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46 イゴルさんと恋占い

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「よおイゴル。つーかあんたさー、よくまた顔出せたよね。後半ムチ? 先週は楽しく飲めたみたいでさー、なによりだよコノヤロー」
「前半は何なんだよ。厚顔無恥だろ。辞書持ってきてやったんだから引けよメルヤ」
「もー、やめなさいよぉメルちゃん。良かったわねぇイゴルさん。ジルくんがわざわざ会ってくれるって。じゃないとここに入れなかったところよぉ。そんなのイヤでしょ?」
「ぁ……はい。その節は……、ご迷惑をおかけしました」

 衛兵を呼ぶ騒ぎまでにはならなかったのに責めすぎじゃないか、とは言ってみた。しかし彼は酒癖が悪く、やらかしは前回限りのことではなかった。

 酒が入ると必ずああなるわけではない。だから今までママさんとメルヤは彼を見逃してあげていた。しかし次騒いだら出禁にする。以前にそう宣言した上でのあの泥酔騒ぎだったのだ。

「もし良かったら、お酒が飲めなくなる呪術をかけてみましょうか」
「いや、それは……はい、もし次にああなったら依頼させていただきます」

 なるほど、そこまで酒が好きなのか。依存症になっちゃいないか、と思いながら彼にテーブルの上へ手を出すよう指示をした。

 大きくて肉厚な手のひらだ。それを両手でそっと包んでみた。ほとんど知らない人の手に挨拶ではない触れ方をするのはやけに気恥ずかしく、緊張するが仕方ない。改めて依頼したい内容を確認しながら、想像力を働かせる。

 コツはもうなんとなくだが覚えている。身体のどこからか沸いてくる、ひんやりとした箒星。それに意識と願いを乗せてゆき、相手方の意識へと飛び込むように進ませる。

 彼の手だけに意識を向け、問題はどこにある、と集中しながら見つめていると、焦点が合う感覚がした。頭で想像したものとは全く別の映像が垣間見える。

 クラースさんのときよりはやや不鮮明ではあったのだが、お見合いを目的とした人との集まりの中で、若干挙動不審というものに近い彼の姿が見えてきた。

 いいところを見せたい、会話を途切れさせてはならない、ああしなきゃ、こうしなきゃと焦る、彼の肩に手をかける。そっと囁くように誘導する。

 血を末端まで巡らせろ。手足が温まってくる。筋肉は緩み、脈は正常に戻る。ほら、落ち着いてきた。大丈夫だ。お前の良さは誰が相手でも引き出せる。相手を見る余裕がお前の魅力になる。活力になる。強さになる。

 相手の話に耳を傾け、関連する話題を投げる。手がかりはいつも目の前にある。さすれば会話は怖くない。ママさんとメルヤが良い例だ。ちょっと内容が下品なときもあり、悪い例も含まれるかもしれないが。



 手を握って集中している間、妙に湿ってきていることに気がついた。ちょっと長かったかな。緊張しやすい彼のことだ、たった二回しか会ったことのない男の手に触れるなど、嫌なことだったかもしれない。

「……はい、これでおしまいです。何か感じ取れたことはありましたか?」
「……ぁ、はい。何ていうか、手から風がびゅうびゅうと吹き込んできたような。でも手だけだし、室内ですからそんなはずはないですし……」

「大丈夫ですか? なんだかぼーっとしているようですが。体調は悪くありませんか」
「……いえ。すこぶる快調です。……あの、本当にもうおしまいですか。もう少しこの席にいてくださることは出来ませんか」

 そう言われ、どうしたんだろうと考える前にギュッと手を握り返されてしまった。……何だ? 不安? 恐怖? 手を拘束されてしまったせいで席を立てず、困惑しているとママさんがゆっくり近づいてきた。

「イゴルさん。もうおしまいですって。お願い事が叶うといいわね。今日はこのまま飲んでいくの? もうお帰りになる?」
「……そうだ、あなたのお名前を聞いてませんでした。なんとおっしゃる?」
「えっ……ああ、これは失礼いたしました。改めまして、俺はジルヴェスターです」

「ジルヴェスターさん。いい名前ですね。良ければ来週もお会いしていただけますか」
「はい。じゃあ、そのときにでも効果があったか聞かせていただきますね。他に何か占いたいことはおありですか?」

「ええ。また恋占いをお願いします。じゃあママさん、お会計を」

 ママさんはふんわりと微笑みながら『締めて金貨が三になりまぁす』と、またぼったくった価格を堂々と請求していたが、突然ぼんやりとした様子になった彼は特に騒いだりせず、きっちり素直に支払っていた。

 ……大丈夫かなあ。俺はまだ経験が浅いし、ほとんど知らない人相手だ。何か悪い副作用が起きたりなんてしないよな。

 俺が心配したその副作用らしきものは次の週に会ってわかった。彼が意中の相手を一人に絞り、占いの対象者として名前を挙げてきた瞬間だ。



 ──────



「……えっ? 相手は呪術師? 魔術師の間違いではなく?」
「そうです。難攻不落でしょう」

「難攻不落かどうかはさておき、すごく珍しいでしょう。どうやって見つけたんですか。俺が紹介してほしいくらいです」
「同じ職業の方がお好みですか? 一般人には興味がない?」

「いや、そうではなくて。俺が知ってる呪術師はもう高齢で、その人しか知らないんです。他にもいるなら会ってみたい」
「もうとっくの昔に会ってると思いますがね。とても精悍な面持ちの美しい方ですよ」

「えー……、誰だろう。聞いたことがない。お名前はわかりますか?」
「私から差し上げられる手がかりは以上です。もう少し知りたいのなら、私と食事に行きませんか」

 何で食事に行く話になっているのかがわからないし、私、とかいうかしこまった話し方に変わった理由もわからない。これが呪術の効果なのだろうか。彼の雰囲気は前よりずっと変わってはいるけども。

 目の端でメルヤが何度も笑いを噛み殺している。時々『ブフッ』と吹き出し、パチパチと手を叩いている。ママさんはいつも通りなのだが、なんだか今日はいつもより楽しそうで、ご機嫌なように見えるのだが。

 何の話にウケてるんだか、とさほど興味は沸かなかった。女性は風で帽子が飛ばされた人を見るだけできゃらきゃらと笑う生き物だ。男のクラースさんもそうだけど。

「ジルヴェスターさんはどんなものがお好みですか? 嫌いなものはありますか?」
「嫌いなものは特にないです。じゃなくて、何で俺と食事なんかに行きたいんですか。何も利益は生まないでしょう。それよりも、まだ一週間しか経ってませんが、お見合いなどには行かれましたか?」
「いえ。行く必要はもうありません。大切な人を見つけました」

「そうですか、たった一席ですぐに見つかったということで。でも呪術師がそんな集まりに……行くもんかなあ。でも実際……」
「まあ、ある意味お見合いに近かったかも。今となっては過程を全てすっ飛ばして、求婚したいくらいですね」

「すごいですね、そんなにですか」
「そんなにです」

 目の前の男は至極幸せそうに微笑んでいる。テーブルのグラスの中身はリモラを絞った炭酸水。まだ一杯も酒は飲んでいないはずなのだが、まるで酔っているかのようだった。

 それにしても随分印象が柔らかくなった。初めて会ったときは瞳孔が開ききった目をして、怒鳴り散らしていたからしてヤバい奴にしか見えなかったが、こうやってニコニコ笑っている姿には少年のような明るさがある。

 丸い目は笑うと目尻に皺ができ、口角は綺麗に上っている。少し厚ぼったい唇は前見たときより血色が良く、肌も艶が戻ったようでピカピカに輝いていた。全体的に童顔だ。

 印象が柔らかすぎて、パッと見で頼れそうな人にはあまり見えない。そう見てほしい本人と、周りからの印象の落差を彼はずっと昔から気にしていたのかもしれない。

「私、あるお食事処の優待券を持ってるんです。だからそんなに負担じゃない。あなたに是非お礼がしたくて。こんな穏やかな気分になれたのは久しぶりなんですよ」
「いえいえ、どうぞお気遣いなく。俺は仕事をしただけです。すでにお代は頂いてますし。それに俺、本業があって休みがあまりないんです」

「じゃあ、ここに勤めてらっしゃる時間を私が買いますから。それならあなたにも特別負担がないでしょう? ママさーん!」

『はぁい』とすぐにママさんが近づいてきて、彼と交渉を始めてしまった。『変な所に連れ込んじゃダメよ』『最初からそんなことしないよ』と、何やら不穏な会話も挟みながら。

 何か悪い誘いをかけるつもりじゃないといいんだが。出禁寸前だったとしても長く通ってはいたみたいだし、ここはママさんの判断を信用することにした。

「お待たせジルくん。来週はお出かけしていいからね。時間が余ったらお店に顔を出してくれたらそれでいいわよー」

 ……いいか、と聞いた覚えはないが、出かけることが決まってしまった。





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