月の絆~最初で最後の運命のあなた~

大神ルナ

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第6章 本当の自分

[1] 優しさに触れて

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 全身に感じる切り傷のような痛みに、あたしは目を開けた。
 自分が、いつ寝に入ったのか思い出せないけど、どうやら眠っていたらしい。
 ただ、おかしな事に体の下や顔の下にあるのは、すべすべなシーツやふかふかの枕ではなく、ちくちくする草だった。
 周りは真っ暗で、小動物の動く音とフクロウの鳴き声がする。
 普通なら、不安と恐怖を感じるはずなのに、なぜかあたしは安心感を覚えていた。
 それどころか、安らぐほどの懐かしさで心が満たされている。
 たとえ、どんなに変な状況だったとしても。
 いったい、ここは何処なんだろうか。
 痛みを意識しながら体を起こし、左足の足首の後ろが痛み、息をのんだ。
 足首に手を当ててみると、ヌルりとした感触と痛みから、それが血であることがわかる。
 さて、どうしたものか。
 意外にも、頭は冷静だった。
 ここが何処なのか周りを見回すけど、辺りは真っ暗でよく分からない。
 あたしは、考えを巡らせた。
 でも、手と足から出血しているであろうケガのせいで、半分貧血っぽくてうまく考えがまとまらない。
 この際、動けないしここで夜を明かそうか――。
 そんな事を考えていると、踏みつけられて枝が折れる小さな音と、落ち葉を踏む音が聞こえてきた。
 あたしは、暗闇に目を凝らした。
 見えたのは、六つの光。
 小さくて、懐中電灯って感じはしない。

「えっ?」

 じっと見ていると光は消え、また点いた。
 違和感と急速に高まる警戒心に固まっていると、また枝と落ち葉を踏む音が聞こえてくる。
 相手が何であれ、前に進んで近づいている事は分かる。
 耳を澄ますと、小さいが獣の唸り声が聞こえてきた。
 野犬!
 徐々に大きくなる音と、命の危険を覚える恐怖に、あたしは固く目を閉じた。
 襲ってくる相手の姿も、襲われる瞬間も見たくない。

「マリア?」

 予想外の声に、あたしの頭の中は真っ白になった。
 落ち葉の上を速足で歩く音がして、目を開けようとしたと同時に、肩を掴まれた。

「ちょっと! どうしたの、これ」

「えっ?  あ、絢華さん?」

 ランタンを手に、目の前に立っていたのは、いつも行くステーキハウス〈バイソン〉のウェイトレスをしている彼女だった。

「わたしのことは、どうでもいいから手当てしなくちゃ。響夜きょうや!」

 絢華さんは、ランタンを掲げると森に叫んだ。
 数秒後、森の中からジーンズに、ぴったりとした黒いTシャツ姿の男が現れた。

「彼女、足を怪我してるから運んであげて」

「わかった」

 野生の獣を思わせる優雅な動きであたしの前にくると、軽々と抱き上げた。
 なんだか、最近はよく抱き上げられる機会が増えた。

「あ……ありがとうございます。お手数をおかけしてすみません」

 なんだか申し訳なくなってお礼を言うと、響夜と呼ばれていた男は驚いた顔をしてから、歩きだした。

「いや……気にするな」

「そうそう。気にしない、気にしない。男なんて、荷物持ちかセックスくらいでしか役にたたないんだから」

 あたしには聞こえなかったけど、くすくす笑う彩華さんに、ぶつぶつと小さく男は文句を言った。
 そんな軽いやり取りに、少しだけ緊張がとけたのか、実感しはじめた寒むさに体が震えてきた。

「おい、絢華。急いだほうがよさそうだぞ」

 あたしの様子が変なことに気づいた彼は、歩く速度を速めた。
 でも、意識を保っているのが難しくて、あたしは暗く冷たい闇へと落ちていった。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 闇へと落ちる瞬間、心は冷たく何も感じなくなったけど、今は違う。
 香りのいいバターに、香ばしいパン。
 肉が焼ける匂いが漂ってくると、あたしのお腹は不満の声をあげた。
 肌に感じる暖かさもそうだけど、多くの誘惑に抗えなくて目を開けると、すぐに痛みが襲ってきた。

「目が覚めた?」

「あ……はい、絢華さん」

 体を起こして声のした方を見ると、焼きたてのパンをお皿に並べる絢華さんと目が合った。
 なんだか恥ずかしい。
 こんな状況でも、お腹が空くなんて。

「足の治療は終わってるから、体力を戻すために食べないと……こっちに座れる?」

「あの……大丈夫だと思います」

 痛みはあるけど、動かせないって程じゃない。
 あたしは寝かされていたソファから、ゆっくりと立ち上がり慎重に足を動かした。
 しっかりと治療され、固定されていて痛みは最小限ですんでいる。
 これなら歩けそう。
 室内は木の香りがして、とても優しくて懐かしい気持ちにさせた。
 テーブルも棚も、重みのある木で出来ていて、全てが自然を感じさせる。
 レンや狼呀の家は、現代的な家具や調度品ばかりで、どうにも落ち着かなかった。
 長年住みなれた家ですら、どこか居場所が無い気がしていたのに、はじめて来た家の方が自分の居場所のように感じる。
 なんだか変な気分だ。

「暖かさは大丈夫?」

 絢華さんは、奥にある暖炉の火を見つめていた。
 つられて暖炉を見ると、中のフックにヤカンがぶら下がってる。
 見たことのない光景なはずなのに、なぜか使い方を知っている気がした。

「クリームシチューとパンとステーキしかないけど……いいかしら?」

 テーブルには、自然とよだれが出そうなくらい美味しそうな料理が並べられていた。

「あの……ありがとうございます。わざわざすみません」

「いいのよ。それより、食べてる間に背中の傷も見せてくれる? 足の治療が先で、背中はまだなのよ」

「背中……ですか?」

「ええ、けっこう酷くて服も破れているから、切ってもいい?」

「はい、大丈夫ですよ」

 あたしの後ろに回った絢華さんは、裾を引っ張るとハサミをいれた。
 ぜんぶ切り終わる頃には、少しだけ肌寒く感じる。でも、それだけの印象しかない。

「消毒するから、少し冷たいかもしれないけど、我慢してね」

 消毒液によって染みるところを想像して、あたしは頷くだけにした。
 消毒液はたしかに冷たかった。
 でも、驚くことに痛みはない。
 ある程度、血が取れると傷が見えてきたのか、後ろから息をのむ音が聞こえた。

「まるで……獣にひっかかれたような傷ね」

 そんな表現に驚いた。
 いったい、どんな傷なんだろうか。
 ほんとうにそんな傷だったとしたら、泣いていないのが不思議なくらいだ。
 しかし、傷を負ったときの記憶だけがない。
 もともと、嫌な事は頭の中から排除する癖があるから、そうとうな事があったのかもしれない。 

「でも、見かけほど酷くはなさそう。アロエの薬を塗るから、少ししみるかもしれないけど我慢してね」

 大丈夫だと思った。
 これだけ傷があるのに、消毒液がそこまで痛まなかったから。
 でも、甘かった。
 絢華さんの指が触れて、薬を塗り広げられると、あたしは悲鳴を上げた。

「痛い! さっきまで平気だったのに、なんで!?」

「効いてる証拠よ。あとは薬が取れないようにガーゼを貼るね。ちょっと、痛々しい見た目になるけど、すぐよくな
るから」

 絢華さんは、慣れた手つきで体に手早くガーゼをテープでとめてくれる。

「はい、できた。これでいいかな?」

「あの……色々すみません」

「あら、気にしないで」

 広げてくれたのは、ゆったりとしたボアパーカーだった。
 袖を通すと、腕と背中を柔らかい素材が優しく包んでくれる。
 なんだか落ち着く匂いまでする。
 土と森の匂いで、柔軟剤の香りではない。
 どこか狼呀の匂いに似ている。
 もしかして、狼呀と同じ種族の人だったり――。
 そんな考えが頭に浮かんだ。
 でも、そんな訳がない。
 ステーキハウス  〈バイソン〉に行った時、狼呀に対してだけ絢華さんは嫌そうな態度だった。
 もしも同じなら、あの日……足止めしてまでわざわざ付き合わない方がいいなんて言わないはず。
 それに、狼呀と同じ種族なら満月を迎える準備に入ると思う。
 解決しない疑問を胸に、あたしはクリームシチューを口に運んだ。
 ほんわかとした優しい味を堪能していると、扉を叩く音が聞こえてきた。

「ちょっと、ごめんね」

 絢華さんはそう言うと、急いで玄関を開けた。
 木の扉が開くと、外のざわざわした音が聞こえてきて、あたしは緊張しはじめた。
 大勢の知らない人間。
 そう考えただけど、あたしのスプーンを持つ手が止まった。
 ただでさえ人間が苦手で嫌いなのに、見知らぬ場所で見知らぬ人たちに囲まれるなんて無理がある。

「どうしたの?」

 食べる手を止めたあたしを、絢華さんは不思議そうに振り返った。

「あたし……知らない人たちは」

 手が振るえて、心臓の鼓動が乱れる。
 気温が高すぎる訳でもないのに、嫌な汗が額に浮かんできて、気分が悪くなってきた。
 そんなあたしに、絢華さんは言った。

「大丈夫よ。すぐに良くなるわ」

 励ますように肩を撫でられるけど、その間にも次々と人が入ってくる。
 部屋の中には声が溢れ、扉が閉まった瞬間には、心臓が飛び出すんじゃないかと思った。
 そして、一人また一人とあたしに気がついたのか、話し声は小さくなり、視線があたしに向けられているのを嫌でも感じる。
 顔をあげられない。
 視線に何が込められているのか、受け止める勇気なんてない。

「はいはい、ぽかんとしない」

 絢華さんは、あたしを隠すように立ち塞がった。
 それでも、リラックスなんて出来ない。

「あら、この子がそうなの?」

 机に影ができ、興味を隠そうともしない口調に、あたしは顔を上げた。
 横に立っていたのは、淡い茶色の髪を結んで肩にたらし、少し丸みのある顔をした四十代の女性。
 手にはピザとフライドチキンのバスケットを 持っている。
 口調と同じくらい、薄褐色の瞳には好奇心が浮かんでいる。

「やっぱり似てるわね」

「あの……」

 初めて会った人に、そう言われてあたしは戸惑った。
 それに、誰と比べているのだろう?
 戸惑うあたしに気づいて、絢華さんは食事を受け取りながら笑った。

「自己紹介もしないのにそんな事言われたら、彼女が驚くでしょ?」

「ああ、そうよね。ごめんなさい」

「まったく。マリア、彼女はアルモニー。アルモニー、彼女はマリアよ」

「アニーと呼んでちょうだい。会えて良かったわ」

「ありがとうございます、アニー」

 アニーは、あたしの肩に軽く触れてから、キッチンのほうへと向かって行った。

「ねえ、絢華さん。あのアニーって人が言ってたのって何? あたしが誰に似てるの?」

「あー、その事は後ね。とにかく、まずは食べよう」

 何か引っかかるものを感じたけど、食事が終わるまで質問に答えてくれる気はなさそうだ。
 あたし自身、さらに増えた料理が美味しそうすぎて我慢ができない。
 話なんて後でいい。
 ピザに手を伸ばし、一口かじる。
 サクサクの生地に、コーンと照り焼きチキン、チーズがのっている。
 その上に、甘いタレがかかっていて、それがまた美味しい。
 もう、周りの視線は気にならなくなっていた。
 美味しすぎて、どんどん手が進む。
 でも、喉が乾いてきて、飲み物を頼もうと顔を上げようとしたら、目の前にコップが置かれて目を瞬かせた。
 すると、突然のざわめきがあたしの耳に届いた。
 アニーが気づいて、飲み物を持ってきてくれたのかと思ったけど、机に伸びる影や気配、匂いがあきらかに違う。
 ひれ伏したくなるというか、恐怖とは違う意味で視線をコップから上げられない。

「ありがとう、冬呀」

 気配だけで、絢華さんが椅子を運んできたのが分かる。

「マリア、彼は冬呀よ」

 紹介されてしまっては、無視する訳にはいかない。

「はじめまして、あたしは」

 ゆっくりと顔を上げて、あたしは言葉を失った。
 灰色の髪に、薄い青と琥珀色の左右異なる色の瞳。
 緊張や警戒心が生まれるかと思ったけど、厳しくもあり、優しさも秘めた視線に、自然と心の扉は開いた。というより、はじめから彼との間に扉なんてなかったのかもしれない。

「あたしは、マリアです」

「やあ、マリア。絢華から聞いたけど、傷は大丈夫か?」

「見た目ほどじゃないんです」

「それなら良かった。ゆっくりしてくといい。ただ、明日は時間をもらえるかな?」

「あ……はい」

 冬呀は立ち上がると、絢華さんの頭を撫でて行ってしまった。
 歩き方、少しの動作にも隙がない。

「あの人って、何者?」

「冬呀? うーん、説明は難しいけど……リーダーみたいな感じかな」

「リーダー?」

 聞き慣れない言葉に、あたしは首を傾げた。
 何かの集まり?
 それとも、ギャングとか不良?
 でも、そんな感じの嫌なものではない気がする。

「うん。まあ、詳しい話は明日っていうか、少し寝てから冬呀が話してくれるから」

 ここで目を覚ましてから、冬呀ぬ出会うまでの間にあたしの人を見る目は変わった。
 もう他人が気にならないし、苛立ちや不安も消えた。
 その理由が知りたいから、あたしは黙って食事を再開させることにした。
 こんなに、クリアに世界が見えたのは、はじめてだ。
 それを無くしたくなかった。
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