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本編

4.レイラ②過去、家族

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 自室の鏡台の前に座って、レイラリーシュは深く溜息をついた。

 痛んで熱を持つ頬にそっと手を当てて、その手に意識を集中させる様に瞑想する。
 少しだけコツを掴んだようで、時間をかける事無く頬の赤みはすぐにスッと引いた。

(とにかく逃げないと……でも、どうやって……?)
 頭の中で逃亡の算段を立てようとするが、気持ちだけが焦り、どうしても集中出来ない。

 逃げる時の服装は、恐らく今まで着用していた魔法訓練の時のもので平気だろう。
 使い古したフード付きの丈の短いローブに、昔はダボダボとして長かったのが背が伸びて膝下丈に変わったチュニック、そしてボロボロのブーツ姿。
 それを着ている姿は、誰が見ても貴族令嬢だとは思わないに違いない。

……それよりも何より、先立つものがレイラリーシュには無かった。
 自分が持つ金銭に交換できるものなど、とっくに継母と妹に奪われていた。母の形見のネックレスでさえ、私の方が似合うと妹に取り上げられたが、すぐに飽きてどうやら売り払われてしまったようだ。
 あんなに泣いたのは、母が亡くなって以来だったかも知れない。

 不意に自室の扉がノックされる。
 まさか継母がまた来たのかと思って、肩をビクリと竦ませてしまった。
「レイラリーシュ様、失礼いたします」
 無機質な声と共に、レイラリーシュの返事を待たずに、ドレスが入っていると思われる大きな箱と装飾箱をいくつか手にした数人の侍女が部屋に入ってきた。

……こんな事は初めてだった。
 レイラリーシュの着替えは貴族らしからぬ大変質素なもので、誰の手を借りることもなくいつも一人で着替えを済ませていたからだ。

 そういえばさっき継母が、結婚相手が午後に訪れると言うことを話していたっけ……。
 人目のある今の状況では、逃げる事はまだ叶わないだろう。

 仕方無いながらも、全くの無表情でこちらを見つめる侍女の言葉に従って立ち上がり、部屋の全身鏡の前に立つ。
 そして手早く服を脱がされた後、何故かきつい矯正下着は着けられる事なく、その後ドレスをテキパキとした手つきで身に着けさせられていく。
 その水色のドレスは恐らく妹のお古であろうが、こんなに美しく高価な服を身につけたのは初めてだった。
 しかし、レイラリーシュの心は全く踊らなかった。

 幼い頃から腹違いの妹とは、明らかな愛情の差をつけられていた。
 出くわす度に毎回違う豪華なドレスを着ている妹とは対照的に、レイラリーシュはドレスを身に着けた事などほぼ皆無だった。

 最初の頃は、まるでお姫様のような可愛らしいドレスを着た妹が、内心は羨ましかった。
 でもだんだんと諦めを覚えて行き、目の前で妹のドレス姿を見せつけられても、特に何も感じなくなった。

 髪を整えられ、化粧を施されたその姿は。
 幼い頃に亡くなった、レイラリーシュの母に良く似ていた……。

***

 レイラリーシュの母と父は、いわゆる政略結婚だった。
 男爵家という同じ爵位同士で、母の実家の方が格は低いものの、母は強い魔力を持っていた。
 代々王国騎士を勤める者が多い父の家系には魔力を持つ者はまだおらず、激しい争奪戦の上レイラリーシュの母は、ロアン男爵家嫡男で次期当主である父の元へと嫁ぐことに決まった。

 父はその頃からすでに今の継母と関係があった。
 レイラリーシュが生まれて1年後に、継母との間に長男が誕生する。その後すぐに祖父が亡くなり、父はロアン男爵家当主となった。

 愛していない母に似ていたからか、それとも嫡男ではないからか……。
 父はレイラリーシュに、そして母にも全くの無関心で、王国騎士という職業柄もあってか自宅の屋敷に帰ってくることは稀だった。
 きっと帰れる機会があったら、愛人だった継母の元へと足繁く通っていたのだろう。

 レイラリーシュの母が父を愛していたどうかは分からない。
 母はいつも、どことなく寂しげな瞳をしていた記憶がある。

 そしてレイラリーシュが6歳の頃……身体が元々弱かった母が、病で亡くなった。
 レイラリーシュが深い悲しみに暮れている間もなく、父は愛人である今の継母と再婚する。
 そして長男、レイラリーシュの3歳下の妹がこの屋敷に住む事となった。
 その上昨年には、弟である次男も誕生した。

 レイラリーシュは母の死から全く立ち直れていなかったが、これから家族が増える事に幼い期待がその頃にはあり、ほんの少しだけ楽しみな気持ちもあった。

 しかし、出迎えた玄関で初めて見た継母の顔はーー明らかにレイラリーシュに対する憎しみと嫉妬の炎で歪んでいた。
 継母は出自が平民のため、愛している父とはずっと結婚出来なかった。
 母が亡くなった後、継母には嫡男としての男子がいたためその後釜に座ることが出来たのだ。レイラリーシュが男子として生まれていたら再婚はきっと厳しかっただろう。

 亡き母とレイラリーシュには、継母には無い魔力が有り、そして継母には無い清楚で儚げな美貌を持っていた。
 そのためレイラリーシュは、継母に会う度に言葉でキツく当られた。
 父に良く似た長男である一つ下の異母弟は、父同様レイラリーシュには全く関心が無いようで、二人きりで会話した記憶など一度も無い。
 今は騎士の養育学校に通っているため、ここずっと顔を合わせる機会すら無かった。

***

 家族が増えてしばらくした頃。

 ある日自室で勉強をしていた時、窓の方から何か声が聞こえてきた。勉強の手を止めて窓に近寄り、そっと開けてみると……。

 そこから見える庭の遠くの方で、父と継母と弟、そして妹の家族4人が楽しそうに笑っている姿が見えた。
 レイラリーシュの前では意地の悪い顔しか見せた事の無い継母は、まるで別人のようなにこやかな笑顔をしていた。
 いつもは硬い無表情の父も、どことなく穏やかな顔をして、弟と妹が無邪気に走り回る姿を見守っていた。

 気付くと、レイラリーシュの目からは涙が溢れていた。そして皆に見つからないように慌てて窓を閉めると、ベッドに潜り込んで声を殺して泣きじゃくった。

(私は、この家には、いらない人間……。
 役に立てることなんて、決められた誰かと結婚するくらいしかないの……)

 幼いながらもその頃にはもう、自分が政略結婚のために魔法の英才教育を受けさせているのを良く理解していた。
 元々ある魔力は、鍛錬することによって更に増やすことができる。
 レイラリーシュが貴族の男性か結婚の予定の無い独身の女性ならば、宮廷魔術師や医療魔術師など、鍛えた魔力を生かした様々な道があっただろう。
 そして平民ならばーー冒険者などの道もあったはずだ。
 しかしレイラリーシュは、例え希望があったとしてもどの道を選ぶ事も叶わず、自分の家よりも高位の貴族と結婚し、ただ子供を産むだけの役割しか与えられていない。

 それでも、家族仲が良ければまだマシだった……。
 なのにレイラリーシュはこの家ではいない存在として扱われ、母が亡くなって以降は、家族全員が去った後の食堂でずっと一人で食事をしていた。もちろんまともな食事が出てきたことには感謝していたが。

 継母と、だんだんと物心ついてきた異母妹からは、たまに廊下などで出くわす度に面と向かって悪口を言われる日々だった。

 誕生日など祝って貰った事も無い。
 妹には与えられる可愛いドレスや人形など、一度も与えられた事も無い。
 そして実の母以外の家族に笑顔など向けられた事すら無く……愛情など、ずっと与えて貰えなかった。

***

「レイラリーシュ様、応接間までお越しになるようにとの事です」

 いつの間にか部屋からは侍女達が去り、扉の向こうには、生真面目な老齢の執事が立っていた。

「……はい。今、行きます」

 とうとう、自分の結婚相手と顔を合わせるこ事となるらしい。
ーーその対面の後に、どうにかしてこの家から逃げ出さねば。

 レイラリーシュは、今にも震えそうな手を固く握りしめ、応接室へと向かう事になった。
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