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2章 人間界に潜む異変に淫魔王は共闘を受ける。

3話 デーヴィット、日本行きを決める。

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「チッ・・・」

 アルカシスに渡された彼のメモを頼りにデーヴィットはワシントン郊外にある廃倉庫へ足を踏み入れた。
 感染症が世界規模で流行する以前から廃棄されたという廃倉庫には酒の缶や瓶、タバコの残骸が散乱し、放置されて雨風に晒され酸化した鉄錆の匂いと合わさり吐き気を催す匂いを漂わせている。中には処分に困った家具も無造作に置かれており、ボロボロに切り刻まれスプリンクラーが丸出しになったソファには幾人の血痕がこびりついたり、血が付いたタガーナイフが幾つも散乱しているところを見ると廃棄された後この倉庫で何が行われていたのか想像にかたくない。

 ワシントンから離れたこの街は、感染症の流行と以前から高騰が止まらない家賃から都会の生活に限界を感じた人々が移住しそれなりに賑わいを見せていた。
 だが彼等はこの街を拠点に活動するギャング達の格好の餌食にされトラブルが絶えず、日頃から身の危険を感じていた。もともと住んでいた住民も危険が及んだため街を離れてしまい、残ったのは大した蓄えが無い者かギャングの構成員のみとなってしまった。

 舌打ちをして苦虫を噛み潰すように顔を歪める東国淫魔王デーヴィットの足元には、彼にあっさり沈められた褐色の肌を持つギャングの男達が痛みに呻いて転がっていた。
 彼等はデーヴィットが追っていたアメリカ国内で流通したヤクの元締めに金で雇われただけのただのチンピラだ。腕や足、挙句に首までがおかしな方向に曲がって倒れているのは倉庫を訪れた丸腰のデーヴィットに発砲したせいだ。デーヴィットに言わせれば、正当防衛として応戦した結果といえる。

 デーヴィットは足元で腕をおかしな方向に捻じ曲げられ床に沈められ苦しみもがいている褐色のスキンヘッドの男の首を掴むとギリギリと締め付けながら問うた。

「ぐっ・・・ヒィイィ!」
「おい答えろゴミ共。あの元締めはどこへ逃げた?」

 昔見たサタンの醜悪で悍ましい形相が男の脳内で思い出される。
 白人の優男に易々と首を持ち上げられ、先程腕を捻じ曲げられた苦痛と恐怖も合わさり怯えながら短い悲鳴を上げる。
 腰抜けになって耳障りな悲鳴を上げる男に煩わしさを感じながらデーヴィットは首を絞める手に力を入れながら再度問うた。

「人の顔見てヒィイ言ってんじゃねぇよ。あの元締めはどこへ逃げた?」
「に、日本に・・・日本に、逃げ、ました・・・」
「日本だと?」

 以外な国名を聞いたデーヴィットは一瞬ポカンと呆けるもさらに問い詰める。

「なぜ日本に行った?」
「わっ・・・分かり、ません・・・。向こう、から・・・日本に行くとだけしか、聞いてなくて・・・」
「チッ・・・もっと聞いとけボケチンピラが」

 これ以上聞くだけ無駄だと判断したデーヴィットは持ち上げた男の首をあっさりと離した。急に解放され男は床に転がるとゲボゲボと激しく咳込む。憐れに地下手に這いつくばる男を冷たく見下ろしながらデーヴィットは背を向けて廃倉庫の出口へ向かう。

「情報サンキュー。さっさと警察に自首しろ。今なら二十年のムショ暮らしでまたシャバに戻れる」
「くっ・・・!」

ーーナメた真似しやがって。このひ弱な白野郎がっ・・・!

 捨て台詞を吐かれ男の脳内が怒りで沸騰する。
 背中を向けて立ち去ろうとする白人の優男に、完膚なきまで敗北したと分かっていても男はギャングのプライドをズタズタにされた腹いせにまだ動ける手で銃を握ると去って行く白人の男に向かって咆哮する。

「テメェこそ調子乗ってんじゃねぇよ!!この無能な白野郎が!!」
「おっと」

 直後に男はデーヴィットの背後に向け銃を発砲する。だが照準が合わずブレたその弾丸が彼の延髄を貫通することはなかった。

「何無理してんの。お前腕折ってんじゃん」
「グエェエッ!?」

 デーヴィットは発砲した男の背後に回るとそのまま首をガッツリと締め付け骨が折れる音を立てておかしな方向に向けた。

「ったく懲りないね、君達も」

 首の骨を折られて虫の息となった男を捨てたデーヴィットはそのまま外へ出た。倉庫の入り口にはタバコを吸いながらトレンチコートを着用した一人の男がデーヴィットが倉庫から出たタイミングと同時に彼に駆け寄る。

「どうだ?」
「日本に逃げたそうだ。ここにはもう何も無い。馬鹿ギャング共が転がっているだけだ」

 ふと、彼も疑問に思う。なぜ日本に逃げたのか。

「日本に?なぜだ」
「それはよく分からん。使い捨てにされたアイツらは目的を知らされなかったようだ」
「アイツらはただ使い走りにされたというわけか」
「ああ、情報が統制されてる。下っ端程度じゃ踏み込んだ理由も知らされず目の前の金欲しさに無邪気に売りまくってたみたいだ」
「馬鹿な奴等だ。もう少し頭が回れば連邦警察が動き出すことも想像がつくだろうに」
「仕方ない。しがない街の小規模ギャングなんてただの小間使い程度にしかならんからな」

 デーヴィットの表情に陰りが出る。そのまま彼は溜息を吐くと、ポケットからタバコを一本取り出すと火を付けて口に咥える。わだかまりを残すように溜息を吐きながらゆっくりと紫煙を燻らせた。

「(何年人間界こっちにいようとも、相変わらず貧しいというのは見るに堪えない)」

 憐れに思う。貧困が生んだ違法ビジネスの末路というのは、関わった者全てを不幸にし、這い上がるチャンスを奪っていく。

 リザを伴侶パートナーにし、彼女のために人間界に降下して半世紀経つ。この半世紀の間、デーヴィットは自分の支配圏であるアメリカという国に住む人々の冷酷さを目の当たりにしてきた。
 アメリカは冷たい国だ。這い上がるチャンスなんていつも転がっているわけでは無いし、人々の命も人生も一ドルの価値よりも安い。
 経済と教育格差が著しく大きいこの国は人種と生まれで人生の殆どが決まってしまう。貧困層の住民達は教育はおろか職業訓練すら受けていない者も多い。投資できる資金が無く、明日を生きるための僅かな小銭にしかないためだ。そのため貧困に落ちた住民達が手っ取り早く稼ぐことができるのがギャングに加入しその構成員として金を巻き上げるだけだった。
 多人種共生社会のアメリカではよくある事情だけに、デーヴィットも自分が沈めたギャングには憐れだと思う気持ちもあった。

 デーヴィットはタバコを吸い終えると男に視線を向けた。

「ゴードン、俺は一度日本へ行く」
「日本へ・・・?」
「向こうには俺の知り合いもいる。今回の情報もそいつからのタレコミだ。向こうで何が起きているのか、確かめなければならない」

 でなければこの違法薬物の流通は阻止できないだろう。こちらの元締めが日本に渡ったということは、あちらで近々何か嫌なことが起きるかもしれない。

「分かった」

 ゴードンはタバコの火を消すとデーヴィットと固い握手を交わす。

「気をつけろよ、デーヴィット」
「サンキューな。向こうの美味い酒、土産に買って来るよ」

 始めて彼と顔を合わせたのはまだ刑事に昇格して間もない頃。その時と全く変わらない容貌に彼が何者なのか勘繰らない日はなかった。だがこの半世紀、彼が挙げた犯罪者の拘束と粛正に自分達が助けられたのも事実。

 彼なら信頼できる。

 ならば、自分は彼の力になるだけだ。
 いつまで自分がこの仕事ができるか分からない。だが引退する日まで、目の前の彼をサポートするのが自分の仕事だ。

 





*   *   *

「見つかったの?」

 日本有数の繁華街・川島町の一角の古びたバーに若い女と褐色の恰幅のいい男が並んで話をしていた。女は壁に背中を預けて多少萎縮する男の話を聞いている。世界流通の指示は彼女から直接受けたもので、連邦警察が居場所を特定したことを知った男は金で雇ったギャング達を捨ててこの日本にやってきた。

「すまないお嬢さん。連邦警察の捜査が入ればこれ以上の商売はリスクが生じてしまう。これからは日本を拠点に動こうと思う。日本で製造されたものは向こうでも人気商品になるからな」
「ウフフ。仕方ないわねぇ。でも、それは私のお父様が開発した薬だから、ちゃんと売ってね」
「もちろんだ。向こうでも人気が出て、バイヤーから入荷の問い合わせが後を立たない。それよりもお嬢さん、あんたどうしてわざわざ医学生になったんだ?」

 女は小さなショルダーバッグからスマートフォンを取り出すと、その中に治められている一枚の写真を男に見せた。
 写真には彼女ともう一人の若い女が写っている。艶のある黒髪を肩で軽く一括りにして、戸惑った様子を見せながらも彼女と並んで写っている。背景は大学のキャンパス内だろうか。キャンパス内を行き交う他の学生達も背後に写っている。

「これは?」
「これ、最初の講義の時に撮ったの。たまたまこの子が隣にいてとっても気が合ってすぐ友達になっちゃった」
「おお、それは素晴らしい。でもお嬢さん。この女の子と医学生とどういう関係にあるんだ?」

 すると女はクスクスと笑い出した。何か変なことを言ったのかと男は焦ったが、女は軽く舌を出すとブッブーと言った。

「残念ー。彼は男の子。一緒に住んでいる人が長い髪が似合うからって伸ばしているんですって。しかも照れながら。健気ねぇ」
「お、男の子だって?こんな綺麗な男の子が日本にいるのか?何てクレイジーな!これほど美しいとは、一度生で見てみたいものだ!」
「ウフフ。お楽しみはこれから。でも彼と接触できて嬉しいわ。だから、もうしばらく退屈な医学生を送るつもり」
「何なんだい。彼は」

 女は男に何か含みがある嗤いを浮かべると悠然と言った。

「私の、可愛いお人形さん」

 彼女と並ぶ写真に写る人物。
 彰はまさかこの先、自分が恐ろしい人物に目をつけられているとは夢にも思わなかった。
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