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第三章 雨降って地固ま、る?

受話器の向こう側

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『明日の午前中に現場まで持って来い!』

 耳が痛くなるような怒鳴り声の直後に音が途切れ、私は受話器を戻して考えを巡らせる。
 『ヘアサロンステラ』ってことは現場は店舗。材料の遅れが原因で工期が延びてオープンが遅れたら損害賠償の話になりかねない。
 明日の午前中に現場着。今の時間は二時四十五分。
 ――まだギリギリ間に合う。
 電話機のボタンを押し、受話器を持ち上げる。二コール目の途中で相手先に繋がった。

『はい。エースライトニング、中原です』
「お世話になります、水谷電材の前田です。中原さん、緊急便ってまだ間に合いますか?」

 電話の相手は照明器具メーカーの営業事務、中原さんだ。本来は午前十一時までに注文しないと当日出荷には間に合わないけれど、特別運賃を払えば午後三時まで出荷を受け付けてくれる。明日の午前中に間に合わせるにはこれしか方法がない。

『いけます。商品押さえるから先に明細教えてください』

 頼もしいお姐様、といった雰囲気の声に促され、私は品番と数量を口にする。
 電話の向こうで中原さんが呻いた。

『あー、三十出そうと思うとうちのエリアの在庫じゃ足りない。……出荷は関東からになりますね。締め時間ギリギリだから、納品先とかは関東の物流センターと直接話してもらった方が確実だと思います』
「わかりました。電話番号、お願いします」

 中原さんが教えてくれた番号を復唱しながらメモする。

『担当者は小林……同じ苗字が二人いるので、『小林ちひろ』の方に伝えてください』
「ありがとうございます。それでは、失礼します」
『間に合うといいですね』

 間に合わないと困るので、電話を切るのと同時に教えてもらった番号を押す。
 五コール目で男性の声が聞こえた。

『はい、エースライトニング関東物流』
「わたくし、水谷電材の前田と申します。支社の中原様からこちらにご連絡を、とお話があったのですが、担当の小林ちひろ様は」
『少々お待ちください。ちひろちゃーん!』

 呼びかける声の後に保留音が流れる。『エリーゼのために』が三周したところでおっとりした女の人の声が聞こえてきた。

『お待たせしました、小林です。中原からメールが来ましたが、三十、で間違いありませんか?』
「はい。なんとか明日の午前着でお願いしたいのですが」
『えっと……そちらの地域ですと、運送会社の配送センターに到着するのが午前中なので……配達は午後になるかと』

 その言葉に思わず頭を抱えてしまう。
 岡村専務にどう説明しよう。午後の配達で納得していただけなかったら配送センター止めにして現場まで持っていかないといけない。
 ……これ、流れ的に私が行かないといけない感じじゃない? 用事ないから別にいいけど、休日出勤扱いになるかなぁ。

『あと、数量が多いので運賃が結構かかると思います。だいたいの金額が――』

 追加情報で更に頭を殴られるような気分になりながら私はどうにか言葉を絞り出す。

「一旦営業と相談してすぐに折り返します。ひとまず商品だけ押さえていただけますか?」

 この場合の運賃は当然うち持ちだ。さすがにあの金額を独断で動かすわけにはいかないから営業に許可を取らないと。

『承知しました。ご連絡、お待ちしています』

 電話を切って今度は森主任の携帯を鳴らす。今日は部長との同行日だけど、出てくれるだろうか。

『はい、森です』
「お疲れ様です、前田です。今お電話大丈夫ですか?」
『声が怖いぞ。何かあった?』

 声が少し遠いのは運転しながらハンズフリーで話しているからだろう。私はできるだけ手短に主任と、その隣で聞いているであろう部長に状況を伝える。席に戻ってきた笹本さんがチラチラとこちらを見ているのがわかった。

『なんでまたそんな厄介なことに』
「……締め時間が近いので原因はまだ確認していません。ひとまず、出荷の許可をいただきたいのですが」
『わかった。明日俺が動くから配送センター止めで頼む』
「申し訳ありません。すぐに手配します」

 謝って通話を終わらせ、もう一度小林さんのいる関東物流センターに連絡を取る。商品は押さえてもらったのであとは中原さん経由で正式な発注書を送ればいいらしい。
 私は大急ぎで発注書を作り、中原さんにメールを送るのと同時に電話を入れた。

『二時五十五分。ギリッギリ間に合いましたね!』
「お騒がせして申し訳ありませんでした。小林さんにもよろしくお伝えください」
『前田さん、大変でしたね。……やらかしたの、笹本さんでしょう?』

 元の発注書、笹本さんの名前でしたよ。と付け加える声は一段低く、小さい。
 中原さんの言う通りだ。発注ミスをしたのは笹本さんなのは最初からわかっていたけれど、緊急便の締めまで十五分しかないのに処理を任せるわけにはいかないから私が代わりに全部進めた。

「……はい。今後気をつけるように話をします」
『いえいえ。笹本さん案件、こちらも気をつけて見るようにします。変だと思ったら前田さんに振りますからフォローよろしく』

 平謝りしながら私は笹本さんに視線を向ける。この事態を引き起こした張本人はかかってきた外線を取るために渋々といった表情で受話器を持ち上げていた。
 中原さんとの電話を切るのと同時に、入電中の回線が保留に切り替わった。

「前田先輩、エースライトニングの小林さんから二番にお電話です」

 何かトラブルがあったのかもしれない。私は戻したばかりの受話器を急いで耳に当てた。

「お電話代わりました。前田でございます」
『――あのさあ』

 左耳に流れこむ不機嫌そうな低い声に鳥肌が立つ。
 聞こえてきたのはあのクソ男、弘樹の声だった。
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