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16 先輩と高所訓練
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開校記念レースのために僕はできる限りのことをした。一度落馬しているのだ。人前でまたあのような失態をさらすわけにはいかない。
手始めに飛馬についての本を読み漁ったあと、どうやら通訳のようなことが出来るらしい魔獣調教のカイ先生がいる学園の厩を訪ね、相談をしに行った。
「リアム号はね、ビクビクされると背中が痒くなっちゃうんだって。前に立ち上がっちゃったのはそれが原因。魔獣だからさ、感情で変わる魔力の流れとか、何かも感知しちゃうんじゃないかな。僕の仮説だけど」
「なるほど、とにかく怖がるなと。わかりました、ありがとうございます。ところで飛馬の気持ちって先生にはどういう風にわかるんですか?」
「こうやって喋ってるのと同じように聞こえるよ。動物の声は聞こえないけど、魔獣の声は聞こえるしよく話しかけてくるね」
「凄いですね。ちなみにリアム号の言葉をそのまま教えてもらっていいですか? どんな風なのか気になって」
……何かまずいことを聞いてしまっただろうか。先生は額に手を当て、苦笑いをしながら、口を開いた。
「おい坊ちゃんよ。オメービビッてんじゃねえよ。背中が痒くて仕方ねーよ。シャキッとしろよ。男だろ。ついてんのかこの野郎。…って言ってる……」
「……すみません…言いにくいことを…」
飛馬はわりと大多数がこういう柄の悪…フランクな言葉を投げかけてくるそうだ。いかにも大人しそうで女の子のような先生が、この言葉遣いの台詞を浴びていると思うとなんだかとても気の毒に思えた。
──────
「…ということです。何度も乗って慣れるしかないと思いますが、先生に手間をかけさせるわけにはいかないし」
「じゃあ俺と乗ればいいよ。許可取ってくるからちょっと待ってて!」
放課後の夕食前にカーティス先輩を訪ねて相談をしに行くと、彼はそれだけ言って早々に退出して行った。鍛錬だの何だので疲れているだろうに、いいのだろうか。でも一人で乗るにはまだ不安があるし、許可も下りない。
「はあ、はあ、ただいま、今から行こう、はあ、はあ、」
…また先輩を走らせてしまった。申し訳ない。
騎士科はとにかく身体を使って慣らすことが多いため、自主練に関することに許可が下りやすい。敷地内を出るな、高所に行き過ぎるな、という制限があれど、不慣れな魔術科より遥かに自由だ。
高所に行き過ぎるな、というのはつまり、まあ、こういうことだ。
──────
「大丈夫ー? しっかり固定具着けてるから落ちないよ。金具もちゃんと安全に使えるかチェックしてるから。ね?」
「…………はい」
「ゆっくり一周するからね。日が落ちてきたから、街並みが橙色だね。綺麗だなあ」
「…………はい」
また『はい』しか言えなくなってしまった。慣れるしかない。だからといって、飛ぶ必要はあっただろうか。
カーティス先輩の言い分はこうだ。『思いっきり高いところに慣れてしまえば、陸での飛馬の背中なんてちょっとした段差くらいに思えるはずだよ。俺だって最初は少し怖かったんだから。レッツトライ!』
「ユハニくんは飛馬が怖いっていうより、高いところが怖いんだよね。でも君は魔術が使えるわけだから、いざというときに身を守れる力があるはず。俺が落ちたら助けてね!」
「え、縁起でもないこと言わないでください。きっと頭が真っ白になって呪文なんか出てきませんよ」
「えー、じゃあ歌で覚えればいいんじゃない? お友達にいたじゃない、綺麗な歌声の、あの……誰だっけ?」
「イレネオですか。…そうだな、相談してみます」
カーティス先輩は調子っ外れの鼻歌を歌いながら手綱を軽く引いている。もうすぐ一周が終わる頃だ。時計塔が近くなってきた。
「ユハニくん、相談してくれてありがとう。ところで『はい』っていうお返事以外にも喋れてるって気がついてた?」
「あ、本当だ、そうですね。脚が震える感じも少なくなってきました」
「よかった。これを繰り返せば克服できるね。それに俺は後ろからぎゅうぎゅうに抱きしめてもらえる機会がまた得られるわけだ。役得だ!」
そんなにしがみついていただろうか。ふと自分の腕に意識を持っていくと、一気にだるさが襲ってきた。無意識に力が入っていたらしい。
僕は必要ないと思って飛行の授業は取らなかったが、やはり鍛えたほうがよさそうだ。支えになるものを使って行う飛行訓練。万が一のときに備えるための方法も同時に訓練するそうだ。
「飛行の緊急回避だけでも身につけます。もし今本当に落ちてしまったら、助けられるのは僕だけでしょう?」
「え、本当? 嬉しいなあ。そして頼もしいね。飛馬と魔術師がいないと、空中での兵士なんてそりゃあ無力だからね」
生きる戦車と名高い飛馬を完璧に乗りこなしている当人から無力、と言われても実感が湧かない。そして『兵士』という単語を聞いて、ふと気づいた。カーティス先輩は卒業後、進路はどうするつもりなんだろう。
「ん? 俺は衛兵になるよー。どっかの領主のお抱え兵士は遠方に配属されるかもだし、討伐に行かなきゃだし。堅苦しいのキライだからお城も嫌だし。消去法で衛兵。転勤あるけど。ユハニくんはもう決めてるの?」
「僕は研究職に就きたいので、魔術工学の道へ進む予定です。だから王都にはこのまま残りますが、衛兵はわからないですよね」
「まあねー。成績悪かったり、未婚だと遠方になりやすいね。婚約者さんや奥さんが王都で働いてたり、学校行ってると多少は考慮され────」
「じゃあ僕が奥さんになりますから、王都にいてくださいね」
『えっ』とか、『う、うん』とか言いながら空中で挙動不審になり始めたカーティス先輩を、リアム号が少し振り返って胡乱な目で見つめていた。背中が痒くなったんだろうか。
手始めに飛馬についての本を読み漁ったあと、どうやら通訳のようなことが出来るらしい魔獣調教のカイ先生がいる学園の厩を訪ね、相談をしに行った。
「リアム号はね、ビクビクされると背中が痒くなっちゃうんだって。前に立ち上がっちゃったのはそれが原因。魔獣だからさ、感情で変わる魔力の流れとか、何かも感知しちゃうんじゃないかな。僕の仮説だけど」
「なるほど、とにかく怖がるなと。わかりました、ありがとうございます。ところで飛馬の気持ちって先生にはどういう風にわかるんですか?」
「こうやって喋ってるのと同じように聞こえるよ。動物の声は聞こえないけど、魔獣の声は聞こえるしよく話しかけてくるね」
「凄いですね。ちなみにリアム号の言葉をそのまま教えてもらっていいですか? どんな風なのか気になって」
……何かまずいことを聞いてしまっただろうか。先生は額に手を当て、苦笑いをしながら、口を開いた。
「おい坊ちゃんよ。オメービビッてんじゃねえよ。背中が痒くて仕方ねーよ。シャキッとしろよ。男だろ。ついてんのかこの野郎。…って言ってる……」
「……すみません…言いにくいことを…」
飛馬はわりと大多数がこういう柄の悪…フランクな言葉を投げかけてくるそうだ。いかにも大人しそうで女の子のような先生が、この言葉遣いの台詞を浴びていると思うとなんだかとても気の毒に思えた。
──────
「…ということです。何度も乗って慣れるしかないと思いますが、先生に手間をかけさせるわけにはいかないし」
「じゃあ俺と乗ればいいよ。許可取ってくるからちょっと待ってて!」
放課後の夕食前にカーティス先輩を訪ねて相談をしに行くと、彼はそれだけ言って早々に退出して行った。鍛錬だの何だので疲れているだろうに、いいのだろうか。でも一人で乗るにはまだ不安があるし、許可も下りない。
「はあ、はあ、ただいま、今から行こう、はあ、はあ、」
…また先輩を走らせてしまった。申し訳ない。
騎士科はとにかく身体を使って慣らすことが多いため、自主練に関することに許可が下りやすい。敷地内を出るな、高所に行き過ぎるな、という制限があれど、不慣れな魔術科より遥かに自由だ。
高所に行き過ぎるな、というのはつまり、まあ、こういうことだ。
──────
「大丈夫ー? しっかり固定具着けてるから落ちないよ。金具もちゃんと安全に使えるかチェックしてるから。ね?」
「…………はい」
「ゆっくり一周するからね。日が落ちてきたから、街並みが橙色だね。綺麗だなあ」
「…………はい」
また『はい』しか言えなくなってしまった。慣れるしかない。だからといって、飛ぶ必要はあっただろうか。
カーティス先輩の言い分はこうだ。『思いっきり高いところに慣れてしまえば、陸での飛馬の背中なんてちょっとした段差くらいに思えるはずだよ。俺だって最初は少し怖かったんだから。レッツトライ!』
「ユハニくんは飛馬が怖いっていうより、高いところが怖いんだよね。でも君は魔術が使えるわけだから、いざというときに身を守れる力があるはず。俺が落ちたら助けてね!」
「え、縁起でもないこと言わないでください。きっと頭が真っ白になって呪文なんか出てきませんよ」
「えー、じゃあ歌で覚えればいいんじゃない? お友達にいたじゃない、綺麗な歌声の、あの……誰だっけ?」
「イレネオですか。…そうだな、相談してみます」
カーティス先輩は調子っ外れの鼻歌を歌いながら手綱を軽く引いている。もうすぐ一周が終わる頃だ。時計塔が近くなってきた。
「ユハニくん、相談してくれてありがとう。ところで『はい』っていうお返事以外にも喋れてるって気がついてた?」
「あ、本当だ、そうですね。脚が震える感じも少なくなってきました」
「よかった。これを繰り返せば克服できるね。それに俺は後ろからぎゅうぎゅうに抱きしめてもらえる機会がまた得られるわけだ。役得だ!」
そんなにしがみついていただろうか。ふと自分の腕に意識を持っていくと、一気にだるさが襲ってきた。無意識に力が入っていたらしい。
僕は必要ないと思って飛行の授業は取らなかったが、やはり鍛えたほうがよさそうだ。支えになるものを使って行う飛行訓練。万が一のときに備えるための方法も同時に訓練するそうだ。
「飛行の緊急回避だけでも身につけます。もし今本当に落ちてしまったら、助けられるのは僕だけでしょう?」
「え、本当? 嬉しいなあ。そして頼もしいね。飛馬と魔術師がいないと、空中での兵士なんてそりゃあ無力だからね」
生きる戦車と名高い飛馬を完璧に乗りこなしている当人から無力、と言われても実感が湧かない。そして『兵士』という単語を聞いて、ふと気づいた。カーティス先輩は卒業後、進路はどうするつもりなんだろう。
「ん? 俺は衛兵になるよー。どっかの領主のお抱え兵士は遠方に配属されるかもだし、討伐に行かなきゃだし。堅苦しいのキライだからお城も嫌だし。消去法で衛兵。転勤あるけど。ユハニくんはもう決めてるの?」
「僕は研究職に就きたいので、魔術工学の道へ進む予定です。だから王都にはこのまま残りますが、衛兵はわからないですよね」
「まあねー。成績悪かったり、未婚だと遠方になりやすいね。婚約者さんや奥さんが王都で働いてたり、学校行ってると多少は考慮され────」
「じゃあ僕が奥さんになりますから、王都にいてくださいね」
『えっ』とか、『う、うん』とか言いながら空中で挙動不審になり始めたカーティス先輩を、リアム号が少し振り返って胡乱な目で見つめていた。背中が痒くなったんだろうか。
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