6 / 63
3.事件
a.
しおりを挟む
新しく来た店長の戸田さんは優しい小太りのおじさんで、みんなとすぐに打ち解けた。
あのチャラ店長より数億倍もマシだ。
お店に余裕ができた気さえする。
そして、真春の心にも余裕ができてきて穏やかな日々を過ごしていた9月半ばの平日。
締め作業を終えた真春が「お疲れ様でーす」と事務所に戻ると、そこには泰貴、優菜、そして戸田さんがいた。
「あれ?まだ帰ってなかったの?」
真春がなんとなく言うと、泰貴と優菜はワケありと言ったような表情でお互いに顔を見合わせた。
何も言わない。
真春はそんな2人を横目でチラチラ見ながら更衣室に入り、Tシャツと短パンに着替え始めた。
すると、香枝が戻って来たようで「おつかれー!」と声が聞こえてきた。
更衣室のドアを開けたと同時に事務所のドアがバタンと閉まり、続いて裏口のドアが閉まる、重たい大きな音が聞こえた。
泰貴が外に行ったようだ。
「あれ?ヤス、帰ったの?」
「あ、ちょっと外に出ただけ」
優菜が落ち着かない表情で言った。
その隣に座る香枝はシフト表を見ながら「あー、今月週末ロング多いなぁ」とひとりで呟いていた。
その時。
―――ブーッ、ブーッ、ブーッ
香枝の手の中で携帯のバイブが鳴り響いた。
一瞬戸惑った表情になり「もしもし?」と不思議そうに話す香枝。
「…わかった」
電話をしながら外へ行ってしまった。
戸田さんはパソコンの前で他店舗の人と電話中。
「ヤスくん、香枝ちゃんのこと好きなんだよ。多分今、外で2人で話してる」
優菜がヒソヒソ言った。
「え!」
真春はこれに関しては何も知らないていで過ごしてきたので驚くフリをした。
窓から外を覗いてみる。
現実を知っているこの身には辛すぎる光景だ。
泰貴が香枝に抱く思い、南が泰貴に抱く思い…。
2人の距離はあまり近くない。
あれは泰貴に対する香枝の心の距離だろうか。
「ヤスくんもかわいそうだよね」
優菜が呟いた。
「やっぱ香枝はヤスのこと友達としか思ってなさそうだよね」
真春は2人の姿がよく見えるように少し移動しながら言った。
優菜はいつもは見せない真剣な表情で「そうじゃなくて」と否定した。
「へ?」
「香枝ちゃんは、清水さんのことが好きだから」
優菜が小さい声で言った。
衝撃的だった。
真春は窓から2人を眺めていた目を優菜に向けた。
あの日、清水さんのことを好きじゃないと言ったのは嘘だったのか。
でもなんでそんな嘘ついたんだろう。
ただ単に、知られたくなかっただけなのかな。
「バーベキューの日、清水さんにド田舎行くって言われて、ほんと信じらんなくて、すごく悲しくて、優菜と香枝ちゃん2人で泣いたんだ。清水さんにバレないようにだけど。その時知ったの」
てっきり優菜と清水さんがデキてたのかと思ってた。
これも思い違いだった。
あのちょっかいは、ただのお節介だったということか?
「今も好きなの?」
「うーん…あれから優菜にも何も言ってくれないから分からないけど…。でもそんなすぐに忘れられるわけないよね」
「そっか…」
結局、誰の思いも叶わないのか。
ロッカーからリュックを取り出して背負ったちょうどその時、裏口のドアが開く音がした。
足音はひとつだけ。
「香枝ちゃん、おかえり」
事務所のドアから入ってきた香枝は「ただいま」とだけ小さく呟いた。
真春は重すぎる空気に耐えられなかった。
「あたし帰るね。お疲れ」
香枝は知らないことになっているだろうから。
泰貴が香枝のことを好きということや、香枝が清水さんのことを好きということ…つまり、嘘をついていたこと。
きっと、自分と清水さんが何かあるのかもしれないと思っていたから、最後まで好きという気持ちを自分に隠していたのかもしれない。
何もなかったとはいえ、真春はなんだか心苦しくなった。
翌日、真春はオープンからだったのでいつもより早起きだった。
強い日差しがアスファルトを照らし、夏が最後の力を振り絞っているかのようだった。
自転車でたった10分なのに、お店に着いた時は薄っすらと汗をかいていた。
戸田さんは既に仕込みを始めていた。
「おはようございます」
着替えてキッチンを通ると戸田さんは優しく「おはよう」と微笑みかけてくれた。
朝から癒されるなぁ。
恵比寿様のような柔らかい笑顔。
真春はいい気分でホールの立ち上げを始めた。
ランチはそこそこ混んだが、上手く回っていたため気持ちよく仕事ができた。
ポジションを固定するやり方は戸田さんが来てから一旦中止となり、優菜が暴走することも少なくなってはいたが、仕切りたがりな性格は相変わらずだった。
それ故に、周りとの溝は深まる一方だった。
オーダーが切れて時間に余裕が出来た時、シフトの紙が貼ってあるパントリー横のホワイトボードを見ると、昨日のままになっていることに真春は気付いた。
「戸田さん。シフト昨日のままになってるので、今日のに替えときますね」
「おー、ありがとう!」
真春は事務所のテーブルから今日の分のシフトが印刷されている紙を持ってくると、ホワイトボードに貼り付けた。
しばらく眺める。
今日は夜から優菜、南を含め高校生が3人と香枝が来る。
そして泰貴も来る。
残念なことに、香枝と泰貴がラストまでだ。
なんてタイミング。
香枝は大丈夫だろうか…。
ランチの片付けが一通り済んだ14時。
真春が休憩に入りまかないのカレーを半分食べ終えた頃、奈帆が事務所に入ってきた。
「お疲れ様でーす。あ、真春さんまたロングかー」
「稼ぎ時だからねー。奈帆はもう終わりか」
「はい、これからダンスのレッスンなんで。あ、真春さん」
「ん?」
「ちょー大事な話があるんですけど…喫煙所で待ってますね」
奈帆はそう言うと、「お疲れ様です」とキッチンに声を投げかけて裏口から出て行った。
真春はカレーを大急ぎで食べ終えて、喫煙所に向かった。
風が甘いバニラの香りを運んできた。
階段を下りると、ちょうど奈帆が1本目のタバコを灰皿に入れたところだった。
「ちょー大事な話ってなに?」
真春はタバコに火をつけてから奈帆の隣に腰掛け、煙を吐き出しながら言った。
「南、泰貴さんと付き合ってるらしいんですよ!」
煙が思い切り鼻を通って目まで染みる痛みに襲われる。
真春は驚きの声すら出なかった。
付き合っている…?
「なんか、南から告ったらしいんですけど、ずっと返事待ちだったみたいで。てか半月も返事待ちってひどくないですか?ま、結果オーライなん…」
「いつ?!」
真春は奈帆の言葉を遮った。
「いつなの?南がヤスに言ったのって」
「確か、バーベキューの1週間後くらいですかね?」
「で、返事したのはいつなの?」
「それが、聞いてくださいよ!昨日の夜なんですよ!めっちゃホットなニュースじゃないすか?!」
愕然とした。
昨日の夜って泰貴が香枝に告白していたはず。
なんだ?
どういうことだ?
「なにそれ、深夜の話?」
「いや、そこまでは分からないですけど。でもよかったですよね、南の思いが届いて!告られたら香枝さんより好きになっちゃったんですかね?」
奈帆はニンマリして、2本目のタバコに火をつけた。
ディナーもランチ同様、適度な混み具合だった。
気持ち良く働けるはずだったが奈帆のビッグニュースにより、それは不可能となっていた。
当事者ではないのに、なぜこんなに胸が苦しいのだろうか。
香枝と泰貴は一言も口をきかずに働いているみたいだ。
キッチンとホールなので別々のポジションなのが唯一の救いだと真春は思った。
誰にでも優しくて穏やかな香枝だが、今日ばかりはそうはいかないようで、なんだかイライラしたような、心ここに在らずといった様子に見える。
そして南も18時から出勤してきて、周りは何とも思っていないだろうが真春の脳内はこの状態を修羅場と認識していた。
自分にフラれた後にキープしていた女と付き合うなど、いくら香枝でもそれはさすがに怒るだろう。
何も知らないことになっているし、変に思われるかもしれないが、真春はついに香枝に声を掛けることにした。
「香枝」
「はい?」
サラダバーを整理しながら、香枝はこちらを見向きもせずに言った。
「元気ないじゃん。なんかあった?」
これでは何かあったようにしか聞こえないじゃないか。
心の中で自分を罵倒する。
「そんなことないですよ。いつもと同じです」
真春は「そ?」と言って香枝の顔を覗き込んだ。
「顔怖いよ。笑って笑って!」
からかうように言うと、香枝は黙って真春を見据えた。
なんか色々と下手くそだな自分…と思っていた次の瞬間、香枝の目に涙がぶわっと溢れてきて、なだめる間も無く頬を伝って滴り落ちた。
「えっ?!あ、ご、ごめん…ちょ、裏行こう!」
真春は鼻をすする香枝を事務所に連れて行った。
事務所のドアを開けると、香枝は真春に抱きついて嗚咽を漏らして泣いた。
どうしよう…。
やっぱり昨日、ただでは済まされない何かがあったのだろうか。
「香枝?大丈夫?」
香枝は黙って泣いていたが、しばらくして「ごめんなさい」と蚊の鳴くような声で言った。
「真春さんの顔見たら、どうしても我慢できなくなっちゃって…」
「なんか辛いことでもあった?」
「……」
「言いたくないならいいよ。ただ、いつもより元気がなかったから変だなーと思って、気になっちゃって。ごめんね」
本当は何があったか知りたがっている自分がいる。
別に知らなくてもいいのに、なんだか意味もなくザワザワするのだ。
「また今度、話してもいいですか…?」
香枝は手の甲で涙を拭って言った。
「うん…仕事、戻れる?」
「はい、大丈夫です。…すみません」
鼻をすする香枝に、真春はティッシュを渡して笑った。
「泣かないの!」
真春が頭を撫でると、香枝はティッシュで鼻を押さえながらヒヒッと笑った。
風の噂で後から聞いた話、あの時、泰貴は香枝にキスをした。
香枝の気持ちも聞かずに。
南からの告白を保留にしておいて香枝に告白し、オーケーしてもらえたら香枝と付き合うつもりだったのだろう。
という考えは強ち間違いではないと真春は思っている。
結局フラれたから南と付き合っているわけだけど、泰貴は本当にクズな男だ。
女好きなところも、昔から変わっていないようだ。
あのチャラ店長より数億倍もマシだ。
お店に余裕ができた気さえする。
そして、真春の心にも余裕ができてきて穏やかな日々を過ごしていた9月半ばの平日。
締め作業を終えた真春が「お疲れ様でーす」と事務所に戻ると、そこには泰貴、優菜、そして戸田さんがいた。
「あれ?まだ帰ってなかったの?」
真春がなんとなく言うと、泰貴と優菜はワケありと言ったような表情でお互いに顔を見合わせた。
何も言わない。
真春はそんな2人を横目でチラチラ見ながら更衣室に入り、Tシャツと短パンに着替え始めた。
すると、香枝が戻って来たようで「おつかれー!」と声が聞こえてきた。
更衣室のドアを開けたと同時に事務所のドアがバタンと閉まり、続いて裏口のドアが閉まる、重たい大きな音が聞こえた。
泰貴が外に行ったようだ。
「あれ?ヤス、帰ったの?」
「あ、ちょっと外に出ただけ」
優菜が落ち着かない表情で言った。
その隣に座る香枝はシフト表を見ながら「あー、今月週末ロング多いなぁ」とひとりで呟いていた。
その時。
―――ブーッ、ブーッ、ブーッ
香枝の手の中で携帯のバイブが鳴り響いた。
一瞬戸惑った表情になり「もしもし?」と不思議そうに話す香枝。
「…わかった」
電話をしながら外へ行ってしまった。
戸田さんはパソコンの前で他店舗の人と電話中。
「ヤスくん、香枝ちゃんのこと好きなんだよ。多分今、外で2人で話してる」
優菜がヒソヒソ言った。
「え!」
真春はこれに関しては何も知らないていで過ごしてきたので驚くフリをした。
窓から外を覗いてみる。
現実を知っているこの身には辛すぎる光景だ。
泰貴が香枝に抱く思い、南が泰貴に抱く思い…。
2人の距離はあまり近くない。
あれは泰貴に対する香枝の心の距離だろうか。
「ヤスくんもかわいそうだよね」
優菜が呟いた。
「やっぱ香枝はヤスのこと友達としか思ってなさそうだよね」
真春は2人の姿がよく見えるように少し移動しながら言った。
優菜はいつもは見せない真剣な表情で「そうじゃなくて」と否定した。
「へ?」
「香枝ちゃんは、清水さんのことが好きだから」
優菜が小さい声で言った。
衝撃的だった。
真春は窓から2人を眺めていた目を優菜に向けた。
あの日、清水さんのことを好きじゃないと言ったのは嘘だったのか。
でもなんでそんな嘘ついたんだろう。
ただ単に、知られたくなかっただけなのかな。
「バーベキューの日、清水さんにド田舎行くって言われて、ほんと信じらんなくて、すごく悲しくて、優菜と香枝ちゃん2人で泣いたんだ。清水さんにバレないようにだけど。その時知ったの」
てっきり優菜と清水さんがデキてたのかと思ってた。
これも思い違いだった。
あのちょっかいは、ただのお節介だったということか?
「今も好きなの?」
「うーん…あれから優菜にも何も言ってくれないから分からないけど…。でもそんなすぐに忘れられるわけないよね」
「そっか…」
結局、誰の思いも叶わないのか。
ロッカーからリュックを取り出して背負ったちょうどその時、裏口のドアが開く音がした。
足音はひとつだけ。
「香枝ちゃん、おかえり」
事務所のドアから入ってきた香枝は「ただいま」とだけ小さく呟いた。
真春は重すぎる空気に耐えられなかった。
「あたし帰るね。お疲れ」
香枝は知らないことになっているだろうから。
泰貴が香枝のことを好きということや、香枝が清水さんのことを好きということ…つまり、嘘をついていたこと。
きっと、自分と清水さんが何かあるのかもしれないと思っていたから、最後まで好きという気持ちを自分に隠していたのかもしれない。
何もなかったとはいえ、真春はなんだか心苦しくなった。
翌日、真春はオープンからだったのでいつもより早起きだった。
強い日差しがアスファルトを照らし、夏が最後の力を振り絞っているかのようだった。
自転車でたった10分なのに、お店に着いた時は薄っすらと汗をかいていた。
戸田さんは既に仕込みを始めていた。
「おはようございます」
着替えてキッチンを通ると戸田さんは優しく「おはよう」と微笑みかけてくれた。
朝から癒されるなぁ。
恵比寿様のような柔らかい笑顔。
真春はいい気分でホールの立ち上げを始めた。
ランチはそこそこ混んだが、上手く回っていたため気持ちよく仕事ができた。
ポジションを固定するやり方は戸田さんが来てから一旦中止となり、優菜が暴走することも少なくなってはいたが、仕切りたがりな性格は相変わらずだった。
それ故に、周りとの溝は深まる一方だった。
オーダーが切れて時間に余裕が出来た時、シフトの紙が貼ってあるパントリー横のホワイトボードを見ると、昨日のままになっていることに真春は気付いた。
「戸田さん。シフト昨日のままになってるので、今日のに替えときますね」
「おー、ありがとう!」
真春は事務所のテーブルから今日の分のシフトが印刷されている紙を持ってくると、ホワイトボードに貼り付けた。
しばらく眺める。
今日は夜から優菜、南を含め高校生が3人と香枝が来る。
そして泰貴も来る。
残念なことに、香枝と泰貴がラストまでだ。
なんてタイミング。
香枝は大丈夫だろうか…。
ランチの片付けが一通り済んだ14時。
真春が休憩に入りまかないのカレーを半分食べ終えた頃、奈帆が事務所に入ってきた。
「お疲れ様でーす。あ、真春さんまたロングかー」
「稼ぎ時だからねー。奈帆はもう終わりか」
「はい、これからダンスのレッスンなんで。あ、真春さん」
「ん?」
「ちょー大事な話があるんですけど…喫煙所で待ってますね」
奈帆はそう言うと、「お疲れ様です」とキッチンに声を投げかけて裏口から出て行った。
真春はカレーを大急ぎで食べ終えて、喫煙所に向かった。
風が甘いバニラの香りを運んできた。
階段を下りると、ちょうど奈帆が1本目のタバコを灰皿に入れたところだった。
「ちょー大事な話ってなに?」
真春はタバコに火をつけてから奈帆の隣に腰掛け、煙を吐き出しながら言った。
「南、泰貴さんと付き合ってるらしいんですよ!」
煙が思い切り鼻を通って目まで染みる痛みに襲われる。
真春は驚きの声すら出なかった。
付き合っている…?
「なんか、南から告ったらしいんですけど、ずっと返事待ちだったみたいで。てか半月も返事待ちってひどくないですか?ま、結果オーライなん…」
「いつ?!」
真春は奈帆の言葉を遮った。
「いつなの?南がヤスに言ったのって」
「確か、バーベキューの1週間後くらいですかね?」
「で、返事したのはいつなの?」
「それが、聞いてくださいよ!昨日の夜なんですよ!めっちゃホットなニュースじゃないすか?!」
愕然とした。
昨日の夜って泰貴が香枝に告白していたはず。
なんだ?
どういうことだ?
「なにそれ、深夜の話?」
「いや、そこまでは分からないですけど。でもよかったですよね、南の思いが届いて!告られたら香枝さんより好きになっちゃったんですかね?」
奈帆はニンマリして、2本目のタバコに火をつけた。
ディナーもランチ同様、適度な混み具合だった。
気持ち良く働けるはずだったが奈帆のビッグニュースにより、それは不可能となっていた。
当事者ではないのに、なぜこんなに胸が苦しいのだろうか。
香枝と泰貴は一言も口をきかずに働いているみたいだ。
キッチンとホールなので別々のポジションなのが唯一の救いだと真春は思った。
誰にでも優しくて穏やかな香枝だが、今日ばかりはそうはいかないようで、なんだかイライラしたような、心ここに在らずといった様子に見える。
そして南も18時から出勤してきて、周りは何とも思っていないだろうが真春の脳内はこの状態を修羅場と認識していた。
自分にフラれた後にキープしていた女と付き合うなど、いくら香枝でもそれはさすがに怒るだろう。
何も知らないことになっているし、変に思われるかもしれないが、真春はついに香枝に声を掛けることにした。
「香枝」
「はい?」
サラダバーを整理しながら、香枝はこちらを見向きもせずに言った。
「元気ないじゃん。なんかあった?」
これでは何かあったようにしか聞こえないじゃないか。
心の中で自分を罵倒する。
「そんなことないですよ。いつもと同じです」
真春は「そ?」と言って香枝の顔を覗き込んだ。
「顔怖いよ。笑って笑って!」
からかうように言うと、香枝は黙って真春を見据えた。
なんか色々と下手くそだな自分…と思っていた次の瞬間、香枝の目に涙がぶわっと溢れてきて、なだめる間も無く頬を伝って滴り落ちた。
「えっ?!あ、ご、ごめん…ちょ、裏行こう!」
真春は鼻をすする香枝を事務所に連れて行った。
事務所のドアを開けると、香枝は真春に抱きついて嗚咽を漏らして泣いた。
どうしよう…。
やっぱり昨日、ただでは済まされない何かがあったのだろうか。
「香枝?大丈夫?」
香枝は黙って泣いていたが、しばらくして「ごめんなさい」と蚊の鳴くような声で言った。
「真春さんの顔見たら、どうしても我慢できなくなっちゃって…」
「なんか辛いことでもあった?」
「……」
「言いたくないならいいよ。ただ、いつもより元気がなかったから変だなーと思って、気になっちゃって。ごめんね」
本当は何があったか知りたがっている自分がいる。
別に知らなくてもいいのに、なんだか意味もなくザワザワするのだ。
「また今度、話してもいいですか…?」
香枝は手の甲で涙を拭って言った。
「うん…仕事、戻れる?」
「はい、大丈夫です。…すみません」
鼻をすする香枝に、真春はティッシュを渡して笑った。
「泣かないの!」
真春が頭を撫でると、香枝はティッシュで鼻を押さえながらヒヒッと笑った。
風の噂で後から聞いた話、あの時、泰貴は香枝にキスをした。
香枝の気持ちも聞かずに。
南からの告白を保留にしておいて香枝に告白し、オーケーしてもらえたら香枝と付き合うつもりだったのだろう。
という考えは強ち間違いではないと真春は思っている。
結局フラれたから南と付き合っているわけだけど、泰貴は本当にクズな男だ。
女好きなところも、昔から変わっていないようだ。
0
お気に入りに追加
30
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
3年振りに帰ってきた地元で幼馴染が女の子とエッチしていた
ねんごろ
恋愛
3年ぶりに帰ってきた地元は、何かが違っていた。
俺が変わったのか……
地元が変わったのか……
主人公は倒錯した日常を過ごすことになる。
※他Web小説サイトで連載していた作品です
【R-18あり】先輩は私のお姉ちゃんだけどそれを先輩は知らない
こえだ
恋愛
百合です。少しドロドロした設定かも知れません。
途中からR18の内容が入る予定です。
小説はど素人の初心者です。
なので気になる点、アドバイスなんかあったらコメントくださるとすごく嬉しいです。
<冒頭>
私の学校にはみんなが憧れる1つ上の先輩がいる。
スポーツ万能、勉強でも学年で1番を取るような誰にでも優しい完璧な先輩。
この先輩は私のお姉ちゃんらしい。
そして先輩はそのことを知らない…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる