【R18】姫初めからのはじめかた

福永涼弥

文字の大きさ
上 下
47 / 67
第五章 はじまりの終わり

大丈夫

しおりを挟む
 ドレスよし。バッグとアクセと予備のストッキングよし。ご祝儀よし。トランペットとマウスピース……よし。
 十月の三連休初日の土曜、夜八時。お風呂に入る前に明日の結婚式に向けて持ち物の最終確認をしているとスマホが鳴った。
 ……爽太から電話?

「もしもし」
『美波、今ちょっと時間ある?』
「大丈夫だよ。どうしたの?」
『なんとなく、声聞きたくなって』

 左耳に流れ込んでくる声には疲れが滲んでいる。月曜に起きた生産ラインのトラブル対応で、爽太は昨日まで五日連続残業だったはずだ。今日一日休んだくらいじゃ回復しなかったのだろう。
 そんな時に私の声を聞きたいと思ってくれるのが、なんだか嬉しい。

『今何してた?』
「明日の準備。あとはお風呂入って寝るだけ。爽太は?」

 何気ない問いかけに爽太が口ごもる。
 ――私に言えないこと、してた?
 そう口に出しそうになるのをすんでのところで飲み込んで、私は爽太の返事を待つ。言えないことしてたのならこうして電話をかけてくるはずがない。大丈夫、大丈夫。

『……あのさ、美波』
「ん?」
『今、美波の家の近くにいるんだけど。ちょっとだけドライブしない?』

 思いがけない誘いに私は目を瞬かせる。電話の向こうからは車のドアが閉まる音やエンジン音が小さく聞こえてきて、爽太がどこかの駐車場からかけてきているらしいことがわかった。

「いいよ。爽太、どこにいるの?」
『中学校の近くのドラッグストア。今から迎えに行くから出る準備して待ってて』
「わかった。気をつけてね」
『ありがとう』

 短い言葉と共に通話が切れる。この時間は道が空いてるから、中学校からうちまでは五分もかからない。
 何が起きているのかよくわからないまま私はスマホを握りしめて部屋を出た。早足で階段を降り、リビングのドアを開けて母に呼びかける。

「お母さん、ちょっと出かけてくるね」
「そんな恰好でどこ行くの?」
 
 テレビを見ていた母が不思議そうな顔をした。今日は何も予定を入れていなかったから、朝からルームウェアで過ごしている。

「爽太とドライブ。もう着くって連絡あったからこのまま行く」
「こんな時間に呼びつけておいて着替えすらしてないなんて……まったくもう。あんまり菅原くんを振り回しちゃダメでしょ」

 母の中では私が爽太を呼び出したことになっているらしい。訂正するのも面倒で、私は「行ってきます」とだけ告げてドアを閉めた。
 サンダルを履いたところでインターホンが鳴る。玄関ドアを開けた先にいるのはもちろん。

「爽太」

 リビングのドアが開く音に続き、パタパタとスリッパを鳴らしながら母がやって来る。

「菅原くん、こんばんは」
「夜分遅くに失礼します。明日のことで美波さんに相談があって」
「本当に、いつも娘がワガママ言ってごめんなさいね。上がっていく?」

 爽太が爽やかな笑顔を浮かべ、首を振る。

「僕が急に声かけたのにお邪魔するのはさすがに申し訳ありませんから。遅くならないうちに送りますね」

 爽太に促され、家の前に停まっている青い車に乗り込む。お正月と同じショートパンツのルームウェアを着た私を見て爽太が一緒何かを考えるような顔をした。

「脚、冷えちゃうな」

 そう言いながら爽太は羽織っていたカーディガンを脱ぎ、私の膝の上に掛けてくれる。家の中にいる時は感じなかったけれど十月の夜の空気はほんの少し冷たい。きっとすぐ本格的な秋になって、冬を迎えて、また新しい年が――爽太との『初めて』をしたあの日がやって来る。
 ライトが消え、暗くなった車の中で爽太が申し訳なさそうな顔で私を見た。

「急にごめん」
「大丈夫。……爽太、何かあった?」
「後でゆっくり話す。とりあえず、ちょっと場所変えさせて」

 確かに、ここで話していたらご近所さんに何を言われるかわからない。
 カチ、とシートベルトを締め直す音に続いてエンジンが唸り、車が動き出す。近所の大きな公園の駐車場に着いたところで爽太がようやく口を開いた。

「いよいよ明日だって思ったら、急に美波の顔が見たくなって。気がついたら車に乗ってた」

 どういうこと、と口から出そうになった言葉を押しとどめて私は爽太を見つめる。窓から射し込む外灯に照らされた爽太の横顔があまりにも真剣で、いつものように軽く受け取ってはいけない気がした。

「明日早いのに迷惑だろ、って途中でちょっと冷静になって、運転しながらギリギリまで悩んで、とりあえず声聞くだけにしておこうと思って車停めて電話したんだけど。……声聞いたら、さ」

 爽太が思いつきで動くのも、こんな風に自分のことを話すのも珍しい。いつもと様子が違う理由は、きっと。

「緊張してきた?」
「そうかも」

 困ったように笑う爽太の表情に胸がせつなくなってきた。いつも軽やかで爽やかな『さすスガ』が今、私の前で素の姿を見せてくれている。
 そんな爽太に、私がしてあげられることはひとつしかない。

「爽太」

 私は手を伸ばし、爽太の頬を両手で包み込んでこっちを向かせた。大事なことは、ちゃんと目を見て言わないと。

「緊張するよね。でも、爽太なら絶対大丈夫」

 爽太に笑いかけ、今度は膝の上に置かれていた両手を自分の手のひらで包み込む。

「最近の爽太、現役の頃よりもいい音鳴らせるようになってる。あれだけ練習したんだから自信持って」

 五重奏の再結成が決まった時、爽太は皆の前で『絶対演れるようにするから任せといて』と宣言した。そのためにどれだけ努力をしたのか私はちゃんと知ってるし、結果はこの手と、音にきちんと表れている。
 爽太がゆっくりまばたきをして、目を伏せた。

「心配させてごめん」
「あのさ」

 私は爽太のおでこに指を当て、顔を上げさせる。

「彼氏の心配するのは当たり前だよ」

 元旦に言われたことをそのまま返すと爽太が目を丸くした。そんなに驚かなくてもいいのに。

「それに、こうやって頼ってもらえたの初めてだからなんかちょっと嬉しい。でも」

 おでこに当てたままの人差し指にほんの少し力を入れ、ぐりぐりっと押す。心配だからこそこれだけは言っておきたい。

「疲れてるのに運転はダメ。そういう時に会いたくなったら遠慮なく呼んで。すぐ行くから」

 爽太が今まで私にしてくれたことに見合うとは思えないけれど、それでも、自分にできることをしてあげたいと思うのも当たり前だ。
 相変わらず困ったような顔をしたままの爽太が口を開く。

「呼び出しておいて寝落ちしてるかも」
「そうなったら私も隣で寝るよ。……そのための合鍵でしょ?」

 どこかに出かけたり、防音室に篭って練習したり、キッチンで並んで料理をしたりベットの上で抱き合ったり。この半年間私達はそうして過ごしてきたけれど、たまには何もせずに一緒にいるのも悪くないと思う。
 爽太の口元が、ようやく綻んだ。

「確かに。……ありがと、美波」
「どういたしまして」

 私は爽太のおでこに当てていた指を離し、頭をそっと撫でる。爽太も同じように髪に触れてきた、と思ったらそのまま頭を引き寄せられ、おでこに優しくキスをされる。
 『初めて』の後や元旦にされたのと同じ、そういう気配を感じさせないキス。あったかくて柔らかい、爽太が私を好きでいてくれる証。
 ……このキスをしてもらえるうちは、きっと、まだ大丈夫。
しおりを挟む
感想 18

あなたにおすすめの小説

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

元彼にハメ婚させられちゃいました

鳴宮鶉子
恋愛
元彼にハメ婚させられちゃいました

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

ヤンデレエリートの執愛婚で懐妊させられます

沖田弥子
恋愛
職場の後輩に恋人を略奪された澪。終業後に堪えきれず泣いていたところを、営業部のエリート社員、天王寺明夜に見つかってしまう。彼に優しく慰められながら居酒屋で事の顛末を話していたが、なぜか明夜と一夜を過ごすことに――!? 明夜は傷心した自分を慰めてくれただけだ、と考える澪だったが、翌朝「責任をとってほしい」と明夜に迫られ、婚姻届にサインしてしまった。突如始まった新婚生活。明夜は澪の心と身体を幸せで満たしてくれていたが、徐々に明夜のヤンデレな一面が見えてきて――執着強めな旦那様との極上溺愛ラブストーリー!

お見合いから始まる冷徹社長からの甘い執愛 〜政略結婚なのに毎日熱烈に追いかけられてます〜

Adria
恋愛
仕事ばかりをしている娘の将来を案じた両親に泣かれて、うっかり頷いてしまった瑞希はお見合いに行かなければならなくなった。 渋々お見合いの席に行くと、そこにいたのは瑞希の勤め先の社長だった!? 合理的で無駄が嫌いという噂がある冷徹社長を前にして、瑞希は「冗談じゃない!」と、その場から逃亡―― だが、ひょんなことから彼に瑞希が自社の社員であることがバレてしまうと、彼は結婚前提の同棲を迫ってくる。 「君の未来をくれないか?」と求愛してくる彼の強引さに翻弄されながらも、瑞希は次第に溺れていき…… 《エブリスタ、ムーン、ベリカフェにも投稿しています》

隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛

冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!

処理中です...