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1章 統治者不在を知る淫魔王は人間界へ降下する。

2話 西国の君主はアルカシスに忠告する。

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『近々、大神への再戦を開始する』

 それは、アルカシスだけでなく、他の四人の淫魔にも衝撃が走る報せだった。
 特に数ヶ月前にアルカシスの伴侶となった秋山 彰(あきやま しょう)を最下層コキュートスから取り戻すためにアルカシスと共に降下して、三神であるトール、オーディン、ロキと派手な喧嘩を繰り広げたエリザベータ、その裏で彼等を統べるリーダー・ルシフェルと交渉しアルカシスを闘神として復活する要因を作ったカラマーゾフは、再戦を決定したリーダー・ルシフェルに決断の理由を尋ねた。

「ついこないだまでショウちゃんの取り合いっこをしたというのに、随分と思い切った決断をなされたのねぇん♡」

 用意されたふかふかのソファに足を組んで腰掛けるエリザベータは、レオタードから透けて見える豊満なバストを身体でゆらゆらと揺らしている。

「早過ぎるわぁん♡早過ぎて、わらわの美しいお胸がポロンと落ちちゃいそうっ!なーんでそんなに焦ってるのかしらん?」

 エリザベータの言葉にカラマーゾフも便乗する。彼も時期尚早な話だと感じたからだ。

「確かに早過ぎる。お前が闘神に昇格したのは半年前の話だ。淫魔時代と比べてお前は神力を体得して力も以前とは格段に上がった。だがその能力をお前自身が制御できているかは別問題だ。アルカシス。お前はパートナーのあの青年がいなければ未だ力の加減がままならない状態のはず。神々でも諸刃の刃である闘神の殺気をそんな簡単に御するとは思えない。何故ルシフェルはそこまで早めるのだ?」

 二人の言葉に、デーヴィッドとビアンカもアルカシスへ視線を向ける。四人の淫魔王達の注目が集まる中、彼はおもむろに口を開いた。

「それに関しては私もルシフェルに直接尋ねました。いくら闘神の籍を埋めたとしても、まだ闘うにはコキュートス側に新しく生まれた神々は戦力というには乏しいからだ。トールの長子であるマグニでさえもこの時期の闘いは不利だ。無駄死にするだけの望まない結果は見えている。だが・・・」

 だが、ルシフェルは闘う事に頑なだった。

 アルカシスの叔父にあたるもう一人の闘神・トールは、人間の伴侶であるミシェルという青年の間に数十人の子どもがいる。
 マグニは彼等の第一子で、夫婦の中で数少ない成人した神の一人だ。また、父であるトールの神力を最も強く受け継いだのも彼である。

 コキュートスに降下したアルカシスはマグニと対峙した時、彼自身まだ未熟な神力の持ち主だった。だが彼の奥に内在する神力は淫魔との混血にあたる自分とは比べようもない底知れなさを孕んでいて、一度剣を交えた時に奥に潜む神力の強さに不気味さを感じた。

 お互いアレスとトールの子どもという立場であるが、人間の青年を母とするマグニが父・トールの跡を継いで闘神に昇格した時、自分は彼に勝てることができるのか・・・。

 アルカシスは続けて言った。

「もう一つ。ルシフェルは部下のうち、下位の神々を天界へ潜伏させて情報を集めていた。すると『ある事件』が起こっていたことを突き止めたそうだ。これが彼が再戦を早めた最大の理由だそうだ」
「ある事件?一体天界で何が起こっているというんだ」

 聞いていたデーヴィッドがソファから立ち上がると腕を組み、アルカシスに近づき彼を見下ろしながら尋ねる。

「天界では・・・ゼウスの妻・ヘラの行方が分からなくなったそうだ」



*   *   *


「は・・・?」

 尋ねたデーヴィッドは意味が分からずポカンとした表情でアルカシスに聞き返した。他、エリザベータ、カラマーゾフも眉を顰めてアルカシスへ視線を送っている。ただ一人、西国の淫魔王・ビアンカだけは彼の話を聞くために何の反応もなくただ静観していた。

「ヘラ?女神ヘラか?女神が行方不明って・・・じゃあゼウスの方はどうしている」
「ゼウスはルシフェル達をコキュートスへ堕として以降神力の回復のために眠り続けているそうだ」

 アルカシスの言葉にデーヴィッドは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。

 おいおい。あいつらを堕としたのは一体いつの話だよ。いくら何でも寝過ぎじゃねぇか。

「大神ゼウスはおねんね中ってわけか。もう起きて天界の支配者に返り咲いていたと思っていたが、そりゃ死んでいるというわけじゃないのか?」
「その可能性もある。ルシフェル達をコキュートスへ堕として以降、闘いで破壊された天界の復興も彼の神力で早めたからな。神力を使い果たして長い眠りについている間、彼の姿を見た者は側近を含めて誰もいないそうだ」

 神であろうと、死は訪れる。
 死ねば形を残さず肉体も消滅する。

 天界に潜伏しているルシフェルの部下の中には、側近達の世話係について情報を仕入れている者もいる。側近達の言うには、ゼウスは天界の復興を遂げた後、一度も覚醒した事はなく、彼の世話は妻であるヘラが担っていたという。
 眠るゼウスの寝室に出入りできるのは彼女の侍従達のみで、自分達は全く顔を合わせる事ができず、結果的に生死不明な状況が続いているという。

 その話を聞いた後、今まで聞くに徹するために自分から離れて静観していたビアンカが、クスっと小さく笑い口を開いた。

「あらあら、それは大変。ゼウスの部下達は彼女の戦略に見事にはまってしまったというわけですね」
「ビアンカ王、それはどういう意味ですか?」

 ビアンカの意味深な言葉にアルカシスは訝しげに尋ねる。彼の問いに対して、ビアンカはおかしいと言わんばかりに彼女の小さく可愛らしい口元に小さな手を添えてクスクスと笑うと懐かしむように言った。

「どうもこうもアルカシス王、ヘラは狡猾な女ですわよ。妻の座を得るために、他に候補となった数十人の女神達を同士討ちさせて殺したという程狡猾な女です。妻に就いてからは愛情と慈しみを司る女神と呼ばれるようになりましたが、彼女は根本から変わっていません。ゼウスが懇意にしていた彼の部下も、その嫉妬故に皆殺しにしていますから。おおかた、ゼウスを未だに眠らせているのはヘラの仕業でしょう。部下達との面会謝絶なんていくらでも理由は思いつきますからね」
「おいおいそりゃやべえ女の類いじゃねぇかよ・・・!マジ寒気がしたぜ」
「きゃああー、怖いぃぃ」

 ビアンカの話にエリザベータとデーヴィッドは動揺する。しかしエリザベータはどこか他人事のように怖いと言っている。
 話を聞いて身震いするデーヴィッドを他所に、隣で聞いていたカラマーゾフはハッと思い出したと言わんばかりに口を開いた。

「そういえば、一つ思い出した事件がある。エカテリィーゼが北国の王位に就いていた頃、上層界から神々が次々と下層界に堕ちる事件があった。コキュートスとは違う事件だ。確か、その多くがゼウスと親しかった女神とその部下達だ。ビアンカ王。もしかして貴女はあの時天界で何があったのか、ご存知だったのか?」

 カラマーゾフの話を自らの緑がかった黒髪を手櫛で整えながら、ビアンカはクスクスと笑う。それは、やっと気づいたのかと言わんばかりの挑発的な態度だった。

「フフフ。勿論ですわカラマーゾフ王。我が西国は上層界と繋がりがある高度淫魔の活動拠点ですもの。当時、上で何が起こっていたのかはあたくしも知っていました。最も、あの事件はただ女神ヘラの怒りを買った者達が彼女の逆鱗に触れて堕とされただけ。あたくしはそう解釈しています。だから四国の王である貴方がたには何も知らせませんでしたし、こちらは向こうの内輪揉めには興味ありませんからただ様子を見るに止めていました」
「それは貴女個人の解釈だ。上で異常事態が発生すれば、私に報告するようだいぶ前から伝えていたはずだ」
「あら?いつあたくしは貴方の部下になったのかしら。カラマーゾフ王」

 ビアンカとカラマーゾフ。
 笑みを浮かべてカラマーゾフを挑発するビアンカに、カラマーゾフは怒りを抑えるために拳を強く握りしめている。
 父と娘に見えなくもない身長差と容貌の二人だが、淫魔王として君臨する在位はどちらも長い。

 西国の淫魔王・ビアンカ。
 他四人の美麗な淫魔王と比べて素朴な少女のような風貌をしており、五人の中で見た目に目を引く姿をしている。
 小柄で色白の肌、両眼にはくっきりとした赤のアイラインと小さな口元には控えめにピンク色の口紅を差している。緑がかった黒の長い髪をサイドラインを伸ばして一纏めにしており、左右の頭にパールで彩られた髪飾りをしている。また、左右の耳には翡翠の小さな玉が三つに連結した耳飾りと、細い首には同色のネックレスをしている。これは彼女の支配圏である人間界で取れた宝石を模した装飾品であり、今回のような会談に出席する時に彼女は身につけて臨んでいる。
 高い声音は幼いという印象を与えるものの、声から発する凛とした口調からは長く在位しているだけあり一国の王としての品格を備えていた。

 ピリピリとした空気を漂わせていたビアンカだが、カラマーゾフから視線を逸らすと会談中だが部屋の扉の前へ歩いた。

「どういうつもりだ、ビアンカ王」
 
 カラマーゾフのピリピリする雰囲気にビアンカは呆れて溜息をつくと、彼に振り返って言った。

「どうも何も、国へ帰るのよ。もうここにいる理由はないならば、先にお暇させて頂くわ。西国は忙しいの」

 次にビアンカはアルカシスへ視線を向けると、両手を腰に当てて仁王立ちになって彼に忠告する。

「アルカシス。一つ忠告します。女神ヘラが天界にいないというならば、彼女を探し出しなさい。ルシフェルが再戦をするならば、行方不明の彼女をこのまま見過ごすわけがありません。何としても彼女を見つけて殺すのです。彼女の嫉妬深さで、貴方の大切な存在が消される前に・・・」


 
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