月の絆~最初で最後の運命のあなた~

大神ルナ

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第5章 決断

[4] 守りたいのに守れない

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 ひたすら狼呀は、心の中で自分を責めた。

(誘惑して手に入れて何になる!)

 部屋に戻りたい本能をどうにか捩じ伏せて、エレベーターに乗り込み地下へのボタンを押す。
 絆が切れているせいで、人狼としての半身は取り返そうと狂暴な気持ちになっている。
 マリアの潤った熱を感じて、途中でやめる為に――あの部屋から出る為に、理性をかき集めるのに苦労した。
 満月が、自制心よりも欲望を強めていたからだ。
 あのままベットへ一緒に入ったら、行為の最中に殺してしまう可能性だってある。
 今は、危うい橋を渡っているようなものだ。
 静かにエレベーターは目的の階に止まり、狼呀は重い足取りで降りた。

「狼……来ないかと思ったぞ」

「そんな訳あるか。様子はどうだ?」

 先に仕事を始めていた瑞季は、手に持っている鍵の束を振った。

「兆候が見えた若者たちは、すでに変身と戻るを繰り返してるよ」

 地下の中でも一番下は、初めて変身する若い人狼たちが入っている。
 その上の階に、何度か変身を経験した人狼。
 一番上には、変身をそれなりにコントロールできる人狼という順番だ。
 狼呀と瑞季のような地位の高い人狼は、地上に繋がる唯一の階段の前にいることになる。
 エレベーターはあまり気にする必要はない。
 なぜなら、獣に近い状態になった時、エレベーターなんて文明的な物は使えないからだ。
 守るのは階段のみ。
 地上に人狼を出す訳にはいかない。
 人狼の秘密と安全を守るのも、アルファである狼呀の仕事である。

「女たちは、どうしてる?」

「今日と明日は、馬肉やら牛肉を買いに行くとさ」

「そうか。ならいい」

 人狼族の女は、変身の能力を持たない。
 狼呀もなぜかはよく知らないが、子を産む体だからという説が信じられている。
 もし変身の能力を持っていたとしても、子を身籠った状態で変身などしたら、胎児に影響が出るだろう。
 そう考えただけで、狼呀はゾッとした。
 代わりに、外に出られない男たちに食事を送る役目を持っている。
 もちろん、一部屋づつ届ける訳じゃない。
 上にある一室から伸びる穴に、肉を落とすのだ。
 まるで動物にエサをやるようなやり方だが、それが一番安全といえる。

「ところで、ちょっと聞いていいか?」

「なんだ? 内容によっては、答えないぞ」

「いやー、あの性的欲求を高めちまう彼女……お前の伴侶だろ?」

「ああ」

「なんで一緒にいない?」

 狼呀は一瞬、黙った。
 質問されるのは、当たり前だ。
 伴侶への思いが、一番強くなるのはアルファである人狼だ。

「……マリアの準備が整っていない」

 ため息と共に呟いた。
 それは心、体の全ての事。
 特にマリアは、心の準備が整っていない。
 さっきみたいな事は、狼呀にとって準備が整っているとは言えない。

「お前も苦労するな。でも、あんまり待ちすぎるなよ?」

「わかってる」

 絆は、心を繋げた後に体を繋げる事で完成する。
 それが済んでいないと不安定になり、アルファの地位を危うくするだろう。アルファの不安定さは、一族全体を不安定にさせる。
 そうした不安定さは、他の人狼に入り込む隙を与え、新たなアルファになろうと考える者を生む。もしも争いが起これば一族が大きな被害を受ける。

「お前はさ、相手の事を考えすぎなんだよ」

 新たに来た人狼を誘導しながら、瑞季はあきれたように呟いた。
 そう言われても、何も言い返せない。
 マリアは伴侶なのだ。
 無理強いや一生ただ縛りつけるだけの関係にはなりたくないし、マリアの気持ちを尊重したい。
 本能と理性がぐるぐる回り、混じりあうことがないから、狼呀は悩んでいる。

(どうしたら、マリアは吸血鬼になることを諦めてくれるのだろう)

 この問題は、伴侶に出会ったことのない瑞季には分からない。

「仕方ないさ」

 狼呀は、若い人狼の名前が書かれた名簿を確認した。
 瑞季が部屋に入れたのが、最後の一人だった。
 チェックを入れて先に外に出ていると、もう一度鍵の確認をしてから瑞季が出てくる。

「そういや、この期間……彼女を一人にしていいのか?」

「生活できる分のものは置いてきたし、鍵も渡してある」

「いや、そうじゃなくて」

 あまりにも呆れたようにため息を吐かれ、狼呀は目を丸くした。
 今の会話で、いったいどこにため息を吐かれなくちゃいけないのか、狼呀は分からない。

「お前……レイラのこと、わすれてないか?」

「この間、新しく来たミサと入れ換えしただろ?」

「やっぱ、お前って馬鹿だわ。オレはどうして、こんな馬鹿をアルファだと思ってんだか」

 額に片手を当てながら、瑞季は頭を振っている。
 さすがの狼呀も、少し頭にきた。

「おい! 遠回しに言わないで、はっきり言え」

「へいへい」

 階段を上り、隔離エリアから出るまで、狼呀は辛抱強く待った。
 ようやく、瑞季が口を開いたのは、さらに上にあるラウンジに着いてからだ。

「オレはコーヒー。お前は?」

「コーヒーでいい」

 それから、コーヒーがテーブルに置かれるまで、お互い口を開かないでいた。
 このラウンジはマンションの一部で、働いているのも同じ人狼の仲間だ。
 アルファとベータが二人で来たからか、全員が耳を澄ましている。
 コーヒーを持ってきたウェイトレスも、やはり興味を持っている様子だ。
 彼女が去っていくと、ようやくいつもより抑えた音量で瑞季が話し出した。

「レイラ一人を入れ換えただけじゃ、何の解決にもなっちゃいない。あいつのことを、アルファの伴侶に相応しいっ
て思ってる女が、いったい何人いると思ってんだ?」

「さあな……二人か三人くらいか?」

 一族の人数は把握していても、誰と誰が仲がいいかまでは知らない。
 ましてや、満月を共に乗り越え、一族を守り吸血鬼から人間を守る男の人狼ならまだしも、ファッションにショッピングと騒いでいる女の人狼のことまで目を向けてられない。
 人狼同士の繋がりとは、そのていどのものだ。

「こっちに残ってる女たちは、今もレイラと連絡をとってる。気を抜いてると、後でとんでもない事が起きるぞ」

「だからって、誰かを一緒にいさせる訳にはいかないだろ?」

 もっとも信頼できるのは、聖呀の伴侶であるエミリだけだ。
 それでも、彼女はただの人間にしかすぎない。
 いざとなったとき、マリアを守れないし、最悪の場合はエミリが危険な立場になる。
 簡単に頼めるものではない。
 しばらく狼呀が黙っていると、瑞季が真面目な顔で口を開いた。

「いるだろ……一人だけ」

「誰だ?」

「横溝だよ、横溝レン。あの吸血鬼なら」

「お前……頭のほうは大丈夫か? あいつは吸血鬼だぞ! 今までに、何度かマリアの血を吸って」

 狼呀は、許せなかった。
 血は命だ。
 レンは、伴侶の命を吸いとった。
 たとえ、命を奪った訳じゃなくても許せない。

「ただの人間じゃ、人狼の女から守るのは無理だ。そしたら、横溝しかいないだろ? 人狼の男が相手じゃ五分五分だけど、人狼の女からなら百パーセント守れる」

 狼呀は唸り声をあげた。
 瑞季の言っていることは、認めたくはないが正しい。

「条件だしゃいいじゃんか。このさい、人狼と吸血鬼の因縁は忘れてさ。伴侶の安全が一番だろ?」

(当たり前だ)

 狼呀に、それ以上の願いはない。
 渋々、ポケットから携帯電話を取り出して、マリアの携帯から拝借したレンの番号にかけた。
 瑞季はコーヒーを口に運びながら、にやにやしている。

「はい、もしもし?」

 レンは、すぐに電話に出た。

「月城だ」

 そう名乗ると、レンは無言になった。
 もしかしたら、そのまま切られるかもしれないと考えたが、そこまで酷い奴じゃなかった。

「君がかけてくるなんて……あしたは、月でも降ってくるのかな?」

「言ってろ」

 良くないことに、相手がレンだと本題を口に出来ない。
 本能的に、電話を切りたい衝動に狼呀はかられたが、そこはぐっと我慢する。

「……頼みがある」

 静かに冷静な声で言うと、癪に障るが相手はすぐに理解した。

「マリアの事かな? もうすぐ満月だからね」

「ああ。身内にマリアを気に入ってない奴がいる可能性がある。俺が戻るまで……守ってくれないな?」

「構わないよ。でも、君のことだから条件があるんじゃないか? 思うに……血を吸うなってところかな?」

 電話の向こうから、くすくすと笑いが聞こえる。
 レンが、自分以上に人狼を理解していて、狼呀は腹が立ってきた。

「そうだ。できるか?」

「もちろん。君の伴侶に手を出さないよ。それじゃあ、マリアに連絡してみる」

 あっさりと電話は切れた。

「さてさて、これで安心かな?」

 今も、瑞季の楽しそうな顔は変わらない。
 こういう面を見ていると、瑞季のほうがアルファに向いてるんじゃないかと狼呀は思う。
 ベータなんて立場は、自分が向いている。

「今からでも……お前がアルファになったほうが、いいんじゃないか?」

 そう言うと、瑞季は驚いた顔をした。
 まさか、そんな話になるなんて思っていなかったのだろう。

「馬鹿だ……やっぱり馬鹿だった」

「お前なあ。さっきから、人を馬鹿馬鹿言い過ぎだろ」

「仕方ないだろ。本当のことなんだから」

 狼呀は体を前に倒し、膝に肘をついて両手で顔を覆った。

「俺は、どう考えても向いてない」

 暫くの間、聞いてないのかってくらい、瑞季は一言も喋らなかった。
 少し冷めたコーヒーをすすりながら、店内に目を走らせていると、瑞季が口を開いた。

「二度と……あんな馬鹿げた事を言うなよ?」

 彼の目も表情も真剣で、口にしようとした言葉は言えなくされた。

「オレは、確かに相手を掌の上で転がすのが好きだし、一族の全てを把握して情報も持ってる」

「そうだな。だから」

「でも、それはベータの仕事だからだ。オレにアルファの能力や資質はない。それは、生まれた時から決まってるんだよ」

 はじめて言われた本音に、狼呀は言うべき言葉が見つからない。
 ラウンジ全体まで静かになった。
 重い沈黙を破ったのは、携帯電話の着信音だ。

「……もしもし」

 瑞季と交わした会話で、まだ軽く動揺していた狼呀は、誰からの着信か見る余裕もなく椅子から立ち上がってから出た。
 そして、人狼とは違う微かな唸り声に、緊張が走った。

「もしもし、月城か?」

「ああ、どうした?」

 静かになる電話に、心臓の鼓動がやたらと大きくなった。

「……何度もマリアに電話をかけたけど、まったく繋がらない。三回目になったら、途中で切られて……それ以降は電源が切られているみたいなんだ」

 まさかの内容に、足元がぐらついた。
 しかし、茫然としている場合じゃない。
 すぐに伴侶の安全を確かめねばならない。
 あいさつも無しに電話を切って振り返ると、すでに瑞季がエレベーターを呼んでいた。
 上の階に着くまでの時間が、今まで以上に長く感じる。
 まるで永久の時間が過ぎたように思った頃、エレベーターは目的の階で扉を開いた。
 半ば走ってエレベーターを飛び出し、自宅の鍵を引っ張り出す。
 部屋の中からマリアの匂いがする。
 安堵と不安の半々の気持ちで扉を開け、瑞季と共に駆け込む。

「マリア!」

 しかし、その先には虚しい静寂だけが広がっていた。




 





 

 

 


 



 

 

 

 

 
 


 

 

 




 



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