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看守
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「ついに戦争が始まったって本当かい」
檻の向こうに訊いた。鉄柵を隔てて男がひとり佇んでいる。制服をまとい、警棒を持っていた。答えはない。トマスは肩をすくめた。
「まあ、俺が徴兵されるのはよっぽどのときだろうな」
トマスは思想犯だ。うろんな言説で大衆を煽動したとして投獄されている――というとあっさりしたものだが、トマスの「教唆」によって動いた者の数は万を下らず、行動の結果は幾多の破壊を伴った。戦争の旗振りをする支配階級としては、トマスを兵隊のなかに放り込みたくはないだろう。従順な一個小隊が反乱部隊に変わりかねない。
「香(コウ)たちは招集されたりしないの」
呼ばれて初めて、制帽が動いた。鍔で影の落ちた顔は見事な線対称をしている。
「されない。役に立たないから」
「どうして――いや、そうか、ロボット三原則か」
香は看守を任務とするロボットだ。国庫が逼迫するなか、犯罪者に使う費用を少しでも削減しようとした結果だ。二四時間体制で見張りが要るのなら休息を必要としないロボットのほうが効率が良い、万が一逃亡犯が出たときも卓越した身体能力で取り押さえることができる。
ただし法違反者といえども傷つけることや殺すことはできない。
全てのロボットが拘束されるルールがあるからだ。
「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。……そりゃあ戦闘要員にはなれないわな」
「救護も難しい。常に近辺で人間が危険にさらされているのに、助けにゆくことができない。第一条違反に抵触しながら稼働し続けなければならない。ストレスが大きすぎる」
壊れてしまう。香はぽつりと呟いた。
「ロボットたちは待機かあ。せいぜい兵站関係に携わるくらいのものかね」
香はこくりと頷く。
「良かった」
「所長にはスクラップになってしまえと言われたが」
「あんのクソ親父」
囚人ではない唯一の人間が所長だ。ロボットと囚人しかいない現場というのも大変なのかもしれないが、折に触れ聞こえてくるエピソードは狭量なものばかりで呆れてしまう。
「俺は人間同士がしょうもない理由で始めた争いに、香たちを巻き込みたくないよ」
(香たちのほうが、人間よりも優しい)
囚人すら人間として扱い、悪意も蔑視も向けない。感情がないからなのだとしても、血の通った人間に諦めを抱いていたトマスにとっては救いだった。
トマスの思想を利用しようとする者がいた。裏切った者がいた。勝手に憧れ、勝手に幻滅していった者もいた。
「人間は馬鹿だよなァ」
「……そろそろ消灯だ」
沈黙が落ちた。口を噤んだ香の横顔は、迷いなく前を見ていた。
(守られている)
惨事は遠い。暗く暖かな監獄で、トマスは身体を丸めて眠った。
「恩赦だぞ、恩赦だ、さぁ出た出た」
戦争が終わったのだという。トマスの国は勝利し、王室は囚人を釈放または減刑に処することを宣言した。囚人も国民、総員で勝ち戦を祝えよ、ということらしい。言論統制が緩んだ今、トマスの獄は優先的に開かれたひとつだった。
「香」
真っ先に探した。人の波を縫って急いだ。相変わらず背筋を真っ直ぐに伸ばして、香は浮かれた囚人たちを眺めていた。
「トマス」
新月の夜にも似た瞳がトマスを捉える。
「おめでとう」
「ありがとう。香たちはこれからどうなるんだ? 囚人の数はかなり減ってしまうだろう」
「さあ、使わない個体は物置行きか、廃棄処分か――いずれ僕らは旧式が多いから」
こんなことばかりすんなりと答えてくれる。トマスは深く溜め息を吐いた。
「やっぱりなあ」
香の手を掴む。しっとりとした質感、熱、とても無機物とは思えない。
「一緒に行こう」
香は僅かに目を瞠った。そう、見えた。願望の賜でなければ良いのだが。
「せっかく平和になったんだから、香だって自由を満喫しなくちゃ勿体ない」
「いや、しかし、僕は」
役所の職員を連れ去ることは罪になるだろうか。また投獄されては敵わない。
「逃げるぞっ」
「わ、ちょ、おいっ」
手を引いて駆けだした。待てこら、と背中に怒声がぶつかる。とはいえ二回りも年上の所長に追いつかれるほどトマスの足はなまってはいない。ロボットたちも追いかけては来なかった。
「人間は馬鹿だよなァ!」
思わず声を上げて笑ってしまう。
「……馬鹿だねえ」
香の制帽が風に攫われた。大気に溶けるように見えなくなってゆく。金色の日差しを直接受ける、香の面差しは初めてみるもののように鮮やかだった。
(了)141207
檻の向こうに訊いた。鉄柵を隔てて男がひとり佇んでいる。制服をまとい、警棒を持っていた。答えはない。トマスは肩をすくめた。
「まあ、俺が徴兵されるのはよっぽどのときだろうな」
トマスは思想犯だ。うろんな言説で大衆を煽動したとして投獄されている――というとあっさりしたものだが、トマスの「教唆」によって動いた者の数は万を下らず、行動の結果は幾多の破壊を伴った。戦争の旗振りをする支配階級としては、トマスを兵隊のなかに放り込みたくはないだろう。従順な一個小隊が反乱部隊に変わりかねない。
「香(コウ)たちは招集されたりしないの」
呼ばれて初めて、制帽が動いた。鍔で影の落ちた顔は見事な線対称をしている。
「されない。役に立たないから」
「どうして――いや、そうか、ロボット三原則か」
香は看守を任務とするロボットだ。国庫が逼迫するなか、犯罪者に使う費用を少しでも削減しようとした結果だ。二四時間体制で見張りが要るのなら休息を必要としないロボットのほうが効率が良い、万が一逃亡犯が出たときも卓越した身体能力で取り押さえることができる。
ただし法違反者といえども傷つけることや殺すことはできない。
全てのロボットが拘束されるルールがあるからだ。
「第一条、ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。……そりゃあ戦闘要員にはなれないわな」
「救護も難しい。常に近辺で人間が危険にさらされているのに、助けにゆくことができない。第一条違反に抵触しながら稼働し続けなければならない。ストレスが大きすぎる」
壊れてしまう。香はぽつりと呟いた。
「ロボットたちは待機かあ。せいぜい兵站関係に携わるくらいのものかね」
香はこくりと頷く。
「良かった」
「所長にはスクラップになってしまえと言われたが」
「あんのクソ親父」
囚人ではない唯一の人間が所長だ。ロボットと囚人しかいない現場というのも大変なのかもしれないが、折に触れ聞こえてくるエピソードは狭量なものばかりで呆れてしまう。
「俺は人間同士がしょうもない理由で始めた争いに、香たちを巻き込みたくないよ」
(香たちのほうが、人間よりも優しい)
囚人すら人間として扱い、悪意も蔑視も向けない。感情がないからなのだとしても、血の通った人間に諦めを抱いていたトマスにとっては救いだった。
トマスの思想を利用しようとする者がいた。裏切った者がいた。勝手に憧れ、勝手に幻滅していった者もいた。
「人間は馬鹿だよなァ」
「……そろそろ消灯だ」
沈黙が落ちた。口を噤んだ香の横顔は、迷いなく前を見ていた。
(守られている)
惨事は遠い。暗く暖かな監獄で、トマスは身体を丸めて眠った。
「恩赦だぞ、恩赦だ、さぁ出た出た」
戦争が終わったのだという。トマスの国は勝利し、王室は囚人を釈放または減刑に処することを宣言した。囚人も国民、総員で勝ち戦を祝えよ、ということらしい。言論統制が緩んだ今、トマスの獄は優先的に開かれたひとつだった。
「香」
真っ先に探した。人の波を縫って急いだ。相変わらず背筋を真っ直ぐに伸ばして、香は浮かれた囚人たちを眺めていた。
「トマス」
新月の夜にも似た瞳がトマスを捉える。
「おめでとう」
「ありがとう。香たちはこれからどうなるんだ? 囚人の数はかなり減ってしまうだろう」
「さあ、使わない個体は物置行きか、廃棄処分か――いずれ僕らは旧式が多いから」
こんなことばかりすんなりと答えてくれる。トマスは深く溜め息を吐いた。
「やっぱりなあ」
香の手を掴む。しっとりとした質感、熱、とても無機物とは思えない。
「一緒に行こう」
香は僅かに目を瞠った。そう、見えた。願望の賜でなければ良いのだが。
「せっかく平和になったんだから、香だって自由を満喫しなくちゃ勿体ない」
「いや、しかし、僕は」
役所の職員を連れ去ることは罪になるだろうか。また投獄されては敵わない。
「逃げるぞっ」
「わ、ちょ、おいっ」
手を引いて駆けだした。待てこら、と背中に怒声がぶつかる。とはいえ二回りも年上の所長に追いつかれるほどトマスの足はなまってはいない。ロボットたちも追いかけては来なかった。
「人間は馬鹿だよなァ!」
思わず声を上げて笑ってしまう。
「……馬鹿だねえ」
香の制帽が風に攫われた。大気に溶けるように見えなくなってゆく。金色の日差しを直接受ける、香の面差しは初めてみるもののように鮮やかだった。
(了)141207
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