れむばかりで、妊娠の可能性すら考えてなくて、分かってからも目を逸らし続けてどうにもならなくなった。
 当たり前の知識を持とうとしなかったから、祐志も子供達も、酷い目に遭わせて。

「健吾、健吾、落ち着いて」
「だって全部俺のせいで」

 混乱して暴れる俺を祐志が押さえつけるように抱き締める。祐志の匂い。得られないと思っていたもの。
 こんな時なのに嬉しくて、悲しい。

「健吾、子供達は健康過ぎるぐらい健康だ。俺も、市内に立派な家を建てた。全部健吾と結婚したおかげだよ」
「そんな、知らない……」
「知らないはずがない。全部健吾だ。……健吾は忘れっぽすぎるよ。何回忘れたと思う?」
「し、知らない……」
「これで三回目だ。でも何回忘れても良い。俺がいる。俺が健吾を守る。守らせて。愛してる」

 祐志の温もりが、波立つ心を鎮めていく。
 俺の罪が消える訳じゃない。子供達にも、兄夫夫ふうふにも多大な迷惑をかけた。

「健吾に罪があるというなら、俺にも罪がある。俺が健吾を番にした。健吾は俺の半身だよ。健吾一人が悪いなんてことは一つもない。健吾、昔を思い出したなら、最近のことも思い出して。時間がかかっても良い。俺は健吾のおかげで毎日幸せなんだ」

 いつの間にかボロボロとみっともなく出ていた涙を祐志が拭う。

「健吾は泣いていても綺麗だね」

 気障な台詞。いつもの祐志……。

「うぇ……、ごめん、祐志、祐志、好きだよ。好き」

 止められなくて、泣きながら祐志に縋り付いた。
 頭の中を、色んな場面がぐるぐると巡る。

 学食でキラキラしてた祐志。暗くて埃っぽい倉庫。ボロボロの体に刻まれた噛み跡。ひたすら読み続けた物語。自分のものではないと思い込んでいた双子の赤ちゃん。目覚めて結婚していたと聞いて、戸惑いつつも幸せを感じていった自分……。

 祐志の腕の中で、分かれていた自分がゆっくりと一つになっていった。
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