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一学期 五章 学期末の長い一日

047 一学期、最後の日

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 翌日、いつもの早朝の駅構内で、ちろるの姿を見かけた。この間の一件があったものの、昨日の帰りの電車ではいつも通りの空気に戻って話せていた。ここは変に意識せず、いつも通りに接するのがいいだろう。ちろるも同じことを考えていたようで、普段通りにこやかな笑顔を向けて挨拶しようとしてくれた。

「雪先ちゃん先輩、おはようごじゃっ……。」
「おは……? なんて?」

「……すみません。っぅう~。普通に接しようと意識してたら、緊張して噛みました。」

 朝の挨拶で噛むとか……、ちろるもやはり昨日のことはかなり気にしてようだ。いつも通りにしようと考えている時点で、それはもういつも通りではないのである。ここは年上の俺がスマートに接してやるべきだ。

「そうか……。舌は大丈夫か? 絆創膏あづっ……ぞ?」

「……。」
「……。」

「はい? 先輩、今なんて言いました? もしかして……、軽くボケようとして噛みました? そしてごまかそうとしました?」

……最悪だ。すごい恥ずかしい。もうお家帰ろうかな。

「先輩こそ、舌に絆創膏でも巻いといてくださいよ。」
「うるさいな。もうしばらくちろるんとは距離置くか。」

「っえぇ!? 本人を前にしてそんなこと言っちゃ駄目ですよ。」
「嘘だよ。俺は昨日の事くらいでは動じないぞ。」

「めっちゃ動じてたじゃないですか。」
「一晩寝たら忘れたわ。」

 もちろん、ただの強がりである。昨日の長い一日の出来事を忘れるわけもない。昨日はうんうんと悩んで、夜もなかなか寝付けなかった。

「え~先輩……、昨日はあんな情熱的な告白してくれたのにな~」
「何だよ、振ったくせに……。」

「私だって……振りたくて振ったわけじゃないですよ?」
「……ごめん。」

「……。」
「……。」

 二人の間にとても気まずい沈黙が流れた。やはりまだ昨日の事は、そんな軽いノリで話せるほどは軽くない、しっかりとした重みをもつ話だった。

「……もうすぐ終業式ですね。 夏休みは何か予定あるんですか?」

 ちろるはこの重い空気をなんとかしようと、とても分かり易く話題を変えてきた。

「そうだな……。夏休み入ってすぐ先輩たちの最後の総体があるし、とりあえずは部活がメインだな。あとは受験勉強も気合いれてやらないと。」

「うーん、なんか面白い予定とかないんですか?」
「はぁ? めっちゃ充実してるじゃん。何だよ面白い予定って。」

「もっと海にいくぜ!……とか、新しいことにチャレンジする!……とか?」

 俺にそんなアクティブな事を期待されても困る。

「俺がそんなタイプの人間に見える?」
「いえ……見えませんね。誰かに誘われないと、休みの日でもどこにも出かけないタイプだと思います。」

「さすがよくわかってんじゃん。」
「それほどでも~。だったら、私からガンガン誘っちゃいますね!」

 ちろるんは、そう言ってにこっと笑った。

「ちろるん、高校生になって初めての夏休みで浮かれているんだろうが、うちの高校は仮にも進学校だ。夏休みの宿題は結構ハードだぞ?」

「え~っ! 先輩でもハードだったら、私じゃ終わらないですよ。」
「それは……まぁ大丈夫だろ。俺なんか姉貴に比べたら、全然賢くないし。」

「それでも学年で上位の方でしょ?」
「まぁそうだけど……。」

「特に数学が全然わかんないんですよね……。」
「そうなんだ。宿題でわからないところあったら教えるよ。俺も去年の復習になるしな。」

「本当ですか! 雪ちゃん先輩やっさしー!」

 そう言ってちろるは俺の腕に抱き着いて、肩にことんと頭をのせてきた。

「……こらこら、電車の中で恥ずかしいでしょうが。」
「電車の中じゃなかったら……、いいんですかね?」

「……。」

 いや、これはどうなんだろう。現状は俺とちろるは付き合ってないわけで……、それでもお互いの事が好き同士ってのも分かっているわけで……。

「ふふっ……冗談です。やっぱりこういうのは、ちゃんとお付き合いしてからのお楽しみにしときます。」

 ちろるはあっけらかんとそう言って、俺の腕から離れた。きっと俺はまた、困ったような顔をしてしまっていたのかもしれない。


 球技大会が終わってから終業式までは、特にこれと言って特筆すべきのない、平和な高校生生活を送っていた。一つ変わったことといえば、俺は今まで欠かさなかったルーティーンの一つを、意図的にしないようにしていたことだ。

 俺は、神崎さんの様子を観察するというルーティーンをやめた。(正確にはやめようと試みた)

 いつまでも神崎さんへの想いを持っているわけにはいかない。

 ちろると向き合うためには、以前の俺のように…………

“うわ、今日は神崎さんの髪にちょっとだけ寝癖がついてる。あのぴょこんと跳ねた寝癖の部分を指で一生つんつんしてたい!”

 なんてことを考えているわけにはいかないのだ。

 しかし、喫煙者がニコチン中毒になって、簡単にはタバコをやめられないのと同じレベルで、神崎さん中毒者が簡単に神崎さんを眺める習慣をやめるのも難しい。

 長年培った習慣が、そう簡単に直せるわけもなく、同じクラスで過ごす以上、多少は嫌でも視界に入ってしまう。

“うわー、今日も夏服かっわいいなぁ! 黒髪の乙女の神崎さん(夏服バージョン)なら、きっと三ツ矢サイダーとポカリとカルピスらへんからCMのオファーきてるんだろうなぁ。”

 ――はい。すみません、反省しています……。いくら神崎さんのことを考えないようにと意識したところで、彼女が視界に入ったら、つい俺はそんなアホな思考を巡らせてしまうのだった。

 もはや一種の病ではなかろうかとさえ思う。しかし、これでもいつもの十分の一くらいに、馬鹿な妄想は控えているのだ。その努力は認めてほしい。

「それでは、明日から夏休みですが、浮かれてはめをはずさないように。」

 クラス担任の先生は、一学期最後の時間のロングホームルームで、マニュアルじみた話を長々と語った。おそらく全国の教師が、みな同じような話をし、早く終われよという気持ちで学生たちは聞き流しているだろう。

 終業のチャイムが鳴り、みなどこか解放感に満ちた快活な表情を浮かべた。

 一学期の終わり……そして、夏休みの始まりである。
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