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三上さんとメモ帳
講義を受けよう 美術編
しおりを挟む「というわけで、今日はスペインの画家について学んでいきましょう」
静寂の中、ハキハキとした教授の声が教場に響く。
話し方から四角い眼鏡のつるを指で摘んで持ち上げる仕草まで、どれをとっても知的に見える。
「本日のテーマはゴヤです。この講義を受けている皆さんの中にも、彼の絵を見たことがあるという人は多いんじゃないかと思います」
もうお分かりだろうが、今俺が受けているのは美術史の講義だ。
本来であれば、美術史は俺の所属する学部の科目ではない。
一般教養科目の単位を取得するために受講しているのだ。
もちろん専門科目だけをひたすら修めまくっても卒業はできるが、それに比べて楽な講義をこなしていく方が精神衛生上良いだろう。
その本心はサボりたいからである。
もちろん隣には麗しの三上の姿があり、彼女は俺と違い真面目に講義に取り組んでいるようだった。
いや、俺も講義を聞き、レジュメに書き込んではいるのだが、こうやって教授の話を聞いていると、俺の数少ない特技である「妄想」が働いてしまうのだ。
「彼はのちにカルロス4世の宮廷画家となり、その一家を描いた――」
ふむ、俺にも絵の才能があれば、毎日のように三上をスケッチしていたのかもしれない。
黒板を見つめているときですら美しさに一点の翳りもなく、筋が通っていて高い鼻は、彼女が如何に「高嶺の花」かということを暗喩しているようだった。
これはちょっとギャグっぽいな。
話を戻そう。スケッチの話だったな。
スケッチに限ったことではないのだが、まるで写真を撮ったのように美しく、そして緻密な絵を残せる人間は尊敬に値する。
描かれる経験もしてみたいが、それよりも素晴らしい絵を描き、人に感謝されてみたいものだ。
ということで今日は、もし俺が画家だったら、どんな三上の姿を描いてみたいかを考えることにしよう。
教場には悪いが、この時点で講義から脱線させてもらうことにした。
「特に有名な作品と言えば、我が子を――」
だが、ちゃんと講義を聞いていないと三上に思われたくはない。
ここら辺で熱心に頷き、真面目アピールをしておこう。
「……うんうん、わかる」
よし、ちょっと感心してる様子も出しておいたし、これでいいな。
隣で足と机がぶつかる音がしたが、気のせいだろう。
それでは、「三上の、絵に残したい姿」選手権、開幕である。
まず最初に登場するのは、「その日初めて会ったときに挨拶してくれる三上」だろう。
微かに微笑みながらこちらに挨拶をしてくれる姿は天使、または朝に降り注ぐ日差しそのものであり、それを摂取することで俺は生存を可能としているのだ。
三上に彼氏でもできてしまったら、多分俺の大学生活は爆発四散して終わりを迎えるだろう。
いや、彼女の幸せが一番なんだけど、ねぇ?
ちなみに、三上の挨拶には「おはようございます」と「おはようございます~」の2パターンがあるのをご存知だろうか。
前者の方がハキハキとしていて、後者の方がおっとりとしていて癒される。
ここは三上検定二級でも出題されているので、後で復習しておくように。
最初からなかなか強力な三上が出てきてしまった。
しかし、次に紹介する三上も負けず劣らずの強カード。
その名も「俺の話を聞いてくれている時の三上」である。
え、普通に聞いてるだけじゃないの?
普通はそう思うだろう。当然の反応である。
だが、三上はその育ちの良さから、人の話を聞く時にはその方向に身体を向け、相手の目をできるだけ見ながら聞くのだ。
『な、なんて教育の行き届いたお嬢様なんだー!』
あまりの清楚パワーに、脳内に潜む俺が実況を始めてしまったようだ。
ここからは、実況の脳内黒木と、解説の現実黒木のコンビでお送りしたいと思う。
ということで解説を始めよう。
まずは三上の、話を聞く体勢についてだ。
彼女がこちらに身体を向けてくれることで、会話に興味がある事が窺い知れる。
『これは話す方も嬉しいぞー!』
そして、目と目が合うことで、さらにその威力を強固なものとしているのだ。
『なんてしっかりとした教育を受けているんだー!』
だが、これには弊害も存在している。
常に彼女の美貌にノックアウトされている俺としては、目が合うと緊張して上手く話すことができないのだ。
ということは同時に、彼女の表情をよく見ることもできないというのを意味している。
『見たい…! 照れない心が欲しい!』
もしこの瞬間を絵にすれば、毎日姿勢の良い三上を見ることができ、QOLが鰻登りになるだろう。
『ハッピーな毎日だァァァ!!』
さぁ、続いて候補に上がったのは「笑いを堪えているときの三上」だ。
『おぉーっとぉ! ここでレアな三上が登場だぁ~!』
三上が感情を露にする数少ない瞬間である。
「あの三上が、プルプル震えているぅ~!』
先程も微笑む姿は紹介したと思うが、爆笑というレベルで彼女が笑う場面はほとんどない。
『それはつまり……』
俺がつまらないからとか悲しいことは言うな。
じゃなくて、彼女の笑いのツボというのはよくわからない所にあるのだ。
現時点で判明しているのが、
『靴下が左右で違う時ダァ~!』
実況の脳内黒木くん、ありがとう。
今彼が述べた部分が、現在俺が知っている唯一の、彼女の笑いセンサーに引っかかる事象である。
つまり、相当予想外のことがなければ、三上が爆笑する姿を見ることができないのだ。
『それはお前が実力不足なんじゃないのかァ~?』
ブーメランである。
だが、見るのが難しい甲斐あって彼女の笑顔の威力は凄まじく、上品にも口元は隠されてしまうものの、大きな猫のような目は幸せそうに細まり、しかし長いまつ毛が強調されて全く小さく見えない。
『か、可憐だァ~! 上を向いたまつ毛が美しさに磨きをかけているぞ~!』
その通り。素晴らしいシーンだということに異論を唱える人間はいないだろう。
以上が、今回エントリーされた三上の――。
『おっとぉ!? ここで、凄まじいまでの力を持った選手が入場してきたようだ~!!』
なんだと?
一体誰なのだろう。ここまでに登場した三上でさえ、地球を破壊できるほどのパワーを秘めていたというのに。
それよりも強力な三上なんて、俺の記憶に――。
『あーんしてくれた三上だぁ~!!!!!』
うおおおお!!!
そうか、それがあったか!
あまりに刺激が強すぎて、もはや記憶の奥底に封印されてしまっていたのだ。
それが、前回公園に散歩に行った時、サイコロステーキを食べさせてくれた三上である!
『この強さS 級、いやSS級三上だァ~!』
その時の俺は緊張し過ぎて、碌に彼女の顔も見ることができなかった。
それを絵に残すことができたのなら、あの時見逃した姿を脳裏に焼き付けることができる。
『なんて幸せなんだァ~!!』
ここにきてベクトルの違う選手が現れるとは。
いつの時代も、あっと驚くような若者が世界の常識を――。
「はい、今日の講義はここまでにします。えー講義を受けてね、美術に興味を持ったら是非美術館に足を運んでみてください。レジュメや教科書で見るのと本物を見るのとでは訳が違います。ということで、また来週」
おっと、ここからが面白いところだというのに。
あまりに議論が白熱しすぎて講義が終わってしまったようだ。
結論からいうと、どの三上も最高だったので全て絵に残したい。
わかりきった答えが出たところで、俺は隣にいる女神の姿を視界に入れる。
彼女はボールペンを片手にメモを取っており、やはりというか、その姿もまた……。
『可憐だ……』
「わかる……」
いけないいけない。
そろそろ脳内黒木にはご退場いただこう。
このままでは、俺が独り言を呟いている危ないやつだと思われてしまう。
もう1人の自分が萎んだところで、三上に声をかける。
「三上、今日はなんて書いたんだ?」
「きょ、今日はですね……」
何故彼女が言い淀んでいるか定かでは無いが、この講義に突っ込むようなところはあると思えないし、今回はそんなに――。
「黒木君は、自分の子供を食べたことがあるかもしれない……です……」
「え!? 待ってなにそれ!?」
「わ、私は秘密にしてますね……」
「いや、よく分からないけど誤解だよ!?」
その後、若干怖がっている三上にぼかしながら説明をし、なんとか誤解を解くことができた。
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