1 / 1
キリンの恋
しおりを挟む
「ではお願いします、魔女さん」
少女は深々と頭を下げると、思い詰めた表情で帰って行った。
(どうしたものかなぁ)
ジラフは魔女だ。魔法を頼る人々に、しょっちゅう相談ごとを持ちかけられている。イモリの黒焼き、動物の骨、枯れかけの植物、怪しげな品が並ぶ部屋を突き進む。最奥に作業机が鎮座していた。
「貴倫(きりん)。起きて」
「やあジラフ。今日はどんな依頼を受けてきたの」
コンピュータの画面が返事をした。
魔女は膨大な知識と情報を蓄積しなければならない。コンピュータは必需品である。ジラフの相棒はKILLIN001こと貴倫だ。人工知能のグラフィックは草食動物のような黒目がちの青年だった。貴倫の姿は精巧で、作られた映像であることを忘れそうになる。
「恋愛成就」
「ははあ。大定番だ」
花屋の娘だった。あるとき男性客に一目惚れしてしまったのだという。
――何度か来店して下さったんですが、ろくにお話も出来なくて。
エプロンスカートを握りしめる。俯いた目元が真っ赤だった。
――お友達になれるだけでもいいんです。
「惚れ薬って作れないんじゃなかった?」
「その通り」
貴倫は念のため検索エンジンを立ち上げて、惚れ薬、恋の魔法、などと幾つかのキーワードを試している。出てくるのは信憑性のないおまじないばかりだった。
「だって貴倫。恋って何」
貴倫は画面のなか、薄っぺらい二次元で瞬きをして見せる。
「恋。特定の異性を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち」
辞書的な定義がすらすらと出た。
「ほら、曖昧でしょう。ボクたち魔法使いに必要なのは具体的な組成だ。特定の脳物質が一定量放出されることであったり、ある臓器の異常な働きであったり。でないとアプローチのしようがない」
「理論で恋を説明するのは難しいだろうね」
「だから不可能と言われてきたし、挑戦してみたいんだよね」
ジラフはじっと考え込んでしまう。
「私を参考にするのはどう」
貴倫の人格プログラムは綿密だ。社会常識は当然のこと、皮肉や冗談、お説教なども組み込まれている。女の子らしくしなさいと叱られるたび、物分かり良く改変してやりたくなるほどだ。
「どこかに恋をするための記述があるんじゃないかな」
「無いよ。貴倫のプログラムは一通り読んだ」
貴倫は仕方ないとでも言いたげに肩をすくめた。
「本人には訊いてみた?」
ジラフは頷く。曰く痺れる感じ、らしい。彼をひと目みたそのとき、電流が走ったように「ビビっと来た」のだと話してくれた。
「類推すると、小さな雷を落としたら恋という心理状態は発生し得るんじゃないかなあ。天候なら空気中の分子構成をいじくれば済むんだけど」
「やめなさい。下手したら死人が出る」
貴倫は真顔だった。ひとまず情報収集が要るようだ。
翌日ジラフは町へ出た。魔女仲間が手がかりを知らないか、文書館に資料はないか。いずれも結果は奮わなかった。
(首を長くして待っているだろうに)
溜め息が零れてしまう。
「ありがとうございました!」
対象的に軽やかな声が響いた。聞き覚えがある。
「おや。お店、ここだったんだね」
「魔女さん」
目をまん丸にしているのは、花屋の少女だった。
「魔女さんはどうしてこんなところに」
丸太で作られたロッジ風の店舗だった。店先には小さなカフェスペースも設えてある。木製のテーブルと椅子で、今は老婦人がハーブティーを楽しんでいた。横を通り抜ける。バラが柔らかく香った。
「依頼に関する調べ物をね」
「……すみません」
ひと息に表情が曇った。
「私の我が儘のために、そこまでして頂いて」
泣き出すかもしれない。ジラフの危惧を裏切って、少女はきりりと瞳を上げた。
「お待ち頂けますか!」
勢いに押されて頷いた。言うや否や少女は店の奥に飛んで行く。店内を走り回ったかと思うと戻って来た。
「せめて貰って下さい」
少女が差し出して来たのは花束だった。
桃、橙、紫、紅、小振りな花が一抱えもある。積み重なってゆく想いのように、静かに揺れていた。
「まあ素敵」
ティースペースの老婦人が、思わずと言った様子で口元を綻ばせた。
「あら、ごめんなさい。見ず知らずのおばあちゃんに話しかけられたらびっくりしちゃうわねえ」
「いいえ。とんでもない」
一連のやりとりの中で、ジラフにはひとつの案が浮かんでいた。
「ボクは呪文をかけてきた。ヒトの心を左右出来るものじゃないけれど」
「じゃあ、どんな?」
貴倫は首を傾げる。いちいち仕草が細かいグラフィックだ。
「最初に話した通り、天候を変化させるのは難しくない。だから、彼女が彼と顔を合わせることを発動条件に」
そのとき空が急に陰った。ざっと雨が降ってくる。どこか屋根に入らなければ凌げないだろう激しさだった。雨はすぐに弱まり、雲間から再び太陽が覗く。
「虹が架かるようにしたんだよ」
重く湿った空気を切って、七色が空を貫いていた。
「うわ……」
貴倫は呆然と呟いた。
「綺麗だ」
「うん」
綺麗なものは分かち合いたくなる。例えば花屋で雨宿りをする青年が、隣で歓声を上げた少女に共感を求めることがあるかもしれない。
「……虹を見ながら、お茶でも如何です?」
貴倫が気障な仕草で手を差し伸べてくる。ジラフはくすりと笑った。
「水は大敵のくせに」
小さな一言から始まる何かがあればいい。ジラフは貴倫の前に花瓶と二組のティーカップを並べた。少女のくれた花束は、虹色を映して輝いていた。
(了)131013
少女は深々と頭を下げると、思い詰めた表情で帰って行った。
(どうしたものかなぁ)
ジラフは魔女だ。魔法を頼る人々に、しょっちゅう相談ごとを持ちかけられている。イモリの黒焼き、動物の骨、枯れかけの植物、怪しげな品が並ぶ部屋を突き進む。最奥に作業机が鎮座していた。
「貴倫(きりん)。起きて」
「やあジラフ。今日はどんな依頼を受けてきたの」
コンピュータの画面が返事をした。
魔女は膨大な知識と情報を蓄積しなければならない。コンピュータは必需品である。ジラフの相棒はKILLIN001こと貴倫だ。人工知能のグラフィックは草食動物のような黒目がちの青年だった。貴倫の姿は精巧で、作られた映像であることを忘れそうになる。
「恋愛成就」
「ははあ。大定番だ」
花屋の娘だった。あるとき男性客に一目惚れしてしまったのだという。
――何度か来店して下さったんですが、ろくにお話も出来なくて。
エプロンスカートを握りしめる。俯いた目元が真っ赤だった。
――お友達になれるだけでもいいんです。
「惚れ薬って作れないんじゃなかった?」
「その通り」
貴倫は念のため検索エンジンを立ち上げて、惚れ薬、恋の魔法、などと幾つかのキーワードを試している。出てくるのは信憑性のないおまじないばかりだった。
「だって貴倫。恋って何」
貴倫は画面のなか、薄っぺらい二次元で瞬きをして見せる。
「恋。特定の異性を強く慕うこと。切なくなるほど好きになること。また、その気持ち」
辞書的な定義がすらすらと出た。
「ほら、曖昧でしょう。ボクたち魔法使いに必要なのは具体的な組成だ。特定の脳物質が一定量放出されることであったり、ある臓器の異常な働きであったり。でないとアプローチのしようがない」
「理論で恋を説明するのは難しいだろうね」
「だから不可能と言われてきたし、挑戦してみたいんだよね」
ジラフはじっと考え込んでしまう。
「私を参考にするのはどう」
貴倫の人格プログラムは綿密だ。社会常識は当然のこと、皮肉や冗談、お説教なども組み込まれている。女の子らしくしなさいと叱られるたび、物分かり良く改変してやりたくなるほどだ。
「どこかに恋をするための記述があるんじゃないかな」
「無いよ。貴倫のプログラムは一通り読んだ」
貴倫は仕方ないとでも言いたげに肩をすくめた。
「本人には訊いてみた?」
ジラフは頷く。曰く痺れる感じ、らしい。彼をひと目みたそのとき、電流が走ったように「ビビっと来た」のだと話してくれた。
「類推すると、小さな雷を落としたら恋という心理状態は発生し得るんじゃないかなあ。天候なら空気中の分子構成をいじくれば済むんだけど」
「やめなさい。下手したら死人が出る」
貴倫は真顔だった。ひとまず情報収集が要るようだ。
翌日ジラフは町へ出た。魔女仲間が手がかりを知らないか、文書館に資料はないか。いずれも結果は奮わなかった。
(首を長くして待っているだろうに)
溜め息が零れてしまう。
「ありがとうございました!」
対象的に軽やかな声が響いた。聞き覚えがある。
「おや。お店、ここだったんだね」
「魔女さん」
目をまん丸にしているのは、花屋の少女だった。
「魔女さんはどうしてこんなところに」
丸太で作られたロッジ風の店舗だった。店先には小さなカフェスペースも設えてある。木製のテーブルと椅子で、今は老婦人がハーブティーを楽しんでいた。横を通り抜ける。バラが柔らかく香った。
「依頼に関する調べ物をね」
「……すみません」
ひと息に表情が曇った。
「私の我が儘のために、そこまでして頂いて」
泣き出すかもしれない。ジラフの危惧を裏切って、少女はきりりと瞳を上げた。
「お待ち頂けますか!」
勢いに押されて頷いた。言うや否や少女は店の奥に飛んで行く。店内を走り回ったかと思うと戻って来た。
「せめて貰って下さい」
少女が差し出して来たのは花束だった。
桃、橙、紫、紅、小振りな花が一抱えもある。積み重なってゆく想いのように、静かに揺れていた。
「まあ素敵」
ティースペースの老婦人が、思わずと言った様子で口元を綻ばせた。
「あら、ごめんなさい。見ず知らずのおばあちゃんに話しかけられたらびっくりしちゃうわねえ」
「いいえ。とんでもない」
一連のやりとりの中で、ジラフにはひとつの案が浮かんでいた。
「ボクは呪文をかけてきた。ヒトの心を左右出来るものじゃないけれど」
「じゃあ、どんな?」
貴倫は首を傾げる。いちいち仕草が細かいグラフィックだ。
「最初に話した通り、天候を変化させるのは難しくない。だから、彼女が彼と顔を合わせることを発動条件に」
そのとき空が急に陰った。ざっと雨が降ってくる。どこか屋根に入らなければ凌げないだろう激しさだった。雨はすぐに弱まり、雲間から再び太陽が覗く。
「虹が架かるようにしたんだよ」
重く湿った空気を切って、七色が空を貫いていた。
「うわ……」
貴倫は呆然と呟いた。
「綺麗だ」
「うん」
綺麗なものは分かち合いたくなる。例えば花屋で雨宿りをする青年が、隣で歓声を上げた少女に共感を求めることがあるかもしれない。
「……虹を見ながら、お茶でも如何です?」
貴倫が気障な仕草で手を差し伸べてくる。ジラフはくすりと笑った。
「水は大敵のくせに」
小さな一言から始まる何かがあればいい。ジラフは貴倫の前に花瓶と二組のティーカップを並べた。少女のくれた花束は、虹色を映して輝いていた。
(了)131013
0
お気に入りに追加
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説

いっとう愚かで、惨めで、哀れな末路を辿るはずだった令嬢の矜持
空月
ファンタジー
古くからの名家、貴き血を継ぐローゼンベルグ家――その末子、一人娘として生まれたカトレア・ローゼンベルグは、幼い頃からの婚約者に婚約破棄され、遠方の別荘へと療養の名目で送られた。
その道中に惨めに死ぬはずだった未来を、突然現れた『バグ』によって回避して、ただの『カトレア』として生きていく話。
※悪役令嬢で婚約破棄物ですが、ざまぁもスッキリもありません。
※以前投稿していた「いっとう愚かで惨めで哀れだった令嬢の果て」改稿版です。文章量が1.5倍くらいに増えています。

愛のゆくえ【完結】
春の小径
恋愛
私、あなたが好きでした
ですが、告白した私にあなたは言いました
「妹にしか思えない」
私は幼馴染みと婚約しました
それなのに、あなたはなぜ今になって私にプロポーズするのですか?
☆12時30分より1時間更新
(6月1日0時30分 完結)
こう言う話はサクッと完結してから読みたいですよね?
……違う?
とりあえず13日後ではなく13時間で完結させてみました。
他社でも公開
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
されたのは、異世界召喚のはずなのに、なぜか猫になっちゃった!?
弥湖 夕來
ファンタジー
彼に別れを告げられた直後、異変を感じ気が付いた時には変わった衣服の人々に取り囲まれ、見知らぬ神殿に居たわたし。なぜか儀式を中断させた邪魔者として、神殿から放りだされてしまう。猫の姿になっていたことに気が付いたわたしは、元の世界に帰ろうと試みるが、どこに行っても追い立てられる。召喚された先は猫が毛嫌いされる世界だった。召喚物お決まりのギフトは小鳥の話を聞きとれることだけ。途方に暮れていたところを、とある王族のおねぇさんに拾われる。出だしに反し、裕福なお家でのイケメンさんに囲まれた猫ライフを満喫していると、
愚者による愚行と愚策の結果……《完結》
アーエル
ファンタジー
その愚者は無知だった。
それが転落の始まり……ではなかった。
本当の愚者は誰だったのか。
誰を相手にしていたのか。
後悔は……してもし足りない。
全13話
☆他社でも公開します

完結 愛のない結婚ですが、何も問題ありません旦那様!
音爽(ネソウ)
恋愛
「私と契約しないか」そう言われた幼い貧乏令嬢14歳は頷く他なかった。
愛人を秘匿してきた公爵は世間を欺くための結婚だと言う、白い結婚を望むのならばそれも由と言われた。
「優遇された契約婚になにを躊躇うことがあるでしょう」令嬢は快く承諾したのである。
ところがいざ結婚してみると令嬢は勤勉で朗らかに笑い、たちまち屋敷の者たちを魅了してしまう。
「奥様はとても素晴らしい、誰彼隔てなく優しくして下さる」
従者たちの噂を耳にした公爵は奥方に興味を持ち始め……
僕は君を思うと吐き気がする
月山 歩
恋愛
貧乏侯爵家だった私は、お金持ちの夫が亡くなると、次はその弟をあてがわれた。私は、母の生活の支援もしてもらいたいから、拒否できない。今度こそ、新しい夫に愛されてみたいけど、彼は、私を思うと吐き気がするそうです。再び白い結婚が始まった。

【完結】魔女令嬢はただ静かに生きていたいだけ
こな
恋愛
公爵家の令嬢として傲慢に育った十歳の少女、エマ・ルソーネは、ちょっとした事故により前世の記憶を思い出し、今世が乙女ゲームの世界であることに気付く。しかも自分は、魔女の血を引く最低最悪の悪役令嬢だった。
待っているのはオールデスエンド。回避すべく動くも、何故だが攻略対象たちとの接点は増えるばかりで、あれよあれよという間に物語の筋書き通り、魔法研究機関に入所することになってしまう。
ひたすら静かに過ごすことに努めるエマを、研究所に集った癖のある者たちの脅威が襲う。日々の苦悩に、エマの胃痛はとどまる所を知らない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる