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見捨てられない。
精霊王としてではなく、嶺緒としてヴラドの国へ向かった。
ロイスにも、誰にも告げずに。

ヴラドの国が街が、見る影も無いくらい荒れ果てていた。
あんなに綺麗な国だったのに。





整えられていた庭には花も咲いていない。
屋敷の中は薄暗く、薄汚れ、ヴラドの私室のソファーに、力なく体を投げ出した姿を見つけた。

「ヴラディスラウス、一体どうしたんですか?」

「れ、お、か」

どこか焦点が合わない目で、俺の方を見た。

「これが、伴侶の誓いを破棄した事のペナルティなのかもな。」

豊かな金色の髪は艶をなくし、碧眼は光を無くしていた。

「ヴラディスラウス、ジルを想ってる?」

「いや、ジルはどうでもいい。
 嶺緒が側にいない。」

「うん、そうだね。
 俺は、もう誰とも心を通わせたくは無いんだ。
 由宇斗にも手酷い扱いを受けたけど、貴方に救われた。
 でも、救われたはずがまた、悲しくなってしまったから。」

俺の手を握り、自分の額に当てて懇願する様に、名前を呼んでくれと言われた。

「分かった。
 ヴラド、立ち止まってはダメだよ。
 ね?
 俺の事は忘れて。」

「忘れたりなんかしない!
 嶺緒を貫いた剣が、肉を抉る感触さえまだ憶えてる!
 何度も貫き、何度も抉り、何度も痛めつけた!」

ガタガタと震える手を握り込んで、ヴラドを抱きしめた。

「何故、だ
 私の嶺緒、何故、私は離れなければいけないんだ?
 なんで、あの時、嶺緒を刺してしまったんだ!!
 愛してる、愛してるんだ!
 愛してるのに!
 そう思うと、ジルが憎くて、憎くて!
 苦しいんだ」

泣き崩れるヴラドの額に、キスを落として宥めていても、お互い唇にはキスをする気にはならなかった。

「ヴラド、あの処刑の日から寝てないんですね?
 少し休みましょう。
 横にいますから」

ベッドへと連れて行き、傍に腰掛けてその体を抱きしめた。

小さな子を宥める様に、艶を失った髪を梳きひどい顔色をどうにかするために、俺は指の先を切り、その唇に数滴落とした。

渇いた砂に数滴の水くらいでは、すぐに見えなくなる様に、ヴラドの唇も同じ様に吸い込まれて消えた。
 
もっと沢山の血がいる。

俺は、手首の辺りを切るとかなりの量をヴラドに与えた。

身体中の皮膚から、俺の血を吸い込む様に吸収して、青白い顔色から漸く陶器の様な滑らかな肌へと変わった。
それと同時に、苦しげな表情が少し穏やかなものへと変わった。


どのくらい経過したのか、ヴラドが顔色も良くなり、静かな寝息が聞こえる頃に、そっと立ち上がりその場を離れた。
辺りはもう、夜の帳が降りて善いものも、悪いものも隠してしまっていた。

精霊の力なのか、夜目が利き昼間とは言わないが夕暮れに近づく午後くらいの明るさで見える視界に、シルバーグレイの毛並みを持つ大きな狼のロイスが佇んでいた。

来ちゃったか。

「ロイスさん、その姿は見せたくなかったんじゃないですか?
 もう少し、ヴラドの様子を見たら帰りますから。
 子供じゃないですし、大丈夫ですよ」

黙り込むロイスに気不味さを感じながらも、明るく何でもないと言う風に言葉を出した。

「嶺緒様、何故黙って此方へ来られたのです?
 ヴラディスラウスがやはり…」

既にロイスが仕えていた頃とは違う。
旦那様と優しく、時には厳しく呼んでいた声では無かった。

「壊れてしまう寸前、いや、壊れてしまっていたのかも。
 上の者が取る責任として動いた結果だとしても、ジルが残した代償は大きいですね。」

26年かけて出来た歪みと、自分しか考えられなかったジルの感情が、ここまで影響していた。

「ヴラディスラウスの自業自得かと。
 貴方をあんなに傷つけて、」
「ダメだよ、ロイスさん!
 アレは、多かれ少なかれ、皆んなに責任があるんだから。
 ヴラドがジルをきちんと処罰していれば、俺が血を流さなければ、ジルが一番悪いんだけどね。
 だから、ロイスさんが言ってはダメです。
 でも、もう、この事実を変える事は出来ないんだよ。
 物語を書き替えることは、出来ないんだ。」

「嶺緒様、帰りましょう。
 その傷もちゃんと手当てをしなくては」

どこか不安気なロイスが普段の執事姿になって、俺を促した。
ヴラドの加護があった時はすぐに再生していたのに、今は殆ど勝手に治癒する事は無かった。

「うん、そうだね」

せめて、この夜がヴラドを眠らせてくれたらいい、と夜を告げる鳥にお願いをした。










屋敷に戻ると、狐男フラウの盛大な叱責が待ち構えていた。

「あんた達二人とも!
 どっか行くなら行くって言いなさいよ!
 私が屋敷中走り回って探しましたよ! 
 わかります?!」

苦笑いと、その叱責にホッとしながら、ごめんごめんと謝った。

「フラウロイド!
 煩いぞ。」

ロイスが睨みを利かせるが、一瞬だけ黙って、また早口で捲し立てた。

「ロイスさん!
 自分がやらかしておいて、そう言うのパワハラって言うんですよ!!」

フラウは、お父さんの首輪が付いたままだったけど、かなり能力は高くてすぐにロイスとはいいコンビになった。
 
「フラウさん、俺が勝手に抜け出して、ドラクリヤの国を見に行ったんです。
 この所、森に逃げる様に移り住む人達が増えていたり、魔獣が出没する様になっているので、ちゃんと見ておこうと思いました。」

なるべく感情を出さないように、事実だけを伝えたつもりだった。

「レイオニード様、それで、ご自分の血を与えたんですか?」

「え?」

そっか獣人の嗅覚は鋭いんだし、誤魔化されないか。

「あぁ、うん。
 ヴラドに振りかけて来た。」

「ぶっ!
 振りかけたって、何ですか、そりゃ!」

フラウが面白そうに笑った。

「まあ、いいです。
 でも、レイオニード様、あの頃の貴方の体では無いんですから、呉々も無茶はしないでくださいね」

一度は敵対したとは思えないほど、フラウは俺を甲斐甲斐しく世話をしてくれた。

「ありがとう、フラウさん」

「そう言う所、毒気を抜かれて、貴方を守ろうと思っちゃうんですよ。
 覚えておいて下さいね!」

ツン、デレ?なのかな。

「フラウ、嶺緒様の手当ては私がする
 仕事に戻り、今日は休みなさい」

「畏まりましたぁ、ロイスさん」

少し不満気にフラウが返事をして、部屋を出て行った。

「あ、の」

ロイスの沈黙に不機嫌さが滲み出ていた。

「ロイスさん、傷は大した事ないので、貴方も休んでください。」

俺の切った手首を見て、眉を顰める。

「クソッ!」

「え?どうしました?」

「こんなに深く切って!
 どれほど血を与えたんですか!!」

まだ、止まりきらない血が床を汚した。

「あ、止血したんですけどね
 フラウさんに、絨毯汚したってまた、怒られちゃいますね
 ふふ、俺も掃除手伝いますから」

「そう言う問題じゃない!」

手をギリッと強く握られて、思いがけず引き寄せられて、バランスを崩した。

ぽすんっ

「ぁ」

ロイスの胸板に頭を抱えられるように抱きしめられた。

あの日感じた衝動的な感情を再び思い出して、恥ずかしくなった。

「あ、あ、ごめんなさい!
 寄っかかっちゃいました!」

「いい、良いから」

そのまま、ロイスに抱きしめられた。

安心する良い匂いに、心も預けそうになるのを必死で堪えた。

「ロイスさん、大丈夫ですよ。
 全然痛くないんです。
 そんな顔しないで下さいよぉ」

ニコニコと笑って、ロイスを困らせないように大丈夫だと、安心して、と言って体を離した。

体を離した時に失われた体温が、そのままロイスの心のような気持ちになって、不意に涙が溢れた。
ヴラドをジルに奪われた時も涙は出なかった。
由宇斗の時は涙が出る前に心も体も壊れた。

今は、感情を止める事が出来なくて、涙が溢れてしまっていた。

「嶺緒!」

再び抱きしめられて、ロイスの唇が俺の唇に重なった。











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