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伍.恋
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「華耶」
鋭い目をしたままの華耶に、隼矢斗はできるだけ穏やかな声で語りかける。
「毒は必要ない。殺さずとも、おれが父を抑えこめるだけの力を持てばいいだけだ」
隼矢斗は華耶の手が好きだ。薬師としての技と矜持が染みついたその手を隼矢斗のせいで汚させたくない。
華耶の手は人を救うためのものだ。華耶はあの日の隼矢斗からの命を遂行し、流行り病への備えを西の里長を通じて余所の里へと呼びかけてくれた。それにそれぞれの里の薬師が応えたから四年前の流行り病を最小限の被害で乗り切れた。
隼矢斗も、病に倒れた彦丸を失わずに済んだのだ。
華耶の手を汚させないために、おれは父を抑えこめるような、いつでも始末できるような立場にならなければいけない。
けれど、実際に始末するつもりはない。
おれとの立場が入れ替わった後、いつか復讐されるのだと怯えながら命尽きるまで生き続ければいいのだ。
「おれの力を強くするために、おまえにいくつか頼みがある」
まずは、ひとつめ。
「こちらでも早急に支度をさせる。できるだけ早く嫁いできてくれないか」
華耶のまなざしが和らいだ。
「かしこまりました。わたくしがこちらに来れば毒への対策もしやすくなりますものね」
それだけではないのだが、と心の中で呟いてから隼矢斗は言葉を続ける。
「おれの子を産んでほしい」
「承知しております。もとよりそういうお話でしたし、隼矢斗さまを長にするならば子ができてからのほうが周囲の賛同も得やすいでしょう」
それだけではないのだが、と隼矢斗はもう一度心の中で呟く。
「あと、これはおれの個人的な頼みなのだが。……おれのことを命の恩人ではなく、ひとりの男として見てくれると嬉しい」
ぱちり、と華耶が瞬きをする。華耶の頬が紅も差していないのにみるみるあかく染まっていく。きっと隼矢斗の頬も同じような有様だろう。
華耶が小声で問いかけてくる。
「……隼矢斗さま、お顔が。熱でもあるのでは?」
熱は、ある。華耶に熱を上げているのだから。恋わずらいとはこのことか、と隼矢斗は熱に浮かされた頭でぼんやり考えた。
「照れているだけだ。……診立てが甘いぞ」
「診立ての甘い薬師を、中つ里は受け入れてくださるのですか?」
「華耶」
隼矢斗は華耶を見つめ、決まり通りの言葉ではなく自分自身の言葉で語りかける。
「中つ里が薬師を受け入れるのではない。おれが、華耶を娶るんだ」
華耶が両手で顔を隠して俯いてしまう。薄っぺらい肩が震えているのがわかるが、それに触れていいのかどうかわからずに隼矢斗はうろたえる。
できることは、声をかけることだけ。
「今すぐでなくてもいいから、いつか、おれを好きになってはくれないだろうか」
顔を覆っていた手が動く。顔がゆっくりと上げられ、隼矢斗へと向けられる。
華耶のまなざしに浮かんでいるのは、涙と、あふれんばかりの喜びだった。
「好いてもいない方にあのような薬の飲ませ方はいたしません。……そんなことにも気づかないなんて、本当に仕方のないお人」
「華耶」
言うが早いか隼矢斗は華耶を抱き寄せ、そのまま褥へと横たえようとする。が。
「いけません」
すぐさま華耶の厳しい声に制された。
「駄目か」
「当たり前です。祝言も挙げておりませんし、何より毒で本調子ではないのですから絶対に駄目です。許嫁としても薬師としても許しません」
「どうしても、か?」
「無理強いするのならこのお話はなかったことに」
華耶のまなざしが鋭くなっている。隼矢斗は慌てて華耶から離れて頭を下げた。
「わかった。しない。おまえの許しが出るまでは何もしないから」
「わかってくださればよいのです」
華耶が笑う。隼矢斗そのものを拒んでいるわけではないのが伝わってくる、やわらかな表情だった。
それがふっと真顔に戻る。場の雰囲気が変わったのを察知した隼矢斗も居住まいを正した。
「隼矢斗さま。毒、の話ですが」
隼矢斗は頷いて先を促す。
「わたくしが嫁いでくるまでの間も毒は使われ続けるでしょう。ひとまず、わたくしの手持ちの薬で使えそうな物を置いていきます。信頼のおける者に薬のことを伝え、万一隼矢斗さまが動けなくなった時でも使えるようにしておきたいのですが」
「わかった。後で彦丸を呼ぶ」
彦丸は華耶に恩を感じているし、あの時華耶を見逃した隼矢斗に忠を尽くすと常日頃から言ってくれている。彦丸以外に任せられる者などいない。
華耶が納得したような表情で頷いた。
「それと、こちらを」
言いながら華耶が腰の巾着袋を探り、小瓶を差し出してくる。
「胃薬です。朝餉の前に飲んでおくと少しは楽になりますよ」
隼矢斗は首を横に振り、華耶に告げる。
「おまえが飲ませてくれるなら。……二度も三度も同じだろう」
華耶が笑う。
あの頃のまるい顔とは違う美しい笑顔だが、どちらも華耶であることには変わりない。中つ里の森に、隼矢斗の寝所に乗りこむ度胸を持つ、指先を深緑に染めた華耶。
隼矢斗はそんな華耶に惚れている。恋わずらいはこの先ずっと隼矢斗の身の内に巣食いつづけ、きっと華耶でも癒せないだろう。
華耶が笑いながら瓶の栓を抜く。やわらかい唇が動く。
許嫁が何と言ってくれるのか、隼矢斗にはもうわかっていた。
「本当に、仕方のないお人」
鋭い目をしたままの華耶に、隼矢斗はできるだけ穏やかな声で語りかける。
「毒は必要ない。殺さずとも、おれが父を抑えこめるだけの力を持てばいいだけだ」
隼矢斗は華耶の手が好きだ。薬師としての技と矜持が染みついたその手を隼矢斗のせいで汚させたくない。
華耶の手は人を救うためのものだ。華耶はあの日の隼矢斗からの命を遂行し、流行り病への備えを西の里長を通じて余所の里へと呼びかけてくれた。それにそれぞれの里の薬師が応えたから四年前の流行り病を最小限の被害で乗り切れた。
隼矢斗も、病に倒れた彦丸を失わずに済んだのだ。
華耶の手を汚させないために、おれは父を抑えこめるような、いつでも始末できるような立場にならなければいけない。
けれど、実際に始末するつもりはない。
おれとの立場が入れ替わった後、いつか復讐されるのだと怯えながら命尽きるまで生き続ければいいのだ。
「おれの力を強くするために、おまえにいくつか頼みがある」
まずは、ひとつめ。
「こちらでも早急に支度をさせる。できるだけ早く嫁いできてくれないか」
華耶のまなざしが和らいだ。
「かしこまりました。わたくしがこちらに来れば毒への対策もしやすくなりますものね」
それだけではないのだが、と心の中で呟いてから隼矢斗は言葉を続ける。
「おれの子を産んでほしい」
「承知しております。もとよりそういうお話でしたし、隼矢斗さまを長にするならば子ができてからのほうが周囲の賛同も得やすいでしょう」
それだけではないのだが、と隼矢斗はもう一度心の中で呟く。
「あと、これはおれの個人的な頼みなのだが。……おれのことを命の恩人ではなく、ひとりの男として見てくれると嬉しい」
ぱちり、と華耶が瞬きをする。華耶の頬が紅も差していないのにみるみるあかく染まっていく。きっと隼矢斗の頬も同じような有様だろう。
華耶が小声で問いかけてくる。
「……隼矢斗さま、お顔が。熱でもあるのでは?」
熱は、ある。華耶に熱を上げているのだから。恋わずらいとはこのことか、と隼矢斗は熱に浮かされた頭でぼんやり考えた。
「照れているだけだ。……診立てが甘いぞ」
「診立ての甘い薬師を、中つ里は受け入れてくださるのですか?」
「華耶」
隼矢斗は華耶を見つめ、決まり通りの言葉ではなく自分自身の言葉で語りかける。
「中つ里が薬師を受け入れるのではない。おれが、華耶を娶るんだ」
華耶が両手で顔を隠して俯いてしまう。薄っぺらい肩が震えているのがわかるが、それに触れていいのかどうかわからずに隼矢斗はうろたえる。
できることは、声をかけることだけ。
「今すぐでなくてもいいから、いつか、おれを好きになってはくれないだろうか」
顔を覆っていた手が動く。顔がゆっくりと上げられ、隼矢斗へと向けられる。
華耶のまなざしに浮かんでいるのは、涙と、あふれんばかりの喜びだった。
「好いてもいない方にあのような薬の飲ませ方はいたしません。……そんなことにも気づかないなんて、本当に仕方のないお人」
「華耶」
言うが早いか隼矢斗は華耶を抱き寄せ、そのまま褥へと横たえようとする。が。
「いけません」
すぐさま華耶の厳しい声に制された。
「駄目か」
「当たり前です。祝言も挙げておりませんし、何より毒で本調子ではないのですから絶対に駄目です。許嫁としても薬師としても許しません」
「どうしても、か?」
「無理強いするのならこのお話はなかったことに」
華耶のまなざしが鋭くなっている。隼矢斗は慌てて華耶から離れて頭を下げた。
「わかった。しない。おまえの許しが出るまでは何もしないから」
「わかってくださればよいのです」
華耶が笑う。隼矢斗そのものを拒んでいるわけではないのが伝わってくる、やわらかな表情だった。
それがふっと真顔に戻る。場の雰囲気が変わったのを察知した隼矢斗も居住まいを正した。
「隼矢斗さま。毒、の話ですが」
隼矢斗は頷いて先を促す。
「わたくしが嫁いでくるまでの間も毒は使われ続けるでしょう。ひとまず、わたくしの手持ちの薬で使えそうな物を置いていきます。信頼のおける者に薬のことを伝え、万一隼矢斗さまが動けなくなった時でも使えるようにしておきたいのですが」
「わかった。後で彦丸を呼ぶ」
彦丸は華耶に恩を感じているし、あの時華耶を見逃した隼矢斗に忠を尽くすと常日頃から言ってくれている。彦丸以外に任せられる者などいない。
華耶が納得したような表情で頷いた。
「それと、こちらを」
言いながら華耶が腰の巾着袋を探り、小瓶を差し出してくる。
「胃薬です。朝餉の前に飲んでおくと少しは楽になりますよ」
隼矢斗は首を横に振り、華耶に告げる。
「おまえが飲ませてくれるなら。……二度も三度も同じだろう」
華耶が笑う。
あの頃のまるい顔とは違う美しい笑顔だが、どちらも華耶であることには変わりない。中つ里の森に、隼矢斗の寝所に乗りこむ度胸を持つ、指先を深緑に染めた華耶。
隼矢斗はそんな華耶に惚れている。恋わずらいはこの先ずっと隼矢斗の身の内に巣食いつづけ、きっと華耶でも癒せないだろう。
華耶が笑いながら瓶の栓を抜く。やわらかい唇が動く。
許嫁が何と言ってくれるのか、隼矢斗にはもうわかっていた。
「本当に、仕方のないお人」
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