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本編

5.レイラ③過去、結婚相手

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 執事に案内されて応接室に足を踏み入れると中には、広いソファに3人の人物が腰を掛けて談笑していた。

 ソファの奥には父、その手前に継母、そして父の向かいには、レイラリーシュと結婚をする予定の男性の姿がある。
 こちらの姿に気付き、その男性はレイラリーシュが挨拶をする前に立ち上がった。

 見た目は、現在37歳の父よりも明らかに年上で、ここまで案内してきた老齢の執事の方が年齢が近いような気がする。
 艶の無い灰色の長い髪を一つに縛って肩に流し、同じ色の口髭を生やしている。
 服装は非常に派手で、臙脂色の生地に金色の刺繍が眩しく、貧相なその姿には似合っていなかった。
 両手にはそれぞれ3個ずつほどの指輪をしていて、どれも石の色が異なりとても大きい。誰の目から見ても、その男が財産を多く所有している事がわかる。
 しかしその姿を見ても、ただの痩せた老齢の男が派手な服を着ているという印象だけで、嗜虐趣味があるとは思えなかった。

 レイラリーシュが膝を軽く曲げてカーテシーをすると、男性が手を上げてそれを制した。

「おぉ、君がレイラリーシュ嬢だね。
 これはこれは美しい」

 その声はザラザラしていて、あまり覇気が感じられない。
 美しい、その言葉にはあまり実感がこもっておらず、明らかな社交辞令と受け取った。
 自分がこの男性と結婚する事になるなんて……。
 レイラリーシュには、とても現実味の無いものだった。
 父に男性の名を伝えられ、この家のロアン男爵家よりもはるかに高い爵位の、デズモント伯爵家当主だという事が分かった。

 レイラリーシュを除いた3人が少し歓談をした後。父と継母が立ち上がり、応接間の扉へと向かう。
 その時にデズモント伯が、どこか感心したように話しかけてきた。

「レイラリーシュ嬢はその名前の通り、あの聖女レイラリーシュと同じ黒髪黒目をしているんだねぇ」
「ええ、そうなんですよ。
 それに娘は回復魔法も使えますし、その点も聖女レイラリーシュ様にそっくりなんですの」

 そこに間髪入れず継母が、まるでレイラリーシュをデズモント伯に必死に売り込むかのように猫撫で声で答えた。
 父はその事実を今初めて知ったようで、ほんの僅かに目を見開いた後は、またいつもの温度の感じられない無表情に戻った。

 そして父と母が退出後、部屋に控えていた使用人も全てデズモント伯の合図で下げられて……。
 扉を少しだけ開けた状態で、レイラリーシュはデズモント伯と二人きりになってしまった。

「へぇ……、レイラリーシュ嬢は回復魔法が使えるのか。それは初耳だったな」

 間を開けて隣に座ったレイラリーシュに向ける表情は、今までのものとは全く変わっていた。
 開いているのかいないのか分からなかった目は、今はうっすらと開かれ、暗い灰色の瞳はどこか危険な雰囲気を孕んでいる。レイラリーシュの頭から爪先までを舐め回すかのように、じっとりと眺め始めた。
 その声も、初めの覇気の無い印象とは違って、熱に浮かされたような上擦った声だった。

 その視線に耐えられなくて、レイラリーシュは失礼だとは思いながらも、ソファから立ち上がりデズモント伯と距離を置く。

「まだ15歳でその美貌とその身体つき、これからますます美しくなる事だろうな」
 その言葉と自分を見つめる瞳に、全身にぞわりと鳥肌が立った。

 レイラリーシュは母譲りの清楚で繊細な美貌を持っていた。そして、肉体は15歳とは思えないほどの妖艶さで、既に胸と尻は良く発達していて、逆に腰は細くくびれている。
 今着ている水色のドレスはレイラリーシュの身体を採寸して作られたわけではなく、身長がほぼ同じの3歳年下の妹のお古を手直ししたものだった。
 それでも胸と尻の部分がひどく窮屈で、ドレスから嫌でも強調させられている。ウエストは緩くだぶついていて、矯正下着を着けさせられなかった意味が分かった。

 デズモント伯の視線からできるだけ自分を隠そうと、俯いて身体を両腕で抱きしめる。
 すると、デズモント伯は舌舐めずりをしながらゆっくりと立ち上がる。

……目を離したいのに、何をされるか分からない恐怖で、ねとりとした妖しい灰色の瞳から視線を外せない。
 怯えて後ずさるが、デズモント伯はそんな姿を面白がるかのように口の端を吊り上げて笑いながら、レイラリーシュのあと一歩ほどの距離まで近付いて来た。

「回復魔法が使えるようになった事は、私にとっては非常に僥倖だ。
 レイラリーシュ嬢の事を、末長く可愛がってあげられるよ」
「……あ……、っ……」

 弱いものをいたぶって楽しむ表情。
 そして遠回しに嫌でも感じさせられる、結婚後の待遇を伝えるかのような言葉。
 レイラリーシュの口からは、恐怖で震えた呻き声のようなものが出てしまう。

 不意にデズモント伯が左手に右手を添えて、人差し指に嵌っている、大きな石のついた指輪を外した。指輪を握ったままの皺だらけの拳が、レイラリーシュの方へと伸ばされる。

(ーーーーいやっ!!)

 たとえ婚約者とはいえ、デズモント伯の手に触れられる事がただただ恐ろしくて、身を竦めて固く目を瞑ってしまった。
 その時、胸の谷間にひやっとした金属のようなものが落とされた感覚がした。

「君の持つ、その美しい黒髪黒目に似たこの指輪を差し上げよう。
 勿論この指輪など、君の美しさには足元も及ばないがね。
 婚約指輪と結婚指輪は、もっともっと豪華な意匠のものを贈ると約束するよ」

 どこか陶酔に浸ったような口調でそう言い放ち、デズモント伯爵は高笑いをしながらこの部屋を去っていった。
 レイラリーシュは目を瞑っていたので、その時の表情を見る事はできなかった。

 今日だけで継母と妹、そしてデズモント伯から精神的に多大なる苦痛を与えられてしまった。
 恐怖と精神的な疲労で震える右手を、ドレスの隙間から見える胸の谷間に差し込んだ。
(黒い、石……)

 恐らく白金プラチナの地金に、周りを小さな金剛石ダイヤモンドで取り囲まれたその黒い石は、レイラリーシュの親指の爪ほどの大きさもあった。

 継母も宝飾品を好んでいつも様々な指輪を嵌めているようだったが、これほどの大きさの石は見たことがなかった。宝飾品に詳しくは無いのでこれが何の石かは分からない。

 その指輪を、手を振り上げて応接間の床に思い切り叩きつけたくなる衝動に駆られる。
ーーでも。

(こ、これを売れば……きっと、しばらくは……)
 レイラリーシュには手元に金品など一切無い。これは当面の逃亡資金になる筈だ。

 その後、部屋に戻るまでの事は良く覚えていない。
 レイラリーシュのドレスを脱がせるために自室に再び侍女達が入って来た時。

「ま、まだこのドレス姿でいたいんです。
 脱ぐ時はまた呼びますので、このままで……」

 使用人にすら自分の意見など言うのは初めてで、思わず声が震えてしまった。
 侍女達は互いの顔を見合わせた後、ほんの少しだけ表情を和らげて、扉を閉めて去って行った。

 人の気配が無くなったのを確認し、急いでいつもの魔法訓練用の服に着替える。
 矯正下着を着せられていなかったので、ドレスの後ろの釦を外すところだけは手間取ったものの、すぐに脱ぐことができた。
 髪飾りと耳飾り、ネックレス、そしてデズモント伯から受け取った指輪をハンカチに包んでポケットにしまいこんだ。

 レイラリーシュの部屋は他の家族と違い一階にあったのが幸いしたのと、元々ほぼいないものとして扱われ使用人も周りに待機していなかったため、屋敷を抜け出すことは造作ない事だった。

 しばらく門の近くの茂みで待機した後、継母と妹御用達の商人の馬車を見つけ、その荷台にこっそりと乗り込む。
 いつ見つかってしまうかがずっと不安で、あまりの緊張に頭痛と吐き気がした。

 その後は、世間知らずのため色々と苦労しながらも、名をレイラと変えて……。
 生家とは遠く離れた町で冒険者として生きていくことに決めた。

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