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第一章

8,恋の罠

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 側にいすぎると、うざったく感じるのに、

 いなくなった途端狂おしさが胸に募る。

 クライヴは、自嘲する。

(罠にはまったのは俺だよ、ルシア)

 一ヶ月の期限なんて待ちきれずにお前を呼び戻してしまうかもしれない。
 彼女の存在の大きさを改めて思い知らされた。

 女と肌を合わせたことは幾度となくあっても、

 愛おしいと感じたことはなかった。

 今まで好きという感情を知らずにいたから、その気持ちを持て余している。

 2ヶ月、共に暮らし、愛しさは増すばかりだった。

(お前は俺と離れて平気なのか)

 家族と天秤にかけさせて辛い選択を強いておきながら

 なんて傲慢で、独善的なのだ。

 彼女を今度は完全に手に入れたい。

 戻ってきたら二度と離してやるものか。

 俺しか見えないように独占してしまおう。

 首にかけているクロスを手の平で

 弄びながら、クライヴは宙を睨む。

 それには、ルシアの匂いが染みついていた。





 私が祈りを捧げることは、神への冒涜だろうか。

 神など大して信じていなかったルシアは、黒魔術の元へ

 召喚され、そこで黒魔術を学んだ。
 そして、彼ークライヴーを愛するようになった。

 クライヴは、今どうしているだろうか。

 離れて僅かな時しか流れていなくても、彼の事ばかり考えてしまう。

 ルシアは神なんて信じていなかったのに、

 今は強く神の存在を感じている。

(クライヴとめぐり合わせてくれたんだもの)

 なんて自分勝手なのだろうと、ルシアは思う。

 彼のことを考えているのが、顔に出ていなければいいなと思った。

 頬を染めて恋をしている表情をしてはいないだろうか?

 父に気づかれたら驚かれるかもしれない。

 頬を緩ませるルシアなんて、知らないだろうから。

 父は背中にも目があるように感じられる時があった。

 人の気配を鋭く察する力を持っているのだ。

 神に仕えるものだからだろう。

「ルシア、何か話したいことがあるのでしょう?」

 くるりと振り返った父が、ルシアに真っ直ぐな

 眼差しを向けてくる。

「……お父様には隠し事なんてできませんね」

「あなたが分かりやすいのですよ。

 顔に全部書いてありますからね」

 父におかしそうに笑われ、ルシアは顔を赤くした。

「もう……デリカシーがないわ」

「おやおや誉められているんでしょうか」

 笑いが零れる。

 空気が和んだ。

 神の御前だからあくまで小さな声での会話だが、

 ひそひそと話す声は静かな神殿に響いていた。

「今日は、エルが帰ってきますよ」

「お姉さまが帰ってこられるの?」

 ルシアのコンプレックスだった姉。

 3つ年上で、いつも凛々しかった姉のエルリア。

 結婚して家を出た彼女とは、1年は会っていない。

 ルシアがクライヴの元に飛ばされた時間は、なかったことになっているから、

 紛うことなく、1年間、顔を合わせていない。

 ルシアの問いかけに父は頷く。

 さりげなく話を変えてくれる優しさに深く感謝する。

 待ってくれるということだ。

 口には出さなくてもルシアは父親を尊敬していた。

 つくづく神官に相応しい人なのだと感じる。

 (待って下さい。後で必ず話しますから)





 ルシアは、午後まで散歩に出かけた。

 部屋の中で鬱々と考えるよりも

 外を歩いて空気を吸って、じっくりこの時代に浸りたかった。

 クライヴやあの時代のことを考えるのではなく、気分を変えたくて。

 久々に家族揃って昼食を食べた。

 母と父と食べるのが久々のせいで

 また泣き出しそうになったが、慌てて笑みに変えた。

 クライヴの時代で過ごした2ヶ月間がなかったことになっているのだから、不自然だ。

 久々に過ごすみたいな感傷的な姿は。

 豆のスープと、パン。

 固パンは日持ちのする保存食だ。

 質素な食事だが、今日は一際(ひときわ)豪華に見えた。

 家族で囲んでいる温かい食事だからそう感じるのだ。

 食べ終わり部屋に戻って暫くゆっくりしていた時、控えめに扉が叩かれた。

 コンコンと一度だけで、声は聞こえない。

 耳を澄ませなければ聞こえないほどの音。

 物音一つ立てずに過ごしていたから、聞き取ることができた。

 どうしてそんなに控え目に振舞えるのか

 一度尋ねてみたいと思っていた。

「どうぞ」

「お久しぶりね、ルシア」

「お姉さまもお変わりなく過ごされていましたか?」

「ええ、あの方はとても気遣ってくださるから」

 あの方というのは彼女の夫のこと。

 昔、ルシアが憧れていた男性だ。

 物腰が柔らかくて、いつも優しかった。

 姉エルと相思相愛なのだと聞かされた折に感じた寂しさは

 どういう種類のものだっただろうか。

 彼女の部屋から、聞こえる甘い声を聞いた時、

 ルシアは、自分の知らない世界がそこにあると思った。

 大胆なこともするのだと姉に対しての印象が、少し変わった。

 泣いているかのようなか甘ったるい声、艶めいた吐息。

 兄のように慕っていた憧れの男性と姉が、愛し合うその部屋を

 扉から覗き見てしまった時、胸にちくりと棘(とげ)が刺さった。

 姉を奪われたと思ったのでも好きな人をとられたと思ったのでもない。

 人間の生々しい現実を知って、2人と距離を置いた。

 姉が、結婚して家を出る時、寂しいと感じるよりも

 ほっとしたルシアは冷たい妹だと今でも思っている。

 過去の憂いなど知らなかったように、エルは微笑み、ルシアに

 対峙している。
 変わっていないようでいて、既婚者ならではの落ち着きをたずさえて、ルシアの前に現れた。

 ルシアが隣に座るのを勧めると姉は頷いてすぐ横に腰を下ろした。

「綺麗になったわね」

 ルシアは、思わず目を見はり固まった。

 母に酷似した美しいエルリアに、そう言われると羞恥で全身が火照るようだ。

「お世辞でも何でもないのよ。真実を口にしただけ。

 一年会わない間に、あなたは本当に美しくなったわ」

 内面から滲み出るような輝きを放ちながら、エルリアは、

 ルシアを褒めたたえた。

 ルシアは、瞠目し、どう反応すればいいかわからなかった。

「恋をしているのね」

「……恋じゃなくて恋愛なんだと思います」

 胸にあるのはもっと深い気持ち。

「びっくりするくらい大人なのね、ルシアは」

 ふわ。と抱きしめられたじろぐ。

 会わない間に、少女から女になったことまで

 悟ったとは思えないけれど。

「嬉しいけど少し寂しいわ。

 あなたを夢中にさせている男性に嫉妬しちゃう」

 エルリアは、茶目っ気たっぷりに微笑んでいる。

 髪からは甘い香りを漂わせていかにも女らしい雰囲気だ。

「私だって、お姉さまとイグラスさまが

 ご結婚されて寂しかったわ」

 ルシアは冗談っぽく笑った。

 軽口で話せる事柄だった。

「お姉さまはお幸せ?」

「幸せよ」

「今日突然いらしたのは……」

「久しぶりに妹に会いたいと思っただけのことよ……

 ふふ本当はそれだけじゃないのだけれど」

 思わせぶりに微笑んだエルリアは、

 私の手を自らの腹部に触れさせた。

 恐る恐る見上げれば、眩しい眼差し。

「三ヶ月に入ったところよ。

 まだ動いたりしないけど、確かにここで新しい命が育ってる」

 ルシアは、胸が温かくなった。単純に嬉しかった。

 懐妊の知らせを持って実家に帰ったエルリアのそばに、いられることが嬉しかった。

「おめでとうございます」

「ありがとう、ルシア」

「この子が生まれる時あなたは、ここにいるのかしら」

 この家に暮らしているのかしらと聞こえた。

「どうして」

 ルシアは、虚をつかれた気がした。

 まだ何一つ話してはいない。

(この人には隠し事など不可能なのだろうか)

「あなたはここではない何処かを見ているんではなくて?」

 久々に会ったエルリアは、ルシアの変化を聡く

 気づいている。

「お姉さま……」

 ぽろぽろと涙が落ちてくる。

 頬を伝うそれを白い指先が拭い去る。

「愛する人と家族と天秤にかけなければならない時、

 しかも、愛する人を選んだら家族とは二度と会えなくなると

 いう場合、お姉さまならどうなさいますか?

 ご結婚されている方にお訊きすることではありませんけど」

 苦笑するルシアに対しエルリアは、真顔だった。

「そんな選択をしなければならない相手なのね」

 こくりと頷(うなず)く

「私は家族ではなく愛する人を選ぶわ。

 お父様もお母様も後悔しない生き方を

 してほしいと思うはずだから。

 究極だけれどね。

 だだ一人の相手と巡り会ったらその人と

 生きること以外選ばないわ」 
 
 強い断定の口調に、息を飲んだ。

「結婚してるから余計にイグラスのことに

 当てはめて考えるのよ。

 彼の事は誰にも譲れないくらい深く愛してるから」 

 エルリアは、ルシアが、畏怖した尊敬する姉だった。

「……、お話を聞けてよかった」

 ほうと息を吐く。涙はとめどなく溢れ出す。

 頭を撫でてくれる手は、想像以上に柔らかく温かかった。

 3つ歳の差の彼女が、苦手だったけれど、

 今は素直に気持ちを言える。

 ルシアは、涙を拭って、エルリアに視線を送った。

「お姉さま、大好き。

 どうか健やかな御子に恵まれますように」

「……ルシア」

「二度と会えなくても、私はずっとお姉様の妹です」

 背を抱く腕に力が込められる。

「あなたを応援してるけれど

 さすがにはっきり言われちゃうと辛いわね。

 もう会えないなんて……」

 涙混じりの声が耳元に届く。

「ごめんなさい」

「いいのよ。強いあなたでよかったって思うから」

 泣きながら、笑うルシアの頬に落ちたのは小さな口づけ。

 くすぐったくて恥ずかしくてはにかむ。

 するりと腕を離した姉が部屋の扉を明ける。

 小さく手を振ってじゃあねと、また会うみたいに言ったから

 ルシアは、嗚咽を止められなかった。

 久々の邂逅が最後の邂逅でごめんなさい。

「……最後にお会いできてルシアは幸せでした」

 エルリアは実家で、その日を過ごすと

 夫であるイグラスの迎えで帰っていった。


 ルシアがこの時代に戻って10日目の夜は過ぎていった。

 それから身の回りの整理整頓や掃除に数日費やした。

 もう二度と戻れない場所へ、最後のお別れと今まで

 ありがとうの気持ちを込めて徹底的に綺麗にした。

 一人もくもくと掃除に精を出すルシアに、母も父も訝しがっている。

 怪しまれ薄々感づかれているのだろう。

 (でも、私って怠け者だったってことかしら。失礼しちゃうわ)

 気を逸らしてみても胸は身勝手に痛んだ。

 決意は固まってるのに言い出せない。

 ぎりぎりになって言うなんてそれこそよくないと分かっている。

 悶々と思考を繰り返しているルシアに、どうやら父も母も声をかけづらいようだ。

「……お父様、お母様、お話があります」

 ようやく切り出したのは期限があと3日まで迫った日のこと。

 臆病で、怖がりで踏み出す勇気がなかった。

 姉のエルリアには、すんなりと告げられたのに。

 やはり、離れていた人と共に暮らしていた両親とでは違う。

 ルシアと17年間一緒にいた人達だ。

「私はこの家を出て行こうと思います」

 意外にあっさりと言葉は口から滑り出たことにルシアは驚く。

 平静を保とうと必死で取り繕った。

 顔に出やすいから気をつけなければ。

 泣かずにお別れを言わなければ。

「ルシア」

 父の呼びかけでぴんと張り詰めた空気が、震えた。

「何かに急かされたように動くあなたの姿は

 まるで身辺整理をしているようでした。

 本当にルシアは分かりやすいですね」

 少し寂しげにお父様は笑った。

「……皆、行ってしまうのね」

 姉のエルリアに加え、妹のルシアも

 家を出たら両親は二人きりになる。

 エルリアは結婚しただけだから、両親とまた会えるが、

 ルシアの場合、今生の別れを告げるのだ。

「ごめんなさい」

 ぽろりと出てしまった謝罪の言葉を父が聞き咎めた。

「取り消しなさい、ルシア。

 お前は私たちに悪いことをするわけではないでしょう。

 悩んで苦しんで決めたことだ。誇りを持ちなさい」

 厳しくも心に響く言葉だった。

 父は気づいていた。

「……ありがとうございます」

 親不孝な娘を許してくれとは言わない。

 寧ろ恨んでくれていいから。

「せめて理由を教えてくれるのが道理だと思うわ。

 それも駄目かしら?」

 お母様の懇願にふるふると首を振る。

「愛している人と一緒に生きる為です」

 きっぱりと言い切ったルシアの瞳は、

 二人にはどう映ったのか。
 
 父と母の交互に抱擁されてルシアは胸がつまった。

「たとえ二度と会えなくなっても、

 二人の娘であることは変わらないから。

 ルシアはお父様とお母様のご無事を永久に祈ってます」

 結局涙ぐんでしまったけれど、振り切るように顔を上げて笑った。

 明るい顔を両親に見せられてルシアは、憂いが消えた思いだった。

 最後の三日間、ルシアは今までと変わらない様子で、二人と過ごした。

 両親も表面上に出さないようにしてくれているのが

 分かったから、それに報いるよう自分の決断を

 信じて真っ直ぐ往こうと誓った。

 さよならを言わないのはずるいだろうか。

 いつ出て行くともはっきりとは告げずにいたけれど、

 父も母もルシアに尋ねてこなかった。

 まるで神隠しにあったようにいなくなったら、

 ルシアが存在していたことさえ

 この時代の歴史上から消え失せるのだろう。

 取り消せない選択。

 ルシアは、クライヴと生きることを選んだ。

 唯一の人と出会ったらその人以外

 選べないというエルリアの言葉を痛いほどに思い知る。

 いつもと同じように、部屋に戻るとその名を声の限り叫んだ。

「クライヴ!」

 瞳を閉じながら、手の平を組んで

 重ね合わせて、愛しい人の姿を脳裏に描いた。

 光の渦に飲み込まれ、あっという間に

 ルシアは生まれ育った時代から、消え失せた。

(私が想っていたのと同じで、彼も想っていてくれた)

 最初、呼ばれた時も、魔術の環に導かれて、

 ここから姿を消したのだった。

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