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第一章

2,契約の証

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 クライヴは、ルシアの手の甲と、頬に口づけを落とした。

 きょとんとするルシアに淡々と言い放つ。

「契約の証だ」

 ルシアは、甘すぎる契約の証に頬を染めた。

 単なる契約なのに、彼は恋人にするように優しく触れる。

 彼の暇を潰す為にいるだけの存在のはずなのに、

 面食らったルシアはクライヴに、問いかける。

「私はあなたの弟子になったのかしら」

 少しばかり苛立ったクライヴは、彼女にきつい眼差しを向けた。
 負の感情をあらわにした彼にルシアは肩を震わせ、

 目元を潤ませながら、睨んでくる。

 意外に気が強くて、退屈しないが、あどけない少女を

 いたぶっているようで不快になった。

「泣くな」

「……泣いてないわ」

 濡れた声でよく言うものだとクライヴは思った。

 俯くことはなく真正面から対峙して彼から視線を外さないルシア。

(さっきの問いに答えてなかったな)

「弟子なんて持ったつもりはない。俺とお前は契約しただけだ」

「教えてもらうんだから先生って呼んだ方がいいと思うんですが」

「師匠と弟子という繋がりを求めてすがりつくな」

 少々厳しい言い方だったかもしれないが、ルシアはこくりとうなづいた。

「じゃあ、クライヴって呼びますね!」

 元気よく返事をするルシアを見ることもなく、クライヴは部屋から姿を消した。

 ルシアはその時幸か不幸かクライヴのチッという舌打ちを聞くことはなかった。



 目の前から、音も立てずに一瞬で消えたクライヴをさすがだわとルシアは感心していた。

 彼は怖いけど、虚勢を張って見せているだけの気もした。

 師弟関係は望まない。

 それなら、私は彼のどういう存在でいればいいのだろう。

 胸の内で考える。

 契約は、なんのことだろう。

 クライヴと交わした契約が、何であろうともかまわない。

 既に依存という罠に落ちているのだとしても、

 彼のためになら、なんだってするだろうとルシアは思った。

 ここにいる理由が、見つかるのならば。



 その日の夜、クライヴはルシアを地下へと誘った。

 扉を開けた先に広がる闇。壁には燭台もない。

 螺旋状に下へと続いている階段をクライヴは、ルシアの手を引いて降りていく。

 手すりもないので落ちたら一巻の終わりだ。

 掴まれた反対側の手でクライヴの長衣(ローブ)の裾を掴むルシアに、
 彼は何も言わなかったので彼女は安心していたのだが。

 急にクライヴの動きがぴたりと止まり、

 自然とクライヴの背中に体が密着する形となった。

 前のめりになったので、彼の背中にしがみつく。

「クライヴ?」

「面倒くさいな」

 しれっと、言い放つとルシアを抱き上げてすいすいと階段を降りていく。

 手を引くより、大変なのに、どれだけ甘やかすのだろう。

 ルシアはうっかりときめきかけた。

「ありがとうございます。重いのに」

「……へばりつかれるより、楽だ」

「なら、よかったです」

 にこにこ微笑むルシアに、クライヴは、唖然とした。

「図太い女だ」

 クライヴが、ふっと笑った気配がした。

 ルシアは、不思議と嫌な気分ではなく、むしろ心地よかった。

 彼の偽らざる本音を聞けることが。  

 横抱きにされて、暗闇をかけ降りるのは

 怖かったけれど、腕の中の温もりは確かだった。



 階段を下りた先にある大きな扉を開けると光溢れる庭園が広がっていた。

 魔力で生み出された太陽の光によって眩しいくらいに明るい。

 先ほどまでの暗さとは打って変わっての明るい世界にルシアは、目を細める。
 とても眩しく瞳が焼かれるようだ。

 咲き乱れる四季の花が、彩(いろど)りを添えている。

「ここ……」

「今は昼みたいだな」

 暫く沈黙が続きルシアが、問いかけようかと迷っていた所、
 
 唐突に、クライヴが口を開いた。

 腕に抱いていたルシアを地面に下ろす。

 すとん、と地に足をついたルシアは、明るい陽射しに目を細めた。

 暗がりから、陽光が差す場所に移動したので少しくらくらしていた。

「息が詰まった時の癒しの場所が欲しかった俺は、

 いくつかあった地下の部屋の壁をぶち抜いて、

 広い空間を作った。

 この場所に来れば朝か昼か、知ることができるように空を作り、太陽を昇らせ、

 花や緑、樹木などの生命を息づかせた。

 うるさいくらいに賑やかだろう。

 魔力で咲かせる花々は、水をやらなくても

 俺の命が消える時まで咲き続けるから

 手間もかからないし、ここだけは生ある場所になる。

 荒んだ自分にとってのある種オアシスといえるかもしれない。

 狂うギリギリまで精神が追い込まれた時、

 ここを訪れて俺は自分を調節する。

 普段は、封印をかけて近づくこともないがな」

 淡々と話す口調は余計に内容の重さを物語っている。

 彼にとってのギリギリはどこなのだろう。

 クライヴの闇をルシアは敏感に感じ取っていた。

「外に出て人と触れ合ったらいいじゃないですか」

「俺は人が嫌いなんだ」

 ルシアは、クライヴが嘯(うそぶ)くのを

 聞き思わず口を手で押さえた。

 もし怒らせでもしたら、殺されてしまうかもしれない。

 彼女の命の手網を握っているのは紛れもなくクライヴだ。

(嫌いじゃなくて人と関わることが、億劫なのよ。

 慣れてないからどう接していいかわからないのだわ)



「お前には光の方が似合うと思ったから、ここに連れてきた」

「……嬉しい」

 クスッと笑うルシアに、クライヴは目を細めた。

「暫く待っていろ」

 クライヴは瞳を閉じて口元を小さく開いた。

 ごうっと風が唸る。

 片腕を作り物の空に差し向けた瞬間、

 一羽の鷹らしき鳥が現れ、クライヴの肩にすとんと降りた。 

 バサバサと羽音がし、一枚の羽が落ちる。

 大きな鳥は肩のほとんどを占領している。

「それはあなたのペット?」

「どこがペットに見える」

「だって何か心が通じ合ってそうだから」

 鷹に似た怪鳥は、クライヴの肩で嬉しそうに羽を拡げる。

「これは使い魔だ。鷹に見えるが魔物だぞ。俺が名を下せば

 その通りに動く。例えばその嘴(くちばし)で目の前の女の喉を切り裂けとかな」

 シャアッ。鷹がいなないた。

「怖いこと言わないで下さい!」

 ルシアが、感情をぶつけるとクライヴは口元だけで笑った。

「冗談だ」

「あなたの言葉は冗談と本気の境目が分かりません」

 ルシアがむきになろうが、クライヴはさらりと流す。

「いいから始めるぞ。まずは風の魔術からだ」

「炎じゃなくて?」

「炎は初心者に簡単に扱える物じゃない。

 風を起こすことができたら

 炎に進む。そして、炎が成功したら雷だ」

「そんなにたくさん教えてくれるなんて優しいですね」

「お前が会得できたらの話だ」

「が、頑張ります」

 クライヴが、合図をすると、ホークスが地面へと降り立った。

「俺の手本を見て、ホークスを宙に浮かせてみろ」

「は、はい……って名前があるんですか! 」

「意外か」

「ええ」

クライヴは、ほんの微かに笑った。

 よほど注意深く見ていなければ見逃してしまうくらいの表情の変化だった。

 目を閉じてクライヴは呪文を唱える。

 ゆっくりとした口調で、ルシアに聞き取れるように。

 強い風が、ホークスの周囲で発生し、宙へと舞い上がらせた。

 自分の意志ではない力で飛んでいるからか

 どこか不自由そうに見える鷹。

 巻き起こった風に髪がそよぐ。

 視界が遮られてルシアは片手で髪を押さえた。

 シュン。風が止んだ途端、ホークスが

 ばさばさと翼をはためかせて着地する。

「呪文は聞いていたか」

「はい」

 やってみろと眼差しで促すクライヴ。

 ルシアは目を閉じて集中力を高めて、

 ぶつぶつと呪文を唱え始める。

 その瞬間、ホークスが、浮かび上がった。

 ホークスの力ではなくルシアが浮遊させたのだ。

 手を伸ばせば届く程度の高さだったけれど。

「できた」

 目を輝かせて喜んだのも束の間、ホークスはすぐに地面に降りた。

「……はは」

 ルシアは明らかに肩を落としていた。

「最初から上手く行くわけないだろ。

 魔術の魔の字も知らないド素人のくせに」

 思いもよらぬ言葉が、口下手な男から漏れた。

「誉めてくれるなんて思いませんでした」

 クライヴの容赦ない毒舌は、ルシアには通じなかった。

 彼女は何でも前向きに捉え、順応性もあった。

「勘違いするな。誉めてはない」

 こう言ったらああ言う人だなとルシアは、思った。

「魔術なんて縁のない世界で生きていたのに

 不思議なものですね。

 突然あなたに呼び寄せられて、ここで魔術を教えてもらうことに

 なるなんて一秒前だって予測つきませんでしたもの」

「俺もお前が出てくるなんて知らなかった」

「私が現れてあなたはよかったのかしら 」

 ルシアの小さな呟きはクライヴに聞こえていないようだった。

 真顔で嘘をつける彼は聞こえない振りを装ったのかもしれないが。

 どちらにしろルシアは答えが欲しいわけではなかった。

「もう一回」

「お手本は見せてくれないんですか?」

「呪文は覚えただろう。無駄なことはしたくないんでな」

 ルシアのおねだりは軽く拒否された。

 こうなることはルシアにも予測できていたのだが、

 試してみたい気持ちに抗えなかったのだ。

 怖いもの知らずにも素っ気無い彼の反応を。

「さあ、続きだ」

 ルシアはただ、無我夢中で呪文を唱え続けた。

 結局、クライヴに認められたのはそれから七日程経った頃だった。

 二人が出会って10日目だ。

 太陽が昇り沈むこの庭園の中で、

 ルシアは陽が落ちては昇る回数を数え、

 時間の感覚を忘れまいとした。

 魔術の修行をするようになってからルシアは、

 一日をこの庭園で過ごしていた。

 食事は、そこらじゅうに鳴っている木の実を食べ、

 大木に吊り下げられたハンモックで眠る。

 夜まで魔術を教えた後クライヴはどこかに消える為、

 ルシアは一人きりだったが、孤独に感じることはなかった。

 結界が張られた陰気な部屋で眠るよりよほど心地よく感じられたからだ。

 あの部屋には暗闇以外存在しないが、ここには空、太陽、空気、草花、木々がある。

 ルシアが幼い頃から見てきた景色があって、時々ふいに涙がこぼれる。

 帰りたいけど帰りたくない。矛盾した気持ちがせめぎ合う。

 飽きられるまででもいい側にいたい

 なんて思ってしまった自分にはっとする。

 何故だろう。

 初対面から自分の物だと不躾(ぶしつけ)に言い、

 身勝手にルシアを縛って閉じこめている酷い人なのに。

 恐ろしい狂気を身に纏うクライヴだが、

 時折見せる寂しげな眼差しに惑わされるのだ。

 ふとルシアは思う。

 クライヴが、飽きたら確実の頼り気な契約。

 もっと、特別な証が欲しい。

 求めるのは我儘かもしれないけれど。

 風の魔術を会得した日の翌朝、

 庭園に姿を現したクライヴを見上げながら

 ルシアは、思い切って口にした。

「契約の証、私から求めてもいいですか?」

 クライヴはルシアの様子を見ているらしく、何も言わなかった。

 鋭い眼差しで射抜いている。

 ルシアはごくりと息を飲んだ。

 クライヴに惹かれている事実から目を逸らしながら、

 これは契約なのだと自らに言い聞かせる。

 かかとを立てて背伸びをする。唇を重ねた。

 クライヴは、不敵に笑い、耳元で囁く。

「いい度胸だ」

 ぐいとルシアの頭を掴んで、激しく唇を重ねる。

 舌を絡めると、弾んだ息が漏れる。

「ふぁ……んっ」

 濡れた音を意識せずにいられない。

 ルシアだけではなく、クライヴも。

「私は弟子じゃなくてあなたの物でしたよね」

キスの合間に、ルシアはクライヴを見上げた。

「そうだ」

「使い魔のように忠実にはなれないだろうけど、

 これから私はあなたの命に従います。

 どうか、私を使役として側にいさせて下さい」

 望みが叶わないのなら、クライヴの側にいられる方法を見つけるしかなかった。

 例えどんな方法でも。

「俺は人間を使役したりしない」

「お願い」

「人としての尊厳を失ってまで側にいることを望むのか」

「帰る気持ちを奪ったのはあなたじゃない。こんな短い時間で」

 クライヴは奇妙なものでも

 見るかの目つきでルシアを見やった。

「ここにいることが私にとっての全て。

 側にいる自由を与えてください。他には何もいらないから」

「……へえ」

 クライヴはおかしそうに笑った。

 何かを企んだような顔でつぶやいた。

「何でもするのか?」

 舌で唇を舐め、クライヴは、欲に駆られた瞳をルシアに向けた。

 自分の意思で望んで尽くすのだと、ルシアは、応えた。
 彼の眼差しにとらわれて、唇を開く。

「ええ」

「約束を違(たが)えたらその場で殺すからな」

 浮かべた冷笑はぞっとするほど美しかった。

 ルシアは、頷き、クライヴを見つめる。

「お心のままに」

 ドレスの裾を掴んで、礼を取る。

 ルシアは、毅然とした微笑を浮かべていた。

(この身を差し出すことで、彼が私に

 興味を抱いてくれるのなら)

 彼女は、クライヴが何を求めているのか、気づいていた。

 自らに経験はなくても、知っていた。

 姉と婚約者が交わる姿を見てしまった時に、

 話に聞いたことや書物より現実の生々しさを思い知った。

 愛情を通い合わせて成り立つ行為だとするなら、

 不実に違いはないけれど。

(私は彼に惹かれている……。だから、口づけなんてした。

 片側だけしか愛はなくても、穢されるのではない)

 骨が軋むほど強く抱擁され、舌を絡める口づけをする。

 甘い声で喘ぎながら、肌が熱くなるのを感じていた。

 ドレスの上から、大きな手が肌をまさぐる動きに、恍惚を覚える。

 吐息を漏らし、背をそらすと彼が耳元でささやく。

「後悔してももう遅いからな」

 しがみついて、かすれる声を返す。

「……するわけがないわ」



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