sinful relations

雛瀬智美

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第一章「sinful relations」

番外編「Fall in blue」(1)

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※第一話に繋がる序章的なお話です。青視点。



最初の記憶は、

初めて泣くことを覚えた日であり、忘れた日

だっただろうか。





「お母さま……ううっ……ママ」

棺の中で、目を閉じている母は、人形のようだった。一片の曇りもなく笑いかけている姿は、

今にも、動き出しそうに錯覚するが、

それは、悲しい勘違いでしかなかった。

ママと呼ばれることを好むから、二人でいる時は、必ずママと呼んだ。
嬉しそうな顔で、名前を呼んでくれるから、恥ずかしいなんて、

これっぽっちも思わなかった。

母親の藤城紫(とうじょうゆかり)は、

36歳の若さでこの世を去った。

(ママ……消えていかないで。そばにいてよ)

開業医の家に生まれ、生と死には、敏感にならずにいられなかったが、初めて身近な死を

認識したのは、この時が初めてだった。



この2年前に、母方の祖母が亡くなった時は、わけが分かってなかったと思う。
母が、寂しそうに泣いていたから、必死で笑いかけた気がする。







「……あれ、何か痛い……」

ぽつり、つぶやいて、葬儀会場を出た。

駆け出す姿を見ても父や、姉、周りの大人達は何も言わなかった。たぶん、驚いたのだ。

いつも、利口にしていて大人の思ういい子でいたから、こんなふうに我を失うなんて、

想像もしていなかった。

子供らしい振るまいに安堵したのかもしれない。

外に出ると雨が降っていた。

(これは、救いの雨だ)

「ママも雨が好きだったね」

落ちてくる雨を見上げながら、鼻をすすった。

堪えていた感情が、涙となって溢れた。

「青、濡れるでしょう。中に入りましょう」

姉の声に、瞳の奥の涙を押しとどめる。効果が

あったかは分からないけど、雨のおかけで、

隠せていると思った。



「……もう少しだけ、ここで濡れていたいんだ。出棺の時間には、戻るから」

「……青」

背中を抱く姉は、涙をこらえていた。

顔を見ずとも分かる。あの、いつも明るく

太陽のように笑う綺麗な顔が、歪んでいるのが。

幼い子供を慮って泣けないと思っていたのか。

「……僕は泣かないから、お姉さまは、

泣いて。お母さまは、我慢は身体によくないって言うと思うよ」

「……青、物分かりのいい子にならなくていいのよ。気を遣いすぎなのよ、あなたは」

「翠お姉さま、僕はこんな子供なのが嫌なんだよ。なんにもできないでしょう。

早く大人になって、弱っている人を救えるお医者さまになる……そうしたらママの魂も

救われるから……きっと」

「……5歳になったばかりのくせに、

生意気なのよ。もっと子供らしくしてよ。

私やお父さま、操子さんに甘えて」

姉が、泣いてくれている。よかった。

(俺は、笑うから早く明るく元気なあなたに戻って)

軋む心に気づかない振りをした。

「僕もお母さまと同じで、雨が好きだよ。

雨は泣いても……涙を隠してくれるし、

泣けなくても代わりに泣いてくれるんだ」

「……そうよね。今だけはこうしていましょうか」

戻らない姉と俺を心配して父が、迎えにきたのは、その暫くのちのことだった。



俺にとっては母でしかなくても、翠みどりにとっては、姉のように想う部分もあったのかもしれない。
母が若々しいから、周りからも姉妹のようだと言われていたし。

年齢差がある分、母との想い出が多かった翠は、俺以上に悲しいんだろうなと、幼心にそう思った。

母の告別式から、49日が過ぎた頃、姉は部屋でぼんやりと

していた。もう遺骨もないから、改めて死を実感したのかもしれない。



「お姉さま、おさみしいの?」

「あら。私がマザコンだとでも言いたいのかしら」

頬をむぎゅっと、掴まれて涙目になる。

「ちがう……翠(みどり)お姉さまとお母さまは、

女同士だったでしょ。僕とお父さまは、男だし……」

一応、家族や身の回りの人間の前では、

俺とは言わないように気をつけていた。

「じゃあ、青が女の子になればいいのよ!」

「……僕は男の子だよ。なれるわけないでしょ。

お姉さまは、時々、頭がおかしいよ」

「なれるわよー。家庭科の授業で、

洋裁を習ったから、お洋服作ったのよ」

姉は、得意満面の顔で、クローゼットから、

ワンピースを取り出してきた。

女物に、寒気がした。魂胆が見え見えだった。

「……よくできてるね! すごいや、

お姉さま。お友達にあげていい? 」

先手を打ったつもりだったが、姉にかなうはずもなかった。

「お友達にあげるのは、恥ずかしいわー。

だって、こんな初心者の作った物なんて

あげられないじゃない。好みもあるし」

「……お姉さま、僕は部屋に戻ります」

「……青がこれ着た姿、見たいなあ。

お姉さま、一瞬で元気になっちゃうなあ」

姉が、瞳を潤ませて見つめてくる。

この、世にも恐ろしい美少女(誰かが言っていた)は、

俺で遊ぶのが楽しいんだ。

でも、逆らえない。姉は、俺と一緒にいる時、はつらつとした様子ではしゃいで見せる。
本当は、つらいのに我慢してる。

そんな姉を元気にさせてあげたいと思うのは、普通のことなんだ。

「……着替えるから、後ろを向いてて」

「 うふふ。ちゃんと鬘(ウイッグ)もあるからねー」

翠の声は、異様に弾んでいた。

着ていた洋服を脱いで、ひらひらしたワンピースをかぶった。

鏡で見たくはない。

リボンやレースがあしらわれた真っ白な服。いかにも女の子が着るものだ……。

大人しめの清楚なお嬢様が、着るような。

「いいよー」

「ま、まぁ! 可愛いわ、お人形さんみたい! 」

「……ううっ……」

「はい、仕上げ!」

かぶせられたのは、金髪の鬘ウイッグ。

俺の目の色に合わせたのかな。

泣きそうになったが、かろうじて涙をこらえた。

「これからも、色々着てね! 」

「……あのね、お姉さま、寂しいなら、

天国電話をかけるといいんだって。お父さまが、教えてくれたの。心の中で、

名前を呼んだら、きっと届くから。

遠くに行った人とも話せるんだよ。

僕も昨日話したから、お姉さまもやってみて」

「……青はその純粋さを失わないでね」

抱きしめられ、きょとんとする。

「かけてみようかなあ。夜、眠れなくなった時にでも」

「それがいいよ」

姉は、俺の頭を撫でた。

早く、姉を守ってくれる人が現れたらいいのに。お父さまや、俺ではなく、

ありのままの姿を見せても寄り添ってくれる誰かに巡り会えたら、きっともう、彼女は大丈夫だ。





それから、一年が経った頃、姉とこんなやり取りをした。

「お姉さま、今日、保育園で、好きな女の子が、泣いていたんだ。それで……」

言葉につまって、顔を赤らめると、姉はからかってきた。

「まぁ!青ったら早熟だと思ってたけど、マセガキにも程があるわ。好きな子って……!」

興奮した様子で肩を掴むから、振り払った。

「泣いていたから、泣き止むかなと思って、

キスしたら、もっと泣いたんだ。どうしてかな?」

「……キスって、ど、どこにしたの。う、嘘、青、嘘だと言って」

「くちびるだよ。お父さまが、お母さまによくしてたでしょう。だから、キスをしたら、

女の子は、うれしいのかなって」

「3回ほど、ぶってもいいかしら。

何、抜かしやがるの、このクソガキ! 」

「……顔がこわいよ!」

「あんたの方が怖いわよ。色気づくのが早すぎるのよ……」

「色気づく?」

姉は、さらっ、と無視をした。

「泣いたのは、驚いたからじゃないの。

いきなりそんなことされたら驚くわよ。

お母さまとお父さまは、夫婦で想いあっていたからいいけど」

「泣いた顔、ウケたから、もう1回してみたら、顔を真っ赤にして、走って逃げたよ。大げさなんだから」

「……明日にでも謝りなさい!何やってんのよ……信じられないわ。好きな子をいじめて

興奮するなんて、歪んでるわ」

「追いかけてみたら、しゃがんでたの。その時、好きだから、キスしたって伝えたよ……

そしたら、ママとパパに怒られるから、

内緒よ。青くんとお付き合いするからって。

いじめじゃないでしょ。両想いなんだから」

「……強引で汚いやり口よ。あんた、自分の見た目を利用したの」

「見た目?」

「……そこまでじゃないか。でも、健全なお付き合いにするのよ。幼児らしくおままごとでもして」

釘を刺された。

幼児に、何を抜かすんだろう。

大学一年生にもなって、おかしな姉だ。

「ガキの遊びは好きじゃない」

「ガキが何言ってんのよ」

「……パパ、ママと呼び合うのは、嫌だよ。

名前で呼び合う恋人ごっこなら、いいな」

「……なんで、こんな子になっちゃったの。

大人になってからは、口が裂けても

恋人ごっことか言わないようにしてよ。

翠お姉さまは、悲しくて心が張り裂けそうだわ」

そんなこと言われても、

大人になるまで覚えていないよ。

「心臓が、張り裂けたら死んじゃうよ」

「比喩よ。冷静に突っ込まない」



しばらくしたある日、姉が彼氏を連れてきた。



短大の合コンで知り合ったという彼は、姉より3つ上の22歳。
医大の4年生という話だった。よく姉にノロケ話で聞いていた。



眼鏡をかけた彼は、柔和な笑みを浮かべて、手を差し伸べた。掴むと、その瞳を細めた。

「やぁ、初めまして、君が青? 僕は葛井陽だよ。翠さんとは親しくさせていただいいます」

「初めまして、陽お兄さん、藤城青です」

初対面なのに、いきなり頭を撫でてきた。隣にいる姉は、ご満悦といった風情だ。

(呼び捨てすんなよ!)

「黒髪に、名前と同じ色の目……噂通りの愛くるしさだ」

「男に愛くるしいとか、やめてください。

気持ち悪いじゃないですか」
目の色を指摘されるのが、嫌で、たまらなかった。

なんで、母親からの血で六分の一

異国の血が混ざってるだけなのに、

目の色が、日本人のいわゆる茶色じゃないんだろう。

(小学校を卒業したら、お父さまに、相談しよう)

「そう、抗うから、からかわれるのよ。くすっ」

姉は、にこにこと微笑んでいる。

「お姉さま、彼氏をわざわざ紹介してくれてありがとうございます。末永くお幸せに」

立ち去ろうとした俺は、姉と、彼氏に腕を掴まれた。

「……今日は三人でお出かけしましょ。

どこがいいかな!」

「……二人で行ってよ。邪魔者になりたくないし」

「お家で一人ぼっちは、寂しいだろ。

たまには、姉孝行と思って出かけよう」

この強引さ……むかつく。

初対面にもかかわらず馴れ馴れしく接してきた葛井陽。

姉と似合いすぎていて笑えるくらいだった。

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