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2.決別とノーマルな関係

c.

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1週間後、なんとか勉強を間に合わせ臨んだテストはどれもボロボロだった。

学校の友達に「勉強してんのー?」と、からかわれるくらい真春は頭が悪い。
テスト前はいつもギリギリ追い込み型で、当日になって「もっと早く取り掛かればよかった」といつも後悔するのである。

案の定テストの点数は悪かったが、なんとか単位を落とさずに済み、無事に後期からの実習に行けることになった。
今回のテストが終わって座学の終了に多少悲しみを感じたものの、解放された気分になりすっかり頭と心は夏休みモードに入った。


7月下旬の土曜日、久しぶりに17時からシフトに入っていた。
2週間ぶりのバイトだ。

「おはようございまーす。やっとテスト終わったー!」

真春は出勤するなり、喜びを噛みしめるように言った。

「もう夏休みっすか?」

真春と入れ替わりで上がる奈帆が、帽子を外しながら言った。
赤茶色の髪の毛は、見ないうちに金髪に変わっていた。
先生に怒られないのだろうか。

「うん、明日行ったらおしまい!」

「大学生は夏休み長いからうらやましいなー」

「2ヶ月近くあるからね!でも終わったら実習だから…」

真春が言いかけた時。

「まはるーん!早く飲み行こ!」

優菜が左腕にガシッとしがみついてきて、奈帆との会話がぶった切られた。

「わ!びっくりした。高校生のくせに飲み行こうとか言うんじゃないの」

「いいじゃーん」

今日の優菜はいつになくテンションが高い。
その時、真春は奈帆の表情が一変したのを見逃さなかった。

「じゃ、真春さんお疲れ様でした。ディナー、頑張ってくださいね!」

「あー、うん。おつかれ!」

なんか怒ってる…?

真春は奈帆を目で追い、その目で優菜を見た。
優菜は壁に貼ってあるシフト表を見て、今日は誰がどこのポジションだとか色々と仕切り始めた。

ランチから入っていた未央が休憩から上がって、キッチンでまかないのお皿を洗っていた時「あ!未央姉戻ってきたー。ディナーはサラダバー中心に見てもらってもいいー?」と未央の背中に声を投げかけた。

「え?あ…わかったー」

困惑した未央が真春の顔を見て苦笑いした。
真春もぎこちなく笑い返す。

シフト表を見ると、スタッフの名前の端に担当する場所がガタガタした字で書いてあった。
昼間からそうしていたみたいだ。

今まで決めていなくても回っていたのに、なんで今更こんなことしているのだろうか。
シフトに入っていない間に色々と変わってしまっている。
18時からあと3人来る予定だが、そこにも担当が書かれていた。

真春はいつも通りホールを一周して店内を確認した後、レジの下で充電してあるハンディをサロンのポケットに入れてパントリーでシルバーの整理を始めた。
お客さんはスポーツ新聞を読むおじいさんしかいなかった。

「まはるんは、ご案内係ね!」

仕込みをしている清水さんにちょっかいを出していた優菜がこちらにやってきた。

「はいよ」

なんだか腑に落ちないが、真春は子供のごっこ遊びに付き合ってあげるような気持ちで答えた。

「だから、ハンディは持たなくていいの!オーダー取る人決めてるから!」

「持ってて損はないでしょ。誰も対応できないって事があったら困るでしょ?それに余ってるんだからいいじゃん」

真春が言うと「んもーしょうがないなぁ!」と口を尖らせた優菜はまた清水さんにちょっかいを出しにデシャップへ戻って行った。
今日は昼間から清水さんとずっと一緒にいられて優菜のテンションは最高潮に達しているようだった。

「真春さん」

「ん?うわ、びっくりした」

ホールとパントリーを繋ぐ仕切りの暖簾から顔を半分出した未央が真春に呼び掛けた。

「ちょっと来て下さい」

言われた通り暖簾をくぐり、ホールに出る。

「優菜、ヤバくないですか?」

ピシッと立ってホールを眺めるフリをしながら未央が言った。
真春も未央の隣に並んで立ち「うん、なんか変だと思う」と答えた。
15センチの身長差で、はたから見たらでこぼこコンビだ。

「最近あんな感じらしいんすよー。あたしもついこの間テスト終わって、久しぶりに来たらこれですよ。なんか仕切っちゃってー」

未央がまったりした口調で言った。

「あー、あれ優菜が勝手にやってるの?清水さんが決めてるのかと思った」

「ま、決めたのはは清水さんですけど…。なんか、他店舗でポジション固めたら店が上手く回ってるっていうのを見てここでもやり始めたらしいですよ」

「優菜関係ないじゃん」

「そー!それなんすよー。あの2人、すごく仲良しじゃないですか。それで最近、清水さんの仕事とかにも手を出すようになって、なんか社員気取りっていうかなんていうか…」

未央は呆れたように笑った。

「ランチの時なんて奈帆ものすごいキレててホントにヒヤヒヤしましたよ。優菜に怒鳴り散らすんじゃないかって。奈帆ってたまに結構キツイこと言ったりするじゃないですかー」

なんとなく感じてはいたが、奈帆は優菜の事をあまり良く思っていない。
ここ最近の優菜の行動で、間違いなく"あまり好きではない"から"嫌い"に昇格したに違いない。
それでさっきの態度だったのか。

「困ったね…」

「ホントですよー。最近、みんなどんどん優菜のこと嫌がるようになってて、見てる方も嫌なんですよねー」

知らない間にそんなに大きく人間関係が動いていたなんて。
これから夏休みに入るし、お店も忙しくなるっていうのに、こんなんで乱されるのは嫌だ。

真春は考えただけでお腹が痛くなりそうだった。
今日を乗り越えるのも、なんだか怖い気さえしてきた。


18時から出勤してきた子達が優菜に聞こえないように何か言っているのを真春は聞こえないフリをした。

最近、ずっとこんな感じなのかな…。

今までみんなで声を掛け合いながらチームプレーしてきたのに。
それで上手くいっていたのに。
確かに担当を決めるのは効率よくなるかもしれないけど…。

清水さんが変なことをし出したせいで、物事がネガティブな方向に動いている。
何より一番問題なのが、何故か優菜が仕切っているということだ。

裏では高校生達から大ブーイングが起こり優菜は高校生の中で孤立している、と団体客が帰ったお座敷のバッシングをしていた時、未央が漏らしていた。

今日の団体客は中学生とその保護者だった。
ドリンクバーを混ぜ合わせて言い表せないような色をした液体が入ったコップが十数個、ポテトサラダが雪山のように高く盛られたまま手が付けられていないお皿など、食べ物で遊び散らかされたその他諸々を綺麗にトレンチの上に乗せていく。
ため息が出た。

「未央はどう思うわけ?」

「えー?あたしですか?うーん…ちょっと困っちゃいますけど、優菜自体は別に悪い子じゃないしなぁ」

「んー、だよね。でも、同世代からは嫌われそうなタイプではあるよね。ま、優菜が一番仲良いのは香枝だしそんなこと気にしなさそうだけどね」

真春は「絡みづらいけどね」という言葉を飲んで軽く笑った。

「確かに優菜、高校生と仲良いイメージないっすね。最近じゃさやかさんを味方につけようとしてますしねー」

滝本さやかはこの店のアルバイトの中で一番年上の25歳。
現在フリーターだが、デザイナーになりたくて今は独学で勉強しているらしい。

面倒見が良くてみんなに優しくて、お姉さん的存在だ。
シフトにも多く入っていて、店長からもバイトリーダーを任されている。
おそらく優菜は、さやか的ポジションに憧れている。

「デキる女になりたいんだろうねー」

「ですかねー」

「てか、さやかさんもよく何も言わないよね」

「さやかさんがいる時はさやかさんに従順なんで。今日はさやかさんいないから、やりたい放題ってとこですねー。でも多分、知ってると思いますよ」

さやかさん以外のスタッフは下に見ているということか。
呆れた真春はトレンチ5つ分の食器を片付け、再び未央と混雑しているホールに出て行った。


締め作業が終わったあと、事務所で売り上げをパソコンに打ち込んでいる清水さんに「ポジション決めて仕事するとかいつから決めたんですか?」と真春は率直に聞いた。

「なに?どうしたんだよ急に」

「いやー…久々に来たらなんか勝手にあそこやれだのハンディ持つなだの優菜に言われたから、なんかやりづらくて」

「まぁ新しいこと始める時は何だってやりづれぇよ。これからもやってくかどうかはみんな次第だけどな。今はなんつーか、オタメシって感じかな。優菜はなんかはき違えてるみたいだけどさ。そこのポジションだけをやれって言ってるんじゃなくて、忙しいピークの時は基本的にそこで動いてもらってあとは臨機応変に今まで通りにやりゃいいだけなんだよ」

「なんで優菜にそれ言わないんですか?みんな困ってますよ」

「俺が優菜に怒るのは、俺がここから去る時かなー」

清水さんが笑いながらパソコンをタイプした。

「どういうことですか?」

真春が言うと、清水さんは突然真剣な顔をして「俺、もうこの店の店長じゃなくなるから」と言った。

「え?」

まだ来て3ヶ月も経ってないのに?

「どこ行くんですか?」

「ド田舎」

清水さん曰く、そのド田舎の店舗の店長が辞めるらしく、代わりにそこの店長にならなきゃいけなくなってしまったとのこと。
若いしフットワーク軽いと思われて、清水さんが選ばれたらしい。

「そっか。いつからですか?」

「9月から。新しい人くるからさ。まあ上手くやれよー!」

あと1ヶ月か。
あまり好きじゃないけど、それはそれでなんか寂しい。

「あ、それと、この事はまだ誰にも言うなよ!白石なら誰にも言わなそうだし。まじで誰にも言うな」

誰にも知られたくないなら、本当に誰にも言わなきゃいいのにと本気で思う。
そういうところが構ってちゃんで面倒臭い。

「わかりましたよー。じゃ、お疲れ様です」

「冷たいなー。泣けてくるぜ。…お疲れ」

この話を聞いて心から寂しがるのは、多分香枝と優菜くらいだと思う。
そして、店長という立場なのに優菜に注意できないということは、付き合っているのか?…とずっと囁かれている噂は本当なのかもしれないと真春は思った。
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