三上さんはメモをとる

歩く魚

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三上さんとメモ帳

渋谷美奈の日常

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「いいねぇ~! 次はもっと挑戦的な視線ちょうだい!」

 コンクリート打ちっぱなしの無機質な空間。その一角には、撮影用のホワイトバックシートが設置されている。
 そして、その不毛な地に美しい花を咲かせるのがモデルの仕事である。

「最高だよ~後二枚いくよ! はい!」

 時に自分なりにアピールしながら、時にカメラマンの要望に沿うように。
 ただポーズをとって、薄っぺらい笑みを浮かべているだけではない。
 受け取る側が何気なく見ている一枚の写真は、何十、何百という試行錯誤の末に生み出された賜物なのだ。
 もちろん例外というものもあって、片手で数えるほどのやり取りで双方満足のいくものが顔を出すこともある。
 しかしそれはあくまでも例外。
 この日は、スタイリストやカメラマンの搬入で三十分、モデルの到着からヘアメイクに一時間、撮影に五時間、最終のチェックに三十分と、実に七時間が費やされていた。

「お疲れ様でした~!」

 だが、そんな長丁場の仕事にも関わらず、渋谷美奈は疲れを感じさせない様子だった。
 いつも明るい彼女の姿を見れば、同じく疲労の蓄積しているはずの人々もまた回復する。
 だからこそ――。

「あ、そうそう美奈ちゃん。ちょっと待ってもらっていい?」
「大丈夫ですよ! 撮り直しですか?」
「いやいや、撮影自体は完璧だったよ」

 むしろ、ここまで素晴らしい素材を用いて再撮影になるならばこちらの落ち度だろうと、カメラマンは苦笑する。
 
「そうじゃなくてね。今日この撮影を見学してた人がいるんだけど、徳本さんって知ってる?」
「徳本さん……はちょっと分からないですね。申し訳ないです……」
「全然、気にしないでよ。徳本っていいます。よろしくね」
「あ、よろしくお願いします!」
「それじゃあ、後は二人でお願いします」

 それでは、と言ってカメラマンが退室する。
 一体どんな要件だろう。もしかしたら仕事に関することかもしれない。美奈は背筋をしゃんと伸ばして徳本の言葉を待つ。

「僕は裏方だから知らなくても無理はないよ。最近テレビでやってる、家政婦が問題を解決していくドラマの脚本を担当してるって言えば伝わるかな?」
「……あ、『家政婦は北島』の脚本家さんなんですか!?」
「そうそう、知っててくれて嬉しいよ」

 徳本はほっとしたように目を細めて笑っている。

「それで、本題なんだけどさ」
「はい」
「君がよければ、僕が今度脚本を務めるドラマ作品に出てもらえないかな?」
「……えっ、ほんとですか!?」

 予想ができなかったわけではないが、徳本の担当しているドラマは全国区で人気がある。
 役柄は不明。だが、そんな人物の作品に出演するというのは、自身の知名度の向上に他ならなかった。

「もちろん、この後事務所の方に伝えさせてもらうよ。ただ、僕のドラマに相応しいかどうか、一度しっかり自分の目で確かめたくてね」
「そ、それで……どうでしたか?」

 心配そうに胸の前に手を置く姿を見て、徳本は「いやいや」と軽く手を振る。
 
「予想以上だったよ。僕の理想通りの女性で驚いた」

 理想通り……というのは役柄に対しての事だと理解し、美奈の身体が熱くなる。
 自身の成功。確定的ではないものの、それはまさに青天の霹靂だ。

「嬉しいです! ぜひ引き受けさせてください!」
「それは良かった。『家政婦の北島』もそうだけど、かなり力を入れてる作品だからね」
「やっぱり、ドラマの脚本って大変なんですか?」
「そうだねぇ……僕も結構時間とって頑張ってるんだけど、徹夜続きで倒れそうになったよ。元々不眠気味だから助かるっちゃ助かるけどね」
「でも、いろんな人の目に入る作品を作れるって凄いと思います! あとはゆっくり寝れたらいいんですけどね……」

 自分ごとのような深刻さの美奈を、どこか眩しげに見ながら徳本は口を開く。

「そうだねぇ……自分の欲しいものが手に入った時なんかは、よく寝れるかなぁ……」
「へぇ~! 最近欲しいものとかあるんですか?」
「……強いて言えば、ものよりは人かなぁ」

 顎を人差し指でなぞりながらしみじみと話す姿を、美奈は不思議そうに見つめながら相槌を打っていた。

「あ、そういえば渋谷さんは普段は大学に通ってるんだっけ?」
「そうです! あんまりたくさんは行けてないんですけど、友達もいるし楽しいです!」

 思い出したかのように雑談……という風を装ってはいるものの、徳本の目が若干真剣みを帯びていることに美奈は気付いていない。

「それじゃあ、オフの日は大学の友達と遊んだり?」
「はい! それが多いです! ……それがどうか――」
「徳本さん、次の打ち合わせそろそろです!」

 質問の意図について尋ねるまえに、撮影スタジオのドアが勢いよく開かれ、眼鏡をかけた黒髪の男が入ってきた。
 背丈は美奈とあまり変わらず、黒髪で冴えない顔立ちをしている男。
 目の下に大きなくまがあり、シャツはよれ、靴下は両足とも別のものを履いている。
 この、今にも過労で倒れてしまいそうな男性が、福本と関係のあることだけは美奈にもわかるものの、詳細は不明だ。
 そして――。
 
「馬鹿野郎! 今大事なところだってわからねぇのか!」

 闖入者の衝撃に負けないほどの怒号。
 先程までの温厚さが嘘のように、徳本は顔を赤くしていた。

「す、すみません! 渋谷さんも、申し訳ありません……」
「うるせぇ! すぐ行くから外で待ってろ!」
「は、はい……」

 徳本に何度も頭を下げながら、おずおずとスタジオから出て行く男。
 荒れた海のような状況に、美奈は口を開けて見ていることしかできなかった。
 そんな彼女の様子に気付くと、徳本は申し訳なさそうに身体を向き直した。

「……ごめんね渋谷さん、急に大きな声を出して驚かせちゃって」
「い、いえいえ! びっくりはしたけど、全然大丈夫です!」
「なら良かったよ。……今の質問は、僕にとって話を作る上で大切な工程だったんだ。その人の背景を知ってこそ生まれる展開もあるんだよ」
「……そういうことだったんですね!」

 急にも思える質問の謎が解けたことで、美奈の緊張は一つ解かれた。
 だが、一つ目の質問を口にする前に、新たな疑問が生まれている。

「さっきのはお知り合いの方……ですよね?」
「あぁ。司……彼は、僕に弟子入りして、今はアシスタントとして働いているんだよ」
「アシスタント……熱心な方なんですね」
「そうだね。今の時代、あんまり脚本家の弟子になろうって人はいないからね。僕もその熱意を汲んで、彼を育てようと思ったんだ。意外と共通点も多くて、熱くなりやすいところとか、趣味とか、不眠気味なところとかね」

 少し照れくさそうに頭をさする姿を見て、先ほどの驚きなど忘れたように、美奈は笑顔になっていた。

「それじゃあ、また事務所経由で連絡します。僕の名刺を一応渡しておくから、マネージャーさんに見せておいて貰えるかな?」
「わかりました! よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくね」

 差し出された名刺を両手で受け取り、美奈は深くお辞儀をした。
 彼女を見つめる窪んだ目に気がつかなかった。
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