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11.アクシデント

a.

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12月に入り、2ヶ月間全力で駆け抜けてきた今期の実習も残すところ2週間となった。

附属病院で行われている急性期実習で受け持っている暴言のひどい患者さん…島倉藤吉しまくら とうきちさんはこの週末、どのように過ごしたのだろうかと気になるところだったが、これからあと2週間また暴言を吐かれたり、来るなと言われたりすることを考えると憂鬱になるのもまた事実だ。


月曜日の朝、真春は自然に目が覚めた。
時間を確認すると5:50。
身体が早起きに慣れてアラームが鳴る前に起きてしまったようだ。

あと10分寝れるのに勿体ないな…と思ったが、寝坊が恐ろしいので真春は起きることにした。

2ヶ月分の疲労が溜まった身体を起こすと、顔面になんとなく違和感を感じたので鼻に手をやった。
すると、結構な量の血が垂れており、パジャマにも付いていた。

「えっ?!」

あまりの衝撃に声が漏れる。
枕やシーツにはついていないので、起き上がった拍子に出たのだろうか。
とりあえず顔を洗って鼻も綺麗にして、真春は実習に向かった。


あまり気にはしていなかったが、翌日も朝起きると鼻血が出ていたのでさすがにおかしいと思い始めた。
今度は枕にもポタポタと垂れている。

鼻を洗って右の鼻の穴にティッシュを詰めてリビングのドアを開けると、パンの焼ける匂いがふわっと漂ってきて、左の鼻だけでその匂いを感知した。

「おはよー。あら真春、また鼻血?」

朝食の準備をしてくれている母がダイニングテーブルにコーヒーを置きながら心配そうに言った。

「うん、でもすぐ止まるから大丈夫だと思う」

「そう…」

朝食を平らげた頃には鼻血はすっかり止まっていたのでティッシュをゴミ箱に捨て、部屋で準備を始めた。
するとまた鼻血が右の鼻を伝ってポタポタと垂れてきた。

さすがに怖くなる。
でもとにかく、実習には行かねば。

真春は鼻にティッシュを詰め直して、マスクをして家を出た。


実習に向かう電車の中、続けて起こる鼻血についてネットで調べまくる。

何か変な病気ではないだろうか。
こんな若くして死ぬだなんて嫌だ…。

過度な妄想を繰り返しているうちに病院の最寄駅に着いた。

病院のロッカーで着替え、病棟に行く前にティッシュを外す。
よし、止まっているようだ。

「真春、早く行こ」

「あ、うん」

グループの子に話しかけられてビクッとなる。
こんな血のついたティッシュを見られたら引かれてしまう。
真春は血の付いたティッシュを綺麗なティッシュで包んで隅のゴミ箱に捨てた。

「おはようございます」

病棟に着いて荷物を置いてから、順番に手を洗う。
間もなく申し送りの時間だ。

申し送りを聞いて患者さんの情報を得てから、患者さんに挨拶に行ったり先生や実習担当の看護師さんに行動計画の発表をしたりする。

はずだった。

申し送り中、看護師さんの話を聞いているとなんだか頭がぼーっとしてきて、脳に体中のありとあらゆる血液が集まってくるような、頭が圧迫されるような気がした。

次の瞬間、真春はまた鼻血を出した。

「せんせ…鼻血……」

「あら!ちょっと座って休んでなさい」

真春はカンファレンスルームに連れて行かれ、椅子に座らされた。
右の鼻の穴にティッシュを詰めて、鼻を押さえる。
喉に血の味が滲んでくる気がする。

「どう?止まった?」

申し送りが終わった頃、先生がやってきた。
真春は昨日も鼻血が出たこと、今朝も2回鼻血が出たことを先生に話した。

「今日は早退して、受診してきたら?」

実習を休むのは気が引けたし、患者さんに申し訳ないし、なにより鼻血ごときで早退だなんて。

ダサすぎる。

しかしこのまま続けてケア中に鼻血が出るのも迷惑がかかるので、早退して受診することにした。

「すみません」

また鼻血が出るかもしれないという恐怖から、真春はポケットにティッシュを多めに入れてロッカーへと急いだ。
乾いたティッシュを外し、止血したことを確認してから着替えを済ませて病院の入り口へ向かった。

実習している病院にかかるなんて、恥ずかしすぎる。

そう思いながら真春は初診受付を済ませて、案内された通り、2階の耳鼻科へと向かった。
周りの患者は老人だらけで若者は真春1人だった。
結構な人数が待っているので、大分待たされそうだ。

呼び出し番号が表示される画面がよく見える窓際の長椅子に腰掛け、真春は香枝にメッセージを送った。
堂々と携帯を出すわけにもいかなかったので、リュックの中で操作する。

『鼻血出たんだけど!これから受診する』

『え?大丈夫なんですか?何に興奮したんですか?笑』

やはりそんなレベルなのだ。
他人にとってはそんなに大事ではないのかもしれない。

『昨日も出たし、今日も3回出たから先生が病院行きなって。実習早退した!』

『そんなにやばいんですか?心配だぁ。なんでもないといいですね』

本当だ、なんでもないといい。


診察室に呼ばれたのはかなり経ってからだった。
初診かつ予約外なので、おそらく後回しにされているのだろう。

先程までいた患者さんたちはほとんどいなくなっており、真春を含めてあと3人しかいない。
ぼーっとしていると、また顔面に違和感を感じた。

ポタポタと血が垂れてきたので、左手で鼻を抑えながら右手でポケットの中を漁り、ティッシュを取り出す。

「白石さーん?」

看護師さんが診察室から出てきて、直接呼んでいる。

「えっ?!あっ」

「あら、大丈夫?」

「あ、は、はい。大丈夫です」

また鼻血が垂れてきてあたふたしていたので、画面に番号が表示されていることに気付かず、看護師さんが出てきてくれたのだ。

小太りの看護師さんに荷物を持ってもらい、診察室に通される。
中に入り、丸い椅子に座らされた。

「どうされました?」

「昨日、今日と鼻血が止まらなくて…あの、さっきまで止まってたんですけど、今また出てきました」

「ちょっと失礼します」

そう言って先生は鼻の中に黒いものを、容赦なく突っ込んできた。

「うっ…」

「あー、ここですねー。鼻血がよく出やすい部分が切れちゃってますね」

先生曰く、疲労などで粘膜が弱ると少しの刺激で傷付いて鼻血が出たりするとのこと。

「学生さん?」

「あ…はい。今ここの病院で実習中で…」

「なーんだ!看護学生さんだったの?」

小太りの看護師さんの顔がパッと華やぎ急に親しげになった。

「実習大変よねー。さすがに鼻血は出したことなかったけど…。ゆっくり休むなんてのは無理な話よねぇ?」

「休める時は休んでね。君はちょっと痩せ型だから、もう少し栄養摂って体力つけなさいね。まぁまた何かあったら来て下さい。実習、頑張って」

こんなことで大学病院来んなよ、町医者にでも行けと言わんばかりのツンケンした態度をとられるかもしれないと思っていたが、優しい先生達でよかった。

何はともあれ変な病気ではなかったことだし結果オーライだ。

お会計をするのにも人が多くて時間がかかってしまい、病院を出たのは14時半。
今頃みんなカンファレンスしてるだろうな。
島倉さんは今日、どんな治療をしたのだろうか。

そんなことを考えていたらなんだか疲れがどっと押し寄せてきた。
ここにきて実習の疲れが目に見え始めたのかな。

周りのみんなは歯をくいしばってやっているのに、自分だけこんなにひ弱で情けない。

駅に向かって歩きながら、一応心配してくれてる香枝に返事を送る。

『いま病院から帰るとこ。すごい待たされた!なんかあたし疲れがたまってるみたい』

香枝からはすぐに返事が来た。

『なんともなかったんですか?よかったぁ。疲労は実習のせいですよね…。あとちょっとだし、頑張って下さいね』

『ありがとー!頑張る!栄養摂れって先生に言われた』

『そうですよー。ちゃんと食べれてるんですか?』

『お昼はおにぎりとゼリーだよ。朝は食パンとか』

真春はここ最近の食事を振り返ってみた。
昼は食べ過ぎるとカンファレンス中に眠くなるから少なめにしている。

そもそも、もともとあまりたくさん食べられる方ではない。
偏食も結構ひどい方だと思う。

『え!栄養のバランス悪すぎですよ!しっかり栄養摂って体力つけないとダメですよ!お肉食べないと!』

『お肉ねー…今はそんな気分じゃない』

『だめ!ちゃんと栄養あるもの食べて下さい!じゃあ何なら食べられます?』

電車に乗り込んだ時、時間帯的にも空いている頃だったので乗客はまばらだった。

誰もいない席の一番端に座り、少し考えたあと、真春は『アイス!』と返事を返した。

『アイスかー…。全然栄養ないけど(笑)あ、そういえばあたしの学校の近くにおいしいジェラート屋さんありますよ!』

『そうなの?行きたい!』

ということで金曜日、2人で香枝の大学の近くにあるジェラート屋さんに行くことになった。

香枝と一緒に遊ぶんだ…。
しかも2人で。

一緒に飲むことはあっても、2人でどこかへ出掛けるのは初めてのことだった。
考えただけでまた鼻血が出そうだ。
今週は、鼻血を出しても実習は頑張ろうと真春は心に誓った。



幸いあれ以来鼻血はピタッと止まり、問題なく実習に専念することができた。

病院に行って原因が分かると、安心から病状が良くなる人がいると聞いたことがあるが、自分もそうなのではないかと真春は思った。


水曜日、朝の挨拶をしようと島倉さんの病室に入ると、突然「お前、昨日なんで来なかった!」と怒鳴られた。

点滴は1本になり、酸素の管も取れて一昨日よりもすっきりした島倉さんはこちらをキッと見た。

「あ、す、すみません…ちょっと体調を崩してしまいまして。でももう大丈夫です!今日からまたよろしくお願いしますね」

「お前が来ないからリハビリ出来なかっただろうが」

「え…」

「今日は体拭きとリハビリしっかりやってくれよ。早く帰りたいんだよ、こっちは」

くるりと背を向ける島倉さんを見て、真春は「はい」と笑顔で答えた。


島倉さんは徐々に真春に心を開き始めていたようで、昨日の朝、実習担当の看護師さんが真春は体調不良で早退したことを伝えると「あいつが来ないなら俺も今日は休みだ」と言ってリハビリを拒んでいたらしい。

「白石さんのこと、気に入ってるみたいだよ。土日も白石さんのこと話してたの。なんでも丁寧にやってくれるし、うるさいジジイの話もずっと聞いてくれるって。白石さんにはキツく当たってるかもしれないけど、照れ隠しなのよ」

カンファレンスの後、看護師さんが真春の肩をポンと叩きながら笑った。

そんなこと思ってくれていたなんて…。
嬉しくて小躍りしたくなる気分だ。

「でも」

看護師さんの声色が変わる。

「病態はもうちょっと調べてこないとね」

「ハイ…」

やはりそうなるのだ。
小躍りしかけて損した。

楽しそうにコミュニケーションを取りながらも患者さんの病気のことを考えながら、次は何するとか、こうなってしまったらどうしたらいいとか、看護師さんは全部分かってるんだもんなぁ。

自分もいつかそうなれるのだろうか。
いや、ならなければいけないのだ。
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