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二章
2-8 回顧 祐志
しおりを挟む健吾の様子がおかしくなった。
記憶が混乱しているのかもしれない。いつか来るかもとは思っていたけれど、不安が募る。
堪らず、義兄である和久に相談した。
『それで、何かおかしな行動は取っているのか?』
「いえ、家事や子供達のことは完璧ですが、やけに眠いと言ってよく寝てます」
『それだけなら放っておけ』
「でも……」
『余計なことはしない方がいい。前の時も、普段と違うことがあった後におかしくなった』
「俺と会ったあとだったから……」
『理由は一つじゃないだろう。健吾がああなったのは家族である俺や父のせいでもある。祐志も一人で抱え込むなよ』
「……ありがとうございます」
電話で和久に相談して、どうにもできないもどかしさが募る。
心の問題だから、本人が自覚していないのにカウンセリングなんて受けさせて、傷を抉るような真似はしたくない。
仕事の合間にぽかりと空いた時間。来客予定が先方のトラブルでかなり遅れている。やることはあるけれど、健吾の様子を気にし過ぎて疲れが溜まっていたので休憩時間にしてしまった。
時間が中途半端なおかげで、ひと気のない休憩コーナーで窓の外を眺めながら眠る健吾の横顔を思い出す。
俺は健吾が階段から落ちて意識を失った時、初めて様々な事実を知らされた。健吾の家のこと。体のこと。子供たちのこと。あの時も和久は俺だけの責任ではないと言ってくれた。そう言って貰えても、大半の責任が俺にあるのは十分分かっている。
「はぁ、思った以上にきついな……」
誰もいないと思ってぼやいたら、声をかけられた。
「どうされたんですか?」
柱の陰からひょい、と顔をのぞかせたのは最近部下になった元同僚だ。
彼はベータだけれど驚くほど優秀だ。俺と出世争いをしたが、昇進に関しては七光りが最後の決め手となり俺が先に課長になった。もしかして会社を去ってしまうかと心配していたが、俺の部下として文句も言わずにいてくれる。歳は俺より五つ上だ。
「いえ、プライベートのことです。失礼」
「今は休憩時間なんだから、雑談の範囲内ですよ」
人好きのする笑顔に、こういうところが本物だと思う。仕事についてだけではなく、他の事にも気が回って、結果的に全てを円滑に進める力がある。俺の能力が彼に劣っている訳ではないけれど、種類が違う。
今のところ彼は最も信頼できる部下だ。疲れていたから、ついぼかして愚痴ってしまった。
「簡単に言うと、夫の調子が悪くて心配なんです」
「先日見学されてかれた方ですね」
「雑談なので、敬語は不要ですよ。歳は私の方が下です」
「宮園課長は王子ですからね」
「それ、やめてください……」
「ははっ。でもこの間の見学後は秘書の方が荒れてて楽しかったですよ」
「荒れてたんですか?」
溜飲が下がったから存在すら忘れていた。そういえば奴のために健吾を見せびらかしたいなんて馬鹿なことを考えてしまった。その結果が健吾の今の状態かと思うと、下らない欲を抱いた自分を殴り飛ばしたい。
「課長はお見合いで結婚しただけで、本当の番だと思ってなかったそうです」
「……何だそれ」
「だからあんな噂流せたんですよ。自分にチャンスがあると信じてたんです」
「ありえない」
「ですよね。見た感じ、課長の方がベタ惚れですよね」
「そうだよ。かなり強引に番にした。だから家庭について他人にあれこれ言われたくない」
「強引に、ですか」
強引というか強姦だけど、さすがに言えない。察しが良い人間ならアルファが強引にオメガを、と言った時点で察するかもしれないが。
「見合い話はあったけど、その話の前から好きだったんだよ」
「好きな相手との見合い話ですか。運命みたいですね」
やけに嬉しそうだ。ベータでも運命の番とか好きなんだろうか。アルファやオメガだけがそういうのを好きなのかと思っていた。
「相手は見合い話そのものを知らされてなかったけどな」
「でも納得されて結婚されたんでしょう?」
「……わからない」
違う。健吾は決して納得などしていなかった。知らなかったのだから納得も何もない。でも番にしてしまった。首の噛み跡はオメガにとっては永遠の烙印だ。
「私の見た感じでは両思いに見えましたよ」
「そりゃ努力したし……」
辛い記憶がない健吾は、真っ直ぐに俺に好意を示してくれる。記憶が戻ったらどうなってしまうのか、心配なんだ。
「お二人とも今が幸せなら良いじゃないですか」
「でも……」
「相手が気にしていないことを引きずって、今を楽しめなくなるのは勿体無いですよ」
「気にしてないかどうかが分からないだろう」
「言われなきゃ気にしてないって事で良いんです。他人の心を読める訳でなし、裏ばっかり気にしてたら何もできませんよ」
健吾を知らないから、そんなことが言えるんだ。
父親の方針のために、黙って耐えるのが習い性になってしまった健吾。耐え過ぎて自分すら失ってしまった。健吾の遺書を俺も見せられた。
あの絶望感は、言葉にできない。
「そんな乱暴な」
「王子は奥様に関しては決断力がどこかに行ってしまうんですね。先日の見学までは、物凄い超人だと思われていたんですよ」
「超人?」
「鳴り物入りで入社したにも関わらず、ひたすらストイックに仕事に打ち込んで、最速で出世し続けてたら、ねえ」
「七光りで出世が早いだけだ」
「七光りもあるかもしれませんが、人間やめて何かと戦ってるみたいでしたよ」
「俺は人間だ」
「そうですね。奥様といると、嫉妬深くて奥様命の普通のアルファの旦那様でしたね」
「……」
「あれから王子様人気は鰻登りですよ。できる男にあんな風に愛されたい! と悶える社員が続出です」
何だこいつ。何でこんなに色々言ってくるんだ? 俺も、いつの間にか素の口調で話してしまっているし。
不意に空気が変わって、俺を真っ直ぐ見つめて話してきた。
「私は仕事も好きだし、やるからには出世もしたいと思ってます。それは私の人生を豊かにさせるものですから。課長は人生に何を求めますか?」
「俺は、健吾が笑ってくれれば、他には何もいらない」
健吾が宮園を継ぐ俺を応援してくれるから、俺は宮園のために頑張る。でも健吾が宮園なんていらないから側にいてと言ったら、簡単に捨てると思う。
そんな本音がポロっと溢れてしまった。彼が目を丸くしている。
「いや、アルファとオメガの番の話は分かっているつもりでしたが、そこまでとは。王子の番が彼で良かったです。仕事に打ち込んでいのも彼のためですか?」
「まあ、そうだ。何でそんなに色々言うんだ?」
「売り込みです。私は王子の役に立ちます。野心があるんですよ。貴方の片腕になりたい」
予想外だった。秘書を持つのはもっと上の役職からだ。でも、そうだ、俺はこの会社の跡継ぎ。今までは能力をはかられていたということか。
片腕ね。
「アルファとオメガの番の関係についても考慮して、サポートしますよ」
アルファにもオメガにも属さない人間も必要です、と言われた。確かに世の中の多数を占めるベータの感覚を知ることは大切だ。
健吾の事で悩んでいたはずが、別の話になってしまった。けれども、身内でもない全く第三者の言葉は初めてで、少しだけ心が軽くなった。
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