イカロスの騎士【帝国篇】

草壁文庫

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第2章

第19話 グラナート公国へ

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 園遊会に弟子とリリアックを置いて後を任せ、プロクスは先にツァガーンに帰ってきた。

「ただいま、アシリータさん」

 玄関先で草を食んでいるロバに声を掛け、馬小屋にアッシュクラフトをつなぐ。

 ふと見れば、玄関扉のすぐ横の窓枠に、ロバの木製の人形が置かれていた。器用な近所の老人の手によるものだ。プロクスは小さく笑うとそれを手に取り、家の中に入った。

 プロクスは豪華絢爛な部屋より、ぽかぽかと日当たりが良くて、村人が持ち寄ってくれた優しいぬくもりのある家財に囲まれているこの家が好きだった。

 暖炉の側のソファーで、夜は本を読む。時々星を眺める。朝はアシリータと散歩する。昼も散歩。村人の家にお呼ばれする。子どもたちに勉強を教える。神殿兵の指導も時々。そして、夜ごはんは自分で作る。自分で作った野菜。村人やタイタニスのお裾分けのおかず。眠くなったら、昼間に干しておいた布団にくるまってウトウトする。

 人らしい、理想的な生活だった。ここ数年は弟子もいて、会話することが増えた。おはようやおやすみを言う相手がいるのは新鮮で、楽しい。

 もう引退後のような生活をしている。ずっと日だまりにいるような気分で日々を過ごしている。

(衰えているだろうな)

 あまりにも幸せを享受し過ぎた。昔のように戦える自信がないし、もう戦うこともないだろうと思う。静かに死に向かっている感覚がある。

 共に戦った仲間が今の自分を見たらどう思うだろう。

(もうお前は戦士じゃない、と言われるだろうか)

 ――ロバの騎士さま。
 村の子どもたちは、プロクスをそう呼ぶ。それで良い。

『我が王』

 ソファーでまどろんでいたところ、涼やかな声が響く。

「白雪?」

『――【商人連】から、監査の指令が下りました』
 
 一気に覚醒した。プロクスは体を起こす。

『テルー付きの【商人】との通信が途絶えました。消滅したと思われます』

「……テルーは」

『わかりません。グラナート公国からの返答はありません』

 プロクスはゆっくりと立ち上がる。

 まだ昼間。日は明るい。だが、それが嫌に眩しい。まるで徹夜明けのようで、忌々しく感じた。
 人外である、【商人】が消滅する可能性。【商人】自体がとんでもない代償を賭けた【勝負】に負けた場合。あるいは、【商人】を破壊することが可能な武器があった場合。

『可能性は、後者ですね』

 白雪が答える。

「テルーに同行した魔術師は?」

『そちらも音信が不通です。万が一の時は、竜殻甲冑《イカロス》の使用を』

「……それには及ばんだろう」

『【商人】を破壊できるのは、【商人】の造りだした武器だけですよ、我が王』

 それきり、白雪は静かになる。
 外に人の気配があった。

「閣下」

 タイタニスが呼んでいる。扉を開けて出迎える。彼は巨体なので、背中を曲げて家に入ってくる。

「準備が整いました。服をどうぞ」

 彼が差し出したのは、神殿兵の衣装。
 わかった、と言うとプロクスはその場で服を着替えだす。甲冑をまとい、兜を被る。

「神殿兵のふりをしてグラナート公国に入国しようだなんて、いつも正面から訪問されるあなたが一体どうされたのですか?」

 タイタニスはプロクスの甲冑と兜を素早く整える。

「……旧友のサブルムを急襲する」
「不穏なことを言わないで」

 タイタニスは巨大な体を曲げて、子どもを諭すような顔をして、プロクスを正面から見つめる。

「……テルーに何かあったのですか?」
「わからないが……【商人】と連絡が途絶えた」

 プロクスが弱々しく答えたので、タイタニスは眉ねを寄せた。だが、黙って次の行動を取る。

 家を出ると、神殿から連れてこられたアッシュクラフトには鞍が置かれていた。側には、数人の騎士が控えている。皆一応神殿兵の出で立ちだが、その実タイタニスの私兵である。

 プロクスがアッシュクラフトに跨がったのを確認すると、タイタニスも筋肉隆々のドラゴニスに跨がる。ドルゴラスは、美しく涼やかなアッシュクラフトに熱い眼差しを送り、鼻息をふんふんと鳴らした。

「タンタン、先導してくれ。アッシュクラフトの機嫌が悪い」

 プロクスが言うと、タイタニスも心得て先に進む。

「……到着したら、君たちは神殿で待機しておいてくれ」

 その言葉に、タイタニスはちらりと振り返る。

「お一人で謁見されるつもりですか?」
「私的な謁見だ。まぁ、あやつの息子の誕生祝い以来直接会っていないがな。先触れぐらいは出してやろう。私が城門をくぐった時にな」
「……国際問題はやめてくださいよ。あなたは【商人連】の特権で守られているとはいえ、帝都の騎士王なのですから」
「もちろん心得ているさ。私が忠誠を誓うのは王家だけ。オリオンの迷惑にならぬようにはする」
「あなたの忠誠は疑っておりません。ただ、グラナート公国は西の防衛において重要な要です。西の砦を二千年守ってきたのはグラナートの戦士だ。あそこを放棄されると、獣人や魔物が一気に豊かな中央に流れ込む。怒りを買うような真似をするのはまずい」
「あぁ、確か……砦を守っているのがウルカヌス将軍か」

 プロクスは赤子のウルカヌスにしか会ったことがなかった。父親のサブルムが初めての子に大喜びしていたのを覚えている。

 何が起こっているのか全く判然としない。
 テルーが望むのなら、引き続きグラナート公国に仕えさせても良いと思っていた。先程までは。

「下手なことをすれば、イルサニア様も怒りますよ」
「……考えないようにしていたのに」

 プロクスはため息をつく。一方のタイタニスは苦笑した。

 イルサニア、とはグラナート公国唯一の神殿を治める神官長のことだ。巫女がほとんどのグラナートの神殿は、治める神官長も女である。昔竜を鎮めたのが神殿の巫女だったとされ、今も鎮めの儀が得意な娘たちが集まっている。

「今回は、ニアには会わない。なに、下手なことなどしないさ。あの娘に怒鳴られると二、三日は頭が痛む」

 わかります、とタイタニスも笑った。
 だが、二人の胸にはそれぞれ何とも言えない、不安感があった。


 ――そして、その『嫌な予感』は見事に当たるのだった。



✧ ✧ ✧ ✧ ✧



 グラナート公国は、荒涼とした大地にある。

 満足にも農作物は育たないが、商才が豊かで、巨大な壁に守られた都は繁栄している。

 壁、といってもただ地面から生えたようなものだけではない。真四角の防壁フォール――浮島ラピータは宙にも浮かび、雲のようにゆっくりと漂う。

 彼の国は、かつて山を越え、西から侵入してくる竜の被害に悩まされていた。

 その竜から国を守るために、強大な術式が引かれた円形の岩壁と浮島が周囲を囲む。高名な、【竜殺しの壁】だ。そして、この国の建物は今やほとんど燃えにくい岩で造られている。

 隊商の列に並び、プロクスたちは壁に東に向けて開かれた門をくぐる。壁の上には鬼の面をつけた兵士たちがいる。

 武勇に優れたグラナート公国の戦士たち。

 サブルムの代から、さらに防御壁を広げている。――近年、妖魔の侵入が度々あるからだ。そして、豊かな資源のある鉱山から都へのルートを確保。「北」への中間地点として繁栄するだけでなく、自らも商品を売るようになった。

「ウルカヌス王子はやり手なようですね。今ではここは鉄の国だ。さらに職人を集めて武器の売買も行なっている」
「それで、少し物騒な連中も集まっているということか」

 プロクスはどこからか聞こえてくる怒声と喧嘩の声に頷く。

「ここを起点として空白地帯で狩りを行なう狩人や、妖魔討伐を生業にした傭兵が武器を調達するようで。安宿も多いですし」
「昔は竜を狩る者たちが多かったがな」

 プロクスは軽やかに馬から下りる。

 グラナート公国はほとんど晴れることがなく、曇天であることが多い。日中も薄暗く、人の顔色も悪い。さらに、妖魔や魔獣の侵入も頻発していた。

 それでも、この土地から人が離れないのは、豊富な鉱山資源によるものだ。キルディアブロの魔法石や鉱石は高値で取引される。砂鉄の量はサンクトランティッドでも一、二を争う。――テルーは、それらを探知する能力に優れていた。特に、自然界の、人の目に見えぬ川のような魔力の流れを見つけ、それらの周囲に固まる魔法石を見つけることに。

 魔法石は、妖魔や魔獣にとって滋養に満ちた酒のようなもの。人にとっては、魔法を扱うには欠かせないもの。

 この魔法石は、かつて竜にも狙われていた。グラナート公国は、豊富な魔法石を産出している。それ故、魔族に狙われたのだ。

「――竜に跨がった私は、とても嫌われていてな」

 プロクスはふふと笑う。

「自分たちの先祖をたくさん殺した竜と共にある私を、飛べない蝙蝠と呼んで忌み嫌っていた」

 城の手前にある神殿に着く。大柄なタイタニスの姿を見つけて、神殿兵たちが近寄ってきた。
 プロクスは側にいた兵士にするりとアッシュクラフトの手綱を渡す。そして、タイタニスが声を出す前に、人混みの中にあっという間に紛れた。

「閣下……全く、なんて素早い」


 呟きつつ、タイタニスはプロクスの後ろ姿を隠すように立ちはだかり、神殿兵に笑顔を向けた。
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