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第二章「Treasure」
第14話「LOVE SICK」
しおりを挟む涼が、興味津々の態(てい)で見てきて、目をそらしてしまう。
後から、羞恥がこみ上げるのは毎度のことだ。
「半信半疑だったけど、美耶子さんも期待してたから」
「へ。おかんに何言われたん」
「涼ちゃんは私にキスしてほしいんだって」
「ぶほ……っ」
急に咳きこんだ涼の背中を慌ててさする。
むせただけらしく、すぐに治まったが、
これほどまでに過剰反応するとは意外だ。
「お姫様は王子様のキスで目覚めるとか言ってらしたわ。可愛い人ね」
「おもろいおばはんやろ……」
涼は、苦笑いした。
「次は俺が、菫子を起こすから楽しみにしてて」
「ば、ばか」
「菫子の馬鹿、久々やなあ」
しみじみする涼に、顔を赤らめた。
「涼ちゃん、目が覚めたばかりで悪いけど、聞きたいことがあるのよね」
鋭いまなざしで詰め寄るが、意にも介さず菫子の様子を見守っている。
「枕の下に写真敷いて寝てたの? しかも裸じゃない!
盗撮は犯罪よ!」
「菫子が、寝てる時に決まってるやんか。
ええ顔してたから、せっかくやしと思って」
「せっかくじゃないわよ」
ほとほと呆れても平然としている相手に、菫子の方が疲れを感じた。
「でも、ポプリなんて作ってたのは、感動したわ」
「菫子に渡そうと思って作り方もマスターしたんやで。
ちょうどええから、持って帰りー」
「あ、うん。もらっていいのなら」
「もちろん」
「ありがと」
ふ、と視線が絡む。
「付いててくれてありがとうな」
「離れられるわけないじゃない」
甘い雰囲気を醸し出す二人は、背後に感じる気配に一瞬固まった。
「涼、あんた……まんまと起きよってからに」
突然割って入った声に慌てて繋いでいた手を離す。
「ええよ、ええよ、そのまま」
にんまり笑って言われ、戸惑う。
涼がすかさず手を握りしめた。
「おかん、間を計れや」
「菫子ちゃん、ええ子やねえ。
背もちっさいし可愛らしいわ」
「背ですか……」
「菫子ちゃんからしたらこんな大男怖(こわ)ないの?」
「怖いとは思ったことないです……
図体でかいとは常に思ってますけど」
「あはは……おもろいなあ」
菫子は涼の母・美耶子と笑い合っている。
「何やこの微妙に入れへん空気」
「涼、やきもちは醜いわ……」
「菫子は俺の女やぞ」
「菫子ちゃん、でかい割にちっさい男やね。
背がちっさいあんたの方が大きいわ」
視線を感じ、菫子は頬を染めた。
「あのね、涼ちゃん。目を覚ましたばっかりだし、
そろそろ帰るわ。また明日来るから」
「せやな。無理したらあかんからな。菫子ちゃん、良かったら送ったげるで」
「いいんですか。じゃあお言葉に甘えて」
「菫子、おかん運転荒いから気をつけてな」
過剰にびくっとすると、ぽんぽんと背中を押された。
「大丈夫や」
「は、はい。涼ちゃん、じゃあね」
「……じゃあな」
涼が見送ってくれる。
彼が意識を取り戻したのだと改めて実感した。
美耶子の運転は荒いというよりせっかちだった。
時折、他ドライバーへの罵声も飛んだりして、目を泳がせる。
(すごい……)
マンションまで送ってもらった後頭を下げると、
これからもあの子をよろしくと朗らかに言われて照れた。
翌日、菫子が涼の病室を訪れると、
白いかっぽう着を着た美耶子が、にこやかに菫子を出迎えた。
「菫子……やっと来たか」
「どうしたの…… ? 」
「いや……ははは」
首をかしげていると横から威勢のいい声が飛んできた。
「起きられるんなら着替えなさいよ。
昨日菫子ちゃんが着替え持って来てくれたから。
ほら、手伝ってあげるわ」
「うわ、勘弁してくれや。菫子に頼むわ」
「ええっ! 」
「……ちなみに聞くけどあんたら付き合い始めてどれくらいなん? 」
「一か月経ちました」
「まだそんなもんなの? もっと長く一緒におるような感じがするんやけど」
「二年くらい友達だったので」
「そうなの……もしかして大学に入って初めてできた彼女?」
沈黙が漂った。
涼は曖昧に笑い、菫子は明らかに困惑している。
「深い付き合いの女は初かな」
堂々と言い放つ涼の手のひらを思わずぎゅっとつねってしまった菫子である。
「……なら着替えも手伝えるわな。下着も触れるくらいの仲なんやもん」
「えげつない笑い方すんなや。もう帰ってええから」
「ひどい子や。まあ邪魔もんは退散するから、菫子ちゃん、ごゆっくり」
病院でごゆっくりというのもどうかと思うが、
昨日から一気に明るくなった雰囲気に、笑みを深めるばかりだった。
病室のドアが閉まり二人きりになる。
「意外。薫さんは公認じゃなかったんだ」
「紹介する機会がなかったというか……そんなんどうでもええやんけ」
過去のこととして片付けているようだ。
「変な感じで、知りあいになっちゃったわね。
これも公認になるのかな」
「もうあんなに気に入られとるやん。
俺が起きるまでにすっかり菫子にはまりおって」
「はまるって」
「大丈夫や。おとんも菫子のこと気に入ってるで」
涼は、顔を赤める菫子の頬をびよーんと伸ばした。
「はにすんのよ」
「もちもちのすべすべや」
「人の顔で遊ばないでよ」
「ほら、着替え手伝ってくれるんやろ」
腕を差し出した涼に、うっと怯む。
「……はい」
昨日ベッドの下の収納にしまったパジャマを取り出す。
いくら選んでも、まだ普段着は着れるはずもない。
脱ぎ着しやすいのにこしたことはないのだ。
後ろから、パジャマを掛けると正面に回りボタンをかけていく。
心臓がうるさく鳴り響く。顔が熱い。
パジャマの下も履かせようとがんばるが、
やたら腕がまごついて上手くできない。
なかなか進まない作業に笑う気配がし、
「ええよ」
腕をそっと避けると涼は、もたつきながらも何とか履き終えた。
怪我をしている涼の方がスムーズなのはおかしな話だ。
「……役に立てなくてごめん」
「ああ、はよ菫子とええことしたい」
申し訳なさそうな様子を気にしてか茶化すように涼は言った。
「えっち! 」
切実に言われて、どぎまぎ動揺した。
パジャマを着終えた涼はどこかすっきりとした様子だ。
「意味分かるんやもんな。菫子も同罪」
「……ん。そうね」
「めっちゃ素直や。相当抱かれたいんやな」
「抱かれたいわよ。悪い? 」
「悪いわけないやろ! ああこの腕が自由に動けば、
むぎゅうって抱き寄せるのに」
「じゃあ早く元気になってよ。毎日来るから。
バイトも辞めることにしたのよ」
「甲斐甲斐しい……泣けてくる。
でも、あんなに頑張ってたバイトやろ。ええんか?」
「いいわよ。どうせもうすぐ忙しくなるし、今、自由に使える時間は
涼ちゃんの側にいたいの。一緒にいたいのよ」
「ありがとな」
包帯を巻いた手のひらが、そっと頭に置かれた。
「考えなしに無理しとった俺の責任やから、
事故ったことは、もう気に病んだりせんでええから」
「……分かった」
「よっしゃ。俺も頑張って治さんとな」
椅子を近づけると、顔が近付いてきて頬に口づけが落ちた。
「やっぱ甘い……」
「涼ちゃん、誕生日おめでとう」
菫子は複雑な笑みを浮かべた。
「ぐっ……微妙に嬉しくない……この辺痛いわ」
胸を指し示し落ち込んだ涼に菫子はにこにこっと笑った。
「この埋め合わせは必ずしてね
指きりげんまん。嘘ついたら針千本のーます。指切った」
強引に指を握り、振ると、
「かわいいことすんな。阿呆」
少し頬を赤らめた涼が、やけくそに呟いた。
「あ、涼ちゃんも阿呆とか言った」
「これも愛情表現や。うん。
ちゃんと埋め合わせはするから、心
と体の覚悟して待っとけよ……すみれちゃん」
語尾にハートマークが飛んでいた。
「……はーい」
吹きだすのを堪えてノってみた。
「送ってやれんけど、気ぃつけて帰れよー」
「うん。涼ちゃんもよく寝てね」
椅子を立って側を離れる。
互いに手を振り合って笑顔で別れた。
「俺は幸せ者やな……」
菫子が病室を出ると涼は、ぼそりと呟いた。
それから一ヶ月半後、三日も目を覚まさなかったのが
嘘のように涼は晴れて退院の日を迎えていた。
腕には包帯が巻かれ、まだ通常通り体が動かせるようにはなっていない。
全快するまでにはまだ暫くかかりそうだ。
「お世話になりましたー」
意気揚々とした様子で医師や看護師に頭を下げている。
「くれぐれも無理をしないように」
「分かりました」
菫子は、ゆっくりと歩いてくる涼を離れた場所で見守っていた。
傘を差しかけると満面の笑みを浮かべて手を握ってくる。
6月になりじめじめした天気が増えてきた。
梅雨も近いと思われた。
「……はよ腕治らんかな」
「もうちょっとよ」
タクシーに乗り込む時、がっくりとうなだれた涼を菫子は、笑顔で励ました。
バイクを運転できないのはやはり辛いのだろう。
「腕がなまってしまうやんか」
「うじうじしないの」
まるで子供と接しているようだ。
「菫子が、毎日毎晩慰めてくれたらもっと早く元気になれるんやけどな」
「無茶苦茶言う人ね」
「一緒に暮さへん? 家賃だって割り勘でお得度いっぱい」
「……来年の三月になっても付き合ってたら考える」
交際して一年が経つ頃だ。
考えると言っただけで、イエスと答えるかは別だが。
「その言葉忘れんなよ」
タクシーの車内だというのを忘れ、すっかり二人の世界を作っていたが、
運転手の咳払いで、はっとし気まずくなった。
ちら、ちらと互いの顔を見つめる。
顔を赤らめて先にそむけるのは、菫子で、そうすると涼は
いたずらに顔を近づけてからかった。
(怪我人じゃなかったら突き飛ばしてたかも)
雨が上がり、晴れ上がった空に虹が浮かんでいる。
車窓からそれを見つけた菫子は、涼の手に自分の手を重ねて叫んだ。
「涼ちゃん、虹よ! 」
「……ほんまや」
菫子の側に寄り添うようにして、窓から見える空を見上げる。
光の橋は七色に輝いていて、幻想的な雰囲気を醸し出している。
いつか、夢で渡ったあの虹にとてもよく似ていた。
「……おやすみなさい」
涼は、頬にキスを落とし、菫子の体を手繰り寄せた。
ぎゅっと密着して、心臓が暴れ出す。
不器用な手つきが、可愛いと感じた。
「やめて……ドキドキしちゃう」
「添い寝くらいケチるなや」
「……腕が痛いのにくっついて平気なの?」
「平気平気。別に真の意味で抱くわけじゃないし」
「うう……」
「そんなに嘆くんなら、してもええよ。無茶せんかったらええんやし。
菫子が上になれば問題ないんやから」
「どの口が言ってるの……よ……っ」
いきなり唇が塞がれ、甘く啄まれ呆然とする。
「もっとドキドキさせたるから、全快するまで待っててくれな?」
にやりと笑われ、腕の中で身じろぎしたが、離れることはかなわなかった。
足でパジャマの裾を踏まれていたのだ。
「菫子が側にいたらよう寝れる。離れんといて」
「甘えてるの……しょうがないわね」
大きな子供をしっかりと抱きしめて眠りにつく。
側にある温もりが嬉しいのは菫子も同じだった。
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