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第一章 一年の計は元旦にあり
年末の大掃除
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久々に会う菅原は、相変わらず『菅原爽太』の名に負けない爽やかな奴だった。吹奏楽部でコントラバスを構える姿が妙に様になっていて、隠れファンがいたとかいなかったとかいう話を聞いたことがある。
ちなみに私はトランペットで『前田の音は本人に似て底抜けに明るくてうるさくて時々鬱陶しい』と仲間からよく言われていた。思い当たる節がありすぎて反論の余地が全くないのが悲しい。
菅原はカフェに着くなり私を連れ出して、行きつけだという近くの個室居酒屋に案内してくれた。私との電話を切ってからすぐに席を確保しておいてくれたというのだからやることなすこと非常にスマートだ。
勢いのままに最初の一杯に口をつけて四分の一くらい飲む。ジョッキを置いた私に、正面に座った菅原が話しかけてきた。
「前田さん、とりあえず落ち着こうか」
「それは無理」
「じゃあ何があったのか聞くから、話しながらゆっくり飲もう。急性アル中で病院行きたくないでしょ?」
菅原の言葉はごもっともなので、私はお通しに箸をつけながら話し始める。
クソ男がうちの会社に営業に来て知り合ったこと。
転勤になる前にお世話になったから食事でも、と言われて行った先で『今夜は帰したくない』と言われてラブホへ行ったこと。
『つきあってるのは、二人だけの秘密』と言われたこと。
『大晦日から二日までは東京においで』と言われて上京してきたこと。
――びっくりさせたくてわざと早く着いたら、真っ最中だったこと。
私に料理を取り分けたり勧めたりしながら時折うんうんと相槌を打って静かに聞いてくれていた菅原が、話が終わるのと同時に大きなため息をつく。
「……何というか、お疲れさま」
「もー、本当に疲れた」
残っていたビールをぐっと飲み干して、その勢いのまま愚痴を撒き散らす。
「疲れたし、すっごくムカついてる」
「前田さんって、何かあると泣くより先に怒るよな」
「そう?」
「で、その場でやり返す」
「そう?」
菅原がくくっと笑う。
「一年の夏合宿で、セクハラしてきたOBを返り討ちにしたでしょ」
「あー」
指導と称して私を別室に呼び出し、『音に色気がない』『大人の女になったら色気のある音になるから手伝ってあげる』とか気持ち悪いことを言い出したOBを、指導を聞き漏らさないように入室直前から立ち上げていた録音アプリのデータを顧問の先生に提出して出入り禁止にした件だ。録音は大事。
「後輩が楽譜に落書きされたの知って、部員全員の授業のノート集めて筆跡から犯人特定して吊し上げて部活辞めさせるし」
「それは菅原達も協力してくれたじゃない」
何事も初動が肝心。
「電車で痴漢に遭ったら電車が揺れたタイミングで偶然に見せかけて肘鉄入れて反撃するし」
タイミングを見計らった上での攻撃はとても効果的。……って。
「……なんか、私ってすごく凶悪じゃない?」
今更かよ、とまた菅原が笑う。
「さっきヤッチが聞いてたけど、ちゃんと仕返ししてきた?」
八代っち、略してヤッチは同じ電車で通学していたので痴漢事件の一部始終を目撃している。『止めに入ろうとしたけど間に合わなかった』と詫びながら痴漢を駅員に引き渡す手伝いをしてくれた。
「クソ男がイく寸前でドア蹴り飛ばしてきた」
「それだけ?」
「死ねってメッセージ送った」
「前田さんにしては手ぬるいな」
「どうしてそう思うの?」
「……話聞いてて思ったんだけどさ、クソ男にとってたぶん前田さんのほうが浮気だったんじゃないかな」
見て見ぬふりをしていた現実を突きつけられる。
「わかってるからそれは言わないで」
転勤直前になって誘ってきてその日のうちにヤッちゃうとか、つきあってるのを内緒にするとか、遊びに行く日時を指定されるとか。私が浮気相手ならクソ男の今までの言動に全て説明がつく。
「そんな扱いされた割には仕返しが手ぬるいと思って」
「やっぱり菅原もそう思うよね? ほんっと、なんなのあのクソ男」
「で、クソ男ってもうブロックした? してないなら何か連絡来てるんじゃない?」
菅原に促されて鞄の中に入れっぱなしにしていたスマホを確認する。
「……なにこれ」
『他の人へ送るやつ間違えた?』
『おーい』
『もう七時過ぎたから早くおいでよ』
『なにかあった?』
『もしかして死ねって俺に言ってる?』
(焦ってるスタンプ)
『俺なにもしてないよね』
『さみしかったからすねてる? ぎゅーしてあげるから』
『みなみちゃーん』
(オロオロしてるスタンプ)
『不在着信』×五回
「キモっ」
思わずスマホを机の上に放り出す。画面を覗き込んだ菅原も眉を顰めた。
「これはキツい」
「何がムカつくって、最初の連絡六時半だよ。これ絶対本命が帰ってから送ってきてるよね」
「だな」
「なーにが『みなみちゃーん』だよ。他の女のこと『ちーちゃん』って呼んだのと同じノリで私の名前呼びやがって。無理無理、絶対にもう無理」
ひたすら気持ち悪い。思い出しただけで怖気が走る。
鳥肌が立った二の腕をさする私を見て菅原が苦笑した。
「前田さん、ばっさりやっちゃえば? 今年のうちにケリつけなよ」
「そうする」
さっきの録画データを送信して、ついでに一言。
『うるさい死ね』
「送信完了」
「見てもいい? ……この一緒に送った二分の動画って、もしかして」
「挿入直後からイくまでの一部始終の音声」
「……二分?」
「うん、二分。だから本当は『うるさい早漏』って送ってやりたかったけどさすがにやめといた」
「本当のことだけどそれはさすがにダメ。……前田さん、成長したね」
「昔だったら後先考えずに送って、余計にめんどくさくなってたかも」
「痴漢事件みたいに?」
「あれは不覚だった」
痴漢事件の時は肘鉄入れたことで逆にこっちが暴力振るったと言い立てられて大変だった。ヤッチとヤッチの彼女のくーちゃん、更に近くにいた会社員っぽいお姉さんも証言してくれたのに加えて、逆上した相手が『おとなしく触られてればいいのに生意気な』と自爆してくれたから何とかなったけど、あれ以来、仕返しは自分の身に害が及ばない程度にとどめている。
菅原から戻ってきたスマホをバッグに突っ込む。言いたいことは言ったからあとは無視だ無視。
「しかし、相手もバカだな。本当の前田さんのこと知ってたら軽々しく浮気相手になんてできないのに」
「本当の、って私は二重人格か」
「見た目は穏やかそうなのに、中身とのギャップが激しすぎる」
「見た目だけで勝手に判断されてもねぇ」
中肉中背黒髪ショートボブ。ちゃんと化粧しても地味な十人並みの顔。それが私、前田美波二十五歳。ついでに言うなら今日から彼氏なし。
黙りこんだ私に菅原がドリンクメニューを差し出す。
「今日は奢る。追加何がいい?」
「さすスガ」
さすが菅原、略してさすスガ。菅原を褒め称える時の吹奏楽部用語だ。
『年末の大掃除』をやり遂げた達成感に満ちあふれたまま、私は運ばれてきたレモンサワーで菅原と乾杯を交わした。
ちなみに私はトランペットで『前田の音は本人に似て底抜けに明るくてうるさくて時々鬱陶しい』と仲間からよく言われていた。思い当たる節がありすぎて反論の余地が全くないのが悲しい。
菅原はカフェに着くなり私を連れ出して、行きつけだという近くの個室居酒屋に案内してくれた。私との電話を切ってからすぐに席を確保しておいてくれたというのだからやることなすこと非常にスマートだ。
勢いのままに最初の一杯に口をつけて四分の一くらい飲む。ジョッキを置いた私に、正面に座った菅原が話しかけてきた。
「前田さん、とりあえず落ち着こうか」
「それは無理」
「じゃあ何があったのか聞くから、話しながらゆっくり飲もう。急性アル中で病院行きたくないでしょ?」
菅原の言葉はごもっともなので、私はお通しに箸をつけながら話し始める。
クソ男がうちの会社に営業に来て知り合ったこと。
転勤になる前にお世話になったから食事でも、と言われて行った先で『今夜は帰したくない』と言われてラブホへ行ったこと。
『つきあってるのは、二人だけの秘密』と言われたこと。
『大晦日から二日までは東京においで』と言われて上京してきたこと。
――びっくりさせたくてわざと早く着いたら、真っ最中だったこと。
私に料理を取り分けたり勧めたりしながら時折うんうんと相槌を打って静かに聞いてくれていた菅原が、話が終わるのと同時に大きなため息をつく。
「……何というか、お疲れさま」
「もー、本当に疲れた」
残っていたビールをぐっと飲み干して、その勢いのまま愚痴を撒き散らす。
「疲れたし、すっごくムカついてる」
「前田さんって、何かあると泣くより先に怒るよな」
「そう?」
「で、その場でやり返す」
「そう?」
菅原がくくっと笑う。
「一年の夏合宿で、セクハラしてきたOBを返り討ちにしたでしょ」
「あー」
指導と称して私を別室に呼び出し、『音に色気がない』『大人の女になったら色気のある音になるから手伝ってあげる』とか気持ち悪いことを言い出したOBを、指導を聞き漏らさないように入室直前から立ち上げていた録音アプリのデータを顧問の先生に提出して出入り禁止にした件だ。録音は大事。
「後輩が楽譜に落書きされたの知って、部員全員の授業のノート集めて筆跡から犯人特定して吊し上げて部活辞めさせるし」
「それは菅原達も協力してくれたじゃない」
何事も初動が肝心。
「電車で痴漢に遭ったら電車が揺れたタイミングで偶然に見せかけて肘鉄入れて反撃するし」
タイミングを見計らった上での攻撃はとても効果的。……って。
「……なんか、私ってすごく凶悪じゃない?」
今更かよ、とまた菅原が笑う。
「さっきヤッチが聞いてたけど、ちゃんと仕返ししてきた?」
八代っち、略してヤッチは同じ電車で通学していたので痴漢事件の一部始終を目撃している。『止めに入ろうとしたけど間に合わなかった』と詫びながら痴漢を駅員に引き渡す手伝いをしてくれた。
「クソ男がイく寸前でドア蹴り飛ばしてきた」
「それだけ?」
「死ねってメッセージ送った」
「前田さんにしては手ぬるいな」
「どうしてそう思うの?」
「……話聞いてて思ったんだけどさ、クソ男にとってたぶん前田さんのほうが浮気だったんじゃないかな」
見て見ぬふりをしていた現実を突きつけられる。
「わかってるからそれは言わないで」
転勤直前になって誘ってきてその日のうちにヤッちゃうとか、つきあってるのを内緒にするとか、遊びに行く日時を指定されるとか。私が浮気相手ならクソ男の今までの言動に全て説明がつく。
「そんな扱いされた割には仕返しが手ぬるいと思って」
「やっぱり菅原もそう思うよね? ほんっと、なんなのあのクソ男」
「で、クソ男ってもうブロックした? してないなら何か連絡来てるんじゃない?」
菅原に促されて鞄の中に入れっぱなしにしていたスマホを確認する。
「……なにこれ」
『他の人へ送るやつ間違えた?』
『おーい』
『もう七時過ぎたから早くおいでよ』
『なにかあった?』
『もしかして死ねって俺に言ってる?』
(焦ってるスタンプ)
『俺なにもしてないよね』
『さみしかったからすねてる? ぎゅーしてあげるから』
『みなみちゃーん』
(オロオロしてるスタンプ)
『不在着信』×五回
「キモっ」
思わずスマホを机の上に放り出す。画面を覗き込んだ菅原も眉を顰めた。
「これはキツい」
「何がムカつくって、最初の連絡六時半だよ。これ絶対本命が帰ってから送ってきてるよね」
「だな」
「なーにが『みなみちゃーん』だよ。他の女のこと『ちーちゃん』って呼んだのと同じノリで私の名前呼びやがって。無理無理、絶対にもう無理」
ひたすら気持ち悪い。思い出しただけで怖気が走る。
鳥肌が立った二の腕をさする私を見て菅原が苦笑した。
「前田さん、ばっさりやっちゃえば? 今年のうちにケリつけなよ」
「そうする」
さっきの録画データを送信して、ついでに一言。
『うるさい死ね』
「送信完了」
「見てもいい? ……この一緒に送った二分の動画って、もしかして」
「挿入直後からイくまでの一部始終の音声」
「……二分?」
「うん、二分。だから本当は『うるさい早漏』って送ってやりたかったけどさすがにやめといた」
「本当のことだけどそれはさすがにダメ。……前田さん、成長したね」
「昔だったら後先考えずに送って、余計にめんどくさくなってたかも」
「痴漢事件みたいに?」
「あれは不覚だった」
痴漢事件の時は肘鉄入れたことで逆にこっちが暴力振るったと言い立てられて大変だった。ヤッチとヤッチの彼女のくーちゃん、更に近くにいた会社員っぽいお姉さんも証言してくれたのに加えて、逆上した相手が『おとなしく触られてればいいのに生意気な』と自爆してくれたから何とかなったけど、あれ以来、仕返しは自分の身に害が及ばない程度にとどめている。
菅原から戻ってきたスマホをバッグに突っ込む。言いたいことは言ったからあとは無視だ無視。
「しかし、相手もバカだな。本当の前田さんのこと知ってたら軽々しく浮気相手になんてできないのに」
「本当の、って私は二重人格か」
「見た目は穏やかそうなのに、中身とのギャップが激しすぎる」
「見た目だけで勝手に判断されてもねぇ」
中肉中背黒髪ショートボブ。ちゃんと化粧しても地味な十人並みの顔。それが私、前田美波二十五歳。ついでに言うなら今日から彼氏なし。
黙りこんだ私に菅原がドリンクメニューを差し出す。
「今日は奢る。追加何がいい?」
「さすスガ」
さすが菅原、略してさすスガ。菅原を褒め称える時の吹奏楽部用語だ。
『年末の大掃除』をやり遂げた達成感に満ちあふれたまま、私は運ばれてきたレモンサワーで菅原と乾杯を交わした。
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