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新しい人生(後)
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動けるようになったセルファースは真っ先にエステルの部屋へと向かった。エステルはまだ外に出ることが怖いらしく扉越しに話をすることしかできなかったが、声を聞いて無事を確認できたことが何よりも嬉しかった。
ヴィレムが人払いをしてくれたし、王も自分達の結婚を認めている。未来の話をしても問題ないと判断したセルファースはエステルに話しかけた。
「エステル、結婚式はどうしようか?」
「……え?」
戸惑ったような声が扉の向こうから聞こえ、セルファースは小さく首を傾げる。
「ここを出たらすぐに一緒に暮らすことになるから、式はどうしようかと思ったんだけど」
エステルからの返事はない。セルファースは慌てて言葉を続けた。
「ヴィレム様が国王陛下に口利きをしてくださって、新居を用意していただけることになったと聞いたけど。……もしかして知らなかった?」
「……そう、ね。今初めて聞いた」
しばらくの沈黙の後、エステルの弱々しい声がセルファースの耳に届いた。
「式は、挙げたくない」
「……そうか」
残念ではあったが、怖い思いをしたばかりなのだからそんな気分になれないのは無理もない。セルファースは自分にそう言い聞かせてエステルの意見を受け入れることにした。
一度死んだはずの自分がエステルと一緒に生きていけるのだから、これ以上を望むのは贅沢なのかもしれないと思いながら。
月の乙女の引き継ぎの儀は、血塗れになった神殿の清めに時間がかかったため当初の予定より五日遅れて行われた。
儀式の終了をもってエステルは月の乙女としての力を失い、晴れて自由の身となった。
セルファースはひと月ほど療養した後に騎士団のどこかの隊に配属されることになっている。命懸けで任務を果たした褒賞として療養の名目で休暇を与え、新婚生活を満喫させてやろうという騎士団上層部の意向なのだとデルクがこっそり教えてくれた。四年前、守護騎士として神殿に向かう直前に餞別と称してセルファースとデルクを娼館へ連れて行った上司の考えそうなことだった。
城下町に用意された新居に到着し、セルファースは神殿から持ち出した二人分の荷物を馬車から下ろす。木箱には神殿のあちこちで焚かれている香が染みついていた。
馬車を見送ってからセルファースは家に入り、居間の長椅子に座るエステルを見つめた。
ヴィレムが手続きを済ませておいてくれたのでエステルは書類上は既にセルファースの妻となっている。儀式の後すぐにハブリエレに追い出されるようにして馬車に乗ったので、エステルはいつも通り首元の詰まった月の乙女のローブを着ている。当然、手袋もつけたままだ。
けれど、もう手袋は必要ない。セルファースとエステルはこれから先、互いの体温を感じながら生きていくのだ。
セルファースには二十二歳という年齢相応の欲がある。あの指切り以外でエステルに触れたことは一度もないが、それは欲を理性で抑え込んだり自分で発散させたりしてきたからだった。許されるのであればとうの昔にエステルに触れ、想いを遂げていただろう。
俺達は今までずっと清い関係のままだったから、結婚したとはいえさすがに今日いきなり夫婦生活をするわけにはいかない。
俺達の新しい人生は手を握るところから始めることになりそうだな。
エステルの隣に座り、セルファースはエステルの膝の上に置かれた手を握ろうとそっと自分の手を伸ばす。
指先が触れた、と思った瞬間、エステルの手が動いた。――セルファースの手を振り解いたのだ。
「……エステル?」
何が起きたのか理解できないまま、セルファースはエステルに呼びかける。
エステルは震える声でセルファースにこう告げた。
「触らないで」
ヴィレムが人払いをしてくれたし、王も自分達の結婚を認めている。未来の話をしても問題ないと判断したセルファースはエステルに話しかけた。
「エステル、結婚式はどうしようか?」
「……え?」
戸惑ったような声が扉の向こうから聞こえ、セルファースは小さく首を傾げる。
「ここを出たらすぐに一緒に暮らすことになるから、式はどうしようかと思ったんだけど」
エステルからの返事はない。セルファースは慌てて言葉を続けた。
「ヴィレム様が国王陛下に口利きをしてくださって、新居を用意していただけることになったと聞いたけど。……もしかして知らなかった?」
「……そう、ね。今初めて聞いた」
しばらくの沈黙の後、エステルの弱々しい声がセルファースの耳に届いた。
「式は、挙げたくない」
「……そうか」
残念ではあったが、怖い思いをしたばかりなのだからそんな気分になれないのは無理もない。セルファースは自分にそう言い聞かせてエステルの意見を受け入れることにした。
一度死んだはずの自分がエステルと一緒に生きていけるのだから、これ以上を望むのは贅沢なのかもしれないと思いながら。
月の乙女の引き継ぎの儀は、血塗れになった神殿の清めに時間がかかったため当初の予定より五日遅れて行われた。
儀式の終了をもってエステルは月の乙女としての力を失い、晴れて自由の身となった。
セルファースはひと月ほど療養した後に騎士団のどこかの隊に配属されることになっている。命懸けで任務を果たした褒賞として療養の名目で休暇を与え、新婚生活を満喫させてやろうという騎士団上層部の意向なのだとデルクがこっそり教えてくれた。四年前、守護騎士として神殿に向かう直前に餞別と称してセルファースとデルクを娼館へ連れて行った上司の考えそうなことだった。
城下町に用意された新居に到着し、セルファースは神殿から持ち出した二人分の荷物を馬車から下ろす。木箱には神殿のあちこちで焚かれている香が染みついていた。
馬車を見送ってからセルファースは家に入り、居間の長椅子に座るエステルを見つめた。
ヴィレムが手続きを済ませておいてくれたのでエステルは書類上は既にセルファースの妻となっている。儀式の後すぐにハブリエレに追い出されるようにして馬車に乗ったので、エステルはいつも通り首元の詰まった月の乙女のローブを着ている。当然、手袋もつけたままだ。
けれど、もう手袋は必要ない。セルファースとエステルはこれから先、互いの体温を感じながら生きていくのだ。
セルファースには二十二歳という年齢相応の欲がある。あの指切り以外でエステルに触れたことは一度もないが、それは欲を理性で抑え込んだり自分で発散させたりしてきたからだった。許されるのであればとうの昔にエステルに触れ、想いを遂げていただろう。
俺達は今までずっと清い関係のままだったから、結婚したとはいえさすがに今日いきなり夫婦生活をするわけにはいかない。
俺達の新しい人生は手を握るところから始めることになりそうだな。
エステルの隣に座り、セルファースはエステルの膝の上に置かれた手を握ろうとそっと自分の手を伸ばす。
指先が触れた、と思った瞬間、エステルの手が動いた。――セルファースの手を振り解いたのだ。
「……エステル?」
何が起きたのか理解できないまま、セルファースはエステルに呼びかける。
エステルは震える声でセルファースにこう告げた。
「触らないで」
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