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第1章

8. 出会いと別れ

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  やがて景雪は何事も無かったかのように棚から茶器を取り出し、琉晟の用意した湯で優雅に茶を淹れ始めると不意に口をひらいた。
「人手は足りているから他を当たってくれ」

  一瞬何の事かと思うほどの切り替えの速さで、桜雅は焦った。先手を打たれてしまった。
「ちょっと待ってくれ。まだ何も言っていない」
「仰らなくても判ります」
 取りつく島もない。

「景雪」
 莉己のやんわりした声が聞こえ、桜雅には任せろと言っている様に見えた。
「そうですか、残念ですね。少しは退屈しのぎになるかと思ったんですけどね」
  あっさりとあきらめた 莉己が立ち上がる。

「桜雅、参りましょう。異国の民の知恵や技術が役に立つ事がありましょうから、もっときちんとした人にお預けになった方が良いかも知れません」

「まぁ そうだな。景雪、邪魔したな」
  泉李は琉晟に介抱されていた桃弥を抱き起こしながら言った。

「朱璃、行きましょう」
  状況が分からず、オロオロしていた朱璃はどうやら拒絶されたのだと理解し、慌てて立ち上がった。

  そして こちらを見ようともせず、お茶を啜っている景雪に、頭を下げた。
『お邪魔しました。失礼いたします』
  自分のせいで景雪が機嫌を悪くし、桃弥が負傷したという事実はよくわかった。自分は、どうして周りの人に不快な思いをさせてしまうのだろう。

  表情が消えた朱璃が泣いているように見え、桜雅が側に行く。
「朱璃」
『すみません。私のせいで……』
「大丈夫だ。お前は心配しなくてもいい」

  琉晟から受け取った上着渡したあとで、朱璃の頭を撫でている桜雅に景雪が初めて目を向けた。

「異国の民だと? 嘘を言うな」
 
  あそこで計算通り朱璃が言葉を発してくれた事に内心ほっとしたが、当然そんなことはおくびにも出さず莉己が答えた。

「嘘ではありませんよ。桜雅が拾ってきたのですが、言葉が通じませんから異国の民いうのも推測ですけどね。少なくとも、私はあのような衣装を見るのは初めてですし」
「………」
「俺も初めて見たな~」

  滅多なことでは電源の入らない景雪の瞳に光が入った事がわかる。それでも気づかないふりをし、3人とも朱璃を連れて部屋を出て行こうとする。

「ちょっと、 待て」
  やがて、不機嫌そうだが久し振りに聞く本気の声がした。

 餌には食いついた。後は逃がさない様にゆっくりと引き上げるだけだ。
  莉己だと何処まで本当か疑わしいので、ここは真面目な桜雅が適任だと泉李が目で合図する。

  桜雅は慎重に言葉を選んだ。
「異国の者ゆえ、景雪でも知らない事を知っているかも知れないと思い連れて来た。今は意思疎通は難しいかも知れないがお前にとっては、それ程問題ではないだろう。それに漢文字なら少しは読める。 数日一緒に旅をしたが、なかなか聡明な少年だ」

  景雪がつかつかと朱璃に近づき、朱璃の上着を引っ張った。そして先ほど上着を着るときにジーと音をさせていた突起物をつまんだ。
「これは何だ?」

  突然、パーカーのチャックを掴まれた朱璃は、これが何かと聞いているのだろうと推測した。
『チャチャッ、チャック です』
  心臓をばくばくさせながら、やっとの事で答える。

「ちゃちゃちゃっく?」
 そしてチャックを、上げたり下ろしたりと繰り返した。
「ふむ」
  先ほどまでの眉間の皺がなくなり、心なしか楽しそうに見えたが、整った顔が胸元から10センチほどにあるこの状況って。
  朱璃が顔をそらし、助けを求めようとした瞬間、後ろから莉己に抱きしめられた。

「む」
 観察の邪魔をされ、景雪の眉間に皺が戻った。
「この子を預かってくれれば、いくらでもその不思議な衣服を調べられますよ。他にも色々な道具も持っているようですし」

「何が異国の民だ。この世に無いもの、無い言葉。異世界の民の間違いだろうが」

 泉李が朱璃の頭を撫でた。
「異世界かー。すごいなぁ朱璃は。まぁ、どっちにせよ、ここでは無力な子どもに過ぎない。使命がなければ面倒見てやりたいが、今回はちょっと物騒で連れていけないんだ」

「私達が戻ってくるまでとは言いません。この世界で暮らしていけるようになるまで助けてあげてくれませんか?」

「本当に勝手な願いだと思うが、景雪しかこいつを助けられないと思う。どうか引き受けてはくれないか」

  朱璃は莉己の腕の中で、皆が自分のことを頼んでくれているのを感じ、泣きそうになっていた。感謝の気持ちと、離れたくないと寂しく思う気持ち。
  そして 自分に選択権は無いのも分かっていた。景雪の決断をじっと待つ。

「わかった。但し、責任は持たないからな」
「感謝する」

 その時、ちょうど我に返った桃弥が瞬時に状況判断し叫んだ。

「……! ダメだっ! 朱璃が可哀想だっ。やっぱり俺たちが連れて行こう。ここに居ては命が危ない」
 桃弥赤い鼻がやけに説得力を増すが、3対1では桃弥に勝ち目は無かった。

「朱璃ー ぐすっ 俺を恨むなよー 恨むならこいつらを恨めよ。達者でなー」
 泉李に引きずられていく桃弥の言葉は分からなかったが、何となく身の危険を感じた朱璃は思わず桜雅の服を掴んだ。

「朱璃」
 初めて出会った時、自分が守りたいと思った。自分と同じ名をもつ少年。
   目の高さを合わせると心なしか潤んだ漆黒の瞳に自分が映っており、トクンと胸が鳴いた。

「心配するな。景雪は実はすごく優しい。きっとお前の力になってくれる。俺も自分のやるべき事を頑張るからお前も頑張れ。必ず、必ず迎えに来るから、待っててくれ」

  まるで恋人同士の別れの様になっていると当人たちは気付いてもいなかったが、「青春ですね  うふっ」と呟いた莉己が後ろで小突かれていた。

   一方、何度も桜雅に頭を撫でられ、朱璃は流石に男だと騙している罪悪感に耐えられなくなっていた。

  数日間、一緒にいて分かった事は彼等が目的のある旅ををしている事。桜雅は命を狙われていて、3人が守っている事。自分を助けた事で予定が狂ってる事。それなのに優しくしてくれた。

『ごめんなさい。本当は少年じゃないんです。こんなんだけど、一応女だし、一応17歳なんです。言い出せなくて悪いと思ってます。本当に良くしてくれてありがとうございました。何とか頑張って、恩返しします。だからっ、身体に気をつけて無事でいて下さい』

  よしっ 通じないけれど、一応言った。
自己満足ではあるが、朱璃は少しだけ気が楽になった。
  それに莉己さんは気がついてるっぽいし。あの人案外黒いなと思いつつ、4人を見送る。

  不安しかないが、何も出来ない自分は今できる事をするしかないのだ。
  かなり個性的な景雪という人と、その側近と思われる人の世話になって、この世界で生きていける術を身につけること。
  大丈夫っ。彼らを信じよう。悪いようにはしない筈だ。特に桜雅は。
  
  やがて、桃弥の言葉の意味を本当に理解して、深いため息をつくことになるのだか、それはもう少し先の話になる。
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