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1話 ひとつの真実だけで
プロローグ ´
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――お父さんなんて死んじゃえばいいのに……
彼女はそう願ってしまった。本気で父親がいなくなればいいなどと考えたわけではない。どちらかと言えばその逆だ。ずっと一緒にいたかった。ずっと一緒に生きたかった。ただ約束を守ってくれなかった父親が許せなくて、そんな心にもない思いが脳裏をよぎっただけだった。つい。
天真爛漫を絵に描いたような女の子。思ったことは考えるよりもまず先に口にする。高梨李依は無邪気で底抜けに明るい小学校4年生である。最近の子供にしては珍しく挨拶のできる小学生だと近所でも評判で、コンディションの良いときには、野良猫にまで挨拶をする始末。誰にでも分け隔てなく向けられる善意の眼差しに、母親は「親切にされても知らない人についていっちゃだめよ」と毎日のように言い聞かせ、本気で誘拐事件を心配してしまうほどである。
母親が朝食の支度をする音が李依は好きである。夢と現実の境界を彷徨いながら、今朝の献立を推測する時間が幸せでたまらない。たいていのメニューは聴覚だけで言い当てられると自負している。李依としてはこの至福の時を堪能しているだけなのだが、母親からしてみれば、単なる寝起きの悪い娘ということになる。
「李依、朝ごはんできてるわよ」
母親のいつもの優しい声の裏側に「いつまで寝ているの。早く起きなさい」という含みを感じ、李依は夢の世界から現実の世界に帰還した。リビングから何度声をかけてくれたのだろう。いつものことだが、いくら考えても李依には分からなかった。ようやくベッドから抜け出すことに成功した彼女は中二階に設けられたロフトから三段のひのき階段を伝ってリビングへと降りてきた。
「今日の朝ごはんな――に?」
まるでその言葉が朝の挨拶であるかのように自然に問いかけてくる娘に対して、まずは正式な朝の挨拶で応える母親。続けて、今朝のメニューを発表しようとしたところで李依に制止される。
「やっぱいい、言わないで!」
目玉焼き、ベーコン、トースト……、順々にメニューを言い当てる李依。フライパンの調理音だけで推察したのだと自慢げに語る娘の言葉に疑いの念を抱いた母親は少し意地悪をしたくなった。
「フライパンの音ね――? じゃ――、トーストは?」
「コンガリ焼けた、香ばしいにお――、あっ!」
「はい、ダメ――!」
したり顔の母親、照れくさそうに笑う李依、何気ない日常の中の小さな幸せに、この時はまだ気付くことができなかった。
「あれ、お父さんは?」
テーブルから壁掛け液晶テレビが一番見やすい席が父親の定位置である。いつもの席に着いていないことを不思議そうにしていると母親がにやにやしながら歩みよってきた。
「え、忘れちゃったの。出張でロンドンへ向かったわよ。今ごろは空の上でブレックファーストかしら。約束してた水族館に行けなくなったってお父さんと喧嘩してたじゃない」
――そう言われてみれば、そうなのだけれども。実感がわかない。覚えてはいる。つい昨日のこと。しかし、ずっと前のことのような。それこそ夢の世界の話のような。日常との隔たりを感じる。
「お父さんの嘘つき! もう知らない!」
母親は少し揶揄うように李依の声と口調をまねてみせた。
液晶テレビが急に報道に切り替わる。
「7時10分、羽田空港発、ロンドン行、ANC127便が東シナ海上空で爆発炎上墜落、乗員乗客の安否は不明」
「繰り返します」
「7時10分、羽田空港発、ロンドン行、ANC127便が東シナ海上空で爆発炎上墜落、乗員乗客の安否は不明」
――私がお父さんを殺したんだ……
それは、比喩でも何でもない。紛れもない真実だった。
彼女はそう願ってしまった。本気で父親がいなくなればいいなどと考えたわけではない。どちらかと言えばその逆だ。ずっと一緒にいたかった。ずっと一緒に生きたかった。ただ約束を守ってくれなかった父親が許せなくて、そんな心にもない思いが脳裏をよぎっただけだった。つい。
天真爛漫を絵に描いたような女の子。思ったことは考えるよりもまず先に口にする。高梨李依は無邪気で底抜けに明るい小学校4年生である。最近の子供にしては珍しく挨拶のできる小学生だと近所でも評判で、コンディションの良いときには、野良猫にまで挨拶をする始末。誰にでも分け隔てなく向けられる善意の眼差しに、母親は「親切にされても知らない人についていっちゃだめよ」と毎日のように言い聞かせ、本気で誘拐事件を心配してしまうほどである。
母親が朝食の支度をする音が李依は好きである。夢と現実の境界を彷徨いながら、今朝の献立を推測する時間が幸せでたまらない。たいていのメニューは聴覚だけで言い当てられると自負している。李依としてはこの至福の時を堪能しているだけなのだが、母親からしてみれば、単なる寝起きの悪い娘ということになる。
「李依、朝ごはんできてるわよ」
母親のいつもの優しい声の裏側に「いつまで寝ているの。早く起きなさい」という含みを感じ、李依は夢の世界から現実の世界に帰還した。リビングから何度声をかけてくれたのだろう。いつものことだが、いくら考えても李依には分からなかった。ようやくベッドから抜け出すことに成功した彼女は中二階に設けられたロフトから三段のひのき階段を伝ってリビングへと降りてきた。
「今日の朝ごはんな――に?」
まるでその言葉が朝の挨拶であるかのように自然に問いかけてくる娘に対して、まずは正式な朝の挨拶で応える母親。続けて、今朝のメニューを発表しようとしたところで李依に制止される。
「やっぱいい、言わないで!」
目玉焼き、ベーコン、トースト……、順々にメニューを言い当てる李依。フライパンの調理音だけで推察したのだと自慢げに語る娘の言葉に疑いの念を抱いた母親は少し意地悪をしたくなった。
「フライパンの音ね――? じゃ――、トーストは?」
「コンガリ焼けた、香ばしいにお――、あっ!」
「はい、ダメ――!」
したり顔の母親、照れくさそうに笑う李依、何気ない日常の中の小さな幸せに、この時はまだ気付くことができなかった。
「あれ、お父さんは?」
テーブルから壁掛け液晶テレビが一番見やすい席が父親の定位置である。いつもの席に着いていないことを不思議そうにしていると母親がにやにやしながら歩みよってきた。
「え、忘れちゃったの。出張でロンドンへ向かったわよ。今ごろは空の上でブレックファーストかしら。約束してた水族館に行けなくなったってお父さんと喧嘩してたじゃない」
――そう言われてみれば、そうなのだけれども。実感がわかない。覚えてはいる。つい昨日のこと。しかし、ずっと前のことのような。それこそ夢の世界の話のような。日常との隔たりを感じる。
「お父さんの嘘つき! もう知らない!」
母親は少し揶揄うように李依の声と口調をまねてみせた。
液晶テレビが急に報道に切り替わる。
「7時10分、羽田空港発、ロンドン行、ANC127便が東シナ海上空で爆発炎上墜落、乗員乗客の安否は不明」
「繰り返します」
「7時10分、羽田空港発、ロンドン行、ANC127便が東シナ海上空で爆発炎上墜落、乗員乗客の安否は不明」
――私がお父さんを殺したんだ……
それは、比喩でも何でもない。紛れもない真実だった。
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