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第一章 一年の計は元旦にあり

逆サプライズ

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 重いキャリーバッグと一緒に地下鉄から降り、私はふうっと息をついた。社会人になってからのこの三年は数えるほどしか電車に乗っていないせいでやけに疲れてしまう。
 地元駅からJRとか新幹線とか色々乗り継いでようやく辿り着いたここは、遠距離恋愛中の彼氏のアパートの最寄り駅だ。
 彼――弘樹さんは東京に本社があるメーカーの営業で、九月までは私の地元の支社に勤務していた。私の勤務先に営業に来たのがきっかけだったから、弘樹さんの立場上つきあっていることは二人だけの秘密にしている。
 けれど、東京には私が取引先の人間だと知っている人はいない。だから大晦日の今日から一月二日までは誰の目も憚ることなく思う存分いちゃいちゃできる。
 バッグからスマホを取り出して時間を確認する。只今、五時四十分。この前に弘樹さんと電話した時に『大晦日、美波みなみちゃんが来る前に部屋の大掃除したいから七時以降に来てもらえると嬉しいな』と言われていたけど、一緒に掃除すれば早く済む。
 『駅に着いたよ』と連絡したほうがいいのかなと思いつつも、結局はびっくりさせたいという気持ちが勝った。この前教えてもらった住所を地図アプリに打ち込んで、私はアパートに向かって歩き出した。



 弘樹さんの部屋は会社が独身寮として借りているアパートの二階の一番奥らしい。キャリーバッグを持って外階段を登り、キャスター音が迷惑にならないように手で持ったまま廊下を歩く。
 どこかの部屋から声が聞こえてきた。勝手に耳に入ってくるのはたぶん、女の人のあの声だ。誰かさんの彼女か動画の声だろう。
 ……ちょっと待て。これ、私の声もこんな風に外に聞こえるかもしれないってこと? 正直嫌なんだけど。
 奥に向かうにつれ声はどんどんはっきりしてくる。出処は突き当たりにある弘樹さんの部屋の、廊下に面したお風呂場の窓からだった。

「ひろき」

 女の人が、弘樹さんの名前を呼ぶ。

「ん? 挿れてほしい?」

 続いて聞こえてきたのは、弘樹さんの甘い、最中の声。
 ――録音しなきゃ。
 スマホカメラを動画モードにして窓ギリギリの見えないところに構える。女があんあん言ってる声が録れたけど、まだ足りない。

「ひろき、すき」
「俺も好きだよ、ちーちゃん。しばらく会えないから、今日のうちにちーちゃんいっぱい補給させて」
「もう。三が日終わったらちゃんと帰ってくるのにぃ」

 ちーちゃんとかいう女の声も、弘樹さん改めクソ男の声も撮れた。お互いが名前を呼び合っているから証拠としては充分。
 怒りがふつふつと湧いてくる。その怒りをおなかの中に溜め込んで、私はタイミングを窺う。
 録音開始からもうすぐ二分。前にした時はこのくらいだった、はず。

「ちーちゃん、出すよ」

 その言葉を待っていた。
 クソ男がイく寸前であろうタイミングに合わせて録画を止め、玄関ドアに蹴りをかます。ドアに足型はついたけど凹んでないからセーフセーフ。ソールのしっかりしたブーツを履いてきたのがこんなところで役に立つとは思わなかった。
 お風呂場から慌てたような声が聞こえ、私はキャリーバッグを引っ掴んで足早にその場を後にした。アパートから離れたところでメッセージアプリを立ち上げ、クソ男宛に『死ね』と一言送信してからスマホをバッグに入れる。
 キャリーバッグを曳きながら、私は今来たばかりの道を戻り始めた。



 駅の周りで見つけたカフェに入り、ホットラテと共に席に着いたのは六時を少し回った頃だった。スマホを確認してみても特に変わったところはない。まだスマホ見てない、つまり、女と一緒にいるのかと思うとものすごく腹が立ってきた。
 苛立ちのままにスマホを操作し、メッセージアプリのグループトークで友人達に愚痴を送信する。

『彼氏に会いに行ったら浮気の真っ最中だった』
『こんなことなら今日の同期会に出ればよかった』

 今夜は六時から地元で高校時代の部活の同期会だったけど、東京に行くから泣く泣く不参加にしていた。それなのにこんなことになるなんて。
 すぐさま既読がついて画面にどんどんメッセージが送られてくる。
 『かわしまことね』ことマコからは『マジで!?』のスタンプ、『さととも』朋ちゃんからは『美波めっちゃかわいそうじゃん! 彼氏最低だね』。『ちゃんと仕返ししたか?』のメッセージは『八代翼』、ヤッチからだ。
 定期的に集まっている五人グループのうち、同期会に出ている三人からはすぐに返信が来た。残る一人は休みの関係で不参加だけど、全員既読になっているからメッセージ自体は見たらしい。
 スマホが震えて着信を知らせる。同期会不参加の菅原からだ。

「もしもし?」
『菅原だけど。前田さん、災難だったね。まだ東京にいる?』
「いるよ」
『よかったら話聞くけど、前田さん今どこ?』

 そういえば、菅原は東京勤務だった。
 駅名とカフェの名前を告げると菅原の穏やかな声が返ってくる。

『そこなら近いから、二十分くらいで行けるよ。そのまま待ってて』
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