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24 屋敷の馬の名はワンダー
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前夫のご両親は僕に出て行ってほしくなさそうにしていた。しかし引き止める理由も見つからず逡巡している、という感情を押し殺しているのであろう顔をしながらも、最後は静かに送り出してくださった。
ありがたいとは思う。頭では。なぜなら僕の気持ちはとうにこの屋敷にはなかったから。期間が短かったという理由もあるが、どこか自分の家ではない、という感情がどうにも誤魔化しきれないままだった。
例えば、屋敷のどこになにがあるかを覚える作業。厩がここで、厩番は誰で。ここの階段は使用人さんたち専用で、庭に面したこの扉はここと繋がっていて、という家の者ならすぐにでも覚えるような些細なこと。
もちろん最初に案内はされるのだが、わからなくなっても自分が究極に困るまでは誰にも聞かず放置していた。なぜ興味を持つ気が起きなかったか。やはり、いずれ自分は出て行く身だと思っていたからだろう。
使用人さんたちと地道に行う『慣らし』訓練。これが終われば皆、仕事先の大切な主人、その主人の奥方様として僕を見てくれるようになるし、きちんと節度を保ちながらの仕事をしてくれるようになる。
同じことは彼にも起こる。そのとき一体どうなるか。知れば知るほど、飽きっぽい人だという印象が強まるばかりだった彼。情熱的な言葉をひたすら投げかけてくる、目の前で生きて動いていた彼と、冷静だった頃の彼は何を考え何をしたか、という終わったことであるからしてもう二度と動かせない行動履歴。
それはあまりにも差がありすぎて、僕の謎能力の賞味期限が切れたら一体彼はどうなるのか、加算になることはないだろうから零になるのか、それ以下まで減算されてしまうのかという小さな不安と不信感。
この飽きっぽい人は、せっかく良い家の子と結婚できたんだからそれなりには仲良くしておこう、なんて僕が思っているのと似たようなことを思ってはくださらないだろうな、という達観に近い凪いだ気持ち。
要は疑っていた。どうせ飽きるでしょ、今だけなんでしょって。やはりそうだった。
あからさまに屋敷に帰らなくなり始めたとき、少し寂しい気持ちにはなった。でもいざ顔を合わせたときに僕が話題を提供すると、悪気なくそれを奪うようにして自分の話に変えてしまったり、質問をしたのに質問で返され、先にしたはずの僕の話はなかったことにされてしまったり。
正直、当時はそういう彼の小さな悪意なき悪癖を目の当たりにせずに済むようになった、と安心していた。その悪癖のせいで他所から恨みでも買ってきたのか、早々と夜の空から撃ち落とされて消えてしまったが。狙撃手の姿はまだ見えないまま。
──────
「母様、本っていうのはそんなに一気に読めるものじゃないんだよ。読む速さと買う頻度が一致してないからどんどん溜まる一方だし。仕事の合間にメイドさんが整理してくれてるみたいだけど、みんなぐったりしてたよ。本って重さがあるからさあ」
「あら、そうかしら? そんなに買いすぎてた? 見えるところに積んだりしてないから気が付かなかったわ。読んだら元気が出そうな本って種別問わずだと沢山見つかって、ついあれもこれも読んでもらいたくなっちゃって~」
「今朝も姉様と兄様から届いたばっかりなんだよ。みんなで運んだんだけど重くって。気持ちは嬉しいんだけど冊数でそれを表現しなくていいんだよ……ほんとに嬉しいんだけど……」
「あら、もっとゆっくりしなさいな。運ぶのはやってもらいなさい。あなた疲れてるんだから」
「なまっちゃうよ、身体が。本を読むにも体力が要るもんなんだよ。最近やけに眠たいなって思ってたけど、じっとしすぎて体力が落ちてるんだよ。ということで今からワンダーの厩舎に行くから!」
「そうそう、馬と言えば! 父様がマインちゃんに飛馬を買おうかって言ってたわよ。お馬さんより大きくてかっこいい空飛ぶ魔獣よ、あなた知ってるでしょ?」
「聞いたよすでに。うちの執事さんから。無礼を承知で申し上げますが、坊ちゃまにはいささか難しいかと、って気を使わせちゃったよ。陸なら多分大丈夫だけど、僕が空で飛馬を駆るのは無理だよ。ぼんやりしてたら最悪死ぬから! じゃ、いってきます!」
遠くから聞こえる『父様か母様と一緒に乗ればいいじゃなーい』という母様の声を聞こえていないふりをして外へ出た。最近うちの馬の元気がないなあ、わりと年だからかなあ、と思っていたが多分そうじゃない。
自分はお役御免なのではないかと察しているのだ。繊細で頭の良い子だから。多分父様のことだから僕のことしか考えておらず、この子の前で新しい魔獣の話をベラベラしてしまったのだろう。家に呼んだ魔獣の外商さんと一緒になって。
「ごめんねワンダー。父様は僕のことになると繊細さが消失するっていうか、暴走しちゃうっていうか。遅くにできた子供だからってのもあってさあ。とにかく君はずっとここにいてもらうからね」
僕を見たワンダーは長い尻尾をフサフサと振り、顔を寄せて喜んでくれた。彼に乗せてもらい地面から遠く離れたところにいるだけで、そのまま簡単に違う世界に行ける気がして乗馬は好きな時間だった。
前夫に生涯操を立てるという気は正直起こらないのだが、人として可哀想だという気持ちはある。まだ若かった。これからだったのに。
だから、おひとりになったのならうちの子はどうですか、と持ち込まれる縁談を真面目に考える気には到底ならなかった。
そんなことより仕事がしたい、と思っていた。葬儀のときに感じた目を背けたくなるような絶望感。あれを出来るだけ潰していきたい。自分の性格は変えられないが、できることを増やせば必ず未来は変わる。良い方に。
揺れる馬上で姿勢を保ちながら、以前ヒルデ先輩に諭されたことを思い出した。『管理能力が問われんぞ』。『今頼ってる執事やメイドは先に辞めるか年取って死ぬかの二択だぞ』。
執事さんは決して暇ではないが、父様にお願いして家の管理の仕方を教わろう。これは生の声が必要だ。座学だけでは心もとない。
あと、狩猟の腕を磨くことも。敷地から出ることはほぼなかったため、僕の経験値はかなり低い。単純に腕を磨くだけではなく、獲物を狩れば節約になる。新鮮なご馳走を皆に与えられるのだ。一挙両得だ。
そうやって僕は絶えず姿勢を正しながら、先が見えない不安に抗っていた。やはり人間といっても所詮動物、運動するのは大事だよな、と温かいワンダーの体温を分けてもらいながら次々と計画を立てていった。
僕が今乗っている馬どころか魔獣を駆れて、しかも二頭同時に操れる人と縁ができるだなんて、このときは想像だにしていなかった。寿命が長く、とにかく量を食べる魔獣はうちには置かない方がいいよなあ、と現実的なことだけを考えていた。
ありがたいとは思う。頭では。なぜなら僕の気持ちはとうにこの屋敷にはなかったから。期間が短かったという理由もあるが、どこか自分の家ではない、という感情がどうにも誤魔化しきれないままだった。
例えば、屋敷のどこになにがあるかを覚える作業。厩がここで、厩番は誰で。ここの階段は使用人さんたち専用で、庭に面したこの扉はここと繋がっていて、という家の者ならすぐにでも覚えるような些細なこと。
もちろん最初に案内はされるのだが、わからなくなっても自分が究極に困るまでは誰にも聞かず放置していた。なぜ興味を持つ気が起きなかったか。やはり、いずれ自分は出て行く身だと思っていたからだろう。
使用人さんたちと地道に行う『慣らし』訓練。これが終われば皆、仕事先の大切な主人、その主人の奥方様として僕を見てくれるようになるし、きちんと節度を保ちながらの仕事をしてくれるようになる。
同じことは彼にも起こる。そのとき一体どうなるか。知れば知るほど、飽きっぽい人だという印象が強まるばかりだった彼。情熱的な言葉をひたすら投げかけてくる、目の前で生きて動いていた彼と、冷静だった頃の彼は何を考え何をしたか、という終わったことであるからしてもう二度と動かせない行動履歴。
それはあまりにも差がありすぎて、僕の謎能力の賞味期限が切れたら一体彼はどうなるのか、加算になることはないだろうから零になるのか、それ以下まで減算されてしまうのかという小さな不安と不信感。
この飽きっぽい人は、せっかく良い家の子と結婚できたんだからそれなりには仲良くしておこう、なんて僕が思っているのと似たようなことを思ってはくださらないだろうな、という達観に近い凪いだ気持ち。
要は疑っていた。どうせ飽きるでしょ、今だけなんでしょって。やはりそうだった。
あからさまに屋敷に帰らなくなり始めたとき、少し寂しい気持ちにはなった。でもいざ顔を合わせたときに僕が話題を提供すると、悪気なくそれを奪うようにして自分の話に変えてしまったり、質問をしたのに質問で返され、先にしたはずの僕の話はなかったことにされてしまったり。
正直、当時はそういう彼の小さな悪意なき悪癖を目の当たりにせずに済むようになった、と安心していた。その悪癖のせいで他所から恨みでも買ってきたのか、早々と夜の空から撃ち落とされて消えてしまったが。狙撃手の姿はまだ見えないまま。
──────
「母様、本っていうのはそんなに一気に読めるものじゃないんだよ。読む速さと買う頻度が一致してないからどんどん溜まる一方だし。仕事の合間にメイドさんが整理してくれてるみたいだけど、みんなぐったりしてたよ。本って重さがあるからさあ」
「あら、そうかしら? そんなに買いすぎてた? 見えるところに積んだりしてないから気が付かなかったわ。読んだら元気が出そうな本って種別問わずだと沢山見つかって、ついあれもこれも読んでもらいたくなっちゃって~」
「今朝も姉様と兄様から届いたばっかりなんだよ。みんなで運んだんだけど重くって。気持ちは嬉しいんだけど冊数でそれを表現しなくていいんだよ……ほんとに嬉しいんだけど……」
「あら、もっとゆっくりしなさいな。運ぶのはやってもらいなさい。あなた疲れてるんだから」
「なまっちゃうよ、身体が。本を読むにも体力が要るもんなんだよ。最近やけに眠たいなって思ってたけど、じっとしすぎて体力が落ちてるんだよ。ということで今からワンダーの厩舎に行くから!」
「そうそう、馬と言えば! 父様がマインちゃんに飛馬を買おうかって言ってたわよ。お馬さんより大きくてかっこいい空飛ぶ魔獣よ、あなた知ってるでしょ?」
「聞いたよすでに。うちの執事さんから。無礼を承知で申し上げますが、坊ちゃまにはいささか難しいかと、って気を使わせちゃったよ。陸なら多分大丈夫だけど、僕が空で飛馬を駆るのは無理だよ。ぼんやりしてたら最悪死ぬから! じゃ、いってきます!」
遠くから聞こえる『父様か母様と一緒に乗ればいいじゃなーい』という母様の声を聞こえていないふりをして外へ出た。最近うちの馬の元気がないなあ、わりと年だからかなあ、と思っていたが多分そうじゃない。
自分はお役御免なのではないかと察しているのだ。繊細で頭の良い子だから。多分父様のことだから僕のことしか考えておらず、この子の前で新しい魔獣の話をベラベラしてしまったのだろう。家に呼んだ魔獣の外商さんと一緒になって。
「ごめんねワンダー。父様は僕のことになると繊細さが消失するっていうか、暴走しちゃうっていうか。遅くにできた子供だからってのもあってさあ。とにかく君はずっとここにいてもらうからね」
僕を見たワンダーは長い尻尾をフサフサと振り、顔を寄せて喜んでくれた。彼に乗せてもらい地面から遠く離れたところにいるだけで、そのまま簡単に違う世界に行ける気がして乗馬は好きな時間だった。
前夫に生涯操を立てるという気は正直起こらないのだが、人として可哀想だという気持ちはある。まだ若かった。これからだったのに。
だから、おひとりになったのならうちの子はどうですか、と持ち込まれる縁談を真面目に考える気には到底ならなかった。
そんなことより仕事がしたい、と思っていた。葬儀のときに感じた目を背けたくなるような絶望感。あれを出来るだけ潰していきたい。自分の性格は変えられないが、できることを増やせば必ず未来は変わる。良い方に。
揺れる馬上で姿勢を保ちながら、以前ヒルデ先輩に諭されたことを思い出した。『管理能力が問われんぞ』。『今頼ってる執事やメイドは先に辞めるか年取って死ぬかの二択だぞ』。
執事さんは決して暇ではないが、父様にお願いして家の管理の仕方を教わろう。これは生の声が必要だ。座学だけでは心もとない。
あと、狩猟の腕を磨くことも。敷地から出ることはほぼなかったため、僕の経験値はかなり低い。単純に腕を磨くだけではなく、獲物を狩れば節約になる。新鮮なご馳走を皆に与えられるのだ。一挙両得だ。
そうやって僕は絶えず姿勢を正しながら、先が見えない不安に抗っていた。やはり人間といっても所詮動物、運動するのは大事だよな、と温かいワンダーの体温を分けてもらいながら次々と計画を立てていった。
僕が今乗っている馬どころか魔獣を駆れて、しかも二頭同時に操れる人と縁ができるだなんて、このときは想像だにしていなかった。寿命が長く、とにかく量を食べる魔獣はうちには置かない方がいいよなあ、と現実的なことだけを考えていた。
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