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第一章「sinful relations」
第14話「星明り」(3)
しおりを挟む「青? 」
甘い声が名を呼ぶ。気づけば一瞬だけ眠っていたらしい。
彼女は、小さく身じろぎしてぎょっとしたようだ。
慌てた風情で離れようとするから、強く腰を抱きしめた。
「何で離れる。まだ何も言ってないだろ」
「だって……」
熱い肌は醒めることを知らない。
もう一度求めてもきっと許してくれるだろうが、それよりも、先にすべきことを考えた。
腕の中にすっぽりと収まった沙矢が、俺の胸元で息をついた。
「今日もう一度会おう」
「……え」
「俺はお前を一旦送った後、大事な用事を済ませてくるから、待っててくれ。
追って連絡する」
沙矢は、唖然としていた。
俺も自分自身の言葉を悔いたが、どうにもならない。
言い方が固い。
サプライズに持ち込むやり方しかできないのが、情けなくもあるし。
「分かりました」
腕の中で、首を縦に振った。
何故、丁寧に返してきたのだろう。
半ば呆けた状態の沙矢を、引きずるようにホテルを出て車に乗り込む。
(少し強引に引っ張ってしまったのは不可抗力だ)
アパートに着いた時どうにか正気を取り戻したらしく
ぶるぶると頭を振って、何か言いたげに口を動かした。
「大丈夫だ。信じて待っていてくれ」
落ち着かせるように頭を撫でると、沙矢は
「うん」
と零れんばかりの笑みをくれた。
車を出した後バックミラー越しに確認すれば沙矢が手を振っている。
その姿に嬉しくなってしまう自分がいた。
不動産屋に向かい、迎えに出た担当者に案内を受ける。
説明を聞きPCの画面を見つめていると、脳内に映像がフラッシュバックしてきた。
想い出を、ひとつずつ手繰り寄せる。
「……藤城様、こちらでお決まりでしょうか? 」
物思いにふけっていると、不動産屋の担当が伺うように声を掛けてくる。
心と体が濃密な想い出をあますところなく記憶していて、
いつだって脳裏に描けるのは少々厄介だった。
瞬時に思考を切り替えられなければの話だが。我知らず暫く時間が経過していた。
目の前にはPCの画面の中、新築の分譲マンションが映し出されていた。
先日、案内してもらい一度訪れて、一目で気に入ったのだ。
彼女には黙って決めたことを悪いと思うが、色々手続きも時間かかるからしょうがない。
「はい。サインしましたので頭金の方は、後日引き落としで」
藤城の名前を出せば、多少の融通は楽に通ったろうが、家の力を使うつもりはなかった。
自分自身の力で手に入れたからこそ達成感がある。
「ルームキーです」
「年内に移るのは無理ですかね、なるべく急ぎたいのですが」
「手続きが完了すれば問題ないですよ。
正式なお引っ越しの前に宿泊して頂くことも可能ですし」
「お世話になります」
頭を下げて、握手をする。
「こちらこそ、ありがとうございました」
丁寧でそつのない態度は申し分なくこれからも
そういう意味でもマンションに決めて良かったと思った。
(良いものを買った)
知らず、口の端があがる。
不動産屋を出て、車に乗り込むと携帯を手に取った。
「せ……青」
短縮を押すと、耳になじんだあの声が聞こえてきた。
心なしか、うわずった声は嬉しさが滲んでいるせいか。
「昨夜は最高だったよ」
「……っ」
俯いているか視線を逸らしているかどちらだろう。
電話越しでも、その姿がありありと浮かぶ。
「……折り返しの連絡って? 」
「いきなり本題に入らなくてもいいだろう。俺との会話を楽しみたくないのか? 」
強気に甘くささやく。
「全然! ただ、どうしていいか分からなくて」
慌てて、強調するのが、おかしい。
「悪い話ではかけないよ、これからは絶対にな」
「うん」
ほっとしたような吐息が聞こえる。
「これから、そっちへ行っても良いか? 」
「散らかってるから、片づけなきゃ。掃除も」
早口で言いながら、ばたばたと動く足音がする。
同時作業には向かないタイプのはずだと、思っていたら
何かに引っかかった派手な音がした。
「い……た……た……っ」
受話器は離していないようなので、漏れ出たつぶやきも しっかり聞こえた。
心配にはなったが、声が変だったので軽く吹き出してしまった。
(優しく、虐めるのは問題ないか。冷たかったら、息もつけないし)
「大丈夫か? 」
「だ、大丈夫。それより笑っているの? 」
驚きで動揺しているらしい。
「悪いな。落ち着く時間もなかっただろうに。
玄関まで迎えに行くから出よう」
「……分かった」
通話を終了すると、シートベルトを締め、運転の準備をした。
駐車場から、公道に出て、彼女の待つアパートへと車を急がせる。
譲っていては、上手くいかないこともある。
時には強引にことを運ばねばならない。
身も心もすべてを求めているからこそ遠慮はしない。
急いでいるから、車の少ない裏道を通ることにした。
スピードを出せない狭い道だが、大通りの喧騒を駆け抜けるよりマシだ。
「……沙矢」
懐かしいアルバムのオープニングのフレーズは、彼女を求める
心そのもので、漢字がタイトルに入ったあの曲は二人に合っていると思った。
歌に、重ねるなんて感傷的で好きではないが、きっと彼女なら分かってくれるはずだ。
余計ぎくしゃくする気がしてドライブではかけづらかった。
永劫に続くと思える苦しみを雨に例えたあの曲は。
ウィンカーを出して、カーブを曲がる。
見慣れた建物の前、駐車場の隅の方で、佇んでいる。
窓を開けて、目で合図すると何度か瞬きして、とびきりの笑顔を見せた。
華がほころぶような。
スピードを落として近づくと、スムーズに車をバックさせた。
助手席のドアを開けると、すっと乗り込んでくる。
「なんだ、待ちきれなかったのか」
「青の様子が早く知りたくて」
首を傾げてこちらを見つめる視線が、どことなく意味深だ。
「教えてやるよ、全部」
つばを飲む音が聞こえる。
シートベルトをして座席を調節したのを確認すると車を走らせ始めた。
傲慢に攫ってしまおうかといたずらに思う。
手順を踏む余裕が手のひらからこぼれ落ちていく。
「どこへ行くの? 私のことを気遣ってくれたけど青もばたばた忙しかったんじゃない。
別れてまだ何時間も経っていないんだから」
「どこへ? 二人が暮らす部屋。忙しいのは慣れているから支障はない。
お前のいない時間も充実した時間を過ごせたよ」
珍しく気が急いているのか矢継ぎ早な質問に、淡々と返したが、
質問を してきた本人は、反応に困っていた。
「着いたら理解できるさ」
こくん、と頷く姿をルームミラー越しに確認する。
伸びてきた彼女の手をつかんだ。
ギアの上にある俺の手のひらの上で、小さな手のひらが震えている。
来た道を通り、また別の道に入った。
見えてきた建物の地下へと車を進ませる。
ガレージはほとんど空車で、好きな場所に駐車させることができた。
車を止めて、助手席の扉を開けると、ゆっくりと沙矢が降りる。
運転席を降りて、声をかけた。
「行こうか」
「……ん」
はにかんで、見上げてくるから、腕を引いた。
駐車場から、屋内へと繋がっているエレベーターで目指すフロアへと向かう。
静かな振動をさせて動き出した箱の中で、沙矢が唐突に口を開いた。
「青の暮らしてるマンションじゃなくて新しい所なの? 」
かなり驚いている様子だ。向かう途中では緊張していたせいで聞けなかったのだろう。
「ああ、あそこは引き払う。二人で暮らすには手狭だ」
「そんなことないと思うわよ? 」
「長く住んでいたら暮らしに変化はつきものじゃないか? 」
意味をはかり損ねた沙矢は、混乱している。
自分の発言に俺も一瞬はっとした。
「長く……一緒に……ってええ!? 」
「着いた、悶々としてないで降りろ」
たどり着いたフロアで、エレベータの扉がひらく。
歩いていると、沙矢が周りをきょろきょろと見渡していた。
「隣の部屋の扉がないわ」
「ワンフロア全部俺、いや俺たちの部屋だ」
沙矢は顔を赤らめた。わかりやすい。
「いいの……?」
「こっちこそ勝手に進めているからな、お前にも後でサインをもらわないと」
ぶんぶん、と首を振った沙矢を促し部屋を開けた。後ろ手に扉を閉める。
「もう一回聞くが、俺と住むか? 引っ越しさせてしまうことになるが」
「夢じゃなくて現実よね、だって展開が急すぎて」
未だ疑っている。今までを考えれば仕方がないが。
「信じてくれていい。現実だ、ほら」
鞄からすかさず取り出した書類を手渡すと、俺と書類とを見比べ始めた。
「本気なのね……もちろん、あなたと暮らしたいに決まってるわ!」
「引っ越しに関しては、こちらで手配するから慌ただしく動く必要はない」
「よろしくお願いします」
気分が改まったのか、頭を下げてくる。
鼻声なので、もしや泣いているのか。
「泣くのはもう少し後でいい。嫌ってほど啼くことになる」
「怖くないけど……嫌な予感が」
「褒め言葉だな」
勝手に解釈して、いろんな部屋を案内する。
リビングから繋がるダイニング。
ソファ以外の家具を置いていない新居は広く感じられる。
「窓が全面ガラス張りなのね。素敵」
カーテンだけは取りつけてあったので、さっと引くとぱたぱたと走っていく。
「どこに何を置くかは二人で決めよう。他にも色々決めなければな」
「うん」
「今日これから予定あるか? 」
「特にはないわ。考えてないというか」
「このままここに泊まらないか。引っ越しするまでに宿泊して
使い心地を試すことができるんだ」
「なにも、準備してないけど」
「大丈夫だ。車に置いてあるから取ってくる。待ってろ」
「……私も一緒に行く」
「すぐ戻るから、待っててくれ」
「わかった」
車に戻ると、トランクから沙矢の為に買っておいた 洋服等の着替えを取り出す。
袋に入ったまま綺麗に包装されている。
俺の物が入った袋も腕に抱えると車のロックをかけた。
部屋の扉を開けると、沙矢が目の前にいた。
「イヴ一緒だったから、クリスマスまで、過ごせるとは思わなかった」
背に回された腕の力に陶然となる。
抱きついたのではなく、抱きしめられたことに驚愕する。
まばゆい光が瞬いて心を染め抜いていく。
春の陽だまりのようで、本当は真夏の灼熱のごとく輝きを、秘めていて。
強く、抱擁し合って、彼女の頬を手のひらで包む。
見つめあう。彼女は微笑んだ。光が弾けるように。
「これからは、ずっと一緒だ。クリスマスも誕生日も全部」
どちらともなく、口づけを交わす。
手を繋いでソファに座った。
「愛してるわ……大好きな青」
「愛してるよ、沙矢」
12月25日、クリスマス。
イヴから、一緒にいた沙矢は今も隣にいる。
一度アパートの彼女の部屋まで送った後、迎えに行って、訪れた場所。
肩を抱いて、立ち上がる。
二人で窓辺に立つ。同じ星明かりを瞳に移す。
夜景と夜空のコントラストが見事だった。
これからは、こんな風景を毎夜二人で見られる。
それは、とびきり幸せな日々の連続に違いなかった。
「あのね……」
もじもじとした様子が、本能を揺さぶった。
「ん? 」
「きゃっ……何でもない! 」
「はっきり言わないと、今すぐ襲うぞ? 」
ニヤリ、口の端を歪めると、びくっとした。
彼女の頬は、林檎になっている。赤く色づいて熱を発しているのだ。
沙矢が、こちらの服の裾を掴んできた。
「いいの」
言葉を区切るのは、自分の気持ちを確かめているかのよう。
「帰りたくないんだもの……」
駄目? と首をかしげてくる。可愛すぎて、毒だ。
耳元でありがとうと囁いて、
「何言ってんだよ今更。着替えまで用意したのに。 啼くことになるって言っただろう? 」
と告げてやった。
どうやら分からせてやる必要があるようだ。
朝になったらこのまま会社に直行することになるということを。
「な……」
ソファに押し倒して、組み敷けば、ぱくぱくと唇を動かしていた。
頬から首筋を撫でる。ひんやりとしている肌もすぐに熱くなるだろう。
惜しむらくはベッドではないところだが、
このソファは十分広さがあるので問題はないはずだ。
もつれ合って、ラグへと転がるのも望むところだ。
「んん……っ」
すぐさま唇を奪った。舌を絡めた後離す。
「会社で冷やかされないように気をつけろよ。
ああ、バスルームも使えるから安心しろ」
沙矢からの返答はなかったが、背に回された腕の力に気持ちを感じた。
調子に乗ってもいいということか。
朝が来るまで沙矢との時間を楽しんだ。
思う存分、心と身体が満たされるまで。
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