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第一章

4、囚われの乙女(★)

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 人を好きになるのに、時間なんて関係ないんだとルシアは知った。

 その人を好きになった理由もあやふやで、確かなものは無いけれど、

 本当に愛してしまったら理由なんてどうでもいいのだ。



 組み敷かれた寝台の上、手首はひとまとめに拘束されている。

 彼の瞳に欲情の欠片があるのが、見えてひどく安心するのは何故だろう。

「あ……っ」

 唇が重なる合間に名前を呼ぼうとしたが、荒々しく塞がれた。 

 名を呼ぶことを許されない私はただの従者であり 

 彼の欲の解消に抱かれているだけ……?

 疑問を抱くのは夜毎に口づけが、甘さを増していくから。
 
 口内をいたずらに動き回る舌に、思考がぼやけてしまうけれど、私はしっかりと彼の背中に腕を回した。

 辱められているわけではない。

 突き上げられて、爪を立てると、勢いは更に増した。

 胎内が、ひくついて、彼を誘い込む。

 囚われているのではない。

 お互いを愛執の檻に閉じ込めている。

 かぷり、食まれるふくらみの頂点。

 唇がわなないて、あえかな吐息が漏れる。

 交わりながら、秘芽を擦られると悲鳴をあげた。

 膝をついて、貫きながらふくらみを揉みしだく。

 びく、びくと跳ねる腰は、押さえつけられていた。

「お前は……、最高の下僕しもべだよ」

 耳元に吹きつけられた言葉に、微笑んだ。

 彼の本心なんて、窺い知れずとも、傷つくことはない。

 孤独な眼差しで、肌に触れる人が冷たいわけはないって、知っている。

 胎内(ナカ)に熱が注がれる瞬間、意識を飛ばしていなかったのがとても嬉しい。

 脱力して覆いかぶさって来る瞬間の彼を見られなくても。





 昼間は魔術の指導を受ける。

 地下の庭園で、炎の魔術の教えを乞うている時も、

 寝台の中での彼を思い出してルシアの頬は火照るけれど、

 クライヴは気に留めていないようだった。そのことに安堵する。

 ルシアは、クライヴが目を見はる程、短期間で炎を使いこなせるようになっていた。

 瞳を閉じて呪文を唱える様。

 高く澄んだ声から発せられる呪文はクライヴが唱えるのと違い、神聖な儀式のそれに感じた。

 日毎夜毎、美しくなるルシアは少女ではなく女の顔を纏っていて。

 手離したくないなんて馬鹿なことを考え始める。

 これは一種の支配欲。

 どんな彼女も己の物にしたいと思う欲望ゆえに起こる感情だろう。

 愛情など知らない自分は、ルシアの気持ちは理解できない。

 クライヴは、翳った陽射しに照らされるルシアの横顔に目を奪われていた。
 ルシアが、魔術の鍛錬に打ち込むことで、彼とのことを考えまいと必死なのと同様にクライヴも、

 ルシアの一挙手一投足に心を囚われていた。





 繰り出した炎を瞬時で消すことの繰り返し。

 ルシアが風の魔術を覚えるのに七日かかったが、
 炎は教えられた翌日にはある程度使いこなせるほどになった。

 信じられないけれど真実だ。

 もしかしたらこれは恋の魔法。

 想いが気持ちが強くなるほどどんどん自分の中から力が沸き上がる。

 緩む頬を抑えられず、クライヴに勘づかれていないか焦る。

 このいかにも幸せを噛み締めているという顔を見られたら何を言われるだろう。

 ルシアが振り向くと、腕を組んでこちらを見ているクライヴの姿。

 聖ではなく魔。鷹に似た魔物を使役として使う彼は黒魔術を得意とする。

 クライヴは人間離れしているが紛れもなく人だ。

(あんなに温かいもの)

「風よりもお前は炎の魔術の才があったのか」

「大げさです。まだ手探り状態なんですよ。

 自由に使えることはやっぱり楽しいですけれどね」

「魔術は、才がなければ使いこなせるものではない。

 何年もかかって、ようやく使いこなせるようになるか、

 それでも無理で魔術師の道を諦める奴もいるくらいだ。お前は明らかに才があったんだぞ」

「クライヴに言われると何だかこの辺がむず痒くなります」

 ルシアはそっと手の平で胸に触れた。

 照れで顔を赤くしながら瞳を潤ませている。

 クライヴは健気な表現に目を奪われる。

「ルシア、お前のことを聞かせてくれ」

「ええ、いいですよ」

 視線で促すクライヴに、苦笑し、ルシアはベンチに座りましょうと誘う。

 この広い庭園にはベンチもあるし寝る場所もある。

 作り物めいた眩しさが時々物悲しいだけ。

「私、クライヴに救われたと思っています」

「こんな場所にいきなり連れて来られて尚且つ(なおかつ)閉じ込められてもか」

 クライヴはいかにも胡散臭いという表情をした。

「あなたは私に居場所をくれたでしょう?」

 ルシアは首を傾げて問いかける。

 小悪魔めいた仕草にクライヴはぞくりとするものを感じた。

 またそうやってふいの仕草で惑わせる。

 ルシアを見やりながらクライヴは泰然と腕を組んでいた。

「ああ、俺の側をお前は離れられない」

 ルシアは、傲岸不遜な所も含めて彼が好きだった。

 とつとつと記憶を揺り起こして語り始める。 

「あなたに召喚されるまで、形のない日々を送っていました。

 よくできた姉と違い、私は無能で

 顔がそっくりなことを除けば何もかも正反対。

 自分の至らなさ加減に死さえ考えたこともありました。

 虚しさが拭えなくて、自分の存在が疎ましかったんです。

 父と母が私を愛してくれたから生きていられただけ」

 クスッと笑いながら話すルシアからは悲壮感は伝わらない。

 過去の記憶を淡々と語っているように見えた。

「そうそう私の家は代々神に仕えているんですよ。

 神官の父は神殿の中で一昼夜貞淑に神に尽くしていました。

 私は、神なんて人が救いを求めて心の中で作り出した存在だと

 思ってた人間で、馬鹿にしてた節があったんです。

 だから何をやっても駄目だったのかも。背信者だから。

 神を信じてない私に神官なんて相応しくないですよね」

「じゃあ、お前は正真正銘神に背いてしまったことになるな。

 神官の娘が黒魔術を操るようになるとは、とんだ喜劇だ」

 クライヴは鼻で笑った。

 ルシアには禁忌に身を染めた自覚があるのかどうか。

 もっとも彼女は何も動じている風はないが。

「これから先どうなるか分からないけれど、叶うならこの生き方に身を捧げたいです」

 ルシアはあっけらかんと言い放った。

 胸すら張っている。

「だって似合ってるでしょ、意外に」

「後悔先に立たずという言葉は読んで字の如だぞ」

 軽く考えていたら後で痛い目を見ると暗にそう告げるクライヴだ。

 ルシアがもといた場所に戻れない限り、彼女の言った通りになってしまうだろうが。

「後悔させないようにしてくれればいいじゃないですか」

 ルシアは図太かった。

「面倒事は嫌悪する性質でな」

 クライヴが目を逸らしたのをルシアは見逃さなかった。

 見逃してしまいそうなほんの小さな瞬間だった。

「嘘つき。下手すぎて嘘にもなっていないわ。

 面倒事嫌いなのに気紛れだけで、私を相手にしていたの。

 厭う存在であるならさっさと消したでしょ」

 ルシアは、早口に捲くし立てた。

「口が過ぎるな」

 クライヴは、いきなりルシアに顔を重ねた。

 心臓の音が響く。

 ルシアの心臓をうるさくさせる性質の悪い悪戯をクライヴは頻繁に仕掛けていた。

 頬を染めて胸の辺りを押さえ、ルシアは上目遣いでクライヴを見つめた。

「本当にお前は生意気だよ。だが、嫌いじゃない」

 見えない刃物がルシアの心にざくりと突き刺さった。

 本気の言葉か量りかねてしまう。

 いつだって彼は、最後の砦を崩してはくれないから。

 もっと彼の事が知りたい。抱き合うことでは知ることができない

 心の内側を教えてほしい。

 ぎゅっとクライヴの長衣(ローブ)の裾を掴む。

 息が顔に触れたかと思えば唇が重なった。

 啄ばんで離れることが何度も繰り返される。

 ルシアの瞳には赤く焼ける空は映らず、クライヴの姿しかない。

 耳朶に触れた唇にびくっとし、なぞり上げる舌先に肩を震わせる。

 歯を立てられて、甘い声が漏れた。

「……っん、クライヴ、やめて」

「嘘つきはどっちだよ」

 わざと耳元で囁いて抵抗を奪うクライヴにルシアは、憎々し気に呟いた。

 本当に彼は憎らしい。

「……意地が悪いんだから」

「自分のことは自分が一番知っているさ」

 ルシアは思いもよらぬ強い力でクライヴの体を押し返す。

 腕が瞬時に捕らえられるが気にしない。

「知っていますか」

「何を」

「口づけは好きな相手にするものなんです」

 ルシアの言葉が掴めず、クライヴは怯む。

 彼らしさを失った仕草だったのだが、クライヴは気づくことはない。

「初耳だな」

「私が教えてあげます」

「血迷ったのか」

「あなたが魔術を教えてくれたお礼です」

 ルシアはクライヴを抱きしめた。

 髪と体から香る甘い匂い。

 クッ。クライヴの喉から漏れる声。

 ルシアの背中に腕を回し強く抱き返す。

「最近人を愛する気持ちを知ったんですけど、くれた人に自覚がないみたいだから

 こっちが教えてあげなきゃ駄目なんです」

「意気込んでるようだが、自信はあるのか」

「ありますよ。私がとっておきの魔法を伝授してあげますからちゃんと覚えて下さいね」

 ルシアが顎を上に向ければ、面白おかしそうに笑うクライヴ。

「あなたのことは教えてくれないんですか?」

 ルシアはクスクスと忍び笑いする。

「聞いて面白いという保証はない」

「いいえ! 面白いに決まってます。滅多に聞けない貴重な情報ですもの」

「あ、言いたくないことは無理に言わなくていいですよ。

 言える部分だけ聞かせてもらえれば充分ですので」

 にっこり。ルシアは邪気のない笑顔を見せる。

 したたかさは生まれつきのものに違いない。

「ここじゃ落ち着かない」

「上に行きますか」

 返事を行動に代えるように、クライヴはルシアの体を抱いたまま瞬間転移した。

 瞬きする内にあの結界を張られた部屋に移動し、ルシアは

 暫く状況を把握することができなかった。

 クライヴの腕の中で、視線を泳がせている。

「呆けるなよ。天然」

「突然、飛ぶなんて心臓に悪いですよ」

「話、聞きたいんだろ」

 鋭く聞こえた舌打ちにルシアははっとした。

 クライヴは気が長い方ではない。

「当たり前です」

 隣にいたはずのクライヴがいない。

 離れた覚えはないのに、やはり彼は掴めない。

 視線を彷徨わせれば、椅子に腰を下ろしていた。
 王族が座るような派手なものだ。

「い、いつのまに! ず、ずるい」

 肘を置いて悠々と構えているクライヴにルシアは頬を膨らませた。

 そんな彼女に含み笑いを漏らしたクライヴは、自分の膝の上に抱え上げた。

 どくん。早鐘を打つルシアの心臓。

 気恥ずかしさで赤くなってみたり、恐ろしさで身を竦ませて青くなったり、

 ルシアはくるくると表情を変えた。

「落ち着け」

 クライヴは頭に腕を伸ばしそのまま肩口に顔を埋めさせる。

「一度しか言わないからなよく聞いておけ」

 聞きたいのならな。

 ルシアが頷くとクライヴの肩が揺れた。

「俺は……」

 金の髪に指を絡ませながらクライヴは口を開く。

 クライヴの肩に頬を寄せて、ルシアは耳をすませた。

 耳にかかる吐息に顔が熱くなる。

 クライヴの方も首筋にかかるルシアの吐息を意識していた。

「俺は魔術師でも偏った力しか使えない男だ。

 壊すことしか知らないと言っただろ。

 属性は闇だから、攻撃系の魔術しか扱えない。

 黒魔術師と世間一般では、呼ばれているか。

 癒し系魔術など不得手だから怪我しても治してやれない。ルシアが自分で会得するしかないな」

「え、何でもできるんじゃなかったんですか。

 癒し魔法なんて教えてももらってないのにどうやって……。

 やっと風と炎を覚えた所なのに」

 不安になったルシアは、訴えた。

 我儘だと自覚しつつも言葉を止められなかった。

「残念ながら万能ではなくてな」

 だから必要以上に要求しても答えてやれない。

 望むだけ、歯噛みする思いをするぞ。

 何とか聞き取れるかどうかのごく小さな声でクライヴは言った。

 自嘲する姿に、ルシアは自分の過ちを悔やんだ。

 傷つけてしまったかもしれない。

 次第に表情が暗く沈んでいく。

「同情も哀れみも必要ない。特に困っていることはないからな」

 クライヴの言葉に嘘はないようだ。

 その証拠に、真摯な光が瞳に宿っている。

「ご家族とかは? 」

 実はルシアが、一番興味があることだった。

 こんな城で、一人で暮らしているクライヴに尋ねることではなかっただろうが、

 ルシアは敢えて疑問を素直に口にした。

 誰だって最初から、一人だった人なんていないのだ。

 当たり前だが両親がいたから、クライヴは存在しているのだ。

 そう思ったからなるべくさり気なく聞こえるように口にした。

「俺が殺した」

「え」

 一瞬聞き間違えたのかと思ったルシアである。

 まさかと耳を疑った。

「俺は、幼い頃、力が使えるのが面白くて好き放題使って遊んでいた。

 力のコントロールも上手くできないくせに。

 あの頃の俺にとっては面白い遊びだったんだ。

 貴族の屋敷で、外に出ることも許されない退屈な日々。

 魔術だけが唯一の楽しみだった。

 それが、両親や周りによく思われてなくても止められなかった。

 そんな日々が続いたある日、ふとしたことがきっかけで俺は両親を手にかけた。

 二人の姿が元の姿を止めていない程変ってしまった時俺は我に返った。

 自分のしたことを自覚したんだ。愚かなことをと。

 父も母も魔術なんて使えない普通の人間で、魔術を使う俺を煙たがっていた。

 母親なんて化け物を見る目で見てたからな」

 クライヴは口元を歪めている。

 どういう経緯があって、殺めるに至ってしまったのかまでは

 話さないが、これだけ話すのも決意がいるはず。

 クライヴの奥深くに隠された悲しみを見たルシアは胸が詰まる思いがした。

「でも、愛されていたはずだわ」

「一時の感情で殺めてしまった俺には、最早(もはや)、確かめる術はない。

 犯した罪は消せやしないんだ」

 ルシアは身を震わせた。

 目頭に熱を感じた時、自分が泣いていることに気づく。

 ぽたりぽたりとクライヴの長衣に涙が染みをつくる。

 衣服を涙で濡らしてもクライヴは怒ったりしなかった。

 ルシアの髪を指先で掬い梳いてやることを繰り返す。

 宥めるような仕草に、ルシアは涙が止まらなかった。

「人の傷みに泣ける優しさを持つお前が羨ましいよ」

「……クライヴ」

「分かっただろう、俺がどれだけ歪んでいるか」

 自嘲気味の低い声が聞こえ、ルシアは、涙混じりに笑った。

 この人は冷たくなんてない。

 人よりずっと不器用なだけ。

 こんなにも過去を悔やんでいる。

 重い過去を背負い、長い間苦しんでいたのだ。

 髪に触れる仕草は止むことはない。

 細く長い指が髪の一筋を絡めては離す。

 ルシアの胸はきゅんと疼いた。

 好き……。

 漏れそうになったので喉の奥で封じ込めた。





 あやふやなんかじゃない。目の前の存在すべてに

 惹かれ囚われている。

 ルシアは、自分の中で導き出された答えに微笑を浮べる。

 クライヴを形成するすべてに雁字搦めにされて解けはしない。

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