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5 人生は変えられる
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端から見ると良くわかる。クラースさんは周りの仲間と上手くやっていけている。俺みたいに話しかけるたび、ピクリと肩を揺らされたり、どもったり、目を泳がせられたりなんてしない。別に俺は怒ってない。不機嫌なわけでもない。ひとえに顔が怖いだけだ。
彼はいつも笑顔だし、それが伝染するように周りの仲間も笑顔でフランクに接している。時々笑いが起こったり、ふざけ合ったりなんかもしている。
俺の人間関係なんてこんなものだと諦めていたつもりだった。しかし彼に強い信頼を寄せている反面、自分にはないものが彼にはあると、和やかな会話をしている姿を見かけるたびに無意味な比較をするようになった。
休日の俺は相変わらずやることがない。魔道具の専門書はところどころ目が滑り、これはクラースさんに一度解説をお願いせねばと思い立ったところでまた悩み始めた。顔も育ちも違うのに、どうやったらああなれるのかなあ、なんてことを。
俺、そんなに怖いかなあ。級友たちには『声も低いから、不機嫌なんだと勘違いするときがある』と言われていた。顔の造形なんて一生変えられないし、声だって作り続けるのは不自然だよなあ。いい奴を通り越して、変な奴になってしまう。
どうしようもないことを考え続けて頭をぐつぐつ煮立たせていると、ノックの音が部屋に響いた。そろそろ夕食の時間である。特に約束はしてなかったが、クラースさんが誘いにでも来てくれたのかな。
「こんばんはー。ねえ、海の近くの梶木亭ってとこでご飯買って来たんだけどさ、夕飯まだなら一緒に食べない?」
「え、結構遠くに行ってたんですね。わざわざありがとうございます。いただきます」
クラースさんは二週間か三週間に一度、どこかに出かけることがある。戻り次第食事に誘ってくれるのだが、外出した後の彼はいつも少しばかり疲れているような気がしていた。外出は楽しいが、歩き疲れてしまったとか、馬車の揺れがしんどくてとか、そういうことなんだろう。
俺の部屋に訪ねてきたクラースさんは、テキパキとテーブルの上に箱入りの夕食を並べ、お酒まで抜かりなく用意していた。
「ん? 怖い? どこがどう怖いのさー」
「見てわかるでしょう。顔つきですよ。俺、金をむしり取るときのウィジマノフにそっくりだって言われたことあるんですよ。酷すぎません?」
闇金ウィジマノフ。創作世界の人物だが、世にも恐ろしい金貸し屋の男である。背が高く、目つきが悪い。十日で五割の利息を取る暴利を貪り、息を吸って吐くように暴力を振るう容赦のなさ。債務者が金を期日内に返せなかったときの追い詰めシーンが毎回手に汗握る展開で、新作が出るたび書店に平積みされて話題の本になっている。
「くっ……!! いや、そこまでじゃないっしょ……!! 誰だよ言ったの!! いやでも、ごめん、すっごいウケる。な、涙出てきたっ」
「いいっスよ、もう別に……それ言ったの一応友達ですし。まだいいです。まだ許せます。そんときも今みたいにみんな下向いて肩震わせてましたね。普段から俺のことちょっと怖がってるくせしてですよ。なかなかにギリギリの冗談でしたねあれは」
「そ、そーだねっ……はー笑った。ギリのラインを攻めてきたねその友達。当たらずとも遠からず具合が絶妙だね。センスあるわ」
「俺が長身だったら終わってましたね。オトモダチ作りなんか夢のまた夢でしたよ。現実に金貸し業から引き抜きとかされてたでしょうね。そこでは出世が早かったかもしれないな。金と暴力の世界かあ……」
「めちゃくちゃ自虐するじゃんジルくん。面白いけどさ、大丈夫だって。顔と人生は関係あるようでないときも過分にあるよ。竜巻猫って知ってる?」
ここで唐突に登場した竜巻猫とは。クラースさんが昔、お金持ちの級友の家へ招待されて行ったとき、そこで初めて目にした魔獣だそうだ。
ミルクティー色の淡い毛皮と、金色の眠たい目をした巨大な猫。短い脚には竜巻がくっついているように毛がふわふわと巻いていて、その脚をいつも投げ出し横になり、日がな一日のんべんだらりと寛いでいる生き物。
「魔獣も動物もさ。勝手に増えたり減ったりするよね。人間はどこの国も女性の数が足りないって嘆いてるけど、動物間でそんな話し合いをしたりしないし、減るときは静かに減ってっちゃう。竜巻猫って性格が怠惰だから、余計ほっとくと減っちゃうらしいよ。でもその運命を変えたがってるのは人間だけで、奴らは何も行動しない」
竜巻猫には人間のような戦略性を持っていない。考えていない。もちろん求愛のために様々な行動をするときはするが、出会いがなければそれまでだ。先天的に与えられた設計図に意識せずとも従って、生を受けては死んでゆく。後は野となれ山となれ。
人間はそうじゃない。例えていうと育児のやり方。怠惰な竜巻猫でさえほっといても自ら子を育てられるのに、人間が予備知識もなしに子を産めば、どうすれば良いかわからず途方に暮れてしまうと推察される。その後、育て方を人に聞いたり調べたり、必死に模索し始めるだろう。我が子を死なせたくない。その本能だけでは子育ては難しい。
「竜巻猫は竜巻猫にしかなれない、というかならない。学者になった個体はいないし、役者なんかにも絶対なれない。台本通りに動けないから。ていうより奴らはずーっと動かないけどね。でも人間は望んで行動すればさあ、ほんの僅かな割合でも望んだとおりの者に近づく可能性があるわけよ。そこは全人類に与えられた自由そのもの。金がないならないなりの、辺鄙なところに生まれたら生まれたなりの自由がさー」
「いや、でもな。俺の顔つきまではどうやったって変えられませんし……」
「そうだなー、方法かあ。服を変える。髪型を変える。地位を手に入れる。金を手に入れる。聞き上手の喋り上手になる。きっとまだ方法はあるだろうね。例えば貴族にはさ、案外見た目の悪い男もいるんだよ。それでも結婚はできる。それは家格がいいからってだけじゃない。家を没落させない手腕と、金を増やす技術を身につけてるから。奥様と子に、辛い思いをさせない力を持ってるから」
聞いていてなんだか恥ずかしいような気持ちになった。この顔が嫌だなあ、損が多いなあと嘆くばかりで、特別なにか工夫したりしたことなんかなかったからだ。そうか、もしかして。外見以外のものを手に入れれば、第一印象は悪くとも、後々印象が変わってくるのは良くあることだ。
「んーでもさ、オレはジルくんのこと怖いって思ったこと全然ないなー。え、なにその顔。ほんとだよ。目がキリッとしててかっこいいし、頬はシャープでスッキリしてる。舞台映えすると思うよ。俳優になったら人気が出そう。キャー、ジルさまー! 握手してー! って地の果てまで追っかけられるよ」
「……地の果てって。殺しにかかってるじゃないですか。愛好者と心中はしませんよ」
『握手してー』と言ったと同時に、クラースさんはにこにこしながら俺の手を突然握った。手が温かかった。予想以上に。そして俺の胸のあたりが急激に狭くなったような心地がした。仕事で必須なサインについて教えられたときと同じように。
その彼の手は俺からあっという間に離れてしまい、動揺がバレたんじゃないかと気が気でなかった。手汗がヤバい。でも拭えない。嫌だったんだと誤解されるわけにはいかないからだ。絶対に。
米からできた酒というのは回りが早い。すでにそれを飲んでいたクラースさんは、とっくにご機嫌状態だ。今もソファーの背に沈んで眠たそうな目をしている。とりあえずは俺の様子に引いたとか、悪いことをしてしまった、みたいな遠慮は今のところ感じられない。……多分。
グラスを見た。いくら美味しくても飲みすぎないようにしようと節制していたつもりだが、とうに飲みすぎていたのかも。急に縮んだ心臓が、元に戻ろうとしたのかドキドキといつまでも喧しい。
他に何か話したいことは沢山あったはずなのに、頭が空気を含んだようにふわふわとしているばかりで、次の言葉を絞り出すのに俺はずっと必死になって思考を空転させていた。
彼はいつも笑顔だし、それが伝染するように周りの仲間も笑顔でフランクに接している。時々笑いが起こったり、ふざけ合ったりなんかもしている。
俺の人間関係なんてこんなものだと諦めていたつもりだった。しかし彼に強い信頼を寄せている反面、自分にはないものが彼にはあると、和やかな会話をしている姿を見かけるたびに無意味な比較をするようになった。
休日の俺は相変わらずやることがない。魔道具の専門書はところどころ目が滑り、これはクラースさんに一度解説をお願いせねばと思い立ったところでまた悩み始めた。顔も育ちも違うのに、どうやったらああなれるのかなあ、なんてことを。
俺、そんなに怖いかなあ。級友たちには『声も低いから、不機嫌なんだと勘違いするときがある』と言われていた。顔の造形なんて一生変えられないし、声だって作り続けるのは不自然だよなあ。いい奴を通り越して、変な奴になってしまう。
どうしようもないことを考え続けて頭をぐつぐつ煮立たせていると、ノックの音が部屋に響いた。そろそろ夕食の時間である。特に約束はしてなかったが、クラースさんが誘いにでも来てくれたのかな。
「こんばんはー。ねえ、海の近くの梶木亭ってとこでご飯買って来たんだけどさ、夕飯まだなら一緒に食べない?」
「え、結構遠くに行ってたんですね。わざわざありがとうございます。いただきます」
クラースさんは二週間か三週間に一度、どこかに出かけることがある。戻り次第食事に誘ってくれるのだが、外出した後の彼はいつも少しばかり疲れているような気がしていた。外出は楽しいが、歩き疲れてしまったとか、馬車の揺れがしんどくてとか、そういうことなんだろう。
俺の部屋に訪ねてきたクラースさんは、テキパキとテーブルの上に箱入りの夕食を並べ、お酒まで抜かりなく用意していた。
「ん? 怖い? どこがどう怖いのさー」
「見てわかるでしょう。顔つきですよ。俺、金をむしり取るときのウィジマノフにそっくりだって言われたことあるんですよ。酷すぎません?」
闇金ウィジマノフ。創作世界の人物だが、世にも恐ろしい金貸し屋の男である。背が高く、目つきが悪い。十日で五割の利息を取る暴利を貪り、息を吸って吐くように暴力を振るう容赦のなさ。債務者が金を期日内に返せなかったときの追い詰めシーンが毎回手に汗握る展開で、新作が出るたび書店に平積みされて話題の本になっている。
「くっ……!! いや、そこまでじゃないっしょ……!! 誰だよ言ったの!! いやでも、ごめん、すっごいウケる。な、涙出てきたっ」
「いいっスよ、もう別に……それ言ったの一応友達ですし。まだいいです。まだ許せます。そんときも今みたいにみんな下向いて肩震わせてましたね。普段から俺のことちょっと怖がってるくせしてですよ。なかなかにギリギリの冗談でしたねあれは」
「そ、そーだねっ……はー笑った。ギリのラインを攻めてきたねその友達。当たらずとも遠からず具合が絶妙だね。センスあるわ」
「俺が長身だったら終わってましたね。オトモダチ作りなんか夢のまた夢でしたよ。現実に金貸し業から引き抜きとかされてたでしょうね。そこでは出世が早かったかもしれないな。金と暴力の世界かあ……」
「めちゃくちゃ自虐するじゃんジルくん。面白いけどさ、大丈夫だって。顔と人生は関係あるようでないときも過分にあるよ。竜巻猫って知ってる?」
ここで唐突に登場した竜巻猫とは。クラースさんが昔、お金持ちの級友の家へ招待されて行ったとき、そこで初めて目にした魔獣だそうだ。
ミルクティー色の淡い毛皮と、金色の眠たい目をした巨大な猫。短い脚には竜巻がくっついているように毛がふわふわと巻いていて、その脚をいつも投げ出し横になり、日がな一日のんべんだらりと寛いでいる生き物。
「魔獣も動物もさ。勝手に増えたり減ったりするよね。人間はどこの国も女性の数が足りないって嘆いてるけど、動物間でそんな話し合いをしたりしないし、減るときは静かに減ってっちゃう。竜巻猫って性格が怠惰だから、余計ほっとくと減っちゃうらしいよ。でもその運命を変えたがってるのは人間だけで、奴らは何も行動しない」
竜巻猫には人間のような戦略性を持っていない。考えていない。もちろん求愛のために様々な行動をするときはするが、出会いがなければそれまでだ。先天的に与えられた設計図に意識せずとも従って、生を受けては死んでゆく。後は野となれ山となれ。
人間はそうじゃない。例えていうと育児のやり方。怠惰な竜巻猫でさえほっといても自ら子を育てられるのに、人間が予備知識もなしに子を産めば、どうすれば良いかわからず途方に暮れてしまうと推察される。その後、育て方を人に聞いたり調べたり、必死に模索し始めるだろう。我が子を死なせたくない。その本能だけでは子育ては難しい。
「竜巻猫は竜巻猫にしかなれない、というかならない。学者になった個体はいないし、役者なんかにも絶対なれない。台本通りに動けないから。ていうより奴らはずーっと動かないけどね。でも人間は望んで行動すればさあ、ほんの僅かな割合でも望んだとおりの者に近づく可能性があるわけよ。そこは全人類に与えられた自由そのもの。金がないならないなりの、辺鄙なところに生まれたら生まれたなりの自由がさー」
「いや、でもな。俺の顔つきまではどうやったって変えられませんし……」
「そうだなー、方法かあ。服を変える。髪型を変える。地位を手に入れる。金を手に入れる。聞き上手の喋り上手になる。きっとまだ方法はあるだろうね。例えば貴族にはさ、案外見た目の悪い男もいるんだよ。それでも結婚はできる。それは家格がいいからってだけじゃない。家を没落させない手腕と、金を増やす技術を身につけてるから。奥様と子に、辛い思いをさせない力を持ってるから」
聞いていてなんだか恥ずかしいような気持ちになった。この顔が嫌だなあ、損が多いなあと嘆くばかりで、特別なにか工夫したりしたことなんかなかったからだ。そうか、もしかして。外見以外のものを手に入れれば、第一印象は悪くとも、後々印象が変わってくるのは良くあることだ。
「んーでもさ、オレはジルくんのこと怖いって思ったこと全然ないなー。え、なにその顔。ほんとだよ。目がキリッとしててかっこいいし、頬はシャープでスッキリしてる。舞台映えすると思うよ。俳優になったら人気が出そう。キャー、ジルさまー! 握手してー! って地の果てまで追っかけられるよ」
「……地の果てって。殺しにかかってるじゃないですか。愛好者と心中はしませんよ」
『握手してー』と言ったと同時に、クラースさんはにこにこしながら俺の手を突然握った。手が温かかった。予想以上に。そして俺の胸のあたりが急激に狭くなったような心地がした。仕事で必須なサインについて教えられたときと同じように。
その彼の手は俺からあっという間に離れてしまい、動揺がバレたんじゃないかと気が気でなかった。手汗がヤバい。でも拭えない。嫌だったんだと誤解されるわけにはいかないからだ。絶対に。
米からできた酒というのは回りが早い。すでにそれを飲んでいたクラースさんは、とっくにご機嫌状態だ。今もソファーの背に沈んで眠たそうな目をしている。とりあえずは俺の様子に引いたとか、悪いことをしてしまった、みたいな遠慮は今のところ感じられない。……多分。
グラスを見た。いくら美味しくても飲みすぎないようにしようと節制していたつもりだが、とうに飲みすぎていたのかも。急に縮んだ心臓が、元に戻ろうとしたのかドキドキといつまでも喧しい。
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