上 下
23 / 63
12.冬の入り口

a.

しおりを挟む
金曜日。
実習の中間面接があり、先生に「前よりも病態を理解できている」とお褒めの言葉をもらい、真春はホッとした。
看護師さんに言われてから必死に勉強したのだ。

「やればできるじゃない」

「あはは…頑張りました」

「島倉さんともいい関係だし、良かった。性格も病態も難しいダブルパンチだけど、よくやってると思うよ」

「口は悪いですけど、いい人です」

真春は思ったままを口にした。

「それは白石さんだからかもしれないね」

「え…?」

「白石さんは、どう言ったらいいか分からないんだけど…人を惹きつける魅力みたいなのがあると思うの」

「え、そ、そうですか?」

真春はそう言いながらも、自分を慕ってくれている香枝やバイトの人達のことを思い浮かべた。

「ありのままの、素直な自分で関わることが出来てると思うの。とても良いことだと思う」

「みんなそうじゃないんですか?」

「無理矢理笑ったりしてる人だっているわよ。患者さんにはすぐ分かるのよ。…さ、あと1週間で終わりね。頑張りましょう」

「はい」

先生からそういう風に見られていたとは思ってもみなかった。
でも、嬉しいことだ。
今日は良い気分で香枝に会えそうだ。

会ったらこの話をしようかな。
だけど、こんな自分が褒めちぎられている話なんか聞いて、香枝は楽しいのだろうか。

帰り道、真春はそんなことを考えながら自宅の最寄り駅から自転車を漕いだ。
少しそわそわしているせいか、自然と自転車を漕ぐスピードが速くなっていた。

家に着いて30分程経った頃、香枝が車で迎えに来てくれた。

『着きました』

と着信があり、電話越しに聞いた香枝の声に胸がキュンとなった。

玄関のドアを開けると、ハンドルを握った香枝が運転席から手を振っていた。
なんだか新鮮だ。

「お疲れさまでーす!」

「お迎えありがとね。じゃ、行きましょー」

「しゅっぱーつ!」

香枝はグンとアクセルを踏んだ。


外は既に暗くなっていて、対向車線には車のライトがたくさん連なっている。
丁度帰宅ラッシュの時間だった。

一方、こちらの車線は全然混んでいない。
何もない山道に向かって行くのだから当然といえば当然だった。
香枝には失礼だけど、彼女の大学は緑に囲まれていて、周りには全くといっていいほど何もない。

車で20分程走ると「あ、そこの大っきい建物があたしの大学です」と香枝が窓の外を横目で見やった。

左側を見ると、かなり大きくて立派な建物が建っている。
どこまで続いているのか分からないくらいだ。

「すごい大っきいね!移動大変そう」

「そんなことないですよ、使う教室限られてるんで」

「他の学部もあるの?」

「いっぱいありますよ。看護学部も来年からできるらしいです」

「へー、そうなんだ。もう少し早くできてたら同じ大学通ってたかもね」

真春がなんとなく言うと、香枝は「そうだったらよかったのに」と小声で言った。

「本当にそう思ってるー?」

「思ってますよー!あ、あそこですよ!ジェラート屋さん」

微妙な会話をしていると、空気を読んだかのように目的地が現れた。

香枝が指差した先にあったのは、かわいいイルミネーションで彩られた小さな小屋。

駐車場に車を停めて降りる。

暖かい車内とは打って変わって外はひんやりと寒い。
頬が痛むほどの冷たい風に晒される。

真春はマフラーで口元を覆い「寒過ぎ!!!」と声を震わせた。

「今夜は今季一番の冷え込みらしいですよ」

駐車場からお店までは少し距離があり、途中の中庭には、大きなクリスマスツリーが立っていた。
こちらもかわいいイルミネーションで飾られている。

「わー!クリスマスツリーだ!きれー!」

香枝がツリーを見上げて言った。

「綺麗だねー!目がチカチカする」

「もうクリスマスの時期かー。1人クリスマスか…ま、いいけど」

香枝はあれ以来彼氏ができていない。
その言葉を聞いて真春は複雑な気持ちになった。

泰貴はきっと南と過ごすだろうし、優菜は清水さんと過ごすのかもしれない。
付き合っているのが事実だったら、の話だけど。

「真春さんは彼氏とデートするんですか?」

「え?うーん…約束はしてないけど、多分遊ぶと思う」

真春はあえて"デート"というワードを濁した。
香枝の前ではそういう言葉を使いたくなかった。

なんでいつも、恭介のことを聞かれる度モヤモヤした気持ちになるんだろう…。
そんな自分が嫌だ。

「寒いし、中入ろっか」

「ですね」

お店のドアを開けると、心地よい暖かさに包まれた。
他のお客さんはおらず店内には2人だけ。
静かにジャズが流れる落ち着いた空間だった。

「チョコがいい!あといちご!」

ショーケースを眺めながらジェラートを選ぶ香枝は目を輝かせている。

「あたしはりんごにしよっかなー!あ、バニラもいいなぁ」

選んだジェラートをカップに乗せてもらい、店内の角の席に着く。

屋外の席ではイルミネーションを眺めながら食べることもできるようだが、今季一番の寒さの中でジェラートを食べる勇気はなかったので断念した。

「おいしいね!寒い日にアイス食べるのもありだね」

「ですね!ん!このいちごおいしい!真春さんも食べてみる?はい、あーん!」

香枝が真春にいちご味のジェラートが乗ったプラスチックのスプーンを差し出す。

「へっ?!い、いいの?ありがと…」

おどおどしながらそのジェラートを食べる。

「おいしい!あたしもいちごにすればよかったなー。じゃ、お礼にどうぞ」

真春はりんご味のジェラートをスプーンで掬って香枝の口元に運んだ。
それを遠慮なく食べる香枝。
見ているこっちが恥ずかしくなる。

「なんか照れるー!りんごもおいしいですね!」

エヘヘと香枝は笑った。

これじゃまるで恋人…。
いやいやいや。
女の子同士でもこんなの普通にやっている。
友達とも何度もこんなことしてきたではないか。

でも、照れるって…。
ふざけて言ったのかな。

なんだか色々考えてしまう自分が急に馬鹿らしく思えてきて、真春は「この後どうする?」と言って頭を切り替えた。

「んー、どうしましょっか」

沈黙。

ジェラートだけ食べて帰るのもどうかと思った。
きっと香枝も同じ気持ちだと思う。
というか同じ気持ちでいてほしい。

「ご飯、食べ行く?」

「いいですね!行きましょ、行きましょー!」

空になったカップをゴミ箱に捨ててお店を後にする。

外に出た時、あまりの寒さに2人で再び震えた。

「寒っ!」

「風も強くなってるみたいだし、寒さ倍増ですね」

中庭のツリーの横を通り過ぎた時、強風が吹いて周りの木々がザワザワと音を立てた。

その瞬間、香枝が「わっ!」と言ったかと思うと、真春の腕にぎゅっとしがみついた。
不意を突かれて心拍数が跳ね上がる。

「あ、ごめんなさい!!」

「う…ううん。全然。びっくりしたね」

香枝は「すみません…」と言ってそそくさと真春の腕から離れた。

この間までバイトではやたら近付いてきたり抱きついたりしてきていたのに、そういえば最近ぱったりとなくなったことに、今この瞬間、真春は気付いた。

バイトにあまり入っていなかったので気にしていなかったが、思い返すとそんな気がしてきた。

もしかして嫌われている…?
もしくは距離を置かれているか。

さっきの胸の高鳴りが一気に不安の胸騒ぎへと変わっていった。
そう思ってしまったら、そうとしか思えなくなってきてしまった。

会話も沈黙だらけだし、前以上に上手く話せていない気がする。

車に戻り、エンジンをかけて運転する香枝。
とりあえず来た道を戻る。

「真春さん?」

「えっ?」

「聞いてました?」

「あ、ごめん…なんだっけ?」

「どこ行きますー?って。どこがいいですか?」

「んー…どこ行こうか」

沈黙。

嫌われたくないという思いが必要以上に膨れ上がって、言葉が全く浮かんでこない。

「あ!」

そんな真春をよそに、香枝が思い立ったように声を上げた。

「お店行きましょ!」

香枝が提案したのは、2人がバイトしているファミレスだった。
しおりを挟む

処理中です...