月の絆~最初で最後の運命のあなた~

大神ルナ

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第4章 はじまりの音

[4] お試し期間四日目

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 枕とは違って、ごつごつして寝心地は悪いんだけど、気持ちのいい温かさにあたしは目を覚ました。
 脚がなんとなく痛くて、目の前は暗い。
 不思議に思いながら体を起こそうとして、違和感を覚えた。
 すると、頭の上から声が降ってくる。

「マリア? 起きたんだろう」

 静かで感情を押し殺したような狼呀の声に、あたしは落ち着かない気持ちで体を起こした。

「なんで……ここにいるの?」

 恐る恐る聞いた。少しだけ、暗いのがありがたい。
 今の狼呀は、なんだか怖かった。

「なんでここにいるか? そりゃ、これが俺の車だから」

「えっ……だって、あたしは」

 レンの家にいたはず。
 彼に血を飲ませて、意識を失ったはずなのだ。
 少し視線を周りに向けると、たしかに車の中なのは分かった。
 でも何で?   

「そういえば、仕事は?」

 外の明るさで今が昼間なのに気づいて、あたしは約束のことを思い出した。
 今日は、狼呀のモデルとしての仕事を見るはずだった。

「断った」

「えっ、どうして?」

「どうしてって……なんだよ」

 素っ気ない狼呀の口調と、冷たい琥珀色の瞳に心を貫かれて、あたしは言葉を失った。

「どうしてだとか、質問したいのは俺なんだけど」

 そう言って、狼呀はあたしの手首と腰を掴んで引き寄せた。

「また、あいつに噛ませたのか?」

「は?」

 首に手をやると、いつもレンが噛み痕が見えないように貼ってくれるガーゼがなかった。

「あいつの本性は分かってるだろ。血を吸い、恍惚を感じさせている間に……殺すんだよ」

 狼呀の目は、軽蔑と憎悪が浮かんでいた。

「レンはあたしを殺さない。殺すのは犯罪者だけよ。それに――」

 あたしは、狼呀の胸を両手で押して離れた。

「そいつを殺すとき、レンは恍惚じゃなくて……恐怖を味わわせるのよ」

 そんな事、きちんと理解している。
 それも、金で罪を揉み消したり、うまいこと逃げきっているような最低な奴等を狙う。
 だからこそ、あたしはレンが好きなのだ。

「あなたの存在より、よく理解してる」

 狼呀のことは、分からない事が多すぎる。
 なぜ、レンをそこまで嫌うのかも、レンが吸血鬼だと知っているのかも。

「そういう、あなたはいったい何なの?」

 そう言って見つめると、狼呀は綺麗な琥珀色の目を見張った。

「俺は……」

 狼呀は口ごもり、膝の上で両手を硬く握りしめた。

「何も話す気がないなら、あたしは車から降りるし、二度と会う事はないから」

 口ごもる男も、何も話さない男も大嫌い。
 そんな奴とは、一緒にいたくなかった。心の奥底にしまいこんでいたものが、出てくるような感覚に襲われるから。
 早くここから出たい。
 狼呀に背を向けて、ドアのロックを外そうと手を伸ばしたけど、後ろに引っ張られ――。
 あたしは、力強い狼呀の腕の中に捕らわれていた。
 耳元に彼の息がかかり、あたしは体を強張らせる。
 暫くして、狼呀は口を開いた。

「俺は……人狼だ」

 頭の中が真っ白になった。
 人狼。
 その言葉をうまく理解出来ない。
 吸血鬼の天敵……宿敵としてよく映画や小説に出てくるから知っているけど、現実的じゃない。
 だって、満月の夜に変身するなんて……。
 黙っているあたしの心を見透かしたように、狼呀は呟いた。

「吸血鬼は信じられるのに、人狼は信じられないのか?」

 彼の一言で、頑なだったあたしの心の扉が少し開いた。
 信じられる。
 だって、狼呀は人間じゃないから。
 人間は人を騙して、傷つけ、利用する為に嘘をつく。
 でも、人間以外の者たちは自分だけではなくて、種族全体を守る為に嘘をつくしかない。レンがいい例だ。

「マリア?」

 彼は、あたしが逃げ出すんじゃないかと思ってるのか、痛いほどではないけど抱き締める腕に力を込めた。
 声は、少し穏やかになっている。
 というより、不安そうだ。

「狼呀……少し痛いから離してくれる?」

「嫌だ」

 子供か!

 こんなに図体のでっかい男には似合わない言葉に、笑いたい気持ちを抑えながら、あたしは腕の中でもぞもぞ動いた。

「……携帯が振動してるから、誰からか見たいんだけど」

「ああ、悪い」

 狼呀は少し腕を緩めてくれたから、あたしはジーンズのポケットから携帯電話を取り出した。
 着信は――お母さんからだった。

「はい、もしもし」

『マリア? 久しぶりって言ったら変かしら?』

「ううん。そんなことないよ」

 そう言ってみたけど、少しだけ懐かしく感じる。
 でも、今日の夜になれば会えると思えば、これまでの淋しさは吹き飛ぶと思っていた。
 次の言葉を聞くまでは――。

『本当は今日の夜には、家に帰ることになってたでしょ? でも、こっちは大雪で、ホテルから出られないのよ。落ち着いたら帰るから』

「えっ! そんなにすごいの?」

『ええ、あなたは大丈夫?』

「う、うん。平気だよ。焦らなくていいから、気を付けて帰ってきてね」

 本当は大丈夫じゃないけど、嘘をついた。
 お母さんが知らなくていいことだから。
 吸血鬼も、人狼のことも。

『そう? ならいいんだけど。それじゃあね』

「うん。じゃあね」

 別れの言葉を口にして電話を切ると、すぐに狼呀に取り上げられた。

「両親は出かけてるのか?」

「うん……一週間の旅行だったはずなんだけど、雪で足止めされてるみたい」

「ふーん……」

 狼呀は、考え込むような表情になった。
 でも、あんまりいいことじゃない気がする。

「だったら、両親が帰るまで俺の家に泊まったらどうだ?」

 ほら、やっぱりいいことじゃない。

「それって……よくないと思う」

「どうして? もしかして」

 狼呀は、少し辛そうな顔をした。
 たぶん、ちょっと前に打ち明けた自分の事で、あたしが拒否していると思っているんだと思う。
 心が痛んだ。

「あなたが人狼であることは、別に関係ない」

「なら、どうしてだ?」

「前に言ったでしょ。あたしは、軽々しく男の部屋には入らないって」

 そこを曲げる気はない。
 たとえ、彼を信じられると気づいても。

「あの吸血鬼の部屋に泊まってるのに? あいつとは、セックスもしたのに?」

 あたしは、ドキリとした。

「レンは、家に帰りたくないあたしに、部屋を貸してくれてるの! それに、彼とセッ……そんなことしてない」

「俺は……君の性的快感を感じて、今日きたんだぞ!」

「あれは、彼に血を飲まれてたから」

「あのクソ野郎に血を吸われてたって、マリアを伴侶だと思う気持ちは変わらない。だから、嘘だけはつかないでくれよ」

 彼は両手で顔を覆って、肘を膝についた。
 その様子に、あたしの心から温もりが消えていき冷えてくる。
 嫌われた。
 口ではそう言っていても、昨日までとは同じ目では見てもらえなくなる。
 そう思っただけで、口から秘密が溢れ出していた。

「彼とは、そういう事はできないの。彼ら吸血鬼は、運命の花嫁にしか性欲を感じられないのよ!」

 そう言うと、狼呀はゆっくりと顔を上げた。

「不能ってことか?」

「それは失礼な言い方よ。ただ、あたしが彼の花嫁じゃないだけ。だから、そんなことしてない」

 言葉は途中で、消えた。
 力強い腕に抱き締められていて、言葉は続けられない。

「疑って、悪かった」

「うん。謝ってくれて、ありがとう。だから、離して」

 あたしの願いを、狼呀はきいてくれた。
 でも、眉間に深いシワが寄っている。

「じゃあ、あのイメージは……?」

 夢でも見たんじゃないのと言葉を口にしようとした瞬間、生々しいイメージが頭に浮かんだ。
 真っ白なシーツと裸で絡み合う体。
 優しく体を撫でる指に、体中に降る口づけの感触。
 あたしの指は震えた。
 それは、レンに血を飲まれているときに、頭に浮かんだイメージ。

「やっぱり、マリアが思い描いていたのか」

 狼呀は、目を輝かせている。
 あのイメージの相手は、間違いなく狼呀だ。
 それに彼も気がついたから、あんな顔をして――。

「べ、別に自分で考えた訳じゃない! かってに頭に浮かんだだけだから」

 あたしは、もっと狼呀から離れようと両手で押したけど、まったく効果はない。

「そこは怒るところじゃないぞ。最高じゃないか!」

 予想外な事に、狼呀はとても嬉しそうな顔をしていた。

「なにが最高なのよ!」

 訳が分からない。

「マリアの考えたことが見えたって事は、やっぱり間違いなく伴侶の絆があるってことだ」

 無意識に狼呀の胸に置いたままだった手に、彼は指を絡めてきた。

「マリアにも分かっただろ?」

 あたしは目を反らした。
 分かってしまったから。
 狼呀に好意を少なからず抱いていること、そして――言い表すのが困難な繋がりを感じていることに。
 認めたくなくて黙っていると、彼はあたしの指先に口づけてから、車のドアを開けて引っ張った。
 ベットに運んでくれたレンが、靴を脱がさないでいてくれてよかったと思わずにいられない。

「どこか行きたいところは?」

 唐突に助手席に向かいながら、あたしの手を引く狼呀は言った。

「どれくらいの距離までのこと?」

「どこでもいい」

 そう言って、あたしを助手席に座らせるとドアをしめた。
 正直、どこでもいいっていうのは、一番困ったりする。範囲を限定してくれれば、もっと楽に決められるのに。
 あたしは頭の中で、行きたい場所を思い浮かべた。
 たいした時間は必要なかった。
 すぐに緑と太陽、土と木の匂いを恋しがる心に気がつく。
 目を開けると、運転席に座りエンジンをかけて準備を進める狼呀を見つめた。

「秩父に行きたい」

「了解」

 狼呀は理由なんて聞かずに、そう言うと車を走らせはじめた。
 道路は平日ともあって、それほど混んでいる事はなく、スムーズに進んでいく。
 車内に流れる音楽は、大きすぎず小さすぎないくらいの音量で、会話がなくても心地が良い空間になっていた。こういう所は好きだ。
 何気ない事かもしれないけど、長く付き合うなら重要なことだと思う。
 人生が嫌になる前……人間が嫌いになる前の、純粋な心を持っている頃のあたしが夢見ていた理想の恋愛。
 狼呀は、見事に当てはまる。
 優しくて、男らしくて、頼もしい。
 そして、一途に愛してくれる。
 突然の幸せに、綻ぶ顔を見られないように流れていく景色を見るふりをした。




 

 

 


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