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仮面を着けて前を向け、暗闇かも知れないけれど

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 どうしてこんなことになったのだろう。
 どうしようどうしようどうすればどうして。

 落ち着くために──と言ってもこんなことを考えている時点で、十分に冷静だったのでしょうが、過去回想(プロローグ)といきましょう。



Qどうして、ヒトをころしちゃいけないの?
A自分がされたら嫌でしょう
Qじゃあ、じぶんがころされてもよければ。
 ヒトをころしてもいいんでしょうか? 

 幼稚園の先生に、そんなことを聞いたことがありました。
 キリスト教の幼稚園兼孤児園のような所で、その先生はシスターでした。

 彼女が最後になんと答えたのか、私はもう覚えてはいません。

 他の大人のように、私を異様な目で見ることのない数少ない人間で──私はそれが気に入りませんでした。


 私があるとき別の子供と喧嘩になったのです。
 原因は……今となってはよく覚えていませんが、園に一つしかないぬいぐるみの取り合いだったように思います。

 私は元々力のある方ではないので、ひっぱり合いにあっさりと負けて、取られてしまいました。

 悔しい……?いやちょっと違いましたね。
 
 無意識に、近くにあった工作用のハサミを掴んでいました。
 無意識にといっても、そこは覚えているわけですから、意識下にの方が正しいのでしょうね。

 本当に忘れているのは、その後のことです。
 悲鳴が、叫喚が、怒声が、耳の中で響いていました。
 目は朱以外の色を記憶していませんでした。
 
 気がつくとズタズタになったぬいぐるみを、胸に抱きしめていました。
 私はシスターに別の部屋へ連れて行かれました。

 なんでも、私はその子を刺したうえで取り返したぬいぐるみをズタズタにしたらしいです。

 不思議でしょう?
 取り返すためにその子を刺したのであれば、ぬいぐるみを壊す必要はありません。

 だから、やっぱりその前に感じていたのは、悔しさでも嫉妬でもなかったのです。

 諦観という言葉が最も相応しいかもしれないと、今となっては思います。

 その子も、そのぬいぐるみも、思い通りにならないこの世界も、どうでもいいやと思っていたのです。
 いや、今でも思ってますね。いつもいつも。

 勝とうと負けようと、得ようと失おうと、生きようと死のうと、全てはどうでもいいことです。

 連れて行かれた先の密室で、シスターは私に言いました。
 いつも通りの優しい笑顔で──私のその後を縛るようになる厳しい言葉を。
 
「あなたはヒトとは違うの。きっと治そうとしても治らない」

 時々私と遊んでくれていたおじさんが、精神科の先生だと知ったのは、随分と後のことです。

「だから、全てを偽りなさい。他人を、自分を、私を、貴女を欺しなさい。仮面を着けて──暗闇を生きなさい。私たちは異常者なの。常に仮面を着けないと、生きていけないの」

 そう、私のように──と。
 優しい笑顔は崩さないまま、二度と忘れられないような冷たい目で。
 こちらを見据えて、見通しで、見透かして。

 私がシスターを気に入らなかったのは──自分と同類だということを、どこかで悟っていたからだったかもしれません。



 はい、過去回想(プロローグ)終了。
 私は人間のフリをして、生きることになりました。
 死ぬことになっていた方が、ひょっとしたら楽だったかもしれませんが。

 そして今。

 正直、十二年も隠すというのは楽ではありません。
 その間ずっと、暗闇でした。
 心理負荷(ストレス)も限界です。
 私は、どうするのが正解だったのでしょうか……?

 死体が一人──いや、死体の数え方は一体ですか?人間なんて生きていても死んでいても、大して変わらないのに?

 とにかく生命活動を停止した人間が、私の家にいました──ありました?

 この家は小学校に上がる時に、シスターに貰いました。
 私をそれ以上、他の子供の傍に置いておきたく無かったのでしょう──正しい判断です。

 その広い家に、私が一人、死体が一つ。

 ねえ、貴方ならどうします?

 困ったことに燃えるゴミは、今日回収されたばかりでした。
 分別はしっかりしないといけませんからね。

 取りあえず適当に──テキトーに、ベッドの下に詰めました。
 押し込むのが大変だったので、引っ張り出すのも大変かもしれません。

 その日はその作業で疲れて、グッスリと眠ることが出来ました。
 夢にあのシスターが出てきました。
 やっぱり私は彼女が嫌いで、自分が嫌いでした。


 次の日学校に行くと、周辺地域を警察がウロウロしていました。
 
 何か事件でもあったのでしょうか?

「怖いな。なんかあったのかな?」

 終礼のHRで隣の男子が話しかけてきます。
 というか、私に話しかけるのは、この子くらいですからね。

 いつも鬱陶しいですが、怖いというのには同感です──警察が。
 市民の味方といいながら、敵を排除するだけのあの組織が私は怖いですね。

「死体が見つかった、とかいう噂もあるけどさ」
 
 ああ!そうでした。
 私の家にあったじゃ無いですか!死体。
 なるほど、なるほど。

 ……見つかった?

「噂、だけどな」

 ニヤッと、彼は内緒話をするように笑いました。

 ……うーん。早すぎる気もしますが。

「となれば、僕の出番だぜ」

 は?

「警察、目指してんだ」

 怖いですね──この子も。
 発想と目標が。
 二重の意味で、忌みますね。

「あ、待って。帰るんなら、同じ方向じゃん」
 
 だから何だと言うんでしょうか。
 ていうか、方向教えましたかね。気持ち悪い。

「一緒に帰ろう、なんて言わねえぜ」

 この「なんて言わねえぜ」が彼の口癖です。
 格好良いと思っているのでしょうか…ウザい。

「夕日を見に行こう!」

 ぶっ殺しますよ?

「冗談だって!帰ろうぜ」

 渋々彼と一緒に帰りました。

 彼は良く喋りましたが、特に話すことも無い私は、昨日思い出したシスターのことを話しました──もちろん隠すべきは隠して。

 他愛ない会話をしているうちに、すぐに私の家に着きました。

 そして、楽しい時間は終わりました。
 パトカーが止まっていました。

 無駄に優秀ですね、今の警察さんは。

「ちょっと家の中を見せて貰えますか?」
「え?え?」

 令状とか必要なんじゃなかったですかね?

「もちろん、任意ですが」

 諦観……ですね。開けましょう。

 もっとも、入ろうと思えば入れたはずですが。
 裏口の戸が壊れているので。

「いや、それじゃ警察じゃ無くて泥棒だろ……」

 彼が動揺しつつも、ツッコミを入れてくれます。

 無駄に優秀な警察さんは、開けてから一分も立たないうちに、死体を見つけてくれました。

 お引き取りねがえませんかねえ?

「署まで一緒に来て貰おう」

 あらあら、敬語が消えてますよ。

「早くしろ」

 そんなに急かさなくても行きますよ。
 どうだっていいことですしね。

 ただ一つ、彼に見られたことだけが気掛かりでしたね。
 驚いたように、口をパクパクさせていました。
 変な勘繰りはされたくないですが、真っ当な勘繰りもされたくないですからね。

 もう、全てどうだっていいんですよ。面倒臭い。



 警察署で取り調べを受けること三時間。
 流石に疲れますね、これは。 

 特に疲れたのは昔の話をグダグダとされることです。

「お前、4歳で精神鑑定を受けて異常となっているな。同級生を刺した、ねえ」 

 分かってることは聞くべきじゃないですよ。
 だいたい、そんなもの、昔の話でしょう?

「良心の呵責ってヤツを感じねえのか?」

 私には自分の痛みが分かりません─ヒトの痛みは分かるけど。
 でもね。
 ヒトが痛がっても、自分は少しも痛くないんですよ?
 その痛みを想像するなんて高等なこと、私には出来ません。

 でも一番疲れたのは、やっぱり周囲の視線でしょうか。
 十二年ぶりに、化け物を見るような目で見られ続けたことですね。

 裸を見られる感覚に近いですから。
 気持ちよさ?ええ、少しはありましたよ。もう隠さなくていいんで。
 いえ、変態じゃありません。


 結局、私は留置場に泊まるようでした。
 手続きが遅いんですよ、ホントに。

 そう思った矢先の事でした。


「警部、マルヒのアリバイを証言する少年が」

 ……?
 警察に連れてこられたのは彼でした。

「間違いないですって!僕は、昨晩ずっと彼女と一緒にいました!」

 何を言っているのでしょうか。
 妄想癖が酷いです。
 貴方から殺しますよ?

「嘘をつくな」

 そうですね。

 嘘をホントにすることはイケないことですよ。

 彼は私に目を向け、何やら考えているようです。

 まったく。
 警察を、目指すんじゃなかったんですか?

「で、でも。彼女がするわけない」
「ふん。お前はコイツの事を知らなかったんだよ。コイツは生まれつき──」

 それ以上は個人情報だと思いますが……まあいいですか。
 いえ、むしろ言ってあげてください。

「──異常者なんだよ!幼稚園の時に同級生を刺してる!」

 そこで彼は再び、私の方を見ました。

 私はどうするのが正解だったのでしょうか……?

 自分でも驚いたことに、目を逸らしてしまったんです。
 ある意味、一番の肯定かもしれませんが。

 でもそれは、彼にとってやはりショックだったようです。

 まあ、ですよね。
 そんな異常者が、仮面を着けて、自分の隣で授業を受ける──私でもショックです。

 え?そんな感情が分かるのかって?
 分かりますよ。
 なぜなら、そんな彼を見て──私まで少し傷つきましたから。

 ヒトの痛みしか、分からないはずなのに。
 まるで痛いようでした。
 十二年より前にも、感じたことの無い感覚でした。

 彼はその後は何も言いませんでした。
 ただトボトボと、項垂れて帰っていきました。

 その日はよく眠れませんでした。
 彼のことは関係ないです、たぶん。
 気にして寝られないとかじゃ、ないんです。

 留置場はもっと良いベッドを入れて欲しいです。
 鉄と黴の匂いから、謎の労働させられている夢を見ましたよ。
 夢は環境の影響受けますからね。
 これが、新生活に夢をたくさん持って臨むってことですかね?


 次の日も取り調べは続きました。

 留置場はたしか、十日くらいしかいられませんでしたよね?
 いつか入るかもと思って調べてたはずです。

「なんで殺したんだ?お前と害者に接点はないんだが」

 人を殺す理由がそんなに必要ですか?
 生きる理由なんて持ってないのに?

「ふざけるなよ!殺人犯め。お前は無期懲役ってとこだぞ」

 面白いですよね。死刑にならないあたりが。

 だってこの国では熊でも猪でも一人の人間を殺したら射殺されるのに──人間が一人の人間を殺しても殺されないんですよ?

 人権ならぬ殺人権が人間には認められているのでしょうか。


 3日目です。

 もういい加減うんざりです。
 実はお喋りを楽しみに来ているのでしょうか?

「遺族の気持ちってもんを考えたことがあんのか?」

 だから。
 言っているでしょう?

 私には、自分の痛みが分かりません──ヒトの痛みは分かるけど。
 躊躇いなくヒトを傷つけ──躊躇いなく自分を傷つける。

 一昨日の彼との話を思い出しながら、そんな風に答えました。

「お前と話してると、こっちまで頭おかしくなりそうなんだよ!」

 ……それは可笑しな事を。


 4日目です。

 この日は驚くべき事が二つありました。

 一つは、DNA鑑定の結果、死体が私の父親だと警察が突き止めたことです。
 やっぱり無駄に優秀ですね。

「親の顔を見てみたい、って。オレたちはずっと見てた訳かよ」

 そうですねえ。
 その場合は会ってみたい、ということですので、死んでいますけど。

「これで、不明だった動機が見えてきたな。親を殺すなんて一昔前じゃ、重罪だぞ」

 昔のことはどうでも良いですし。
 血縁関係もどうでも良いですねえ。

 子が親を、親が子を殺すなんて、あるあるでしょう?
 そもそも顔も見たこと無かったですし。



 もう一つは、この日彼が面会に来ました。

「今、調べてるから。もう少し待ってろよ」

 何を調べているんでしょう?
 私の過去でしょうか。
 そんなに面白いものじゃありませんよ。
 
 ただ、その日はグッスリ眠れました。
 狭苦しい留置場でも。


 5日目です。

 もう調べること無いんじゃないですか?と思っていましたが、精神鑑定を十二年ぶりに受けました。

 もちろん、普通に──異常でした。
 
 隠せはするけど──治せはしません。

「珍しく明らかな精神疾患が認められるな。ちゃんと治療して貰え、マジで」

 貴方もやつれてますよ。

「それは完全にお前のせいだ」


 6日目です。

 朝のうちに、彼が来ました。

 なんでも、懐かしのシスターが、面会に来てくれるようです。

 調べていたのはそれでしたか──いや、それまで調べていましたか。

 いったいどうやって調べあげたのか──すごいですね。褒めてあげます。

 警察の方も彼の調査力に驚いているようでした。


 そして、この日で取り調べは、最後のようでした。
 というか殆ど何もしなかったので暇でした。

 一応、諸々の確認と調整のために、勾留されているといっただけの感じでした。

 ずっと取り調べをしてきた方が、一番嬉しそうでしたね。
 そんなに嫌でしたか…


 7日目です。

 ちょうど一週間ですか。短いようで長かったです。

 やっとシスターが訪ねてきました。

「貴女、遂にやってしまったのですね。でも私の忠告を良くここまで守りましたね」

 ええ。ホントに感謝してます。
 貴女のお陰で、今の私があることは間違いないです。

「でも、やっぱり私みたいに、普通にはなれなかったのね」

 いえいえ。
 貴女には結局適いませんでしたね。

「え?」
「殺人と死体遺棄で貴様を逮捕する」

 シスター、ヒトの家に死体を捨てちゃダメですよ。
 それも、教え子の家に。
 キリスト教らしく土葬でもしてあげれば良かったのに。

「な、なんで?」

 全て彼のお陰です。



 一昨日──5日目のことですね。
 彼が面会に来ました。

「君が殺した────訳じゃ無いんだろう?」

 絶句してしまいました。
 彼は何を言っているのでしょうか?

「君の家からシスターの髪の毛を回収した。目立つ銀髪で助かったよ」

 乙女の家に入ったのですか。裏口から。

「君がヒントを出したんだろ?」

 そうでしたかね。

「嘘をホントにすることはイケないこと、だろ?」

 ……そうだったかもしれませんねえ。

「それに」

 なんですか。

「お前が何も信じなくなっても、僕はお前を信じたかった──なんて言わねえぜ」

 イラッとしました。
 台無しですよ。

「どうやら、『本当(すがお)のお前』は色々な情報から、そこまで信用できないらしい」

 …まあ、そうかもしれませんが。


「過去がどうだろうと、本当(すがお)がどうだろうと、そんなことは知らねえな。
『仮面(ひごろ)のお前』を信じれば──殺人なんてしないさ」

 その言葉を聞いた時──私の十二年(かめん)が、やっと報われた気がしたんです。


 ホントはずっと信じて欲しかった──なんて言う資格はないかもしれません。

 私は貴方を信じていなかったのですから。

 異物と分かって離れていってしまった、と思っていたのですから。

 全てを諦めて、してもいない殺人で、捕まろうとしていたのですから。

 それでも彼だけ諦めきれず、言葉の節々にヒントを滲ませてしまっていたのですから。


 現在(いま)、溢れる涙の止め方を私は知りませんでした。
 泣いたことさえ無かったのです──私は。

 彼といると初めての経験がたくさんあります。

 少し、期待したりもしたんですから。
 少し、失望したりもしたんですから。
 とっても──嬉しかったんですから。

 なんてことはない。

 ヒトから信用されないのではなく、ヒトを理解していないだけ。
 それでも救いを求めるなんて──確かに私は異常者でした。



 逮捕されたシスターが呪いの言葉を吐き続けます。

「貴女みたいなのを助ける人なんて、信じる人なんて──いるわけないでしょう!!」

 そうですね。
 私もそう思って諦めてました。
 確かに私は異常者で異端者で異物なのかもしれない。 

 でもね。
 私は、仮面を着けて生きてきました。

 異物な私は誰も信じてくれなくても──仮面の私を信じてくれる人はいたんですよ。

「仮面を着けたって暗闇しか無かった!貴女なら分かるでしょう?皆を欺いて生きてもツラいだけでしょう?」

 シスター、それは仮面がずれてるからだと思います。
 仮面がずれていると、どこを見ようと内側しか見えません。
 前を見ようと、後ろを見ようと、光は差し込んできません。
 真っ黒の暗闇です。
 ……あかたには相応しいかもしれませんが。

「化け物が!死ね!死ね!」
 
 そんな簡単に素顔(ホント)を見せるなんて、ありえないですよ──たとえ、警察に捕まっても。

 私は諦めから殺人者(ウソ)の仮面を着けましたよ?
 薄らと、ですが。

 いいですか?私たちは異常者です。
 常に仮面を着けないと、生きていけないんですよ?
 十二年前に、貴女が教えてくれた事でしょう?

 ねえ──お母さん。
 そうでしょう?

 どうして、お父さんを殺したんですか?
 まあ、どうでもいいですけど。

 そんな風にすぐ剥がれる仮面だから、お父さんにも私にも──嫌われたんですよ。

 遅かれ早かれ、貴女は限界だったでしょうから──だから、私が引導を引き渡してあげます。


 こうしてシスターが逮捕され、私は釈放されました。
 なぜか、あまり謝られませんでしたね。

 一週間の勾留を経て、彼の隣で授業を受ける日々へと戻ったのです。



 時間を少し溯って。

 あの面会には続きがあります。

「お前は異常なのかもしれない。でもそれを隠して生きるお前は、きっと普通の人より強く、気高く、美しい」

 でも。
 でも、隠すのは苦しいんです。
 全てを諦めそうなくらい──一度は諦めたくらい、苦しいんです。

「お前が今も苦しんでるなら、僕も一緒に苦しもう──なんて言わないぜ」

 ……なんですか?

「一緒に──幸せになろう」

 その言葉は、私にとっては、十二年間ずっといた暗闇を照らすのには十分でした。
 
 だから、今日も。

 私は、仮面を付けて前を向きます。
 そこは暗闇かも知れないけれど。
 光を与えてくれる人も、たまにはいますから。

 
 
 


 

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